【事件簿】


『ホームズと探偵都市15』




 路上を歩く私の前で、馬車が止まった。

 馬はかなり昔に絶滅していたため、車輪が二つの車を馬もどきが牽いているだけだ。すべてはポロネーズ探偵の神話を元に造られていたが、私は馬車が好きではなかった。

 馬の顔はポロネーズ探偵に似ていたが、ワットソン犬ほど人間の生首らしい生首ではなかった。むしろ前にもいったように、ポロネーズ探偵こそが馬面なのだ。

 私は御者を見上げた。新型のポロネーズ探偵だった。「なんのつもりか知らないが、私は乗らないぞ」

「家までお送りせよとスコットランド防衛隊からの命令を受けています」

 私は眉をひそめた。何かあったのか?

 私は周囲を見回した。辺りはすっかり夜になり、歩く先々で変装ごっこが活発化している。女は男の格好をして「ごきげんようシャクレ=ポロネーズさん」なのだ。それ以外に特に不審な動きは見られない。

「早く乗ってください。サー」

 新型ポロネーズ探偵はより気が短くなっていた。従来のロボットならば時間の感覚は人間のそれに近い。だが彼は五分で朝の支度ができると考えているに違いなかった。

 私は探偵に従った。あまり遅くに出歩くと、今度はヒヒが通りに放たれ、男色趣味の男どもが暗闇を口実に手を握ってくるのだ。私には耐えられなかった。

 馬車に乗るとワットソン犬が一声吠えた。私の膝に飛び乗る。完全に裏返しになって、私に腹を撫でろと要求しだした。私は撫でた。注射器がピンと勃ったがそちらは見ないように努力した。生首のほうは気持ちよさそうだった。

 馬車に揺られながら気持ちを切り替えた。宗教の断絶についてCDの記録を調べたいが、それは不可能といってよい。

 ポロネーズ探偵のマインドタイムリープとは催眠術の一種で、かなり精密なところまで遺伝子に刻まれた記憶を調べることができる。

 ただしそれは脚本のト書き部分のようなもので、私が望むような臨場感溢れる体験――ワットソン犬の尻の穴が桃色の襞に囲まれているのが見えるというような――ができるわけではなかった。

「ノーベリ!」

 私は努めて気をそらす努力をした。

 小窓の外は真っ暗だ。私の先行きと同じだった。シャーロックはなんというだろう。アマゾンと過去に何があったにせよ、私が花嫁の父親よろしく口出しするのはおかしい。

 だいたい花嫁なのかアレは。

 私は自分が毛嫌いしている方面のことについて、試す前から閉じてしまう傾向があった。一度はいいだろう。二度目は駄目だ。博士に修理を頼むのも億劫だ――GEチャレンジャー――私の永遠の友。

 花嫁がどちらかは知らないが、二人を会わせるわけにはいかない。二体を。少なくとも私には彼らの片方が必要で、万が一の事態に対応できる自信はなかった。

 二体を融合させるわけにはいかないのだ。私がこの世を無事去るまでは。

「ノーベリ!」

 私はワットソンの鳴き声に苛立って、彼の毛を引っこ抜かないように気をつけた。かの土地がどこにあるのかさえ謎に包まれていたが、私にはその意味くらいはわかっていた。

「過信することがあったら、か」

 どんな知能指数の低いポロネーズ探偵もワットソン犬には深い感謝を述べている。彼らが生きるのに、活動するためにワットソンは必要不可欠だからだ。

 私はどうだ? 犬はおろか、一番身近なポロネーズ探偵にはあの態度だ。そして路上の探偵は見捨てようとした。アドベンチュアの解除資格と、設定変更資格を有していたのに、だ。

 犬にも劣るのか。

「ノーベリ! ノーベリ!」

 私は咳払いをした。

「ジョン。静かにしなさい。帰ったらシャーロックの革靴でも舐めさせてやるから――」

 小窓の外はもう暗すぎてよく見えない。「ポロネーズ君、いま一体どの辺を……」

 私はようやく気づいた。人通りが少なくなったのは時間のせいではないことに。

 馬車が走っているのは家路ではなかった。






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