【事件簿】


『ホームズと探偵都市14』




 出来心で入ったSP教会の中には、日も落ちかけているというのに、たくさんの信者がつめかけていた。

 私の後ろでは止めどない議論が交わされている。

「たとえばケース9。彼はAAを頭文字とする女性に恋をしている。恋愛感情が彼の頭の合理性を阻害し、結果依頼は失敗に終わった」

「しかし長い歴史の中で歪曲して伝えられた話であるという説もある。これはケース9に限ったことではないだろう」

「相棒の結婚に賛同しなかった。彼は同性愛者なのか?」

「どちらも一方的な見方における誤った仮説じゃないか。彼はセクシャルに興味を持たなかった。愛を怖がっていた。愛は彼を彼でないものに変えてしまうと考えていた。あるいは失う恐怖に立ち向かうほど他の人間に対して情熱がなかった。どうだね?」

「しかし執着はあったわけだ。独占欲。これも愛のひとつだろう。愛の側面は一面ではない。理屈で綺麗に納まるそれは愛ではない――馴れ合いだ」

「馴れ合いも愛のひとつだ。そのとおり」


 私はポロネーズ探偵を引き連れて来なかったことを後悔した。彼ら探偵は皮肉な答えを返すだろう。面白そうだ。

 とはいっても一緒に入ることはできない。SP教会は至るところにみかけるが、教会内部にポロネーズ探偵を入れることは禁止されていた。ワットソンは足元で寝ている。

 信者たちにとって、ポロネーズ探偵は唯一無二だ。教会の中にはいない。彼ら一人一人の心の中にいるのだ。

 かつては世界中にネズミの国というものがあり、一大勢力を保っていたというお伽噺がある。

 ポロネーズ以前か以後か定かではない。ネズミは世界中の子供相手に商売をしていた。彼らは体を分裂させ、自分より体の大きなあひるや犬を従えていた。

 世界中に巨大な教会をつくった上で、彼らはネズミの神さまの服をつくり、それを着て信者を増やした。神さまが常に一体であるように気を配った。教会の中だけではなく世界中に一体きりになるよう、同じ時刻にネズミが被らないよう調整しながら――。

 これはあくまで神話の類いだが、彼らもテレパシーのようなもので繋がっていたのではないかと言われている。

「ポロネーズ神話のほとんどは、おそらくパロディなんだろうぜ」

 右隣の少し向こうに座った男が言った。こちらは紳士の二人と違い、薄汚れていた。

「探偵の元の姿は年月と共にかすんでいく。おそらく初めて絵に起こされたとき、それは変わってしまった。ジジイ・ザ・クライストが黒人やアジア人でなかったのと同じく、探偵もまた、俺たちの国の人間ではなかったかもしれん」

「私もそこが知りたいのだよ。ポロネーズ探偵の容姿がインディアナで――そこにはおよそ二万年前まで先住民族がいたのではないかと言われているが――どう受け入れられているのか。彼の名前は歴史に残っているが、果たして実在するのか。実在したとして、彼が六十のパターンに納まる程度の人物だったのか」

  紳士の一人が答えた。一瞬まともだと思ったが全員目が危ない。人間好きなものを語るときは同じようなものだが、周りが見えなくなるのだ。同じ志や情熱をむけているなら別だが、違う方面なら気持ち悪いだけである。

 前列の男がキレた。

「あなた方は神を冒涜している! 神が我々に探偵を与えてくださったのだ。探偵文化こそ人々の心を潤し、安息を確かなものにしているというのに――!」

 しかし反対隣の紳士は嬉しそうに言った。

「誰かにポロネーズ探偵のことを聞いてみなさい。みんな違うことを言うだろう。初めて肌の色が黒いポロネーズ探偵が造られたとき、誰も反対しなかった。大昔虐げられていたとされる国々をどこかの誰かが統一し、アフリカ大陸を世界最大の産業大陸に変えたからだ。ポロネーズ探偵はそれだけで地球の半分を救ったのだ」

 同意の声に囲まれ、私は圧倒された。しかし関わりたくなかった。残念だ。地球の半分以上は海だろうとも言えなかった。

 鐘が鳴らされたが、いつもの鐘ではない。これは――。男が立ち上がって音頭を取った。

「復活の鐘だ。生還されたのだ!」

 おおおおおという雄叫びが耳をつんざく。ワットソンも激しく鳴いた。

 信者の一人が話したように、神である探偵が女嫌いだったというまことしやかな神話のせいで、女性もまた門をくぐることができないでいた。おかげで黄色い悲鳴は門の外から聴こえた。

 私は意識をそらした。いちいち構っていられるか。

 復活が何時何分何秒に行われたかを真隣の老人が私に耳打ちした。彼も立ち上がろうとしない。私が老人と思うくらいだからかなりの歳だ。

 その輝いた目は、早いとこあの世に生きたいのに、いつまでも新しいポロネーズ潭が語られるせいでそれさえできぬと訴えていた。私はいった。

「この鐘が鳴るたびに古傷が傷み、気が重くなる人間もいます。少し黙ってくれませんか、おじいさん」

「私も気が重いですよ」

 ポロネーズ=アマゾンの声だった。通信は届いていたのだ。

 偏執狂の中でよく変装を見破られずに済んだものだと感心してしまう。私は素直に喜んだ。「来てくれたのか」

「調査表です」アマゾンは老人の見た目に似つかわしくない若々しい声で言った。「それからナポリタンです」

 私は渡された小包を見て、二重に感謝の言葉を漏らした。「何か報酬を……」

「間に合ってます。でもひとつお願いできるなら」

 アマゾンは下を向いた。白髭の長い老人は顔をしわくちゃにした。「――シャーロックに会いたい」

 私は困ってしまった。こいつは正気か。私は何かどうでもいいことを呟いたが、信者の声にかきけされた。

 聖典の一節を朗読していたようだが、探偵の言葉に皆が沸き上がった。

「さあ。おじいさんも立ち上がって!」その呼び名で私もムッとしたが立ち上がり、アマゾンを見ないように努力した。彼は黙って座ったままだ。男たちの一人が言った。「叫んで。さあ!」

 なにをだ。テンションが異常だった。連呼される題目。この熱気に煽られて入信する者がいるとすれば、気の毒というよりある意味羨ましかった。入信するのはごめんだが。

 なんでもいい。一つのことに情熱を傾けるのは、それ自体が宗教であり依存でありただ生きる糧だというだけの話だ。ただ私を巻き込むな。私の人生を。来るのではなかった。

 残りは個々に楽しんで、私は私で好きな道を歩ませてくれ。

 ああ、もうすぐ死ぬのだった。私は一度つけた決心に蓋をした。死ぬまでは生きるのだから当然だ。私は立ち上がり、また座った。何度それを繰り返したかわからない。気づけば演壇に引っ張りこまれ、口を開いていた。

 私の二、三言った言葉に周りは泣いていたが、私は意味がわからなかった。酷く孤独だった。

 前列の子供が私を見てやはり同じく泣いていた。しかし彼の全身からは怒りが満ちていた。隣で手を握って叫んでいる父親が恥ずかしかったのだろう。

 私はなぜか、子供に心の底で謝った。そうすると孤独は一瞬和らいだ。

 ふと見るとアマゾンは消えていた。






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