【事件簿】


『ホームズと探偵都市10』




 そのような理由もあって私とアマゾンの仲は微妙な均衡を保っていた。故に探偵としては優秀な彼の元を、他の理由で訪ねることはめったにない。

 ワットソン犬は私の持ってきたダンシングマンと戯れていた。

 踊る人形は小型チップを起動することで実体を持てる。彼らの細い手足が織り成す不可思議な動作は、金庫を守るパスワードの役目を担っていた。

「ジョン、そいつらは見た目より凶暴だ。そっとしておけ」

 だが犬は言うことを聞かなかった。ワットソン犬のおそらく唯一といっていい利点は、人間の言葉を理解できないことだ。

 彼の奇妙な頭――生首と簡単に述べたが、正確には髭と揉み上げのついた中年男性の生首だ――にはダンシングマンとやり合うほどの知能はなかった。犬は人形の上げた旗の前に完全敗北した。しかしダンシングマンも怖かったのか机の下に隠れた。

 ソファの上からその光景を眺めていた私は、尻を向け床に伏せてしまったワットソン犬を褒めた。振り向きもしないので、腰を屈めて膝に乗せる。機嫌を損ねて彼は唸った。私は言い聞かせた。

「その紙っ切れみたいな棒人間は重要証拠なんだぞ――おまえはまったく」

「ここで何をしてるんですか」

 ポロネーズ=アマゾンは眉をひそめた。かなり淡い色の金髪のせいで頭皮が透けて見える。私は頭髪のメンテナンスについて口を開きかけたが、賢明にも黙った。

 ポロネーズ探偵の髪は、色に関わらず総じて前方が薄い。場合によってはかなり後方まで侵攻した残酷な仕打ちは、彼の頭の良さと英知を表している。もみ上げや髭の有無、癖毛の度合いはカスタムによって変更が可能だったが、髪の量はだいたい同じだ。

 アマゾンは目だけを動かした。

「彼は?」

「来とらん。そんな顔をしても今日は私ひとりだ」

 結果的にふたりの仲を引き裂いたのは私の仕業である。聞かずとも理解しているはずなのに、彼の態度は私を非難しているように思えた。

「それは残念。ワットソン、プリーズ」

 アマゾンは私の許可を求めることなくコカインを供給しようとした。形だけの儀礼だが補給は恥ずかしい行為なので、たいていのポロネーズ探偵は人間に許可を求める。

 私は咳払いした。「私は空気か」

「問題ありません。貴方があまりにも私の体を掻き回すので、人間として認めない命令を閣下が出してくださいました」

「掻き回す?」

「気になるなら貴方が向こうを向いてください」

 私はため息をついた。一般に流通しているポロネーズ探偵の服装はいささか特殊で、全員揃いのインバネスを着ていた。しかしシャーロックやアマゾンのように、個人で扱われている探偵は違う。

 私は尻尾を振るワットソン犬を制した。節操なしめ。

 アマゾンのタキシードに手をかけたが、彼は払いのけなかった。きっちり締められたタイを少し緩める。アマゾンはあらゆる意味で事務職向きなのだが、物理スクラップに糊付けを施す以外の面では常に正装だった。

 私は両眉を上げた。「私に冷たいな」

「シャーロックが優しすぎるのです。サー、我々は貴方の役割に疑問を抱いています」

「――家宅捜索の件で来た」

 今度はアマゾンが眉を上げた。「なるほど。一連の闇討ちに関して、私を疑ってるんですね」

「悪いが服を脱いでくれ」

 アマゾンは躊躇うことなく自ら上着を剥いだ。長椅子に放る。サスペンダーやカフス留めをはずし、靴や靴下を脱いだところで後ろを向くことなくズボンに手をかけた。

 なぜかワットソン犬の鼻がふぅふぅ言い出した。

「ワットソン。さっさと外へ。手術に立ち会いたいなら医者の資格を取ってこい」

 ワットソン犬の発情はプログラマーの悪質ないたずらだ。実害はないが気持ちが悪い。勃起注射器を見て辛抱たまらなくなった探偵がコカインを過剰接種する例もあり、私はその凶行を許してなかった。

 アマゾン専用のデスクによったが、そこに物理コンピューターはない。彼はそのまま私の傍らに寄り、指を動かした。

「数年前に開発された機種です。脳内に直接信号を送るタイプの画像チップで、このエレクトロニクスを現在所有しているのはSPディテクティブ本社とここだけでしょう」

「例の失敗作だな。人間には負担が大きすぎたと聞いたが――」

「現実との境が曖昧になります」アマゾンは音も画像も何もない所を両手で触った。「試してみますか」

「仕事を終えたら。おまえが万が一裏切りを働いていた場合、私は機械にコントロールされてしまうだろう」

「一瞬なら問題ないですから。しようと思えば、貴方のことなど一捻りできる」

 私は彼を無視して慣れない機械を操作した。これでアマゾンが潔白であることの証明ができるわけではないのだが、不審な動きがあれば記録が残っているはずだ。

「シドニーにお逢いになりましたか」アマゾンは物憂げに言った。私は首を振った。「彼は優秀ですよ。今度紹介しましょう」

「ネックネームはいちいち把握できん。記憶しているのは私の相棒と、お前と、もう一人くらいのものだ」

「ポロネーズ探偵ではないSP社の人間です。あの一家は代々ポロネーズ探偵と同じ頭文字をつけているので相当熱心なSP教徒だと思われます。事故調査の保険員として派遣されたはずですが」

 あいつか。私は適当に返事を返しかけて、思いついた。――あいつか!

「よし、アマゾン。頼みがある」

 彼は嫌そうだった。「貴方が個体識別名を言うときはろくなことがない。ナポリタン関連ならお断りします」

「ナポリタン像が壊れたことをおかげで思い出した。手間賃をやるから、まとめて片付けてくれ」

 しかしアマゾンは首を横に振った。そして思いがけないことを呟いた。「女版ボナパルトのチビにいつまでかまけているつもりですか、サー。シャーロックが悲しみます」

 私は一瞬唖然として、反応が遅れた。

「なぜシャーロックなんだ。彼に関係は――ああ、空気嫁のことは忘れろ。患っていたクーリー病のせいであの時は判断力が……ボナパルト? うん、そうだ思い出したぞ、ナポリタン・ボナパルトだ! たまには役に立つな。でかした」

 アマゾンは何故か大きくため息を吐いた。私の頭の出来に苛立っているのだろう。脱いだ上着からパイプを取り出した。

 パイプとはいまだ愛用者の多く存在する精神健康法の一つだ。灰と煙が臓器を著しく害するという理由で、一時は完全禁止扱いになった。しかしコカインと同じく人々に与える安定感は他の嗜好品とは比べ物にならず、自殺者を多く増やしていた国の研究で害のないものが作られた。

 ポロネーズ探偵にとっては専用の神経伝達回路増幅器とも言うべきものだ。彼は草をすりつぶし乾燥させたものに、原始的ではあるが何万年経とうがかわりのない貴重な火を点けた。

「ナポリタンの件は准将にお任せになればよろしい。彼はその道では大家です。私も不信がつのるばかりなので、汚れ仕事はお断りします」

「准将?」

「失礼。服を着てもよろしいですか」

「まだだ。准将とは誰だ?」

 アマゾンは眉を下げた。私の無知に傷ついたと言わんばかりに。「とにかくナポリタンの仕事は他にやらせてください。私は嫌です」

 釈然としないまま検査は終了して、彼に服を着るよう命じた。私は机の影で怯えているダンシングマンを摘まみ、いつの間にかアマゾンの足元にひれ伏しているットソン犬を呼び戻した。

 無言で部屋を出ていく私を振り返ることなく、アマゾンは窓の外を眺めていた。






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