【事件簿】


『ホームズと探偵都市7』




 3


 私は遠くどこか安らかな地で、カメラを構えていた。

 三脚に乗った大きな黒い箱だ。私以外には誰もいない。広がる草原の向こうに、目ざす何かがあった。後ろを振り返ることはない。後ろにはたくさんの亡霊が待っている。


 ――それで銅像は。

 ――粉微塵です。

 ――ああ。


 私の遺した――それが何か思い出せない。彼らは低い声で話している。

 構うものか。戻るつもりはない。世界にはまだ解けない謎があり、私はそれを相手にしているのだ。存在しない亡霊に関わるのは別の誰かに任せよう。

 亡霊の親玉は特に主張が激しかった。彼は独特の空気を持っている。精霊も幽霊も、彼にかかるとオカルトのひとつに過ぎないらしい。

 彼は耳元で言った。他の者が失敗しても、僕なら成功して見せる。自分の力を試すチャンスが来たのだと――。

 私はその声に嫌というほど聞き覚えがあった。

 しかし、逃れられない亡霊の本当の名前は違った。私は後ろのたくさんの亡霊が一斉に動きだし、これといって特徴のない男が、足を引きずって歩いてくるのを見た。

 名前は平凡すぎて忘れた。ジェームズ。ジェームズだ多分。

 そう感じた瞬間、男は足ではなく肩を押さえた。しまった。恨みがましい目をしている。

 男は探偵を何か違う名前で呼んだ。マイ・ディア――親愛なる――思い出せない。とにかく私に愛想を尽かして、早く別の場所へ行こうと誘っているのだ。

 探偵はじっとしていた。他の者は呆れ返ってどこかへ行った。あっちへ行け。行ってしまえと追い払うのに、二人はじっとしている。背の低いほうは不本意そうだが。

 探偵は私がいつまで経っても目的のものが撮れないでいるのを見て、気の毒に思ったのか何か呟いた。聞き取れない。彼はなんと言ってる?

 人生は――。





 叫んだつもりが、言葉にならなかった。

 吐いた息を聞き取った探偵が振り返る。残りの二人は気づかなかったようだ。探偵の声が明瞭になった。

「近くの仲間に交信してみましょう」

 ベッドから身を起こそうとした。私の肉体は限界である。

「――よ、せ」

「パイプとマッチですか? サー、頼みますからあと八年ほど休暇をください」

 私は息を深く吸い込んだ。「シャーロック!」

 探偵は口を引き結んで黙った。彼のスマイルを含む独特の表情はそれそのものがオプションである。嫌がるロボットに言い聞かせて表情カスタムを増やしたのは確かだ。弄んでいるわけではない。

 私の顔を覗きこむ。

「ジェームズとは誰ですか。愛しのナポリタン嬢より寝言に多く登場していましたが」

 ナポリたんのことは忘れよう。目尻に浮かぶしょっぱいものもだ。

「彼は――知らん。ジェームズじゃない。ジョンソン……いや、ジョン……」私は今度こそ叫んだ。

「この薄気味悪い犬を顔から退けてくれ! 針が揺れて危ないだろう!」

 続いて私の顔を覗きこんだ隊長が、苦笑して口を開いた。

「CD。ワットソン犬はずっと貴方に添い寝していました。ほら、尻尾を振っている。笑って。背中を撫でてやるんです」

 私は重たい腕を上げ、ワットソン犬を膝に押しやった。犬とは名ばかりのキテレツな姿を見る。

 こいつは気の毒な奴なのだ。言われたとおり撫でれば噛みつく。可愛さの欠片もない。私を嫌ってる。

 怯んだ手でもう一度撫でると、胸の上まで這い上がり、寝てしまった。愛玩ロボットとしては落第点だ。起き上がれない。

 私はポロネーズ探偵に聞いた。

「首を絞めたのは誰だ?」

「家宅捜索の件については保留になりました。ポロネーズ=アマゾンに対応を頼むのがあと数分遅れていれば今頃」

「首を絞めたのは、誰だ」

「ポロネーズ軍団は一体も残っていません。私を除いたこの建物すべての探偵が臨時召集されていたようです。額の穴がなければ予測できたのですが、事態は私が考えていたより深刻です」

 私は片手を上げた。「首を、絞めたのは、誰なんだ!」

 室内の全員が顔を見合せる。私と探偵と隊長と犬と――。

「博士。シャーロックの額の穴を閉じてやってくれ。ついでに減らず口も頼む」

「そいつは別料金ですな」

 特筆すべきは髭の長さといかつい風貌。彼は容赦なかった。

 博士こそ221Gの住人にして信頼のおける部下、修理工にして私のよき理解者でもあるのだが。控えめに言ってもつき合いやすいタイプではない。

 私は防衛隊長の目の動きで、二人がまだ自己紹介を交わしてないことに気づいた。

「こちらはGECだ――我々は博士と呼んでいる。生まれたての仔猫のような男だよ」

「『博士』はやめろと何度言ったらわかるのだね君は」

 私の説明に博士は赤黒くなった。いまやすっかり日影の身だが、遠い昔には名を馳せた人物だったらしい。

 ジョージ・ナントカ・カントカ。正式名称を言い淀めば、彼の顔は完全に黒くなった。人の欠点を見過ごせぬ質なのだ。

「ごくつぶしめ!」

 私は博士の言葉が聞こえないふりをした。目をぱちくりさせている隊長を促す。

「私は……」

 彼はEGと名乗った。エティエンヌ――フランス首相と同じ名だと言うと、同じ血統でもいとこの遺伝子は高値で取引されると肩を落とした。

 EやGは知り合いの数が多い。忘れぬように何度かくちづさむと、彼は躊躇いがちに言った。

「『隊長』でも構いません。あるいは――」彼は首をふって言い直した。

「部下の非礼を御詫びします。彼らの一人が貴方の首を絞めたのです。事情聴取は私も後で受けることになりますが、ポロネーズ探偵のおかげで拘束を解かれました」

 私はその答えにとりあえず満足した。

 結論を後回しにして私の気を引こうとする探偵とは大違いだ。ナポリタン像を壊したりもしてない。しかもナポリタンの集いに集まるファンの証であるバッジを掲げている。

 私は顔を上げた。隊長はうなずいた。

「ナポリタン像を喪ったショックは理解できます。私は六体のうちピンクが好みで」

 振り落とされたワットソン犬が抗議の声をあげた。添い寝は終わりだ。

 『英雄戦隊ミルキィ・ナポリタン』は六つ子が七色の石膏像に変身し、悪と戦うアニメーションである。私は最終形態として合体する白ナポリタン像を自室である221Aに置いていた。残りの六体を奇数部屋ごとに色別で置くことで、自分のいる場所がわかりやすくなるからだ。

 はじめはそのつもりだった。はじめは。

「ホロ放送の第二シーズン初回を見たかね? 彼女たちが無惨にも達磨落としの要領で叩き割られて徐々に小さくなっていくシーンを」

 隊長は即座に反応した。

「あの回は子供むけ番組とは到底思えぬものでした。画面の前で衝撃にうち震え――それに比べると蛇をミルクで飼うような優しい男が被害者の回は駄作です」

 目が合った。きらめく連帯感。漂う沈黙。

「まったくだ。だいたい選曲が……」

「お色気要素も最近はいまいち……」

「敵の二人組が男色っぽいのが許せんな!」

「秘書のアイ・リンクが既婚者で更に許せませんな!」

 それ以上言葉はいらなかった。我々は感動を共有した。そして我に返った。

 愛妻家の博士に反応はない。

 ポロネーズ探偵は毒物を見るような眼差しだった。これも私がカスタマイズ――断じて弄んではいない。彼のことは。

 探偵には女型タイプもあるのだ。あくまでも添い寝用としてだが、さみしい夜のセクサロイドとして購入を検討していたことが、ポロネーズ=アマゾン経由でバレていた。

 おそらくそのせいだろう。

 私は咳払いで空気の重さに耐えたが、隊長は肩を落とした。






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