【事件簿】


『ホームズと探偵都市6』




 私は息を荒げながら走った。

 360度どの方角からでも開くエレベータを、動揺したせいでいつもの場所で降りてしまったのだ。私は自室より一番離れた位置から昇降するのに慣れきっていた。

 日課の軽い運動をこの日ほど恨めしく思ったことはない。

 ワープ・エレベータは物理法則に反している。私は専門家ではないので、なぜ乗る時間をずらしただけで10台のエレベータが同一の場所に存在できるのか説明できない。

 自室にはまだ防衛隊がいた。運のいい隊長がこちらをにこやかに振り返った。

「部下に貴方を追わせたんですよ――まさかこんなに早く」

「入れ違いだな。あるいは初めから仕組まれていたか」

 私が目を合わせると、探偵は気乗りしない様子で部屋の隅に寄り、時代錯誤の飾り暖炉から火掻き棒を取った。

 隊員三人はうめき声をあげて倒れた。私の探偵は元々プロトタイプとして造られた。大量生産型の肉体派ではない。道具を使用したのはいたし方ないのだ。

 ロボットは彼ら自身がいかに危険な行動に出ようと最終的には服従させられるように、人間とほとんど同じ構造で造られている。探偵は血の通わない体を持っているが、身体の機能は人間並みだった。

 意識を失った部下たちを振り返り、隊長は私に小型の熱線銃を向けてきた。私のそれが自分の胸を指しているのを見て床に放り投げたが。

 戸惑いを隠せない様子だ。彼らは探偵の得意技である冒険には慣れているが、犯罪慣れしてないのだ。

「いったいなんの――」

「今年のクロッカスの出来について話すのを忘れていましてね」

 自分がこの馬鹿げた言葉を吐くとは夢にも思わなかった。私は悲しくなった。残念ながらこの部屋に薔薇はない。

 隊長は狼狽した。

「それは……!」

「扉を閉めてくれ、シャーロック」

 彼は従った。私は気になって言った。「追って来るか?」

「情報がないのでわかりません。とりあえずこの階にはいないようです」

 もうかれこれ数十年にはなる付き合いの中で、これほど裏切られた思いは初めてだった。

 銃口を向け直しても、彼はいつもの無表情を私に寄越すだけだ。

「穴を増やすぞ」

「お好きにどうぞ。正直あなたの相手も疲れました」

 私と同居人の揉めごとに挟まれ、隊長は両手を上げたまま扉を見た。

「し、質問の仕方がよくないのかもしれませんぞ。その、追ってきている誰かは、今どこにいるんだ? ポロネーズ=シャーロック」

 私が顔をしかめたのをどう勘違いしたのか、その後隊長が私の探偵のネックネームを呼ぶことはなかった。

 探偵は癇癪を抑えきれない自分の主人を見た。そいつは彼を睨みつけたに違いない。一拍置いて言った。

「小さな波である私が、海の動きのすべてを把握しているだろうとは思わないでください。私は海の一部に過ぎません」

「御託はいい! 詩的な何かも懲り懲りだ――」

 私の忍耐のなさを無視して、探偵は続けた。

「私は彼らの居場所がわかります。暗闇でも自分の腕や足がどこにあるのか意識せずとも理解できるように、通信中においては自分の体としてわかるのです。しかしこれは寝ている状態以外の話で、私の通信は現在断絶されています」

 私は苦々しく言った。

「アマゾンと繋がっていたはずだ」

 彼は眉を上げて答えた。「必要ないときに足の指を意識しますか? そういうことです。そして必要としている今は誰の声も届きません」

 彼は最も少ない単語で私に状況を理解させようとしている。私は衰えた集中力を取り戻した。

「おまえの場所から崖が見える。場合によっては岸まで見える。近づく船も見えるが、突然吹き起こる嵐は読めないと言う――しかし、なぜ今迫っている津波の動きがわからないのだ?」

 探偵は首を振った。

「下の出来事についても、起きている問題についても知りませんでした。額の穴がその証拠です」

 私はあの目を思い出そうとした。赤く光る不気味この上ない目玉。何百という目玉が私を見て、次に起こる何かを恐怖で忘れさせた。

 ポロネーズ探偵を連れていなければ――私の探偵がシャーロックでなければ、私は。

 自分が銃口をそっちぬけでその場を歩き回っている事実に気づく。私は恐る恐る探偵に尋ねた。

「先に話すべきだった。おまえは……壊れているんじゃないのか」

「それが事実であればあなたは私をスクラップに出すでしょう」

 私はうなずいた。誤魔化しきれないほどしっかりと。次に首を振った。「馬鹿を言うんじゃない。そんなことは考えたこともない」

 探偵は無言で窓辺に寄った。私は慌てて彼の腕を掴んだ。

「やめろ! また撃たれるぞ」

 私は彼が口の端で笑うのを見た。「そこに居てください。隣室から確認します」

 私は隊長と顔を見合せ、ため息をついた。

「外で、何が起きているのですか?」

「――妙なことが」

「それに私たちが関わっていると考えているんですな。今や市民の笑い者になっているスコットランド防衛隊が?」

 私が銃を下ろすと、隊長は緊張を解いた。気絶している隊員たちを起こすかどうか迷う。

 覚醒弾はなるべく使いたくない。彼ら全員が敵である可能性もまだ消えたわけでは――ああ、しかし奴らは直に私を狙って――。

 見たことを簡潔に話した。

「私は、困ったことになった」

「これを言っていいのかどうか。私もです」

 隊長は私の表情に気づいた。「言葉の綾です。そうしておきましょう。仕事になりませんから」

「つまり……どういうことだ?」

「――連中は貴方のポロネーズ探偵を先に始末し、逮捕状がきっちり出せるような物的証拠を手にするつもりだったのでしょう。それが何なのか私には見当もつきませんが」

 隊長は唇を舐めた。彼は私より薄めの口髭を生やしている。

「話を聞いて納得しました。実は」

「サー、階下の兄弟が撤収していきます。そのうち一人から私に――」

 シャーロックは火掻き棒を構え直して叫んだ。「伏せて!」

 咄嗟に屈んで、火掻き棒が頭のあった位置を横切るのを目で追った。投げた棒はよりによって私の気に入りの装飾品であるナポリタン像に当たった。

 よせ――ナポリたんはよせ! 帽子を被った女神の胸像なのだ。

 首に絡みついた指が誰のものか判断つかない。息ができない。隊長でないのは確かだ。彼は私の向かいから相手を引き剥がそうと、こめかみに血管を浮かべて努力している。

 部屋を横切った探偵が、床に落ちても無事だった彫像を拾う。よさないか、ばか、頼むから隣の安物を。ポロネーズ像を。

 探偵が横ざまに女神を振りかぶると、私は意識を失った。






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