補給班長の業務日誌 | ナノ

補給班長の業務日誌

Reason
今日は非番だった。かといって連れてこられたばかりで右も左もわからない私は、まず、自分の足場となる場所を探すべきだという結論に至った。そして私は休日にも関わらず、倉庫で書類の整理をしていた。

過去の補給班の動きを見て例年の大まかな流れを把握して、そして隊員によって何が必要で不必要なのかもざっと把握する。欲しいと言われたものを出すのが基本だが、頭に入れておくに越したことはない。

天井まで棚になった部屋だ。ドアのある面以外は棚だ。その棚いっぱいにファイルが詰まっている。正直こういったものはいい加減電子的なファイルに変えてもいいと思うのだが、なかなかそうはいかないようで、新たに作成される書類は依然として紙だ。

手を伸ばして棚の上の方にあるファイルを取ろうとする。本当は脚立があるのだが、このくらいなら届くと思って手を伸ばしていた。ささやかな意地だ。

指先がかろうじてファイルに引っかかってそれを引きずり出すことには成功した。しかし横着の代償として、バサバサと派手な音を立てて他のファイルが頭の上に落ちてくることになった。ファイルの一つの角がつむじの辺りに見事に直撃して私は頭を抱えて小さくうめき声を上げた。

私はファイルを拾い上げようとして、そのうちの一つから中身がこぼれ出ていることに気付いた。どれもこれも顔写真が貼り付けられている。……人事ファイルだ。そのうちの一つに、戦争に行って戻ってきた人間を見た。

*

戦場から戻ってきてPTSDを患うのは何も戦争に馴染めなかったからだけではない。

『平和に』馴染めなかったせいで精神を病むものは少なくない。

どんな形であれ戦争が終われば兵士たちは故郷なり自分の帰るべき場所へ帰る。あるものは英雄として相応の歓待を受けるし、あるものはなかったことにされる。どちらにせよ、彼らの先の人生にあらゆる暴力は必要なくなる。銃撃や砲撃、空爆を恐れなくても生きていける世界。人を殺せば必ず裁かれる世界。そう、英雄が必要とされない世界にかつての英雄は放り出されるのだ。

その大きすぎる変化に適応できる人間もいるだろう。だが、生き延びるために戦場に身を投じ、適応したものの中には、その大きな変化に適応できず、社会に馴染めないものが出てくる。

彼らは無感動や無力感、絶望、恥を背負い、これまで持ち続けてきた矜持といったものが揺らぎ失われる。当然以前のような人間関係に戻ることは難しいだろう。自己破壊衝動も見過ごせない症状だ。

私の曽祖父は第二次世界大戦でイタリア陸軍のいち兵士として出征した。彼はアフリカで奮戦し、幾つもの勲章を持って帰ってきたが、社会に馴染めず、自殺した。自分のことはよく喋る曾祖母がこの時ばかりは言葉少なになったことが、彼の死がどれほど衝撃的で悲惨だったのかを物語っているようだった。

戦争が終わってもお前の曾祖父さんにとっての地獄は終わらなかったのさ。

そう締めくくった彼女のひどく寂しげな顔は、彼女が埋葬された今になっても覚えている。

全ての国は国民の多大なる出血の末に成り立っている。過去の人間の痛みに報いるために、兵士は戦う。その流血の営みは遥か昔から、連綿と続いてきた。多分この先も、ずっと続く。私も、曽祖父や祖父がその血を流したように、流れた血の一部になるはずだった。人を殺させる側の、人間になるはずだった。

戦争が無くなることは、前線で血を流して戦う兵士にこそ救いなのだ。戦争が無くなれば、隣で行軍していた友軍の手足が吹き飛ぶところを見ずに済むし、自分たちが他人に血を流させる必要もなくなるのだから……。

*

曽祖父の影を見た男は彼とは別の戦争から帰ってきた元兵士だった。他にファイルを見ると軍人崩れの隊員はそれなりの数が居た。その大体が帰還兵だった。戦場に適応し過ぎたあまり元の社会に戻れなくなった者たち。

彼らもまた、戦争の犠牲者なのだ。なにも犠牲になったのは死んだ人間や虐げられた人間だけではない。戦って生き延びた人間も犠牲者の一人なのだ。

人を殺せば殺すほど認められ、勲章が与えられる異常な世界。そんな世界の影とも言える暗い場所に心を取り残された人たちが、この世に命をつなぎとめるために選んだ寄る辺。それがここヴァリアーだった。

確かにここも、人を殺すことによって糧を得る異様な世界だ。だが、そこにいることで、私の曽祖父のように命を投げ出すことにならないのならば。この場所も必要悪なのではないだろうか。まあ、ここは軍隊以上に厳しい世界だが。

「何をしている」

いきなり、それも背後から声をかけられた驚きと、自分の管轄とは外れた資料を閲覧していた後ろめたさが合わさって、びくつきながら振り返ってしまった。そこには最近新しい上司になったこの城の主が居た。全てを排斥し威圧するような鋭い瞳が私を見据える。

「てめえに人事を任せた覚えはねえ」
「すいません。ファイルを落としてしまってそのときに中身をばらまいてしまいました」
「トロくせえ」

容赦のない感想と嘲笑を受け取ってしまった。胸が痛む。ボスは仕事でここに来たようで、いくつかファイルを見繕ってバラバラと中身を見ていた。私はその様子を横目で見ながら床に落ちたファイルを素早く棚に戻していく。もちろん今度は脚立を使って。

あらかたファイルを片して、慎重に脚立から降りようとしたその時、ふと視線を感じて脚立の下を見た。そこにはボスがいた。ボスが居る事自体は何ら問題はない。問題は私の位置と服装にある。

私はスカートを履いて、脚立の上にいる。それも天井に頭がつくかつかないかの位置だ。下に立って上を見上げれば私の下着は容易に見えるだろう。ボスの視線は確実に下着に向いているわけで。

「あの、見えました?」
「黒か、悪くねえ」

一瞬なんのことかと考えて下着のことだと気付いた。選ぶのは適当だからそんなの覚えてない!

「見ないでください!言わなくてもいいです!」

手でスカートの裾を抑えたり手をブンブン振り回している間に自分がどこにいるかがすっぽ抜けていた。そう、脚立の上だ。バランスを崩せば一瞬で地面だ。受け身を取る暇もないだろう。案の定、両手を放していた私はバランスを崩して足を脚立のステップから踏み外した。

上に流れていく脚立のステップを眺めながら思い出したことは、高所の事故は命綱を使わない脚立上で起きるということ。それと時を同じくして思い浮かぶのは、日本語講座で土木やトビかなんかの業界では1m前後の高さが最も危険という意味合いの単語があったような、確か、一命取る一メートルだったような。ああ……。

「鈍くせえにも程がある」

死を覚悟したと同時に、私の身体はしっかりとたくましい腕に抱え込まれていた。見下ろしていたはずのボスの目に見下されている。その近さに思わず固まってしまった。初めて間近で見た目はまるで全てを灼く地の底の業火のようだった。

「……ありがとうございます」
「オレも巻き込まれる位置だった。じゃなきゃ助けねえ」
「それでも、ありがとうございます」

ボスの気まぐれでもなんでも、助けられたという事実には代わりはない。だから感謝を言葉にすればそれは彼の中で戸惑いを産んだらしい。悩むように顔が歪められ、私の身柄はまるでゴミを扱うように床に投げ捨てられる。私はドシンと音を立ててお尻から着地した。脚立の上から床に頭を打つよりは数十倍いいけど痛い。

「あいたっ」
「足元を見て動けドカスが」

お尻を擦る私に向かって吐き捨てるようにそういうと、彼は足音も荒く資料室の外に出てしまった。お礼とか言われ慣れてないのだろうか彼は。

残された私は資料を整頓しながら考えていた。思い浮かべるのはかつて一度でもこの暗殺部隊に所属していた帰還兵のこと。

あの資料の『彼ら』は英雄が不要になった世界で、それでも生きていくために戦場とは別のこの奈落で戦った。彼らの末路はただ一纏めに死亡者リストに放り込まれているだけで、具体的な死因はあの資料に記されていなかった。多分誰かに聞いても、分かる人は殆ど居ないのだろう。もしかすると彼らの顔を認識したのは私が随分と久しぶりなのかもしれない。

ベルフェゴール隊長は双子の兄を殺してその感覚が忘れられずにここに行き着いたという。マーモン隊長はおそらくアルコバレーノの呪いを解くため。ルッスーリア隊長はスカウトだったかなんだったか。ほかは知らない。ただ人それぞれの事情があってここにいることは想像できる。帰還兵はその事情の一部でしか無いのだ。……私を拉致した様子を見ていると、あそこまで大掛かりではないにしても、拉致はよくやるんだろうなあとは思える。古き時代の英国海軍じゃないんだから……。

間近で見上げた彼のことを考えた。彼の身なりは洗練されている。多分、それなりに階級の高い家で育ったのだ。軍人では無いのは仕草や話しぶりを見ていれば分かる。一度でも軍隊に所属すれば、それがどうしてもにじみ出てしまうものだ。彼はなぜここのアクの強い面々を率いることになったのだろう。彼は一体何のために戦っているのだろうか。

……いや。彼が戦う理由がなんであれ、私はここに連れてこられた以上それを支えるだけだ。私はかぶりをふって、最後のファイルを棚に戻した。

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