補給班長の業務日誌 | ナノ

補給班長の業務日誌

Lemon and sea breeze 02
ホテルはこの斜面にへばりつくように造られた街の、その外れ。湾を見渡すことの出来る高台にあった。ホテルの外観は地中海に立つ建物らしく真っ白な外壁。もともとは修道院の宿坊だったという建物はなるほど、柱の上部から伸びるアーチの交わり方にチャペルなど、キリスト教圏の宗教施設によくあるものだ。それに調和するイスラム教圏の装飾が非日常に迷い込んだ感じを出している。……繁忙期であればびっくりするような値段を取るホテルなだけはあって、眺望も素晴らしかった。これは夕方になれば、猫の額ほどの広さの湾を取り囲むように建てられた家々の灯りが美しく映えるだろう。欧州各国の富豪がこぞって宿泊したというこのホテルは、彼らが泊まりたがるだけの魅力があった。ボスが無理やり予約をねじ込んだと思しきプレシデントスイート・ルームには小さいながらプールもある。

太陽は溌剌とした光を雲ひとつなく遮るもののないこの地上に惜しむことなく注いでいる。目の前の海を見るとやはりどこまでも青い。レモンの匂いと潮の匂いが混ざった爽やかな風がベランダの上を吹き抜ける。任務の下見に同行という名目とはいえ役得すぎやしないだろうか。そんなことを考えたが引っ張ってきた当の本人は真っ昼間からグラスにブランデーを注いで彼なりにこのホテルを満喫しているようであった。

ぼんやりと何を考えるまでもなく海を見る。一足遅い連休を楽しむものも少なくないのか、海上にはディンギーやクルーザーに乗って波を裂いて走る者が少なからず居た。……この潮の匂いといい、懐かしいな。

「趣味は写真とディンギーだったな」

背後から声がして肩を飛び跳ねさせた。ぎょっとしながら振り返ると我らがボスが一人がけの椅子にゆったりと腰掛けたままこちらを見ていた。いつから見ていたのか気づかなかった……。

「え、ええ。母方の祖父が海軍でセーリングが趣味だったので」
「乗れるのか」
「多少は」

そうか。ボスはそういったきり、私から視線を逸した。なんの意図があって聞いたのかよくわからないが、ボスの思考が読めないのはいつものことだ。気にしすぎてもしかたない。そう切り替えて私は持ち込んだ水着を着て小さなプールに浸かった。気化熱が太陽に照らされて熱を持った肌に心地いい。心なしか海が輝いて見える。当初の予定よりもずっと素敵な連休だ。

「あの、ボス」
「……」
「ボス、聞こえてます?おーい」

てっきり聞こえていないのかとプールから上がろうとすると水音にも負けない大きさで舌打ちをしてくれた。聞こえてたのか。なんで無視されていたのかさっぱりだ。

「ここに連れてきてくださってありがとうございます。とても楽しいです」
「そうかよ」

この時私はボスが何を考えているか、なんてこれっぽっちも考えていなかった。日が落ちた後に自分の浅はかさを後悔することになる。

*

ジャッポーネではうまい話には裏がある、そんなことわざがあるらしい。今私は正に美味い話の裏を見せられている状態だった。夏至が近いこの時期ならではの長い日が落ちて、空全体が紺色に染まり、街には灯がついたころ、私とボスはキングサイズのベッドの上でちょっとした攻防戦を繰り広げていた。

「あ、あの、婚前の娘にこんなことをするのはいけないとおもうのです」
「あ?こんな稼業について今更信仰も糞もあるかよ」

私ににじり寄るボスとベッドの端ギリギリまで追い詰められている私。しまった。別の部屋にしてもらうんだった!この男に限って打算がないなんて、そんなわけがあるはずがなかった!こいつは、頭に血が上るままに行動しているように見えて、その実、しっかり計算して、行動している人間だった!そこに考えが至らない私ってバカ!すっごいバカだ!

「ダメ!絶対ダメ!」

思わず普段の口調さえかなぐり捨てて素に戻ってしまうぐらいには焦っている。私の貞操が!危機だもん!意識して中性的な感じで話して考えてしてたけどそんなん抜け落ちるわぁ!

「嫌いか」

主語を欠いた問いに思わず固まる。何が嫌い?ボスのことが?それともXANXUS個人のこと?

「ボスのことは嫌いじゃないですし、尊敬してますけど」
「部下のつもりだったら部屋を同じにしねえ」

あくまで私は上司と部下という牽制をしたかったのだけど、一蹴された。この人勘鋭い。本当は超直感持ってんじゃないのか。ボンゴレの血脈ではないらしいからありえないことだとは思うが。でも超直感って血筋に関係なくひょこっと発現してもおかしくなさそう。

「もう一年も待ったんだ。いい加減腹括れ」

更に後退しようとしたらボスの腕が背中にまわる。そしてぐいと引き寄せられた。胸が潰れてしまいそうなほどに彼に密着している。ボスの血のように赤い目が間近に迫る。そこにからかいの色も冗談の色も見えない。真剣そのものだった。その目に見据えられるだけでぐっと胸が詰まって呼吸もままならなくなる。心臓がばくばくと暴れているのがわかる。

「ボス」

彼を呼んだのだけど一切反応しない。その目が名前を呼ばなければどんな質問にも答える気はないと何よりも雄弁に語っていた。この人の名前は数えるほどしか呼んだことはない。震える吐息で名前を紡いだ。

「XANXUS」
「あ?」
「なんで、私なんですか」
「知るか」
「え?」
「男と女に理屈なんているのか。色恋沙汰なんざこの世で最も理屈とは縁遠いものだぞ」

そりゃそうだ。偉人はなんやかんやと理論をつけたがるけど、恋愛なんて所詮は本能のいち側面でしかない。ロジックで恋に落ちる人間なんてそうは居ないだろうけど。でも自分を好きになった理由を求めるのも人間なんじゃないかと思う。

「ただ、オレが放って置けなかっただけだ」
「そんなの」
「それが理由だと不満か。気にいった場所を挙げろとは贅沢な女だな」
「うう……」
「……どんな目に遭ってもオレについてこようとするその根性が気にいった」
「そんなの、私にとっては訓練とかそういうのが当たり前で」
「お前の当たり前はどんなカスにとっても当たり前とは限らん」

もう気絶していいのかな。いつにない状態に頭がくらくらする。心臓が過大に血液を送り込んでいる。顔全体が熱い。密着した部分はもっと熱い。きっといま体温を計れば高熱とまではいかなくても微熱くらいはあるんじゃない?

「え、あの、私」

文型さえめちゃくちゃな、文章にならない単語の羅列を並べ立てることしかできない私の唇は彼のそれをもって塞がれた。最初はただ何度も角度を変えて口付けてくるだけだったのに、間抜けにも半開きになった唇を割って入ってきた彼の舌が、私の口内を我が物のように蹂躙する。呼気さえ奪うようなそれにただただ翻弄される。

……あんなに情熱的な口づけで求められて拒否できる異性愛者の女がいるのならば私の目の前に連れてきてほしい。そのくらい激しいキスだった。

唇を奪われて放心状態だった私はXANXUSに流されるまま、あっさりといただかれてしまった。何なんて聞かないで。後生だから。

*

一人分の体重が抜けて、ベッドのスプリングが僅かにその身を伸ばしたゆらぎで目を覚ました。

「ボス……?」
「部下に手を出すシュミはねえ」

かすれた声で肩書で呼べば少なくとも今は上司と部下ではないと切り捨てられる。のどが少し痛い。それ以上に腰も痛いけど。それにあらぬところにまだなんかはまってるような感覚がする。私は身動ぎする度に軋む身体に鞭打って身を起こした。XANXUSは既にシャツに着替えている。もうチェックアウトの時間かと思えば外はまだまだ暗い。そういえば、任務の下見でここに来たんだった。もう任務の時間なのか。

「XANXUS」
「すぐ戻る。寝ていろ」

人間離れした奴らばかりのヴァリアーの中でもひときわ人外の領域に踏み込んでいるXANXUS。その彼が出る必要のある任務ならば相応に難しいものなのだろう。でも、きっとぴんしゃんして戻ってくる。復讐者には散々に痛めつけられたようだけど、逆に言えば復讐者クラス以上じゃなきゃ死なない。そして人間に復讐者クラスの強さを誇るものは沢田殿くらいしかいない。私はそう確信していた。だから、XANXUSに促されるままに眠る。

……最強の復讐者に勝った沢田綱吉殿はもしかして人類どころか世界最強なんじゃないかと思ったが、彼は彼で日頃がダメツナ呼ばわりされる最弱っぷりだからまあいっか。

あの人の残り香の中で睡魔の柔らかい手に頬を撫でられている。幸せだ。……正直これでよかったのかと不安にもなる。でも前に彼が言っていたように、失敗すればそのときに考えればいいのだ。別に恋愛に失敗したからと言って即死するわけでもないのだし。なにも必ず必要なものでもない。なければないで生きていける。考えすぎるきらいのある私にはそのくらいがちょうどいい、はず。

眠りに落ちる寸前、いってらっしゃいを言い忘れていたことに気付いて、その言葉を夢の中でいった気がする。

*

次に目が覚めたときには窓の外には青空が広がっていた。寝返りをうつと面前には寝ているときもしかめっ面のXANXUS。眉間の皺を指でほぐしていると皮膚のクレバスがひときわ深くなって、赤い双眸が瞼の下からあらわれる。

「おかえり」
「……ああ」

彼の目の周りの雰囲気が柔らかくなった。と、思うとまた険しい顔に戻ってしまう。

「キスはないのか」

キス?言われて少し考えて、おかえりのキスのことか、と気付く。その頃には少し彼は不満そうな顔になってしまっていた。でも不貞腐れているのだと思えばあまり怖くはない。私は笑って彼の頬に唇を落とした。すかさず起き上がった彼は正解はこっちだと言わんばかりの態度で私の唇に口付けた。うーん、甘すぎてめまいがする。

さて、枕元の時計によればあと数時間でチェックアウトの時間らしいけど、まだ休日は長い。今から本部に帰って昼寝というのも、この人と一緒ならばいいものなんじゃないかと思う。

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