補給班長の業務日誌 | ナノ

補給班長の業務日誌

Answer or cul-de-sac
はしごから足を滑らせて落ちてから早くも3週間が経っていた。例年にない数の書類と格闘した次の日の非番に私は休むのでも訓練に勤しむのでもなく、調べ物をしていた。それもタダの調べ物じゃない。誰かに見つかったらば良くて詰問、悪ければスパイとして即座に処刑される類のものだ。普段ならこんな危ない橋は頼まれたって渡りたくない。私がこんなことをしているのは、ただただ、知的好奇心のなすところというか、自分のためというか。

なぜ戦うのか。

私はただそれが知りたかった。たかが、それだけ。だけど、それだけのためにデスクワークの苦手なベルフェゴールの代理で必要なブツを探すために預けられたカードキーを濫用して、極秘資料を漁っている。……弁明の余地もなく即座に処刑されるのが普通だなこれは。

今も昔も私に戦う理由はない。そう遠くはない過去に陸軍の士官学校に籍を置いていたのは、家族がほとんどみんな軍人だったからという、職業選択の自由が保証されて久しい今日日らしからぬ理由だった。そこに主体性はこれっぽっちも無い。まあ、適所にいたのではないかとは思うが。自分が一兵卒として戦うというのはなかなか想像できないし、ましてやずっと昔に夢見たような花を育てる仕事に就く自分なんて。とにかく、過去の私に戦う理由はなかった。

決して祖国のためにというフレーズが嫌いだったわけじゃない。国の存在意義の一つである国民の安全を保証するという任務に就くことは決して恥じるべきことじゃない。

今は職場や守るべき人こそ違えど主体性にかけているのは変わらない。

無理矢理に士官学校から引きずり出されて、ここのシステムを叩き込まれ、書類と格闘して、取引先と時たま口論している。結局のところ私は自分の意志でここにいるわけではない。

他の人がどうなのかということを知りたかった。スカウト拉致された隊員もそうでないものも、なぜここに流れ着いて、なぜここで戦い、死んでいくのか。

一般の隊員は割とすぐに調べがついた。

死んだ軍人崩れの隊員たちのように戦場に心を囚われ今もなお血を求めるもの。身寄りもなく糧を得る術が殺戮しかなかったもの。富を築くために戦うもの。昔なじみの人間や復讐の対象を追いかけてここに来たもの。

本当に多様だった。

それだけで満足すればいいのに、私は好奇心に誘われてこんなところに踏み込んでしまった。極秘と機密の文字が表紙に踊る書類、すなわち、幹部の資料が保存されているこの部屋へと。入った後で激しく後悔したが、好奇心がそれを上回った。そして私は資料の一つに手をかけて、視界が反転した。

ぶん投げられたのだと知ったときには私は背中を強かに床に叩きつけられていた。好奇心は猫をも殺す。火中の栗を拾う。雉も鳴かずば撃たれまい。そんなワードが頭の中をぐるぐると回る。少し違うのが混じっている気がしないでもないが、今はそれどころじゃない。

みぞおちにブーツのかかとが乗せられる。電灯を後光にして男が立っている。顔の傷といい髪型といい、当てはまる人間は一人しかいない。見つかったら一番まずい人。良くて消滅悪くて消滅の絶体絶命。我らがボスがそこに居た。珍しく彼自身で資料を取りに来たらしい。でも、それにしてはなにか可笑しい気もする。早すぎる。

考えている場合じゃない。問とともにかかとに体重がかけられる。うっと呻くと彼は小気味よさそうに笑った。

「どうやって入った」
「ベルフェゴール隊長に預けられていたんです」

あのカス、と毒づく声。かかとはみぞおちからどけられない。まだ尋問は終わっていないらしい。自分が祈っても神にはそっぽを向かれるのだろうが、祈らずにはいられない、そんな嫌な間。

「なぜここにいる」

本当の理由を言うべきか。一瞬の逡巡を見透かしたかのようにみぞおちにまた体重がかけられた。言わなければ容赦のない踏みつけがみぞおちを襲うだろう。ちょっと体重をかけられただけでも苦しかったのに、これ以上となれば……。

「皆さんどうしてここにいるのかが気になって」
「あ?」
「なんでこんな一歩間違えれば死ぬ世界にいるのか、それが知りたかった」
「……てめえは、軍に戻りたいのか」

軍に戻る、か。きっと父親と母親は、私が生きているとわかれば、喜ぶんだろう。私の遺体らしきものが発見された時の家族の反応を密かに聞かされたから、彼らがどれほど嘆いていたのか、知っている。私がマフィアの構成員として働いていたと知っても、多分生きていたことに感謝するのだろう。兄貴、兄貴は……嫌がるかもしれない。

あの優しい家に帰ることを想像して、それが詮無いことだと気付く。それは都合のいい甘い夢のようなものだ。そして夢は目を閉じて見るものだ。目を開いている昼間に見るものじゃない。

私はゆっくりと首を振った。ボスは、少し安堵したような表情を浮かべたようにみえる。一瞬で嘲りのそれに変わったから見間違いかもしれないが。

「だろうな。戻ったところでてめえに居場所なんてねえよ」
「過去に戻りたいなんて考えていません。でも……」

視線が続けろ、と言ってくる。返答次第では殺すとも。

「私なりに、戦う理由を見つけたくて」
「くだらねえ」

文字通り一蹴された。予想通りすぎていっそ笑いたい。この場面で下手に笑うと大変なことになりそうだが。

「ガキが」

書類上の年齢はさておき、肉体の年齢は私やベルフェゴール隊長と大差ないのでは?そう言いたくなるのをこらえる。こんなことしておいて可笑しいことは分かっているけども、命は惜しい。

「言いたいことがあるなら言え」

いえなにも、と言いたいところだけども。嘘は得意じゃない上に、この男はそんな気休めでは納得しまい。別の言葉をぶつけることにする。

「ボスはなぜ戦うので?」
「あ?」

ボスの来歴は本部に出た時に少し聞いたことがある。
9代目の子供として育てられた養子。ボンゴレの血を引かない10代目候補だった男。
若干14歳の沢田綱吉殿に敗れたとも。……それを無様だと嗤うものも少なくなかったが、正々堂々彼の前で言わない人間はより無様だ。言った無様は憤怒の炎に粉砕されたが。

話がそれた。

育ての親に裏切られ、血に裏切られた。
だというのに、間接的には彼らのために戦う理由が、不思議だった。

「ボンゴレは最強でなければならないからだ」

驚いた。過去であっても性根は変わらないのか。自分が戦い続ければボンゴレは最強であるというその自負と誇り高さに驚かされた。

「てめえはオレのために戦えばいい」

いつものボスだ。それ以外の一切を求めない、いつもの。思考停止かもしれないけれど、国のためにがボスのために、に変わっただけだ大差はない。納得はできた。それが答えではなく、行き詰まりだとしても、納得できた。

「そうですね。そうします」
「手間を掛けさせるな」

みぞおちに乗せられた足がどかされ、やや乱暴に立たされる。
荒っぽく身体をまさぐられ、カードキーをポケットから引っ張り出した彼は、それを己の炎で焼き払った。あー、ベルフェゴール隊長ごめんなさい。

「いいか。てめえは自室にいた。越権行為はなかった」

なぜ、と問おうとしてやめた。彼の視線は質問を許すものではなかったからだ。

「帰れ」
「……はい」

背中を向けて、ドアノブに手をかけると、おいと声が飛んできた。ピタリと足が止まる。

「帰りたいか」

自室に、ではないのだろう。「軍に戻りたいのか」とも違うのだと思った。振り返ると、真っ直ぐにこちらを見ていた。ある種の真摯さを感じさせる視線だ。きっと気休めもごまかしも通じないだろう。

「寂しくないって言えば嘘になります」
「…………」
「でもきっと彼らはアニータの死を過去にして次に進めます。なら、私も彼女を過去にしないと」
「オレは、最初てめえがアンニーバレに連絡を取ろうとしたと思った」

アンニーバレと聞いて、カルタゴの偉大かつ恐ろしい猛将のハンニバルAnnibaleよりも先に、かの将の威光にあやかって名付けられた兄の顔が浮かんだ。唐突に出てきた兄貴の名前に面食らう。なぜ彼の名前が?

「知らなかったのか」
「ええ。私が知っていることは母親と父親がひどく嘆いていたことだけです。どうして兄が出てくるのですか?」
「アンニーバレが消えた」

嫌な予感がした。この男は誰の身内であっても消えただけならば何も言わないどころか、興味さえ示さない。私の知らない場所で何かが起きているのだ。いつになく活発な取引。大量の物資。
監視していたかのようなタイミングで取り押さえられた私。それらに兄が絡んでいると確信した。

「消えただけじゃないんですね」
「宣戦布告しやがった」
「標的は」
「ボンゴレだ」

目眩がした。悪戯はたまに度を越していたけれど、根本的には曲がったことが嫌いな男だった。不正が嫌いで、誰よりも早く出世して軍の腐敗を一掃すると息巻いていた。軍人では肩身が狭いんじゃないかと思うことが多々あった。でも、あんなふうにまっすぐ立てたのなら、それはとても――。

「聞いていたか」
「……すみません」
「奴の目的がなんであれ、いずれてめえの生存に気付く」
「撒き餌になるのは大丈夫です」
「兄貴を殺せるのか」

ひゅっと息を呑んだ。どこかで事態を甘く見ていたのかもしれない。まだ彼は引き返せる。もう軍には戻れなくても、それでも他の仕事で頑張っていくと楽観していた。ボンゴレが、ヴァリアーがたとえ小さくとも、自らには向かうものを見逃すはずがないのに。

「もう引き返せない位置にいますか」
「奴の手で雑魚が死んだ。たとえ雑魚でもボンゴレが攻撃された。ボンゴレは敵対者を許さん」

やるなら証拠を残したらダメじゃないか馬鹿だなあとか、そもそもなんでそんなことしたかなあとか、言いたいことは山ほどある。

「彼は身元を隠さなかったのですか」
「ああ、正々堂々と、妹の敵だと宣言した」

まるで重力の向きを変えられたようなふらつきを覚える。馬鹿だ、あの兄貴ほんっとうに馬鹿だ。自分にはそこまでしてもらう義理はないのに。

今にして思えば。多分、あの兄に愛されていたのだろう。少し悪戯が過ぎるところはあったし、特にカエルの一件は今でも根に持ってるが、彼なりにフォローしようとしていたこともある。カエルの一件ではそれが全て裏目に出たが。それでも、多分。

「少し、考える時間を頂いてもいいですか」
「勝手にしろ。……屋敷から出るな。身の振り方を考えておけ」
「ありがとうございます」

ふらつく足で部屋を後にする。

どうやって自分の部屋に戻ったのか、よく覚えていない。

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