補給班長の業務日誌 | ナノ

補給班長の業務日誌

Lemon and sea breeze 01
ボスがカエルになって紆余曲折の末にもとに戻り、その際に「オレの部屋の隣は空いているぞ」と、直接的な言葉で命令してくるのが常の彼にしては、珍しく迂遠な言い方で引っ越すように言ってきた。

それから早くも一年。乗っていた船が難破した。目覚めたら救命ボートに乗せられて漂流していたこともあった。挙句に記憶喪失になったりもした。とにかく多種多様な、小さなものから大きなものまで、私が何かしらの行動を起こせば、何らかの災難が自分に降り掛かってくるのは全く変わらなかった。これがジャッポーネでいう「疫病神」というやつか。そんな私でも、ヴァリアーの面々は普通に接していた。とてもありがたい。……でも、災難に巻き込まれる度に訓練が増えていくのだけは勘弁願いたい。そのうち寝る時間もなくなるんじゃないのかこれ。

ボスと私の関係も色々あった。

キスはしてくる。唇や頬によく触れてくる。しかし、それ以上はない。自分の隣の部屋に来いと一度言った。だが、それ以降その件については何も言わない。ただ、度々熱を帯びた視線を向けられることはあった。それが何を意味するのか知らないほど知識がないわけではない。……経験があるとはいえないことが悲しい。アモーレの国と外からは言われているらしいこの国に生を受けながら、そういったものとは程遠い人生を送ってきていたために、悲しきかな、この有様である。

さて、今日は非番だ。どこかの極東の島国とは違って、休みは一応求人募集通りに入れてもらえる。残業も全く無いわけではないけれど少ない。人間は適度に休めば効率良く働くことが出来るんだ。精神論なんてナンセンス。確かに気を持たなければどうしようもない場面も存在する。だが即物的な不足を精神で補おうとするのはどうかしてる。精神だけで物量に勝てないのだとたっぷりと思い知らされただろうに、そういう意味ではあの国は帝国時代から変わってないのではなかろうか。……ジャッポーネのことなど今はどうでもよろしい。

今日は何をしようか。せっかくの余暇だ。有意義に過ごしたい。今日くらいだらだら寝るもよし、筋トレするもよし、紅茶を飲みながら積ん読を崩すもよし。やりたいこと、出来ることは山ほどある。

ふと防湿庫の方を見た。そういえば最近カメラをいじっていない。5月の初旬は連休に浮かれる呑気な標的ターゲットを始末することが多く、必然的に補給班の仕事もてんこ盛りになるわけだ。つまり、この時ばかりは私の休みも返上されて仕事に励み、その分の休みが今に移っているのだが。要するに、仕事が忙しくて写真を撮っていなかったということだ。……最近運転もできる様になった―戸籍上死んだ扱いだから免許など取れない―からこの際だ。遠出しようか。天気もちょうどよく晴れている。気の赴くままにハンドルを回すのも一興だ。

そうと決まれば行動に移すのみだ。私はカメラを取り出し、レンズとともにカメラバッグにしまい込む。そして、それを肩にかけて部屋を出た。

*

私は車を借りるために補給班の仕事部屋を訪れたのだが、

「あ?」

そこにボスが居た。ひどく不機嫌な顔つきだ。一方の副班長の顔色は蒼白。大方何かしらの手続きに手間取ってそれがボスの癇に障ったのだろう。まだ怒る段階ではないようだが、こちらの用事が滞るのは少し困る。休日だが手を貸すべきか。

「なにかありました?」
「ああ!班長!なんの御用でしょう」
「いや、私用での車の貸し出しを、と思って」
「それは」

副班長の渋い顔で隊規を思い出す。所々があやふやだが、確か私用で隊の車を使うことは禁じられていなかったように思ったが。

「あれ?禁止でしたっけ」
「ダメですよ!今は私用の車は全部出払っているんです!」
「ああ……」

なんということだ。仕事柄このくらい把握してなくてどうするという話だが、それは失念していた。たしかに昨日は空いていたはずだから今日埋まったのだろう。仕方がない。今日は撮影は諦めて寝るか。

「戦闘用死ぬ気弾の供給はどうなってやがる」
「あれですか。明日には届く手はずです。……例年より消費激しいですね?」
「るせえ」
「これから任務ですか?」
「下見だ」
「なるほど」

ボス直々に下見とは相当大きい案件のようだ。こういった案件は隊内でも箝口令が敷かれていることが少なくないからこれ以上は追求しないに限る。この仕事がそれなりに高級なのは、隊の知るべきでないことまで知ってしまうが故だ。機密だけでなく、少し間違えれば作戦に致命的な失敗をもたらすことに繋がるという責任の重さもあるのだが。

なにはともあれ、モノがないのならどうしようもない。このヴァリアー本部周辺は基本的に何もない。そしてこの辺りならいつでも撮れる。よって今日私が外に出る理由はなくなった。部屋に戻って寝よう。用件も問題もそれだけならば、と踵を返すと、ボスが私の肩を掴む。かなり力が入っているらしく、骨の軋む音がした。私はらしくもなくびくつきながら振り返ると、彼は割合真剣な目つきで私を見つめていた。

「下見に付き合え」

*

……何が悲しくて職場でよくわからないアプローチしてくる上司と休日まで一緒に行動しているのだろうか。しかも運転は彼だ。いいのかボス。そうは思ったが、凄まじい顔つきでてめえにハンドルなんざ握らせてたまるかと言われてしまえばどうしようもない。そう言えばこの前乗せたベルフェゴール隊長も、二度とオマエが運転する車には乗らねーと言っていた。そんな運転をしたつもりはないのに心外だ。

どうにも相手の意図が読めない。後方に流れる景色を眺めながら考える。悲しいことに恋愛、愛だの恋だのを鼻で笑うどころか嫌悪する彼の場合は男女関係というのがふさわしいだろうか、とにかくそう言った経験は皆無に等しいために、推測することもままならない。あっちのほうが経験は遥かに豊富なことは疑う余地はない。黙ってても相手の方から寄ってくるとは羨ましい限りだ。私の方なんて男の割合が圧倒的に高かったのにさっぱりだった。

逃亡することを脱柵と呼称し人間を家畜のように扱うあの世界では、恋愛は下手をすれば事故扱いされる。自由は著しく制限されるまるで刑務所のような世界だ。いや、刑務所ではストレス耐性なんて求められない。1年生だろうが(囚)人扱いはしてもらえる。残念なことに士官学校での1年生は人ではない。石ころか何かだ。刑務所のほうがそういう意味合いでは優しいだろう。……話が逸れた。あの日々を思い出すと今でも泣いてしまいそうになる。

「どうした」
「少し士官学校時代を思い出しまして」
「くだらん」

否定できない。もう士官学校からは物理的にも仕事的にも遠く離れ、私は戸籍の上では死んだ扱いにされた。両親には国から相応の手当てが払われ、学費返還もチャラだ。あそこには何も思い残すところがない。ただ、随分と離れたところに来てしまったと、思う。

「家が恋しいか」
「親には申し訳ないことをしたな、とは思いますね。あと兄にも」
「勝手な都合でてめえを引き抜いたオレたちを怨むか」
「まさか。士官学校に居たらなし得なかった出会いがあって、仕事も楽しいですし、やりがいも感じています。でも」
「あ?」

ずっと前から抱いていた疑問。

私に伝わってきた記憶は、あの最大の作戦と最終決戦の間のものだけだ。それは多分ボスも同じだと思う。私が士官学校最後の一日を過ごす間に立てた、恐るべき短時間でヴァリアーに引き抜かれるという推測が外れる条件がたった1つだけ存在する。それは、そもそも彼らヴァリアーが私の存在に興味を示さなかった場合だ。その場合は、私は引き抜かれることがない。今にして思えば、そうなっていてもおかしくなかったのだ。でも現に私はここにいる。

あの場において決定権を握るのは誰だったのか。それは間違いなく運転席でハンドルを握る男にほかならない。その彼が私に興味を示さなければ私は今頃違う制服を着て、別の場所に立っていたかもしれないのだ。私自身はこの状態に意外と満足している。衣食住は軍隊のそれよりも遥かに高い質で保証される。厄介事のオンパレードだが毎日は充実している。不満は何一つない。

でも彼は、なぜ私を引き抜くことにしたのか。それだけは解せなかった。たしかに私はそれなりに使えるかもしれない。でも、私以上に優秀な人間は探せばどこにでもいる。私生活ではかなり使えない人間であることは私自身わかっている。その上でなぜ私だったのか。

「どうして引き抜くと決めたのでしょうか、と」

エンジン音とタイヤが地面を転がるかすかな音だけが車内に響く。しばらくしてボスは口を開いた。

「あの未来でのてめえが、オレ自ら救出するような存在だった。だからてめえはなんなのか、オレの目で見極めるために連れてきた」
「……どうでしたか?」
「目を離せば危険の中にいやがる。あのオレが放っておかねえ訳だ」

それに関しては本当に申し訳ないと思う。でも吸い込まれるように災難の中にいるのだ。こればっかりは私にはどうしようもない部分も結構あるのではないか。あーでも回避しようと思えばできたのかもしれないなあ。予兆があったものも少なくないし。

「気がついたら厄介事に巻き込まれているんです」
「あ?足元の地雷に気付かない馬鹿だったのかてめえは」
「なんででしょう。危機管理能力だけは生まれつき足りなかったみたいですね」
「軍人としても暗殺者としてもクソだな」
「補給班は天職だと思います。……ヴァリアーに連れてきてくださってありがとうございます」

ボスはふんと鼻を鳴らしてハンドルを回した。そして憎まれ口を叩く。

「てめえに足りんのは危機管理能力だけじゃねえ。自活力も皆無じゃねえか」
「……裁縫ぐらいはできますよ?」
「それもボタン付けぐらいじゃねえか」

何も言い返せない。隊服を補修しようとすれば何故か穴を広げ、刺繍をしようとすれば意味不明の図柄が出来上がり、編み物をすれば途中で糸を引きちぎる。化粧だってビューラーを使えば瞼を挟んで悲鳴を上げるような女だ。とことん不器用なことは自覚している。器用さは全部兄に吸い取られたのだろうきっとそうに違いない。

*

ボスの運転でたどり着いた場所は、海沿いの断崖の上にある街だ。名産物のレモンの花からいい香りがする。海が信じられないほど青い。どうやらここに一足遅い連休を謳歌する標的がいるらしい。……噂には聞いていたが、いい場所だ。ドゥオーモとか行ってみたい。特産のレモンを使ったリキュール、リモンチェッロはお土産にしたい。もちろん自分用と他の人用だ。

ボスの交戦距離はおおむね50m以内だ。それ以上遠ければ愛銃で飛ぶ。ちまちまとした狙撃を好まない、どちらかというと正面決戦に挑む傾向の強いボスは潜伏位置と飛行ルートも割り出し、さっと下見を終えてしまった。こうなると後は私の用事だけだ。せっかくこの街に来たのだから少し写真を撮りたいが気がかりが一つある。ボスだ。ホテルは行く前に取っているからそちらに居てもらうのが一番安全な気がする。

「ボスはどうしますか?顔を見られるとマズいと思うのですが」
「あ?んなもん知るか」

予想通りの返事が返ってくる。本人がいいって言ってるのならそれでいいか。
写真を撮り始める。教会、木漏れ日、波打ち際のヤドカリ、両親に手をつながれてはしゃぐ子供。この何でもない光景が、私はいちばん好きだ。そりゃあつまらないと言われるだろうが。

「貸せ」

ぱっとカメラを奪われて即座にレンズが私に向けられた。私がカメラに手を伸ばす前にシャッターが切られる。小気味よいシャッター音が海辺に響く。目的のものを撮って満足したのか私の手元にカメラが返された。モニターで先程取られた写真を確認。マニュアルフォーカスモードだったのに見事にピントが合っている。私の目に映る風景さえ見て取れそうなほどに。少し自信をなくしそうになる。

モニターで拡大された私の目に映る風景を見て息が止まりそうな心地になる。

私の目に、角膜に反射して映り込んだ風景。それ即ちカメラを構えるボスに他ならない。ミラーレスといえど中判だ。ボスの顔の大部分が隠れるくらいには大きい。つまり表情はわからない。でも、唯一隠れなかった左目は、笑うように細められていた。私自身はカメラに気を取られていたから気付かなかったが、たしかに彼は笑っていたのだ。楽しそうに笑う彼を私の目は確かに捉えていた。

「行くぞ」

私は呆然として、ボスに手を引かれるままに迷路のように張り巡らされた階段を登った。

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