補給班長の業務日誌 | ナノ

補給班長の業務日誌

It was a cold and snowy day.
弱者の嫌な予感というものは非常によく当たる。たとえ頭は考えていなくても、人間の動物としての面、つまり本能が何かを感じ取り、警告するのだ。弱ければ弱いほど生き残るために本能は細く鋭く広く、網を張り巡らせていく。

今にして思えば、胸騒ぎは、自分の本能が警告していたのだろう。逃げろ、と。従っていればよかったと思うも、時すでに遅し。割れた卵は元通りにならないし、盆からひっくり返した水はまた盆に還ることはない。因果律が明らかになる頃には全ては手遅れだ。もう、どうすることもできない。

賽は投げられてしまった。後は進むことしかできない。その先にどんな結末が待っていようとも。

かじかむ指先に力を込め、小銃のフォアハンドルを強く握る。吐いた息は白い。全身が震える。未来での記憶も含めれば、私は二度も氷漬けの危機にさらされていることになる。いや、未来の私は今の私と同一でない可能性が高いから、初めてなのか。しかし、あのじわじわと死んでいく感覚はあれから2年が経ってもよく覚えている。薄れ行く意識の中で確かに彼を呼んだことも。違うのは自分が吹雪の谷に面していることと、今の私は進んでこの状況を選んだことだ。

寒い。ひどく寒い。いくら風をしのげて比較的温かいという雪洞でもバーナーもツェルトもないのでは寒くてやってられない。ジメジメしていてあまり快適ではないし。ひとまずの救いはちゃんと防寒仕様の隊服をきているおかげで直ちに死ぬことはないことぐらいか。まあすぐに死ぬかじわじわ死ぬのかの差しかないとも言えるかもしれないが。

さて、私の読みが正しければ直に来るはずだ。今は感傷に浸っている場合ではない。戦わなくては。私は首から下げたUSBメモリーの感触を確かめて白い雪の洞窟の中で息を潜めた。

男の声が、上から聞こえる。知らない声だ。つまり、敵だ。数は二人。息を殺す。私は暗殺のプロではない。自衛程度にしか戦えない軍隊崩れの隊員だ。そんな人間でも、不意討ちならば勝機が無きにしもあらず、だろう。

声が直上に来たところで、男の足を引っ張り、そのまま斜面の下へ落とす。突然相方が消えて動揺するもう一人は素早く雪洞から飛び出して体当たりで落とす。二人の男の悲鳴が山にこだましてやがて静かになった。運が良ければ生きているかもしれない。

悲鳴が敵を呼ぶ前に逃げよう。出来ることなら弾倉3つ分しかない貴重な弾は温存したい。

*

私は離れた洞窟で一息ついていた。携行食糧をもそもそと食べる。お世辞にも美味しいとはいえない味だが食べられるだけマシだ。

私は洞窟の暗がりで地面に耳をつけて周りを警戒し、どうしてこうなったのかを思い出していた。

それはいつも通りに進むはずだった。少数で敵陣を突破した精鋭たちの後ろで支援を行い、占拠した敵の根城で接収する品と廃棄する品の確認。そこで見つけた薬物の売買の記録やどう見ても倫理的に問題のある特殊弾のレシピもUSBメモリーに落とし込む。たったそれだけのこと。本来ならばこうして戦うこともなくすぐに終わる仕事。その予定が狂ったのは作戦開始からおよそ2時間が経った頃だった。

私たちは、奴らの本拠地から少し離れた武器庫に足を踏み入れて武器の内訳を大雑把に数えていた。いきなり外が騒がしくなったかと思えば、突如敵の集団が隠し扉から武器庫に押し入ろうとしてきたのだ。

思えば、武器庫に近づいたときから嫌な予感はしていた。地面が不自然に柔らかい場所があった。あれは今にして思えば武器庫につながる地下通路を埋めて隠した跡だったのだろう。入ったときにも、外観の広さの割に内部が狭いのではないかと思ってはいた。隠し通路のための空間だったのだろう。本能はきっちりと危険を理解していたのだ。それを自分が理解できていればビーコンも食糧も規定の数を持ってきたものを。

襲撃の時のことを私はよく覚えていない。うっすらと覚えていることは、周章狼狽する部下に武器を取れと怒鳴ったことだけ。無我夢中だった。気がつけば、隠し扉周辺に人であったものが積み上がっていた。支給品の小銃の銃身は焼け付いて使い物にならなくなっていた。だから今は武器庫の中にあった小銃と弾丸を持って来ている。

そして銃撃が止んだ隙に武器庫を爆破して死体もろとも破壊し、コピーしたデータを持たせた部下は助けを呼びに走らせ、自分は残存兵力を引きつける囮として裏の雪山に逃げ込んだ。地の利は精々地図で見ただけなのでないに等しいが、あのまま捕まるのを待つよりかはマシだ。おそらく狙い目はこの特殊弾のデータだろう。あえて私もでかい声でデータを持っていることを叫んで逃げたから多分それにつられて追っかけてくるやつもそこそこいるはずだ。そう踏んだ。

もともと士官学校に入ったときから、軍隊は人を殺めることが仕事の組織で、直接でないにせよ、いつかは人を殺すのだと覚悟はしていた。士官学校から引き抜かれて2年がたった今でも、その覚悟はあった。まさか直接この手で殺すことになるとは思っていなかったが、汚すのが他人の手か自分の手か、それだけの差異しかない。だから私は人を殺めたことに後悔はない。

部下は大丈夫だろうか。無事に逃げおおせて救援を呼べたのだろうか。仮に呼んだとしてもビーコンは置いてきたし、無線は届かないしで自分を見つけてもらうのは土台無理な話なのだが。崩れ落ちた武器庫は短い時間で掘り起こすことは不可能だろう。だからあそこが相手に奪還され形勢が逆転することは万が一にもない。2年経って、一応部下の教育はしてきたつもりだ。私に何があっても大丈夫なように、と言うよりは私がちゃんと休めるように。だから多分抜けても問題はないはずだ。

寒い。ココアが飲みたい。出来ることならばバターを乗せた温かいココアを。さぞかし美味しいことだろう。

いつぞやのリーファーコンテナに閉じ込められたときより遥かに温かいが、食糧が殆どないのは痛い。携行食糧のブロックも規定の数を持ってこなかったせいで残りは2本ポッキリだ。カロリーを取った端から削っていくような寒さの中では厳しいものがある。

いっその事、能動的に敵を襲って食糧なり水なりを奪うか?いや、弾数は90発ポッキリしかない。女の自分には力はない。返り討ちにされるのが関の山だろう。じゃあ動物を狩るか。無闇に出歩き発砲して敵に気取られる訳にはいかない。ボス、このドナーティ・モニカ、今度こそ帰れないかもしれません……。

その時、地面につけた耳が、かすかな、地面につけていなければ捉えなれなかったであろう足音―と言うよりは石や枝が擦れるほんの僅かな音―を捉える。気配を極限まで薄くして隠すこの人物は、こちらに気づいていて、その上で自分の存在を気づかせまいという悪意がある。

諦めて投降しようと真っ先に思った。自分は非戦闘員だ。頭脳労働中心だから彼らと比較すれば驚くほどに弱い。対する相手はこの気配の隠し方からするに相当の手練。きっと勝ち目などない。そっと岩陰から両手を上げて出ていこうと考えた。小銃を手放そうとしたその時、それはまだ早いのではないかという考えが脳裏をよぎった。

食糧もなく、水もない。そうして丸二日経った後であれば、投降も致し方のないことだと思う。こうしなければ自分は生きられなかったのだ。そう自分に言い訳もできる。たとえ後からボスに、今まで支えてきた仲間たちに、その場の命欲しさにヴァリアーの名に泥を塗った裏切り者として殺されるのであっても。

でも今はどうだ。食糧はまだある。水は外に無尽蔵にある。火も起こそうと思えば起こせる。身動きも取れなかったいつぞやの記憶とは違う。私の運命は私の手を離れてはいない。ここで投降するのは自分が納得できない!私は、まだ、戦える!

私は手放しかけた小銃を握り直し素早く構える。弾は装填してある。安全装置も外れてる。いつでも撃てる。おそらく相手も私が構えていることに気づいている。その証拠に、それまでは隠されていた殺気がこちらになだれ込んできた。

歯を食いしばる。そうでもしていないと恐怖に泣いてしまいそうだった。こんな重い殺気は初めてだ。跳ね回る心臓を必死でなだめすかす。逸るな、モニカ。タイミングさえ合えば生き残る可能性も無きにしもあらず、だ。

殺気が近づく。あと三歩、二歩、一歩。私は岩陰から頭を出し、殺気の主に銃口を向けた。私が相手を視認し、引き金を引くよりも、相手の方が早かった。敵は力強く地面を蹴り、私が隠れている陰に迫る。銃身に拳が叩きつけられ、明後日の方向に弾丸は飛んでいく。拳と射撃の衝撃で銃を保持していた胴体が傾き、背中が洞窟の岩に叩きつけられた。衝撃に息が止まる。その決定的な隙を相手が見逃すはずもなく、私を洞窟の床に押し倒し押さえつけにかかる。男と思しき体重が体にのしかかり、痛みに呻いた。そこで相手は舌打ちした。

「てめえか」

聞き覚えのある声が聞こえたと思えば重いものが引いていき、力強い腕に体を起こされる。黒いヤッケはよく見ればヴァリアーの支給品だ。私は息を整えながら声の主を見る。やっぱり。ボスだった。

「ボス、どうして」
「カス共からてめえが囮になったと聞いた。そして上からドカス二匹が滑落してきた」
「あの二人の落下地点から私の居場所を辿ったんですね」
「ああ」
「お手数おかけしました」

全くだ。ボスは苦いものを食べているかのような表情でこちらを見ていた。それにしても、寒いのがあまり好きでないボス自らが私を探しに来るとは。正直考えても居なかった。というか見つけてもらうこと自体も諦めていた。痛む筋を少し気にしながらお礼を言えば眉間の皺が追加された。

「無茶ばかりしやがって」

抑えていた腕をさすりながらボスが言う。まるで慈しまれているような動作にさっきとは別の意味で緊張する。そっとボスを見上げると赤い瞳と視線がかち合った。気のせいかいつもよりも視線が柔らかい気もする。いや、気のせいか。きっとそうに違いない。

外からヘリコプターの羽音が聞こえてくる。おそらく迎えだろう。私は落とした小銃を拾い上げると、ボスがひょいとそれを自分の肩にかけてしまった。持ちますと言っても、筋を痛めていることを見通されているようで断固として返してくれない。ボスはまだ喚く私を無視して洞窟の外に歩き出した。私は慌ててその背中を追う。気がつけば、吹雪は止んでいた。

*

あれからしばらく経って、押さえつけられた肩から痛みが引いた頃、私はボスに射撃場に呼び出された。一体なんだろうと後からやってきたボスを見ていると、小銃を押し付けられた。嫌な予感がする。これは多分理屈ではなく本能だ。

「構えてから射撃に入るのが遅え。てめえそれでも元兵士か」
「元って言っても何年前の話をしているんですか。しかも私士官学校出身ですよ」

士官は前線で戦うのがメインではない。兵士の嗜み程度には銃は撃つが所詮その程度。精度も速度も推して図るべし、だ。私の士官学校の成績も射撃は平均より上なだけだ。つまり暗殺部隊の彼らからすれば笑ってしまうような腕前でしかない。

「しかもなんで今になって」
「てめえを取るに足りねえカスに殺らせる訳あるか」

ああなるほど。この前の雪山での取っ組み合いで力不足と判断されたのか。これからオレが直々に訓練してやる。そう重々しく告げるボスを見て、密かにため息を付いた。地獄の時間になるな、これは。

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