夢か現か幻か | ナノ
The Fallen
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バイクにダイレクトアタックを決められたという旦那は無事だったらしい。彼は何かを叫びながら、マグロの一本釣りのように釣り竿もとい木刀を引っ張って、ヘリの馬力に対抗している。手足から出血があるものの、元気そうだ。

ありえない事に、旦那はその怪力でもって、ヘリを牽引している。ヘリのコクピットには人斬り万斉がくくりつけられていた。どうやら自らが操っていたはずの弦に絡め取られて身動きがとれないらしい。自分の巣にハマる蜘蛛ってあんな感じなのではないだろうか。

そして、旦那は木刀を振り下ろす。ピンと張った弦に引っ張られて、ヘリコプターが地面に叩きつけられた。金属のひしゃげる耳障りな音、やや遅れて轟音が戦場に響いた。

思わぬ光景に空気も読まずに口笛を吹いてしまった。いや、だって、あれすごい光景だ。天人ならまだしも、ただの人間が内燃機関の出力に勝てるなんて!!ターボシャフトエンジン、つまりはジェットエンジンだよ相手は!!!生まれてはじめて見るよこんなの。土方さんも同じように驚いている。

「何をしている。ボヤボヤするな、副長」

……っと。空気が読めない事考えてる場合じゃなかったな。たしなめる声にハッとして、今いる患者に目を向ける。

伊東さんが列車の床に座り込んでいた。ひどく苦しげな呼吸。出血も多い。今すぐに処置をして、病院に運び込み即座に手術をしなければ、彼の命はないだろう。そんな体でも、彼は真選組参謀だった。

「――指揮を」

かっと目を見開き刀を握り直した土方さんは、列車から飛び出して刀を掲げた。

「総員に告ぐぅ!!敵の大将は討ちとった!!もはや敵は統率を失った烏合の衆!!一気にたたみかけろォ!!」

指揮官というものは不思議なもので、どれほど戦況が絶望的であっても一度その声が戦場に響き渡れば、兵士たちを奮起させる。土方さんの一声はまさにそれだった。自分には逆立ちしても無理な芸当だ。

「伊東さん、手当てを」
「必要ない。君は、真選組衛生隊長だろう。君の任務は、より多くの隊士を救い、戦力を適切に、管理する事にある。どうやっても死ぬ人間に、貴重な物資を浪費するつもりか」
「貴方はまだ救命可能です。それに……真選組にとって、貴方は必要な人間であると、今の自分は考えています」
「いや、僕よりも、他の隊士を優先するべきだ。本来ならば、こうして押し問答をする時間さえないんだ。真選組一の才媛と名高い君ならば、誰にリソースを割り振るべきか、わかるだろう」

才媛なんてはじめて言われたし、第一、真選組に女隊士は自分一人しかいませんけど。そんな憎まれ口は歯を食いしばっていたせいで出なかった。

伊東さんの言っている事は正しい。出血に限らず怪我は時間が命だ。初動が遅れれば遅れるほど、人命は失われる。それに資材は有限だ。各車両に多少は積んであるけれど、それにも限界がある。最悪の場合はダクトテープやタンポンにサランラップも使うけど、使わないに越したことはない。

状態を観察する。

胸部多発外傷。左上腕部より切断。失血量の目安は最大で3000ml超。

成人の血液量は4000〜5000mlで、その三分の一が失われれば人は死ぬ。現状の出血量は、彼の様子を観察するに、おそらく1000mlは硬いな。自分が手を尽くして、ありとあらゆる資材を惜しみなく投入すれば伊東さんの命を辛うじて拾えるだろう。しかし、それは、他のすべての隊士を見捨てる事と同義だ。

分かっている。彼が命を以て償わなければならない人間だと。医者として、真選組衛生隊長として正しいのは、彼を見捨てる選択だと。

しかし、自分にはこの人を置いていけなかった。間違っていると分かっていながらも、仕事道具から、縫合針と糸と持針器を取り出す。

「頑固だな、君は。だから僕に資材を割くなど」
「こんな戦場で、生きてる人間に縫合なんぞしませんよ。麻酔はないので痛いですがご辛抱を。なあに、腕だけだから、すぐに済みます」
「しかし時間が」
「どのみち、戦線が押し上げられるまでは、こちらも行動できませんから」

消毒液をぶっかけて、素早く腕の傷を縫合していく。骨からの出血は制御できないが、これで多少は止血できるはずだ。……所詮は自己満足だけど。

糸を切り、外に目を転じる。まだ時間はありそうだ。これから言う事も自己満足だ。オマケで点滴しながら言葉をこぼす。

「自分は、貴方のことが嫌いでした。憎いと言ってもよかったと思います」

彼の目が動揺に揺れた。

「おそらく、貴方の事を自分に重ねていたからだと思います。真選組に流れ着く前の自分に。だから、まず一つ、謝らせてください。私は貴方に酷い仕打ちをした。ごめんなさい」
「いや、君が謝る道理はない。この事態を招き、多数の隊士を死なせたのは僕だ。君に謝るべきは僕の方だ。すまなかった。……僕も、君に自分を重ねて見ていた。だが、僕と今の君、全く違ったんだな」
「いいえ。どうせ誰も自分を理解しない。その原因が、私は自分がおかしいからだと思い、そこで立ち止まり、他人を遠ざけていました」
「僕は、自分が理解されないのは他人のせいだと、遠ざけた。……確かに、最初と最後は、似ていたのか。だが、原因への認識が致命的に違ったんだな。だから、自分を許せない君は反発した」

この人を見た時に、なぜここまで憎く思えたのか。

なんてことはない。自分に似ているものが、もっと言えば自分が、大嫌いだったのだ。自分への憎悪を、他人に転嫁していた。みっともない。無様だ。

「鏡のようなものだったのでしょう、我々は」
「僕が右手を挙げれば、鏡の中の君は左手を挙げる」
「そう。だから我々は致命的な齟齬を生んでしまった。貴方が私をどう思っていたのか、自分には理解できませんが、少なくとも私は貴方を憎んだ」
「僕は、そうだな。鏡を見て、自分に陶酔するようなものだったのかもしれない。しかし、鏡が割れた今、改めて見てみると……今の君も、癖はあるが、興味は惹かれる。フッ、だが、土方君は苦労するだろうね」
「それどーいう意味ですか」
「どういう意味だと思う?」
「まあ、いい子じゃないのはよく分かっているので、別にいいのですが」

自分の回答に、伊東さんは小さく笑った。不敵なものとも、見下すものとも違う、穏やかな笑顔だ。よくわからないけど、笑ってくれているのならいいか。

「君と僕、確かに似ていたはずなのに、何が違ったのだろう」
「私は、死ぬまで何もしなかった。貴方は、行動して、死ぬ前に本当の望みに気がついた」
「望み?」
「誰かに手を取ってほしかったのでしょう」

伊東さんは、残った右腕をじっと見つめて、そして、握りしめた。まるで、その手に残った感触を確かめているようだ。落ちる寸前で伊東さんの右手を握った近藤さんの手。そして、飛び移ってきた土方さんの手。それが、彼にとっての『繋がり』が具体的な形になったものだったのか。彼の胸中は自分には読めないから、正確なところはわからないけれど。

「――ああ。君が分かるという事は、君もその望みを抱いていたのか」
「先にあったものは違いますが」
「先にあったもの」
「自分の原点です。掌の中にあった全てを取りこぼしたくなかったのです。……まあ、どちらにせよ、貴方と違って、気がついたのは死んでから」
「死んで?」
「実はある事情があって、自分は一度、肉体・精神共に死んでいるのです。その時の記憶もある。――死ぬのは、一人は、嫌だ」
「……ああ」

自分は3年が経った今でも、死ぬ寸前に見たものを鮮明に思い出せる。フロアの目地に溜まっていく血。そして昼夜に関係なく暗くなる世界。この世が自分だけになる感覚。今、目の前のこの人も同じ感覚を得ていると思うと、苦しかった。

一人は嫌だ。こわいんだ。あの暗い路地裏で泣いていた時の事を思い出す。今にして思えば、あの時泣いていたのは将来や自分の置かれた状況に対する不安だけではない。一人が怖かったんだ。誰でもいいから手を握ってほしかった。一人じゃ何もできないから、誰かにいてほしかった。

私と彼は鏡だった。向き合ってようやく、自分の本当の姿に気がつく。もっと早く、気が付きたかった。そうすれば違う未来があったのかもしれない。……今更言ったところでどうにもならないけれど。

外から鬨の声が聞こえた。真選組隊士達のものだ。指揮官を失い、不利を悟った浪士達が逃げていく。戦線は押し上げられた。自分は、この人を置いていかなければならない。

「新八くん、神楽ちゃん。ウチの参謀をお願いします。ついていてあげてください」
「分かりました」
「それでは、本官は反乱の首謀者の拘束を完了し、これより負傷者の救護に移ります!」

出入り口の前に立って、敬礼をする。土方さんに教わった通りに。

伊東さんも少し笑って、敬礼を返してくれた。

さあ、最大多数を救うために、戦わなくては。

列車の連結器に足を向け、少し高い床から地面に飛び降りる。そして、抜刀して走り出した。

*

普段なら自分が救護対象の元に直接出向く事が多いのだけど、今回は戦域が広範囲に及んでいる。とてもじゃないけど自分ひとりが動き回ってどうにかなる状態じゃない。そこで今回は別の方法を取る。

後方の掃討を行ってから、数人の軽症者を集める。まだ息のある負傷者を止血した上で一箇所に連れてこさせて、救命士の資格をとらせた隊士にトリアージをやってもらい、自分は処置を行う。

比較的敵の弾が届かない地点に傷病者集合点を設定し、衛生隊長はそこで重傷者から適切な処置を施す。米軍のメディックの運用が近い。それに当てはめると、本来ならば医師である自分は後方の病院で負傷者を待ち受けるのがベストなのだが。

ただ、米国と違って、医師法の制約が厳しいここ日本では、医師免許を持っていた方がなにかと便利だからこうしている。法改正なんて待っていられない。

火線救護は時間稼ぎだ。負傷者が後方にたどり着き、そこで手術を受けるまで命をつなぐ。それが自分に期待される役割だ。

隊士の一人に向き直る。胸部外傷。5.56mm弾か。傷口は塞いであるが、呼吸に異常あり。口唇が青紫。チアノーゼ。試しに服を剥いで右肺に聴診器を当てるが、呼吸音が聞こえない。……おそらく緊張性気胸だ。胸腔と肺の間に空気がたまることによって、肺が膨らまなくなり呼吸に困難を生じるだけでなく、心臓や血管を圧迫し死に至る。手っ取り早い脱気穿刺は医師である自分の特権だ。

……わざわざ穿刺なんてしなくても、5分おきに傷口から換気させてやればいいのだけど、そんな人手はない。まだあっちでは戦闘中なのだから。

ちなみに、肋骨の下縁には神経束が走っている。うっかり傷つけると良くないので、良い子も悪い子も真似しないように。あといくら緊急時とはいえボールペンは刺しちゃダメです。緊急時には救急隊やお医者さん、看護師さんの指示に従おう。

「大丈夫ですよ。助かりますからね。ちょっと痛いけど、ぐっと我慢ですよ」
「お、おね、がいします」

苦しがる隊士の胸、肋骨の上縁に、針を刺していく。消毒の余裕?そんなものはない。ポンという手応えと共に、空気が抜け出している。そっと針を抜いて、カテーテルだけを胸部に残した。隊士の呼吸が安定しはじめた。呼吸音も聞こえる。顔色ももうじき良くなるだろう。開放性気胸になるけど後方でドレナージを行えば大丈夫。

「これでしばらくは大丈夫ですから、もう少しの辛抱です」
「はい、がんばります……!」
「次行きます!」

隣の患者に向かい合った。自分の戦いはまだ続いている。

*

運び込まれた全ての重症者に処置を行い、その全員を後送する頃には、空が白みはじめていた。……夜が明ける。

後送を待つ元隊士らは、集合点の片隅に集められていた。全員が、白い布を被せられ、胸の上で手を組み、ピクリとも動かない。取り付けられたトリアージタグはすべて黒。つまり、救命不可能な人間。すなわち死者だ。

戦いの最中、近藤さんの元へ向かおうとして途中で散った隊士は、全員の回収に至っていない。まだ死者は増えるだろう。

軽い布が風にまくれ上がり、自分の足元に落ちてきた。それを拾い、落とし主の元まで持っていく。そっと顔に被せようとした手が、硬直した。

頭に穴が空いているが、殊更に見知った顔だった。酒に酔っては二日酔いになり、医務室に薬を貰いに来る困った隊士。土方さんに注意されて一時は治ったものの、最近また飲みだしたと聞いた。

「佐藤くん」

彼を処置した記憶はない。頭を1発でダメにされたのだろうか。それにも関わらず、安らかな顔で眠っている。死ぬ前に、彼は何を見たのだろうか。手を合わせ、仮設の遺体安置所から離れた。

ふらりふらりと隊士が集まる輪の中に入る。自然と輪が切れて、自分を内側に取り込む。

輪の中心に居たのは、伊東さんだった。彼の前には、土方さんが立っている。土方さんは伊東さんの前に刀を投げ捨て、「立て」と短く言った。

「伊東。決着、つけようじゃねーか」

自分が孤独だと思ってきた人を、孤独と思わせたままで死なせるつもりはない。この動乱で死んだ隊士達と同じように、仲間として送り出す。それが、事のあらましを理解した真選組私 達が出した結論だった。

私達の意図を理解した伊東さんは、目を見開き、そして、片腕で構えた。出血量を鑑みるともう立てもしないはずで、実際脚は震えていて、それでも不敵な笑みを絶やさない。彼は地面を踏みしめ、土方さんへと向かっていく。伊東さんの目は本気だ。それに応じる土方さんの構えも、本気だ。

「土方ァァァァ!!」
「伊東ォォォォ!!」

再び、刃が交わる。

斬られたのは、伊東さんだった。彼の左肩から、またも血が吹き出す。伊東さんは、自らを斬った土方さんを見た。彼を斬った土方さんは、振り抜いたままの姿勢で、顔を上げない。

伊東さんは緩慢な動作でこちらを振り向いた。

振り返ってこちらを見た彼は、今際の際に一体何を見たのか。自分には理解できない。

ただ、ひとつ確かな事は、彼はその意識をなくす直前まで、決して一人ではなかった。

涙を流しながらも、それまで彼に取り憑いていた何かが取れたような安らかな顔。真選組参謀・伊東鴨太郎は、昇る朝陽と入れ替わるように、とこしえの眠りについた。
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