夢か現か幻か | ナノ
Slip through
文字サイズ 特大 行間 極広
少なくとも、自分の力になりたいと申し出た伊東さんの言葉に嘘偽りはない。だとすれば、自分も嘘偽りなく応じるべきだ。

「伊東さん、貴方にお聞きしたい事があります――」

伊東さんの目を真っ直ぐに見上げて、口火を切る、まさにその時。突然出てきた腕があたしを無理やり立ち上がらせた。

「ああ、すみれ先生、こんなところにいた」
「沖田さん?どうかなさったんですか?」
「すみれ先生、大江戸病院から電話がありましてねィ」
「――?」

おかしいな。あたしの携帯にかかってくるはずなんだけど。沖田さんの目を覗き込むと、妙な圧を感じる。話を合わせろって言われてるみたいだ。……その通りにしておこう。

「あ、そういえば携帯の電源切ってました。何分図書館にいたので」
「そういうの困りまさァ。アンタのもうひとりの上司、カンカンでしたぜ」
「うわぁ、行きたくない」
「しょうがねェから俺が一緒に頭下げてやりますよ」
「お願いします……」
「決まりですねィ。じゃあ、今度飯食いに行くので手打ちとしやしょう。伊東さん、この人捕まえておいてくれてありがとうございました」

腕を強めに引かれて、駐輪場に連れてこられた。かなり足早だったから、一刻も早く伊東さんから離れたかったのだろうとは思うけど。一体どういう意図だろうか。途中で立ち寄った医務室から持ってきたインカムつきのメットを投げ渡す。フルフェイスなのは、まあ運転技能への不安の現れだ。

「あたし、携帯の電源切ってないのだけど。沖田さん、どういうつもり?」
「とりあえず、ちょっと遠くに行こうぜ」
「……了解。はじめてじゃないから分かっているとは思うけど、しっかり捕まっててね」
「りょーかい。まあ、すみれさんの四輪車の運転よりは信頼してるぜ」
「余計なこと言うと振り落とすから、程々にね」

半クラは気持ち長めに。アクセルはいきなり開けない。二人乗り解禁の日に後ろに載せたから要領は分かってる。でも、後ろに一人の命を載せていると思うとちょっと怖いな。ミツバ殿の忘れ形見のようなものだと分かっているからなおさら。

「じゃあ、いくよー」
「へーい」

あたしと沖田さんを乗せたバイクは気持ちよく夜の街へと走り出した。

*

バイクは暗い海を眺めながら江戸郊外に出て、山風を感じながら地道を走っていた。ちなみにナビゲーションは沖田さんだ。彼は時々「三つ目の信号左」とか指示を飛ばしてくる。インカム大活躍だ。ただ、どこに行こうとしているのか。それは教えてもらえてない。

「どこに連れて行こうとしてるの?」
「まあまあ」
「ガソリンは十分あるからいいんだけど」

他愛もない話をぽつぽつとしつつ、海沿いを走っていると、だんだん見た事ある方角に向かっているのが分かった。……沖田さんが弟と一緒に連れて行ってくれた場所だ。

「沖田さんもしかして」
「バレちまったか。まあ隠すほどでもないから白状すっと、あん時と同じ場所に行こうと思ってた」
「やっぱりか」
「ついたらいいもの見れると思うぜ」
「程々に期待しておく」

丘のてっぺんまでは道が舗装されてないので歩きだ。あれはちゃんと舗装された道を走るためのものだ。オフ車は別に持っている。そっちは二人乗りキツイけれど。

上っている途中でも見えていたけれど、登りきってから見る景色はまた別格だった。ターミナルを中心に、天人の会社のビルが林のように立っている。そしてそこを縫うように飛んでいる宇宙船。ときおり走り抜ける光は電車だろうか。それらが暗闇の中、一際輝いていた。

「これはすごい」
「だろ?」

自分が行った時は夕暮れだったし、景色を楽しむような余地もなかったけれど、こうしてみるとすごいな。

「どうしてここに?」
「今更だが、ちょっとした礼。ぶきっちょな励ましでも、少しは足しになったんでね」
「お礼を言わなきゃならないのはこっちも同じ。……弟の葬式の時、心配してくれたんだってね」
「あの野郎、口が軽くて困っちまう」
「半分くらいあたしのせいだから責めないであげて」
「ふーん」

土方さんか。ちょっと忘れていた懸案を思い出して憂鬱になった。景色があせたようにさえ見えてくるのだから困ったものだ。

「調べ物は進展ありましたかィ」
「……沖田さん、妖刀、って信じます?この前持ってきたアレによって土方さんがおかしくなった。そんな結論が出てしまったんですけれども」
「鉄くれが人間を操ったとでも?医者らしくない結論でさァ」
「そりゃあ解離性同一性障害とか、ほかの精神障害も疑ったけれど。医学では説明がつかない事が多すぎるんです」
「例えば?」
「あたしが土方さんの刀を抜こうとしたら、抜けませんでした。そして、最近の土方さんは、刀を手から離すことができない様子でした」

沖田さんはちょっと考えているような顔つきになった。

「後者は精神的なものとして考える事ができますが、前者は説明がつきません」
「とびきり鯉口が硬かったとか」
「土方さんが行きつけの鍛冶屋っていったらあのお爺さんのとこでしょう。あの人がそんなハンパな事をするとは考えにくいです」
「確かに。あの頑固ジジイに限ってそりゃないか。ってなると――」

涼しい風が吹き抜けた。

「まあ、俺からも話聞いてみるか」
「お願いします。もしかしたら、あたしには言えない事も多少はあるかも」
「へいへい。あ、俺からも一つ頼みがありやした」
「なんです?」
「伊東には気をつけなせェ。アンタさっき奴に何を言おうとしてたか知らねーけど、あの辺は伊東のシンパが集まってる。ヘマして斬り殺されても知りやせんよ」
「気に留めておきます」

土方さん個人の状態もそうだけど、伊東さんの件でこっちも用があったの思い出した。

「もし伊東さんが土方さんを排除しようとしているとしたら」
「としたらはいりませんぜ。どっからどう見ても奴の狙いは土方の排除でさァ。俺としちゃあ都合がいいから放っておきますがねィ」
「でしょうね。沖田さんが土方さんを守るなんて考えにくいもの。……土方さんはこっちでなんとかするから、沖田さんは近藤さんの方をお願いします。伊東さんは近藤さんを重要視していない気がするのです。誰かが彼を守らないと」
「……分業ってか」
「ええ、あたし一人では近藤さんは守りきれませんし、沖田さんは土方さんを守るのは真っ平御免でしょう?」
「よく分かってますねィ。土方守るくらいなら伊東につきますよ」

やっぱりな。予想通りすぎてちょっと笑ってしまった。沖田さんの心情は理解できない点が多いけれど、行動は少しなら読めるのだ。

「近藤さんに沖田さん、そして土方さんが揃って真選組ですから。誰か一人でも欠ければ崩れます。だから、よろしくおねがいしますね」
「土方は別にいらないと思いますがねィ」

これはいつもの沖田節。本心ではどう思っているかはさておき、平常運転だ。突っかかる必要はない。

「あ、そうだ。もうじき俺と近藤さんは列車で武州に遠征するんですがねィ、どうもそれに伊東がついてくるらしいですぜ」
「走る密室に伊東さんと近藤さんが……?でも他の隊士がいるのなら、」
「同乗する隊士は全員伊東の配下でさァ」
「……土方さんを排除すれば、次はって事ですか」
「そういう事です。ああ、先生は参加しなくていいって伊東が言ってやしたぜ」
「露骨ですね」
「全くでさァ」
「となると、一対多数が想定されますが、沖田さんだけで大丈夫ですか」
「アンタは野郎をどうにかするんだろ。雑魚は俺が処理しまさァ。なんなら伊東も始末してやりますぜィ」
「ごめんなさい。お願いしてしまって」
「先生なら許してあげます」
「ありがとうございます」

大きく伸びをして、仕事の話を終わりにした。くるりと夜景に背中を向ける。自分が生きている限りまた来れる。生きていれば。

「さて、お腹もすいたし、ご飯でも食べよう。一応センター長からの呼び出しって名目で出てきてるから、時間稼ぎも必要でしょ」
「賛成でィ。全席禁煙の飯屋で頼まァ」
「了解。バイクだから飲ませられないけれど、いい?」
「俺ァ運転しないだろ」
「タンデム中に万が一でも居眠りされて、後ろ振り返ったら誰もいないとかホラーだからやめて」
「仕方ねェなァ」

明日にも何かが起こりそうな、そんな状況で薄氷を踏むような選択を続けている。そんな妄想じみた感覚。今だけは、敢えてそれを無視して、笑いながら丘を下りた。

*

日に日に、土方さんを見る隊士らの目が冷たくなるのを感じる。そんな彼と未だに一緒にいる自分を見る目も。「衛生隊長といえども所詮は女だな」と聞こえよがしの悪口さえ耳にした。確かに、土方さんに対する恋慕は、自分が彼に味方する理由の一端ではある。一部でも事実である以上、否定できない。よって自分に対する悪口に怒ったり悲しんだりする必要性は感じない。自分が悪く言われるのはそういうもの、いつもの話だ。土方さんのは、否定したいけれど、おかしいのは実際そうだから何も言えない。

ただ、悲しい。あの人が血の滲むような努力で積み上げてきた物が、あんな刀にすべて打ち壊されようとしているのが、ひどく悲しい。それになにもできないでいる自分は、いっそ憎い。

そして、土方さんが機能不全な隙を狙って策を巡らせている様子の伊東さんは、邪魔だ。最近では斬りかかりそうなのを抑えるのでやっとだった。少なくとも彼を排除さえしてしまえば、土方さんの治療はゆっくりやれる。だが、彼を取り除く大義名分がない。下手にしでかした上に失敗して「命令したのは土方君だろう」なんて適当抜かされたらたまらない。自分と彼との実力差も、行動に踏み切れない理由だった。

近頃では土方さんもふとした言葉がきっかけでスグに妖刀の人格に変わってしまうようだ。話をしていると、自分が知る誰よりも大切な人が侵食されているのをまざまざと感じて、自分の胸が張り裂けるような痛みを覚える。

あれから江戸近辺の神社や寺なんかに土方さんを引きずって行ったけれど、効果は芳しくなかった。連れて行った先の人が言うには、「ガッツリ食い込んでおる」と。それが何か、なんて聞くまでもない。

自分と土方さんが足掻いている間にも、状況は刻一刻と悪化していた。でも、もう手がない。

こうなったらいっそ――。最後の手段と定義した刀の破壊すら本気でやりそうになったのは一回二回じゃない。

どうしよう。落ち着いた音楽が流れる喫茶店のコーヒーを飲みながら、深々とため息をついた。

「おい、大丈夫か」
「え?」
「いや、大丈夫なわけねーか。俺がこんなんだからな」
「力不足で、ごめんなさい」
「謝るこたァねーさ。そもそも俺が蒔いた種だ。よりにもよって、ヘタレオタクの妖刀たァな……」

喫茶店のボックスシートの向かいから伸びてきて、くしゃりといつものように頭を撫でる手も、こころなしか力が弱いような。そうか。不安なのは、焦っているのは自分だけじゃないのだ。土方さんだって自分と同じくらい、いやそれ以上に焦っているはずなのだ。なにせ、自分が崩れれば近藤さんが、真選組が危ないと彼は理解している。

……あたしはバカだ。妖刀をどうするかばかりに考えが行って、肝心の土方さんの状態を見ていなかった。その上自分の不安を全面に出して、土方さんの不安を煽ってしまっている。医者失格だ。

唇を強く強く噛み締めてうつむく。口の中に鉄の味がするのを飲み込んで、切れた唇を拭い、顔を上げた。悩むのはやめられない。それは自分の性分だ。けれど、土方さんの前でだけは、笑顔で、いつもと同じように。

「大丈夫ですよ。まだ時間はあります。だから、土方さん、一緒に頑張りましょうね」

自分はそうした。こうすればきっと、少しは安心してくれると思った。なのに、土方さんはひどく顔を歪めた。耐え難い痛みで呻くのをすんでのところで堪えているような、そんな顔だ。今度は、土方さんがうつむいた。

「……すまねェ」
「土方さん?」
「お前が必死こいてやってるから、言えなかったが、やっぱ言うわ。……すみれ、お前は江戸から出ろ」
「なんで」
「俺ァ、ただ、ガキの泣き声が耳について、それで気まぐれに手ェ出しただけだ。聖人でもなんでもねェ。お前が命をかけたり、泣いたりする価値なんざねえよ」
「でも、あたしにとっては」
「つっても聞きやしねェ事くらい分かってた。つーことで辞令だ」

差し出された辞令を受け取って、読むと、遠い惑星の軍隊で軍医として活動するようにという旨が書かれた文言が読み取れた。自分はそれを脳内で反復する事なく、破り捨てた。机の上に細かい紙片が山となって積もる。

「あっ何すんだテメェ!」
「貴方の味方をするなという命令は聞けないって言ったじゃないですか」
「命令違反は切腹だぞ」
「切腹も異動も変わりませんよ、あたしにとっては」
「……従わねェってんなら、俺は無理矢理にでも江戸から放り出すが」
「今の土方さんであたしに勝てるなら、の話ですね」

土方さんは小さく悪態をついた。そう。平時ならいざ知らず、今の土方さんは闘志のかけらもないヘタレだ。その彼が国家の専売特許・暴力によってあたしを無理矢理宇宙船に乗せることは困難だろう。

「ちったァ言う事聞いてくれよ」
「嫌です。そもそも、あたしがただの人形だったら、衛生隊長にはしなかったでしょう?」
「……育て方間違えたな」

いつものぼやき。これさえもうじき聞けなくなるのかもしれない。

大切な物があたしの手のひらの隙間からこぼれ落ちているとはっきり知覚できる。それなのに、どうする事もできないでいた。
prev
60
next

Designed by Slooope.
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -