夢か現か幻か | ナノ
Personal boundaries
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幕府図書館で文献をありったけ集め、パラパラと読むが、これといって収穫がない。日本語で書かれた書物のみならず、英語やラテン語も、果ては異星の書物まで読んでもそれらしいものは見つからない。

これまで読んだ冊数はかなりの数に上っていて、しかも閉架の書物まで必要になるものだから、受付に行くたびに「またですかアナタ」という顔をされるようになってきた。かなりのハイペースで取り出しと戻しを繰り返しているけど、こう見えてちゃんと読んでいるんです。頭の中に内容は入っているんです。

何十話、時間にして3年も経ってはじめて、速読の特技が直接発揮されている場面が描写されたかもしれない。もしかすると皆こんな特技があった事忘れているかもしれませんが。……などと調子に乗っていたら、お約束のように頭頂部に本が落ちてきた。しかもご丁寧に角で。痛いなホント。

それはさておき。この国でいちばん有名な妖刀といえばなんといっても村正だが、逸話を調べてみると、徳川に仇為すものという側面が強い。攘夷浪士が好きそうな感じ。土方さんも徳川の家来みたいなものだけど、少なくとも人格を変えるような呪いの逸話はない。祢々切丸は勝手に動き出して何かを斬ったとかそういう類の伝承だし。

妖刀に類似した存在としてはエクスカリバー星人という天人も確認されている。流動金属体の身体をその星の刀剣に合わせて変形させて、戦いに紛れ込み、血を糧にするのだという。

しかし、彼らの大部分は人格を乗っ取るほどの力はない。ただ一振り、ヤバそうなのはいるけれど、そいつは同族食いの、文字通りの魔剣だ。間違ってもあの根性なしではあるまい。

……ここで得られるものはなさそうだ。次は贔屓にしている刀鍛冶さんのところに顔を出そうか。ため息をついて、本を片そうと持ち上げると、本から一冊こぼれ落ちた。一旦本の山を置いて、拾い上げて表紙を軽く叩く。

版の大きさは新書の本くらいか。厚みはビッグサイトが会場のイベントで配ってるような、薄くて高い本に近い。タイトルは『妖刀村麻紗』。作者は……文字化けして読めない。質の悪い印刷所に持っていったのかな。

うーん。こんな本持ってきていたっけ。こんな本を手に取ったのなら、良くも悪くも印象に残ると思うのだけど。いや、そもそも、蔵書分類のためのシールが存在していない。これ、どこから紛れ込んだんだろう。この図書館は手荷物はほぼ持ち込み禁止だし、外部から持ち込まれるなんてありえないはずなのだけど。

村正の捩りみたいなタイトルとか、突っ込みたい事は数え切れないほどある。けれど、自分はこの本を読まなければならない、そう感じた。

意を決して冊子を開いて、顔がひきつった。なんとこの本、中身も文字化けのオンパレードだ。文字コードの指定を間違えたウェブサイトを思い浮かべると、それが一番近い。これは読める部分からある程度推測するしかなさそうだ。時間がかかるぞ。

もう一度椅子に座り直して、ペラッペラの冊子を読み進めることにした。

これで、なにか発見があれば、出来ることなら、土方さんからあの忌々しい刀を引っ剥がす手がかりが見つかれば。どんな些細な情報でもいいから、なにか、欲しい。祈るような気持ちで最初のページを開いた。

*

コピー用紙の文字から目を離し、眉間をもみほぐす。いや、酷い状態だった。殆どが特定の文字、おそらくは文字コードに起因する文字化けだった。あまりにひどいので紙とペンがいるなと感じて、コピーを取らせてもらったくらいだ。そして喫茶店に場所を移して解読作業にかかった。

ある程度規則性があったから良かったものの、こんなのよく納本できたな。一応解読して内容は頭に詰め込んだけれど、自分の理解を超えたもので一度読んだだけではなんともいえない。一つため息をついてコーヒーを一口すする。そして、もう一度、解読したものを読み直す。

――妖刀村麻紗。室町時代に刀匠千子村麻紗が打った刀。斬れ味は他のどのような刀も及ばないほどの鋭さを誇るが、しかしてその正体は、使い手の魂を喰らう妖刀である。

そういえば、土方さんが言ってた。この刀は人の魂を喰らう妖刀だって。……ビンゴだ。それにしても、あの人とんでもないものを引き当てたな。しかも伊東さんが帰ってくる最悪のタイミングで。考えても仕方ないって分かっているんだけど、考えざるを得ない。

まあいい。オーライオーライ、ここまでは自分でもなんとか理解できる。問題はここからだ。

――妖刀村麻紗には、この刀で母親に斬殺された引きこもりの息子の怨念がこもっている。彼はゲームやアニメばかりに興じる不登校児だったが、ある日修学旅行には行きたいと宣い、とうとう堪忍袋の緒が切れた母親によって斬られたという。

……?まあ、百歩譲って怨念云々はいい。妖刀ならそういうものも憑き物だろう。いや、しかし、室町時代の産物にしては随分と近代的な曰くだな?ワイドショーを賑わせそうな逸話だ。いやいやいや冗談だろう。……冗談であってほしい。

――村麻紗を一度腰に帯びたらば、刀に宿った引きこもりの息子の怨念に取り憑かれる。そしてアニメ等二次元に対する興味が増進し、反対に勤労意欲及び闘争心は減退する。

統括すると、ヘタレオタクにされる刀ってところか。

いや、どんな刀だよ。死んでもアニメ見たかったんか己ェ。でも、ここに書いてある症状は土方さんと符合する。土方さんも自分の意志とは裏腹に、アニメを見て、その一方で闘争本能は皆無になっているようだった。

自分がいない今、土方さんが何をやっているのか。考えるだけで頭が痛い。危ないから外には出るなと釘を刺したけれど、聞いてもらえるかどうか。

ああ違う。そっちも頭が痛いけれど、もっとヤバいのがある。こんな時に伊東さんだよ。なんてタイミングで、なんて刀をさあ。せめてもうちょっと前なら、状況も違ったかもしれないのに。……今更そんな事を言っても仕方がない。なすべき事をなすしかない。

伊東さんの動きはとても分かりやすい。土方さんの悪評を流し、明確に土方さんを追い落とそうとしている。いわゆるネガキャンだ。反論しようにも、あの妖刀を得てからの土方さんの行動はすべて事実だから質が悪い。

その一方で、あたしの方にはなにか言ってきている。よく覚えていないので知らないけど、「僕と共に新時代に」とかその類の。近藤さんに言ってるのと似たようなものだろう。屯所内での実権はほぼない自分を取り込んでも意味がないと思うのですが。いずれは対処が必要になるだろうなありゃあ。

魂を喰らう妖刀。ヘタレオタクの怨念。それにとりつかれた土方さん。そして不安定な情勢。

もし、魂を喰らうのが何の比喩でもなく事実だとして、あの程度で収まるのか?あれ、もっと酷くなるんじゃないか?だとしたら、最悪の事態になる前に手を打たないと。

コーヒーを一気に飲み干して、立ち上がった。

*

鍛冶屋特有の熱気が身体にまとわりつく。この鍛冶屋の主、村田鉄子さんには刀の研ぎ直しなんかで何度かお世話になった。新しい刀に変わってからはまだ研ぎ直していないから、そろそろ頃合いかもしれないな。まあ、それは今のところどうでも良くて。

土方さんにくっついてるあれをどうにかする糸口がこの人から手に入れられまいかと思ってここに足を運んだのだ。

「妖刀村麻紗」
「はい。千子村麻紗が打った妖刀と呼ばれる刀についてお伺いしたいのですが」
「たしかにそのような刀は聞いた事がある。でも、なぜ?」
「知り合いがそれらしき刀を手に入れています。ちなみに今その人はヘタレたオタクになりつつあります」
「確かに村麻紗は使い手をヘタレオタクに変える刀だが、多重人格の間違いじゃないのか」

その可能性は大いにある。というか、そっちならまだ対処できるからそっちであってほしい。けれど現実は非情なもので、おそらく、そう簡単な話ではないだろう。

「うーん、まあなってもおかしくはない職場ではありますが、呪われてるって刀を自分で持ってきたんですよ彼。しかも刀が手元から離れないらしくって」
「それはまた……」

過去に戻れるのなら、呪われている刀を持っていきそうな彼と持ってきた事を報告されて笑い飛ばした自分、それぞれを思いっきり殴り飛ばしたい。

「実物を見ていないからなんともいえないが、もしそれが真作なら、厄介な事になるかもしれん」
「厄介な事」
「妖刀にその男の魂が食い尽くされる可能性だ」
「もし、あの人の魂が食べつくされたら、あの人はどうなりますか。戻ってこられるんですか」

彼女は自分の言葉に沈黙で答えた。ひゅっと息を呑む。

過去に自分は、桜ノ宮すみれだと思っていた自分は、よくできた贋作なのだと教えられた。自分の構成する全てが違うものであった時、自分は果たして自分と言えるのか。そう考えて恐ろしくなったのを生々しく覚えている。

その時に、自分は、大昔の願い事が変わっていなかった事を思い出して、願いが変わらないのだから、その願いを元に進んだ自分は桜ノ宮すみれであることには違いないという結論を得た。原本と自分、両者に共通する記憶とその時抱いた願いを、自らのアイデンティティーだと規定したのだ。

では、土方さんの場合はどうだろうか。

彼は確かに身体は何も変わっていない。エコーで見た内臓も、傷跡も何一つ。だけど、精神が違うものに変容しつつある。

自分は願い、つまり精神の内にアイデンティティーを見出した。

ならば、完全に中身が変わった土方さんは、果たして土方さんと呼べるのか?

足元が崩れ落ちそうだ。よろめいて、うずくまった。

「大丈夫か!?」
「もし私がその妖刀をへし折ったら、何が起こりますか」
「何が起こるか予測がつかん。もしかしたら、それで元通りかもしれないし、その男の精神に致命的な損傷を与えるかもしれない」

リスクに見合ったベネフィットが高い確率で見込まれるなら、自分は躊躇いなくやるだろう。それが医者であり、警官だ。だけど、そもそもリスクが高すぎるし、相手は妖刀。見返りがあるのかさえ不透明だ。短絡的な手段に走るのは危険すぎる。

「では他にどうすれば」
「すまないな。私もそんなものが実在するとは思っていなかったから……」
「この辺で有名な拝み屋探してみますか。今日はありがとうございました」
「いや、力になれなくてすまない」
「いえ、十分有益なお話が聞けました」

ぺこりと頭を下げて街に出ていく。

ふらりふらりと夢遊病のような足取りで歩いていく。考えるのは、一つだけ。

土方さんの事だ。

中身が別物になった土方さんは、土方さんなのか。

自分が何を以て土方さんを土方さんと認識しているのか。

……ぶっきらぼうで、荒っぽくて、それでいて優しい人。それが自分の認識する土方さんだ。

あのヘタレたオタクモードの土方さんを思い出す。少なくとも、自分が彼だと思う人ではない。そう思うのは自分だけではないだろう。でなければ、今の副長の奇行に対して隊内で動揺が走っている理由に説明がつかない。

あの様子だと、呪いは既に土方さんを支配しつつあるように見えた。今の状況が続けば、遠からず彼は完全に妖刀に飲み込まれるだろう。その前に対処できればいいけれど、今やっとあの刀の正体を掴んだばかりだ。つまり、スタートラインに立っただけに過ぎない。こうしている間にも土方さんは苦しんでいるっていうのに。

土方さんの味方でいる。その言葉に偽りはない。でも、妖刀に飲み込まれた土方さんに、あたしはどう接すればいいのだろう。

「――ん、桜ノ宮さん!」

名前を呼ばれてはっとする。いつの間にか、屯所の外れにたどり着いていたらしい。声を聞いた方向を見ると、月明かりの下に伊東さんが立っていた。

「大丈夫かい?顔色が随分と悪いが」
「大丈夫です。ご心配おかけしてすみません」
「そうか」

気まずい沈黙だ。こういう時は逃げるに限る。

「少し疲れてしまったようなので、失礼しますね」
「いや、少し待ってくれ。足元がふらついている。少し休んでいくといい。ここからなら、離れが近い」

丁重にお断りしたかったのに、抱え上げられたらどうしようもない。諦めて彼にされるがまま運ばれた。隊士とすれ違ったりしなかったのが不幸中の幸いだ。

「ここならいいだろう」
「わざわざ運んでいただいて、ありがとうございます。でもよかったのに」
「医者の君が、顔色を悪くして屯所を歩いていると、隊士達がいざという時に頼りにくくなってしまう。君も医者ならば、患者の心理に気を遣うべきだ」
「すみません」

それもそうだ。顔色が悪い医者のところに好き好んで通う患者はいないだろう。ヒポクラテスも、医者は自らの身なりには気を遣うようにと厳しく諭していたっけ。

「ここ数日ずっとどこか上の空だったようだが、悩み事でもあるのかな?」
「極めて個人的な悩みです」

暗に貴方には関係ないと言ったつもりだったが、伊東さんはそれで納得してくれた様子ではないようだ。まさか本人に「伊東さんが真選組を乗っ取ろうとしているような気がする」などと言うわけにもいくまい。離れには人通りがない。下手を打って斬られても助けてもらえるとは限らないのだ。

「ふむ。聡明な君がそこまで悩むとは、かなりの難題と見える。僕でよかったら話してくれないか?」
「いえ、伊東さんを煩わせる程ではないんです」
「僕は君の力になりたいんだ」

その時になって、自分はようやっと伊東さんの顔を見た。彼の目は、真っ直ぐに自分を見据えていた。そこに嫌悪するものはない。まさか、本気であたしの事を気遣っているの?……まさか。自分は伊東さんが嫌いだ。憎いと言ってもいいくらいには、いい感情を持っていない。でも伊東さんは違ったようだ。

いつか土方さんに言われた言葉が蘇る。相手が自分と同じように考えていると考えるのは悪い癖だと。

おそらく、あたしの力になりたいと言ったのは嘘ではない。本気だ。ならば、自分も本気で答えるべきだ。

「伊東さん、貴方にお聞きしたい事があります――」

自分は、口火を切ろうとした。
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