夢か現か幻か | ナノ
Camellia sasanqua
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こんなに世の中って虚無だったかな。自分の中の柱が一本無くなっただけで、こうも脆いのか自分は。

決定打は、土方さんに下された無期限謹慎処分だった。

重役会議に焼きそばパンとマガジン片手に――しかも大遅刻で――乗り込んできた土方さん。そしてそれを勝ち誇った顔で見下ろす伊東と沖田さん。それらを見て、これまでの努力が徒労に終わった瞬間をハッキリと理解した。肩に疲れが乗っかってきた。それまで気合で誤魔化していたものからとうとう逃げ切れなくなったのだ。あれだけ精力的に働いたのが嘘のように、無気力になった。

副長による局中法度の軽視、そして伊東の強烈な切腹プッシュにもかかわらず、土方さんの首は未だ繋がっている。それは、戦友ないしは上司を腹切りにはしたくないと考えた、近藤さんと隊士達の嘆願あっての事だ。自分も言葉数は少なかったけれど、援護はした。けど自分にできたのはそれまでだ。それ以上の事を考える隙間がその時の自分にはなかった。だから、屯所を追い出される土方さんの背中を成すすべもなく見守っていた。

自分にやれたのは、せめてもの嫌がらせに伊東が何かを企んでいるとちょっとだけ吹聴して回るだけだった。

精根尽き果てたのは人格を乗っ取られつつあった土方さんも同じようで、もうすっかり元の人格の面影はなくなっていた。きっと、今までは副長であるという自負が土方さんをギリギリで押し留めていたのだと思う。警察手帳返納寸前の今の彼にはもうそれもない。伊東がいる限りは土方さんは戻ってこられないのだから。

喫茶店の大きなガラスの窓から、空を見上げて、ため息をついた。

こうしていると、恐ろしくて考えないようにしていた事実に嫌でも向き合わされる。

かつて自分は内面にアイデンティティーを見出した。ならば、内面が違う今の土方さんは土方さんとみなせるのかと。自分の考えに一貫性をもたせるのなら、間違いなく答えは『No』だ。今の彼は外側は同じでも別人だ。一つの人格の消滅は、その個人の死と同義ではないか。そこまで考えが至って、愕然とした。

その考えの通りなら、またも取りこぼした事になる。何を引き換えにしてもいいとさえ思った人ですらも。

こみ上げてくる吐き気に喫茶店のトイレに駆け込んだ。口から出るものが胃液だけになるまで吐いて、洗面台で口を濯ぎ、顔を上げると、真っ青な顔をした自分が映っている。ファンデーションで隠してはいるけど、肌荒れが酷い。それに少しやつれたような気がする。

そりゃそうだ。そもそも食事をとってない上に、食べてもすぐこれだ。そのうち拒食症の治療の必要が生じそうだ。いや、もしかしたら自分に病識がないだけで既に……。考えるのはやめよう。

あれから、土方さんには会っていない。自分が好きになった人はあくまであの土方さんだ。土方さんの皮を被った別人じゃない。会ったら何を言うか自分にさえ予測ができなかった。土方さんと同じ顔をした他人に八つ当たりをするのは気が引ける。

それに、会っている暇もなかった。土方さんが排除された以上、近藤さんの危険が増す。土方さんが居場所を追われただけならまだしも、近藤さんが失われたとあっては、彼に合わせる顔がなくなる。

いざという時に真選組の物資調達ルートは使えない可能性がある。裏の人間、もしくは弱みを持った役人と交渉する必要があった。でも、交渉の材料を集める気にもならない。

ふらりと座席に戻るべく手洗いから出ると、一番か二番目かに会いたくない人に出くわした。ちなみに競合相手はもちろん伊東だ。

「あ、あ、桜ノ宮氏、」

土方さん……の皮を被ったヘタレオタク。完全に身体の主導権を奪い取って土方さんに成り代わってからは口調さえ変化していた。一昔前のオタクみたいな、今どきネットでも見かけないコテコテのオタク弁だ。

格好は、なんだろうなんかなあ。言葉にできない何かを感じる。多分いいものではない。ファッションはさっぱりだから、カンだけど。

「きき、き、奇遇でござるな〜」
「……そうですね。丁度いいですから、一緒にお茶でもしましょうか」
「も、もちろん!あ、でも拙者持ち合わせが」
「奢るのでご心配なく」
「流石は桜ノ宮氏〜太っ腹〜あっ、別に桜ノ宮氏のウエストが太いとかじゃなくて〜」
「いくら自分でも比喩くらい解しますよ」

この人とはじめて喋ったけど、独特の、オタク的なテンションで結構疲れるな。ただでさえ削れ気味の精神がカンナにかけられているような。

「すみません、灰皿一つ」
「バラライカ様みたいに葉巻にするのかな」
「公共の場所で吸うにはタールがきつすぎます」
「おお、その発言はツウみたいでかっこいいね〜」

この男の話は9割以上聞き流した方が、精神衛生的に良さそうだ。ため息とともに紫煙を吐き出して、外に目を向ける。平和だ。自分の心とは真反対に。

いつもの土方さんだったら、「一本よこせ」とか言ってくるのにな。何本でもあげるから、今はただ、あの人に戻ってきて欲しい。コツコツと落ち着きなく机を叩く音に男の方に意識を引き寄せられる。

「どうしたんですか?」
「……?」
「指です、指。落ち着きが無いようですけれど」
「あ、癖、かも」

いや、違うな。この人は机の上で神経質に机を叩くタイプじゃない。彼を注意深く観察していると、こちらに、いや正確にはあたしの買ったマヨボロに手を伸ばそうとしている。今は抑え込まえているみたいだけど、間違いない。マヨボロを狙う手だコレ。この男は煙草を吸わない。吸うのは土方さんだ。……まさか、この人。

自分は処分が下されたあの時、全部終わったと思った。けれど、それは思い違いで、実際のところは何も終わっていないんじゃないか?まだ、なにか出来る余地は残っているんじゃないか?つーかむしろ、今が伊東を粛清する絶好の機会なのでは?

前に考えた事を思い出す。足りないものを貸すのも自分にできる事だと。今土方さんにガッツが足りないなら、自分がそれを足すしかない。今土方さんが戦えなくて近藤さんを守れないのなら、自分が戦わないと。沖田さん本人はやれるって言ってたけれど、列車に乗る人数を見るに、彼一人では明らかに足りない。助力が必要だ。それに、副長の代わりに、隊士の戦意を高揚させないと。

「副長、聞こえますか。返事はしなくてもいいので、これだけは頭に入れておいてください。明日の夕刻、近藤さんと伊東を乗せた列車が武州に向かいます。貴方という最大の障害がいない今、伊東が近藤さん暗殺を決行する可能性はかなり高いと考えられます」
「え、拙者はもう真選組を」
「誰もアンタには言ってない。――土方さん、まだ貴方に闘志が残ってるなら、明日の15時に、もう一度ここに来てください。あたしと沖田さんに力を貸してください。きっとですよ」

袖がちぎれたGジャンの胸ポケットに煙草とライターを押し込み、万札を財布から出して、机に置く。これで足りるだろう。

「じゃあ、あたしは準備があるので」
「待ってくれよ桜ノ宮氏ィ!」
「あ、そうだ。そこの貴方、戦えないなら出歩かない方がいいですよ。真選組を半ば退職状態になっただけで助かったとでも思ったら大間違いですからね」
「いや待って、明日拙者はァァ!」

バイクに乗って走り去る寸前で見えたのはウェイトレスさんにお会計を要求されている男だった。

*

伊東が持って帰ってきたものの中には、近代的な小銃もあった。自動小銃の訓練は受けている。閉所での取り回しでは刀の方が好みだから使わないけれど、やっぱり飛び道具ってのはあるだけで大分違う。まさかバイクに乗ってる時に刀振り回すわけにもいかないし。伊東もまさか自分が持ってきたものが自分に向けられるとは思ってなかっただろうけど、まあそんな事もあるよね、是非も無し。

周辺の地形は頭に入った。押収品をちょろまかして、おニューのバイク・KLX250のメンテは入念に。あらかた準備は終わっているので、訓練に時間を充てていた。射撃室で後ろから射撃訓練の様子を見ているのは山崎さんだ。今や伊東派の時代と言われる情勢で、屯所の中でおおっぴらに伊東への批判を話せるのはここ、地下の射撃室くらいしかなかった。

「これから、ウチどうなるんでしょうね」
「さあ?でも、伊東は嫌な予感がします。自分が一番嫌いな人種だし」
「先生が嫌いってハッキリ言う人も珍しいですね」
「酔った時の御高説が一番嫌いです」
「筋金入りか」
「そういえば、伊東の奴、取り巻きと一緒によく屯所の離れにいるらしいけど、そいつらにも似たような事言ってるのでしょうか」
「へえ。……ああ、そうそう、小川の伝習隊からヘリがどこぞに横流しされたらしいですよ」
「あらまあ。買ったのがどこかまでは調べがついていますか」
「いいえ。でもヘリを欲しがるような金と兵力のある浪士はレアです。その中でもっとも過激派が――」
「鬼兵隊」
「――と思われます」
「最凶の攘夷浪士達の手に渡った幕軍伝習隊の兵器!……これは強請りのネタに使えそうです」
「程々にしてくださいよ」

腹の底に響く音が何発も響いて、薬莢が床を転がる甲高い音が会話をかき消す。次々に起き上がる的を射抜いて、銃をおろした。安全装置を確認して、台の上に置く。

「よし、撃ち方やめっと」
「見てみますね……30発中26発命中。急所が、10発。あと最後のターゲット、人質に命中が1」
「あらら」
「しかも、頭ですよ頭。……先生は人質奪還作戦の時に銃握らんでくださいね」
「既視感のある台詞ですね」

そう言った人間は、今頃どうしているのやら。まだ諦めるには早すぎると分かったのはいいけど、あの分じゃまだまだ戦う事はできっこない。戦う覚悟のない人間を戦場には連れていけない。何か、何か、突破口があれば。

頭は回転を始めたけれど、演算結果はN/A。何かが足りない。でも足りないものが分からない。いっそ自分が抗議の焼身自殺でもすれば奮起してくれるだろうか。いや、逆に追い詰めてしまいそうだ。

「また始まった。先生の長考。まあいいや。せんせーい、程々にして戻ってくださいよ!」

遠くで山崎さんの声を聞いたのはいつだったか。

「すみれさーん」

目の前で手をふりふりされてびっくりしてのけぞった。我ながら大げさな仕草だと思うけど、驚いたんだから仕方がない。ぱっと距離を開けると、沖田さんが立っていた。

「夕食もとらずになァに考え事してんだ」
「土方さんの事」
「いつものすみれさんだな」
「焼身自殺とかしたら、土方さん正気に戻ってくれるかな」
「それ、他の人間に消えない傷が残るんでやめてくれィ。焼死体のえぐさ知ってるだろ」
「でもどうやったらいいか、見当がつかないんです。まだ土方さんは消えてないのは分かったんですが。あと少しなのに、見つからないんです。自分はこのくらいでしか役に立てないのに」
「また思いつめてる。ほら、さっさと片付けして飯にでも行こうぜ。ずっと考えてたら煮詰まっちまう」
「いや、いいよ。土方さん側に付いてる人間のそばによるとマズいでしょ」
「まーまー。明日何があってもいいように英気を養っておこうぜ」
「だから、こっちもそっちも立場ってものが」
「俺ァ誰と飯を食うかくらい手前で選ぶ」

片付けの傍ら口論しつつ、考えを巡らせる。

可愛い見た目に反して普通に頑固で意地悪な男だ。こうなったらあたしの言う事なんてちっとも聞きやしない。それを短い経験で分かっているので、ため息を一つ。

「わかった。どこにするの」
「焼き肉」
「すたみな太郎ね」
「えー」
「じゃかぁしいわ。土方さんに奢ってお金ないんですぅー」
「チッ。しゃーねーな。割り勘でいいからせめて牛角にしようぜ」
「了解」

ここのところ、食事をとってもすぐに戻すというひどい状態で、あまり栄養が取れていなかった。タンパク質はがんに効くかはアレだけど、精神と筋肉両方には確実に効く。神経伝達物質も筋肉も結局はタンパク質だからだ。

沖田さんの言う通り、英気を養っておこう。

伊東のあれで何かが起きれば、もしかすると、これから食べるものが最後の晩餐になるかもしれないな。……うーんそう考えると、最後が牛角ってのも悲しいな。これで食べ納めとなるのなら、もうちょっといいもの食べてから死にたい。地獄に落ちたらろくすっぽ食えなくなるんだろうし、好きなものを食べられるのも今だけだ。

「……沖田さん、やっぱりおごるから、蹂々苑にしない?」
「マジか。さすがすみれさん太っ腹」
「食べるのはいい事だけど程々にしてね」
「へいへい」

バイク買ったから経済的に少し苦しいけれど、今すぐ死ぬってほどでもないし、最悪、魔法のカードで翌日に回せば多分なんとかなる。そうと決まれば信用組合のATMからお金下ろさないとな。

掃除を終えて、手を叩いた。うん、少しだけ元気が出てきた。

*

肉はいい。とにかく美味しい。あとアミノ酸が取れる。問題は食べすぎると太るし肌が荒れる。何事も、過ぎたるは猶、だ。

「土方の話だけど」
「うん?」

沖田さんは黙々と焼き肉をつつきながら、口火を切った。

「アンタなりに頑張って無理だったのは、そりゃ土方のせいだから気にすんな」
「でも、土方さんが妖刀を持ってきた時に、笑い飛ばしたりせずに、すぐ鍛冶屋さんに引き返していれば、こうはならなかったんじゃないかって思う」
「今更たらればの話したってどうしようもねーだろ」
「うん。だから、失敗した分必死で頑張って、ちょっとでも状況がマシになればって思ったんだけど、自分には無理だった」
「そりゃ土方の内面で起きてる事なんだから、最後は土方次第でィ」
「自分がもう少し頼りがいのある医者だったら、土方さんに頼ってもらえて、力になれたのかなって」
「思い上がりも甚だしいや。どんな名医にも野郎は頼ったりなんかしねェ。岩尾先生だろうとあのセンター長だろうと、アンタだろうと、結果は変わりゃしねェよ」
「……ごめん。ありがとう。最善を尽くしたって信じるしかないか」
「ウジウジ悩むのは肉が足りねーからだ。俺が焼くから貸せ。そして食え」
「沖田さんありがとう。貴方がいてくれてよかった」

この人がいるおかげで暗くなりすぎずに済んでいる。自分がここまで来られたのは土方さんに拾われて、色んな人に引き合わせてくれたおかげだ。その中に沖田さんがいたから、自分はこんな状況でも頑張れている。

「土方から乗り換えてもいいぜ。アンタなら特別に許してやらァ」
「それはないかな」
「土方にしなかったらよかったって泣きついても知らねえからな」
「はいはい」

沖田さんがぽつりと何かを言った気がしたが、焼き肉に夢中になっていたあたしは聞いていなかった。
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