三ヶ日が終わり、一般市民は過ぎゆく休暇を憂い、一部の社畜と俺達公僕は休んでいる連中を尻目に仕事に励む。
丼を待ちながら思い出すのは屯所に届いた葉書達だ。この歳になると、知人友人から、「結婚しました」だの「家族が増えました」だの幸せそうな年賀状を送りつけられる事が増えてくる。俺はそれを見て、「この江戸を守る理由が増えたな」などと殊勝なことを思う、訳がない。
なんだよクッソー羨ましいなー!!!俺なんて副長にパシられてる間に三十路だよ!!!輝かしいはずの二十代最後のクリスマスも大晦日も正月も、男臭いむさ苦しい屯所かバカップルがウロウロしてる街を歩いてるだけだったよ!
そんな事してる内に、財力とか顔とかよっぽどの引力がない限りどんなモテ男でも人気が下り坂になる魔の歳に突入しちゃったよ!え、マジでどうするんだ俺。合コンをセットすれば副長や沖田隊長など華やかな独身野郎に群がる女子共からは一人ハブられ、街で可愛い子を見かけても声をかけられないっつーかそんな事してたら副長に殺される。どう楽観的に見ても詰んでるようにしか見えない。
身近にいる女性陣といえば……あれ、異性の知り合いそもそもいないな。なんでだろう。前が霞んでよく見えない。俺もとうとう三十だし、目が弱ってきたのかな。うん、きっと、そうに違いない。だってそっちの方が傷が浅い。
そんなわけで、今日も俺は、寒さにかこつけて必要以上にくっついて歩く連中の視界の端で、一人虚しく屋台のラーメンをすする。野郎に囲まれて屯所の味気ない食事を食べるよりはいいかもしれないけれど、こんな時に隣りに座ってくれる優しい女の子なんているはずがない。湯気のせいか、しょっぱい鼻水が盛んに出てくる。辛い。
普段なら背後を歩く幸せそうな連中の声なんて耳に入れないのに、今日に限って入れてしまったのは俺が食事している店が話題に出たからか、それとも。
「あ、屋台のラーメン。美味しいんですかね」
「食ったことねーのか」
女の子の声に応じる声には聞き覚えの有りすぎるものだった。その男の声に、麺を吸い込む場所を間違えて思いっきりむせた。この声、間違いない。俺の上司にして最近はロリコンとの噂の男、土方十四郎だ。マズい。見つかった途端に「なにこんな所で油売ってんだ山崎ィ」とか言われて蹴飛ばされるに決まってる。早く食べ終えてさり気なく離れなくてはと思ったものの、こんな時に限って大盛りで頼んでいた。警官と軍人と医者は総じて早食いだと言うけれど、それにも限度がある。しかし、残すのは屋台のオヤジに失礼だ。
可能な限り早く食べつつこっちに来るなと念じるが、連中の話を聞いている限り、この屋台に興味津々らしい。この江戸で屋台を見たことがないなんて、どっかのお嬢様かなんかかこの娘?
雰囲気的に、この屋台に来そうだ。しかし、なんとか連中がこっちにやってくる前に食べ終えた。伊達に鍛えてない。少し満足げにお勘定を、と席を立とうとしたところで、オヤジが更に一杯丼にラーメンを盛ってよこしてきた。え?
「真選組の兄ちゃんいい食べっぷりだな!見てて気持ちよくなったからサービスだ!」
「え、あ、ありがとうございます」
「大変だろうけど、これ食って頑張れよ!」
オヤジの気遣いはありがたい。ありがたいんだけど、今はすげー空回ってる!俺は一刻も早くここから逃げ出したくて早食いしたのであって、腹が減ってたわけじゃねーから!
「すみません、今いいですか」
「おっまた真選組か。精が出るねィ」
「また?」
冷や汗ダラダラの顔で新しい客の顔を見上げる。その男は腕で暖簾をかき分けてこっちを覗き込んでいる。そして、俺の顔を見るなりカッと目を見開いた。
「……副長、お疲れさまです」
「山崎ィ、てめえ警邏中に何食ってんだァ……?しかも一丁前におかわりまでしやがって」
「いや、違うんです。これ、俺の食べっぷりがいいからってオヤジにサービスされて」
ヤバい。死ぬ。死を覚悟して目を固く瞑った。しかし、天は頑張る俺を見捨てなかったようで、割って入る声があった。
「まあまあ、真選組の副長さんとやらも腹が減ってるんだろ。そうやってカリカリするくらいなら食っていけよ。副長さんのお連れさんもな」
「お、オヤジぃ」
副長はオヤジの手前、俺を折檻するわけには行かなくなったようだ。感涙する俺を横目で見てヘッタクソなウインクをしてみせたオヤジが神にも等しい存在に見える……!
「オイ、寒いだろ、とっとと入れよ」
「はい、お邪魔します」
暖簾をくぐって俺と副長の間に挟まる位置に座ったのは、いつぞやの副長の冬休みで彼が連れていた女の子だった。そういえば、この娘最近岩尾先生に付いて屯所に出入りしているんだったな。彼女の顔を見て、オヤジは口笛を吹いた。確かに可愛らしい子だもんな。性格はちょくちょく沖田隊長がダブるけれど。
「おや、随分な別嬪さん連れてるね副長さん。もしかしてコレかィ?……いやそれにしちゃあチョイと」
オヤジ、小指を立てるのは古い。
「んなわけねーだろ。岩尾のジジイが預かってるガキだ」
「ああ、あのクソジジイの」
うん、岩尾先生、腕はいいんだけど、話し出すと長いんだよな。先生とウマが合えばいいけれど、合わない人間にとっては大層やり辛かろう。
「あのジジイのとこにいる子なら話は早えな。お嬢ちゃん今度あのジジイに言っといてくれ。腕の件は助かったが、長話は勘弁してくれって」
「言うだけ言ってみますが、多分難しいと思います」
「どうせ自覚なんてしてねーんだから言うだけ無駄だろ」
副長に同感だ。俺は先程より若干ペースを落としてラーメンを啜る。ゆっくり味わって食べると一層美味しい。
「はいお待ち!」
ラーメン一杯で歓声が上がるのも珍しいのではないか。彼女は嬉しそうに「いただきます」と言って、ちまちまと麺をすすっている。
「美味しいです!」
「そりゃ良かったな」
副長はいつものラーメン土方スペシャルを制作している。オヤジの顔がひきつった。
「あの、この人、ものすごくマヨネーズが好きで、その、何にでもマヨをかければ美味しくなると思っている(味覚に問題のある)人なんです。悪気はないんです……」
()の中は早口かつ小声だったけれど、俺にははっきり聞こえた。副長はマヨネーズに夢中で気がついてなかったからよかった。流石の副長も女の子に手を上げる人じゃないと思うけれど、結構ヒヤヒヤすること言うなこの子。
ラーメンをすする音は平常。そこになにか別のものをすする音が交じる。ちょっとした非日常だ。俺はそこから一刻も早く脱出するべく、残りの汁を食道に流し込んだ。
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