夢か現か幻か | ナノ
Separation
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楽しかった時間ほど、あっさりと終わりが来てしまう。あっという間だった。太陽が登りきってない時間、診療所の裏口兼岩尾家の玄関で、三日間の休息を終えて屯所に戻る土方さんを見送る。最後まであたしなんかに付き合わせてしまったのが申し訳ない。

草履を履いた土方さんは、扉を開ける間際にくるりと振り向いた。三和土に立つ土方さんと、板張りの廊下に立つ自分。立つ場所の違いが、そのまま立場の違いを示しているようで、胸が苦しい。

「じゃあ、またな」
「はい。お元気で」
「おう」

土方さんは扉に手をかけて、そして、外に出た。行ってしまった。

……寒い。おかしいな。あの時と違って、ちゃんと暖かい格好をしているのに。足元から上ってくるこれは、なんだろう。どうして、たった一人居なくなっただけで、あたしは。

なんで、あたしは、またあの路地裏にいるように思ってしまうんだろう。

蹲って、目を閉じて、自分のやることを思い出す。自分は彼になんて言った?強くなると言った。自分は将来どうするか?医者になって必ず身を立てて、彼に恩を返す。……じゃあ、こんな所で泣いていたら駄目。

ピシャリと自分の両頬を打って、涙を拭い、立ち上がる。それとほぼ同じタイミングで、さっき土方さんが出ていった扉が開いた。

そこには、さっき本来いるべき場所に戻っていったはずの土方さんがいた。泣いていたことを悟られたくなくて、そっと顔を逸らす。

「あ、何かお忘れ物ですか?」
「そんなところだ」
「じゃあ、私が取りに行きますね」
「いや違う。ソイツは今ここにある」

きょろきょろと周りを見渡すけれど、それらしいものは見当たらない。彼が言う忘れ物のようなものは一体どこにあるのだろうか。不思議に思っていると、こほんと咳払い。わざとらしいそれは、こちらに注意を向けろということだろう。土方さんは眉間にシワを寄せて、何かを探しているような顔つきだ。

「あー、その、なんだ。江戸は寒いから、風邪引くなよ」
「はい、ちゃんと暖かくします」
「ちゃんと飯食えよ」
「いっぱい食べて筋肉つけますね」
「ああ。……頑張れよ」

どこか言いにくそうに言われた激励の言葉。それが別れを殊更強く意識させる。「はい、頑張ります」と答える声は震えて聞こえなかっただろうか。本当は、帰ってほしくない。どうせ戻ってきたのなら、一緒に居てほしい。だって、不安で仕方がない。岩尾先生がいると分かっていても、自分は置き去りにされるという被害妄想が消えてくれない。たった三日間の出来事なのに、この人が全てのように思ってしまう。あたしから離れないでほしい。側にいて。そんな、甘ったれた情けない言葉が口をついて出そうなのを唇を噛んで堪える。

――そうか。自分は寂しいのか。

でもそんなのまやかしだ。それに、たった三日間世話されただけの自分にその言葉を使う権利はない。土方さんにも仕事がある。彼の足を引っ張ることだけはしたくない。そして何より、自分は強くなると彼に約束した。だから、自分が返す言葉は決まっている。

「次に会ったら土方さんをびっくりさせてみせますから」
「そりゃ楽しみだ。今日の晩、早速手合わせといくか」
「今日ですね、焼け石に水かもしれませんが――、え?今日?」
「今晩、ここに飯食いに来る。……だから、そんな顔するな」
「でも、土方さんに悪いです。お仕事があって忙しいはずなのに」
「……飯が気に入った。そんだけだ。流石に毎日は来れねェ。次は来週だ」

土方さんにここまで気を使われているあたり、自分はひどい顔をしていたようだ。顔に出るなんてまだまだだな。少し自分が恥ずかしい。けれど、申し訳なく思う気持ちと一緒に、たしかに嬉しいと思った。自分のことを気にかけてもらえた。そんな価値はないと否定する自分と、嬉しく思う自分がせめぎ合うのを感じる。どっちにせよ、折角ご飯を食べに来てくれるのだから、美味しいものを食べてもらいたい。真逆の自分は同じ結論に至った。

「あ、ありがとうございます!じゃあお夕飯作って待っていますね。今日の献立について、何かリクエストはありますか?」
「任せる。が、マヨネーズ切らしたら帰るからな」
「油分は程々にしてくださいね」

大きめの声で言ったのに、土方さんは「じゃあな」とだけ言い残して今度こそ彼の帰るべき場所に戻っていってしまった。でも今度は、寂しいとは感じなかった。大きく手を振る。そして、玄関から下駄を履いて、門の外に飛び出す。朝もやの向こう側に消える背中を見送って、やがて気がついた。

そういやあの人何時に来るか言ってないぞ。自分一人なら何時だろうと関係がないけれど、岩尾先生がいるからいつまでも待ってもらうわけにもいかない。慌てて土方さんが消えた方向に駆け出した。

Separation

We'll meet again



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