夢か現か幻か | ナノ
Heavenly blue
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救急科で一仕事終えて、日光がさんさんと降り注ぐ街で単車を飛ばして屯所に帰り、シャワーを浴びて汗を流してから、小腹を満たそうと縁側を歩く。原本の世界の東京と比べても遜色のない大都会である大江戸の中にあって比較的自然が多い屯所は、蝉の声でいっぱいだ。

仕事がてんてこ舞いで溜まりに溜まっている些細な書類群を思い出して憂鬱になる直前で、気分を誤魔化すように流行歌を口ずさむ。軽食に心を移す。まだ食堂やってるはずだからワンチャンいけると思いつつ、我ながら軽快にスキップする。その足がピタリと止まった。

「沖田さん」

非番で私服姿の沖田さんが、こんな暑い日なのに縁側の日向に腰掛けて、ぼんやりと空を見上げていた。その目がどこかうつろに見えた気がして、声をかけずにはいられなかった。けれど、こちらを振り返ったときには、彼の目にはちゃんと光があって、ほっとした。……気のせい、だったのかしら。

「あ、先生。仕事帰りか。最近多いねィ」
「うん、今週はずっとここと病院を行ったり来たり」
「働き者だなァ」
「沖田さんが働かなさすぎ」
「手厳しいなすみれさんは」

いつも通りのやり取りのはずなのに、どこかキレがない。やっぱりミツバ殿の件が堪えているのだろうか。……土方さんは大丈夫だって言っていたけれど、やっぱり心配だ。おせっかいと分かっていても、この状態の彼を放っておけなかった。こんな時の定番はやっぱり酒だけど、いつ呼び出しがあるか分からないしな自分も彼も。

その時、頭に電流が走った、という程大したものではないものの、ちょっとした案が思いついた。というか、思い出した。問題はどう誘うか。上手く誘い出せるといいんだけど。

「沖田さん、ここも暖かくていいですが、少し場所を変えませんか。いい場所を知っているんです」
「へえ、サボり下手な先生が知ってる場所たァ、とんだ穴場なんでしょうねィ」
「はい、とっておきの場所なんです」

差し出された手を握ってくれた沖田さんをぐいぐいと引いていく。当事者でありながら、滅多に無い構図だなと苦笑したくなる。不思議な構図だと思っているのはすれ違う隊士達も同じようで、すれ違いざまに全員が振り返ってきた。

目的地は同じ屯所なので、すぐだった。岩尾先生が勝手に植えた緑のカーテンが作り出している日陰にたどり着いた沖田さんは、つまらなさそうな顔だ。

「なんでィ、いつもの医務室前の縁側じゃねーか」
「違いますよ沖田さん、こっち」
「外?」

目的地はもう少し先だ。草履を履く手間も惜しんで飛び石伝いに庭へ飛び出す。足が汚れるけれど、気にしない。手で緑のカーテンの日向側を示すと、沖田さんの目が軽く見開かれた。そりゃそうだろう。沖田さんが普段見ているのは緑がびっちりと茂った日陰側だ。しかし、日向側には、ラッパ型の花が所狭しと咲いた、空色のカーテンが広がっている。日本でよく見る青色の朝顔よりも少し色が薄くて、空の色にそっくりだ。

「ここです。私のとっておきの場所」
「こりゃすげェや。朝顔がいっぱい咲いてらァ」
「これ、厳密には朝顔じゃないんですって」
「そういや、岩尾先生がそんな事言ってたな。朝顔ならとっくにしおれてる時間だし」
「はい。今日教えてもらえました。ソライロアサガオというそうです」
「へえ」
「またの名をヘブンリー・ブルー」

一瞬、蝉の声が大きくなった気がした。しばらく、蝉と行き交う隊士らの声だけが、庭の音だった。やがて沖田さんが、反芻するように「ヘブンリー・ブルー」とつぶやいた。良かれと思ったんだけど、もしかすると地雷だったかもしれないな。

「その、先生、どうやら私を元気づけるために植えたらしくて。ええと、沖田さんにも、この花を見てもらえたらないいなって思ったんです」
「天国か。……姉上もこんな景色見てんのかねィ」
「さあ?我々は全員残らず地獄行きですから確かめる術がないです」
「確かに」

沖田さんは屈んで、下から花のカーテンを見上げている。同じようにして、空と花を一緒に見る。こうすると、空が地上に降りてきたように見えなくもない。日光と照り返しが容赦なく頭を温めるのも忘れて、空色の花を見つめていた。

「綺麗ですね」
「そうだねィ」
「種がいっぱいできたら、来年も再来年も、あっちこっちに植えられますね」
「そりゃいいや。サボり場所が増える」
「……休憩もほどほどにしてくださいね」

沖田さんはよいせっと立ち上がった。そして、こっちに手を伸べてくる。さっきと真逆だ。

「暑くて頭がクラクラしてきちまった。すみれ先生、責任とって医務室に入れてくだせェ」
「わかりました。麦茶を冷やしてあるので、それを飲みましょう」

クラクラすると言う割に、足取りはしっかりとしているし、腕の力も強い。かったるい口調は相変わらず。でもその目が一瞬優しげに細められた、ように見えた。なにせ一瞬だったから自分の自意識がもたらした錯覚だと思うけれど。

足を軽く拭っていると、紫煙が香る。屯所内のどこでも煙草を吸う人といえば土方さんだ。匂いの方を振り返ると、案の定眉間のシワを三割増しにした土方さんが立っている。夏の空と驚くほどにマッチしない人だな。

「オイ桜ノ宮、テメー報告書はどうした」
「面倒くさいのに見つかっちまった。すみれさん!やっぱ屯所の外の茶店にしましょうぜ!」
「了解!」

青い空の下。追ってくる怒号を聞きながら、靴も履かずに庭を駆ける。声音がどこか楽しげな沖田さんは「逃げろォ!」と叫ぶ。父親にいたずらがバレて姉弟共々追い回される、もし自分に何事も起こらなければ、そんな光景もあったのかもしれないな。

そんな事を考えていたら、沖田さんは急にこちらを振り向いた。そういや、この人創真と同一視されるのエラい嫌がってたわ。慌てて顔を引き締めると、それに答えるように彼の表情も真剣さを帯びたものになった。

「すみれさん、俺ァ一度しか言わねェからよく聞け」
「はい」
「すみれさん、あり――」

沖田さんは神妙な顔つきで何かを言おうとして、ちょうどその時背筋に悪寒が走った。彼はあたしの後ろに何かを見たのか、目を見開きあたしの腕を強く引いた。それまで自分たちがいた地点に砲弾が落ちる。

よりにもよってそこで砲撃されたか。砲撃手は言うまでもない。先端から発射煙の残渣が漂うバズーカを担ぐ土方さんだ。普段ならここまでの横暴はしないんだけど、今日は史上まれに見る不機嫌らしい。けど不機嫌さで言ったら、言いたい事を遮られた沖田さんも負けていない。

「土方死ねェ!!!」

すぐさま弾丸のようにすっ飛んで行って、土方さんに斬りかかる。土方さんも予備の刀で沖田さんの一撃を受けた。いつもの真選組だ。

手は離れてしまったけれど、その光景を見て、やっと安心できた。沖田さん、元気になってくれたんだ。よかったよかった。
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