夢か現か幻か | ナノ
From now on
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二人で座って食事をするには寂しく感じる大きなダイニングテーブルを挟んで、土方さんとあたしは向かい合っている。この部屋が禁煙だと思いだした土方さんは、取り出した煙草を不承不承しまい直した。死んでも煙草を手放さないんだろうな、こういう人は。煙草の箱を眺めていると、不意に父親のことを思い出した。

ああ、そうだ。あの人もかなりのヘビースモーカーだった。その日その時の気分によって、葉巻だったり紙巻き煙草だったりとまちまちだったかな。父親の顔はもう思い出せない薄情な女だけれど、好んで吸っていた煙草の銘柄だけは覚えてる。ピース、パーラメント、ウィンストン……。あ、目の前の人の持っている煙草とよく似たものもあった。

遠い日の残像を振り払って、質問をする。

「その、いくつか質問しても大丈夫ですか?」

ああ、と簡素な了承を受け取った。質問をざっと整理する。最重要事項は、この先自分がどうなるかの把握。正直な話、あたしの身がどうなったとしても因果応報なのかもしれないと諦める気持ちもあるけど、任せっぱなしは彼に少し悪いような気がする。次いでこの世界の概要の把握。生まれ育った場所に帰ることは最早ない。とすれば、拾われた命を自分で繋いで恩を返すためには、この世界のことを学ばないといけない。自分がどのような扱いを受けるにせよ、この人にいつまでも頼りきりという訳にはいかないんだから。

「まず、この先、私はどうなりますか?」
「それは俺も今考えてる。ただ、全てをバカ正直に明かすわけにゃいかねえ。まさか『異世界からきました』だなんざ三文小説でもあるまいし」
「つまり、ありのままの事実を述べて支援を求めるのは避けたほうがいい、ということでしょうか」
「そうなるな」

土方さんは悩ましげに頭をかいた。そりゃそうだ。犯罪スレスレの行為を行うことになるのだから。色々逃げ出したい。自分の無力さが悔しいし、もどかしい。自分が一人でも生きられれば。戸籍なんかなくたって生きていけたら。自分が女じゃなかったなら。どれもこれも悔やんだって意味がないけれど、そうせずにはいられなかった。

「ごめんなさい」
「あ?」
「土方さんにご迷惑をおかけして、ごめんなさい」
「ったく、生意気な口叩いたかと思えば、いきなりしおらしくなりやがる。忙しい女だな」

呆れたような言葉にも、ただただ謝ることしかできなかった。肺の奥から絞り出すようなため息が聞こえて、ますます肩が縮む。

「こちとらアンタよりちょっとばかし長く生きてんだ。知恵も回るし、コネもある。子供は黙って大人に頼っとけ」
「でも、私、何もできません。何も返せません」
「今は、の話だろ。足元も固まってねえのに、恩を返す返さないっつー遠い未来の話なんざする意味がねえ」
「それでも、土方さんに何の得もない話なのに」
「俺ァ警察だぞ。今のアンタを下手に放っておいて犯罪に巻き込まれた暁には、俺の仕事が増えるんだよ。つまり、アンタがここで生きられるように御膳立てすることは、結果的に俺のためになるってこった。アンタならこの理屈、分かんだろ」

諭すような言葉を受けて、考える。確かに起きてしまった犯罪を捜査したり、とっ捕まったあたしを尋問するよりも、あたしを真っ当な道に投げ込むほうが、全体としての手間は小さいのかもしれない。そうは言われてもやっぱり抵抗があるのは否めない。表通りを行く人達みたいに、こんな小娘なんて知らぬ存ぜぬを通したっていいんだ。あたしが悪いことをして捕まったって、『こんなガキ知るか』ですっとぼければいいんだ。でもこの人はそうしなかった。泣いているあたしに声をかけてくれた。無理矢理だけど、手を引いてくれた。でもあたしには返せるものなんて、この体くらいしかない。その不釣合いが苦しい。

「まァとりあえずは、攘夷戦争の孤児で今の今まで戸籍がなかったっつー扱いにして、適当に戸籍を作らせるか……。その言い訳が通らなかったらそん時はそん時で、俺がなんとかする。んで明日は戸籍の手続きだ。戸籍が早いとこできたら、お前名義でお前の部屋を借りる。できなかったら、俺の名義で借りる。後は最低限の家具と家電、皿や服なんかの生活用品も買う」
「あ、あの、お金……」
「金の使い道がねえ独り身の道楽とでも思えばいい」

土方さんの優しさに付け入ってばかりだ。それがとても痛い。眼の前の人の顔を見ることができなくて、テーブルクロスの繊細な刺繍に視線を落とすと、盛大なため息が聞こえた。

「よし、デザート頼むか」
「ええ!?」
「なんだよ文句あんのか」
「お金」
「さっきからそればっかだな。……俺も食いたいから頼む。お前はついでだ。これでいいだろ」
「……ご相伴に預かり光栄です」

手渡されたメニューを渋々めくると、これまた見知っているようで知らないお菓子の名前。どれが無難なんだろう。土方さんの味覚って信じていいのかな。なんか、不安だ。

*

土方さんは味覚がおかしい。喫煙者の味覚ってこんなおかしかったっけ。いやあの人はそうじゃなかったよね。あたしは目の前の光景に絶句するしかなかった。

あたしと彼は、インスタ映えしそうな名前の割にごく普通の見た目の団子を注文した。そこまではいい。名前負けしてそうな地味な団子だけど、値段相応に美味しいからいい。問題は土方さんだ。もっと正確に言えば、土方さんの味覚だ。彼はおもむろに懐からマヨネーズの容器を取り出すと、赤いノズルを団子に向けた。そしてぶちゅるるると汚い音を立てて絞り出していく。マヨネーズの太いラインが引かれている。視線に気がついたのか、端正な顔がこちらを向く。嫌な予感。こういうのだけは昔からよく当たるんだ。案の定、彼は何を勘違いしたのか、串をこちらに差し出してくる。高そうなテーブルクロスに黄色いやつがかかったりしないか不安になって、反射的に皿を差し出してしまうのはあたしの貧乏性故か。

「一本食えよ。あんだけじゃ足りねえだろ」

一応お礼を口にするけれど、口角が釣り上がりながらも引きつってしまう。差し出された串を恐る恐るつまみ上げて件の物体を観察する。黄色い。これほとんどマヨだよ。三色団子なのに団子見えないよ。もうマヨだよ!この団子たった二本でいくらすると思ってんのこの人!?というか、さっきのアレはドン引きしたのであって、好奇の視線じゃないから。この人こういうときだけ感情センサーぶっ壊れるの?無意識に趣味を押し付けるオタク的性質持ちなの?それとも、生きとし生けるもの全てがマヨネーズ大好きだと思ってる?そういうのやってると嫌われるよ?

恩人に対してかなり失礼なことを考えながら、えーいままよ、と口の中に団子もといマヨを放り込む。柔らかい。口の中にマヨネーズ特有の酸味やら甘みやらが広がる。……まあマヨネーズを単体で食していると考えれば、食べられないほどではない、かな。自分から進んで食べたいかって言われれば、答えはノーだけど。こんなの毎日食べてたらあっという間に肥えるし肌も荒れる。土方さんは至って健康体の外見してるけど、これは民間人との運動量の違いなのかな?何らかの理由で代謝が落ちたら大変なことになりそうだなこの人。

「自分から豚の餌を食べるなんてすごい荒行ですね。将来の夢はフォアグラですか?」
「人の団子とマヨ食っておいてその感想ってひどくない!?」
「フォアグラがお嫌いなら霜降り肉と置き換えますか?」
「どっちも変わんねーよ!!……あー、総悟に会わせてェ。ああ、総悟ってのは、俺の部下だ。昔馴染みなんだが、アンタと歳も近ェし、今度紹介してやる。アイツと気が合いそうだ」

真選組ではあたしと歳が近い人も働いているのか。どういうことをする組織なのかは今ひとつよくわからないけれど、眼の前の人の雰囲気とか、ごつごつして硬い掌とか、刀でなんとなく察する。多分、この人は戦う人だ。きっと総悟という人も、彼と同じなんだろう。それは分かるのだけど、どうして紹介する気になったのか。

「アンタも、まあダチとはまではいかなくても、話し相手ぐらいは必要だろ。ヤツも俺みたいな年上ばっかに囲まれててな、友達居ねーんだ」
「彼のほうの都合がよろしいのでしたら、その時は」
「どーせあの馬鹿はどこぞでサボってんだ。適当に呼び出すさ」
「サボってていいんですか」
「俺達ゃ公僕だぞ。サボって良いわけねーだろ。まァ、アイツの場合、居ても居なくても変わんねーからな……」

土方さんは黄昏れた視線を夜景に注いだ。あたしを捨て置けなかったことといい、部下に問題児を抱えているっぽいことといい、この人かなりの苦労性じゃないかな。そして、あたしはそんな苦労性の人にさらに苦労をかけている。けど、今は落ち込んでいる場合じゃない。

「もう一つの質問いいですか」
「ああ」
「そもそもこの世界ってどうなってるんですか?」

土方さんはどこから説明したもんかな、とひとりごちて、煙草の箱を取り出した。何度この流れを繰り返せばいいのだろう。名前を呼んでテーブルの上のプレートを指差せば、彼は盛大に舌打ちした。部屋を貸した人へ悪態をつく様子が微笑ましいものに感じてくる。父親も構内が禁煙になった後、何度も研究室で煙草を吸おうとして、その度に学生に怒られていたっけ。……普段はめったに思い出さないのに、今日はよく父親のことを思い出す日だなあ。

「いっそラウンジとか喫煙室にでも移動しますか?」
「いや、いい」
「でも吸えないとイライラしません?」
「まあな」
「じゃあ行きましょう。大丈夫です。葉巻の副流煙を吸って育ったのでそこそこ頑丈ですから!」
「いや、それ大丈夫じゃないから」

あたしは思う。

健康に害があるとわかっているのに、なぜ喫煙者の皆々様は煙草を吸いたがるのか、と。

***

ホテルの比較的低いフロアに位置するラウンジの一角。喫煙者の肩身が徐々に狭くなりつつある今日日、ラウンジの全席が禁煙なんてことも珍しくない世の中にあって、このホテルのラウンジにはシガーラウンジと呼ばれる喫煙可の区画があった。未成年を紫煙の中に突っ込ませるのは気がひけるが、行きましょうと背中を押されてはやむを得ない。べっつにぃ、俺ァこのホテルにとどまってる間くらい禁煙できたしぃ?コイツがシガーラウンジのシガーコレクション見たいなんていうから連れてってやるだけだしぃ?

我がコトながら大した強がりだ。だが、気遣いはありがたい。

後はアイツが着替えるのを待つだけなんだが、如何せん遅い。女の身支度は時間が掛かるもんだが、それを抜きにしたって遅い。まっさか、またアイツ妙な事してんじゃねえだろうな。湯の中で泳ぐ黒髪を思い出す。学にはとんと疎い俺だが、真選組の医務室担当医のクソジジイから、こんな話を聞いた事がある。

自殺は衝動的なものが多い。悩みを抱えている人間が頑丈なロープや通過電車やらを見ちまった時、その選択肢が不意に過ってしまうのだと。

思い返せば、風呂のアレも衝動だったんじゃねえのか。アイツには悩みがある。そんな状況で窒息するのに十分な湯を見て、自死という選択肢が過ったのだとしたら。首筋を常ならぬ汗が伝い落ちるのを感じた。

――もう変なことはしません。

その言葉と時折見せる暗い顔が同時にフラッシュバックした。まだアイツは予断を許さない状態だ。だってのに俺は暢気に何やってんだ!一度不吉な予感がよぎってしまえば、おちおちと座っても居られねェ。着替えるからと叩き出された部屋の前に立つ。知らずノックが鋭くなった事は不可抗力だ。

「おい、開けるぞ」

答えも聞かずに扉を開いて、俺は後悔した。部屋の立派な姿見の前には、着物の帯を何をどう間違えたのかあちこちに絡ませながら、泣き出す寸前の目で鏡を睨む女が居た。いざという時はと帯剣して部屋に討ち入ったが、事情が読めて脱力した。なんの事はねえ。いつまでも出てこないのは、着付けができねーからだった。

「どうやったらそーなんの?」
「わかりません……」
「やった事ないんなら最初っから言え」
「すみません」
「あんまり遅いもんだからてっきりくたばっちまったのかと思ったぜ」
「もうしないって言ったじゃないですか」
「信じられるか」

小娘がうつむき、榛色の目が前髪に覆われて見えなくなる。影になった唇は血の色がなくなるまで噛み締められている。これ以上この話を続けようが、俺に得られるものは何もねェ。一旦ヤニを吸う気になった体はヤニを欲している。この話はやめにして、さっさと着せちまうか。頭は悪かねえようだし、そのうち勝手に覚えんだろ。

「着せてやるから大人しくしてろ」
「すみません、お願いします」
「足袋くらいは履けよ。洋装と違って全部着た後に履くんじゃ着崩れするぞ」
「あ、はい」
「よし、触るぞ」

ブラジャーを付けたままで居てくれたおかげで、やむを得ずコイツの体をべたべた触る事になるこっちの気が楽だ。買ってきたタオルを巻いて体型を補正し、長襦袢を着せて、いくつか買ってきた着物の中から一着選んで着せてやる。小紋ならあのラウンジでも浮かずに済むだろ。最後に帯を締めてやれば、そのへんにいそうな町娘の完成だ。適当に女の従業員をつかまえてやらせればよかったっつー事を思い出したのはその直後だ。

「似合うな」
「ありがとうございます」
「覚えたか」
「……まだ無理そうです」
「アンタにとっちゃ不便だろうが、これも江戸に馴染むには必要なもんだ。休みの間は手伝ってやるが、その後はてめえでやれよ」
「重ね重ねすみません」

こっちもあっちも悪い事をしてねえのに、俯いてばかりの女の姿を拝む事ほど、気分の悪いものはねえ。見知らぬ地に放り出されて心が弱っているんだとしても気に障る。

この女は自責の念が強すぎる。心の隙間に付け込む野郎どもが大勢いるこの地でこれは致命的だ。弱みに付け込まれて泣かされた女なんざ、この稼業を始めてからこっち飽きるほど見てきた。今のままだとコイツもその女どもの仲間入りをすると思うと、ため息が漏れる。なんだってここまで面倒見てやらにゃいけねェのだとは思うが、中途半端に手ェ出して放り出すのは士道に反する。し、何より何度も謝られっと普通にイラつく。特にヤニ不足にあえぐ心にはてきめんだ。

ちょうどいいタイミングだ。ここで言っとくか。

「おい、もう謝んのはやめにしようや。今のアンタがやるべき事は何かにつけ俺に頭下げる事か。違ェだろ。なあ。今アンタにできるかを考えて言ってみろ」
「……私一人で、生きていけるように、この街での立ち回り方や身の回りのことを覚える」
「わかってんなら謝んな。つまんねえ事に思考を割く余地があんなら、他の事覚えたらどうだ。その方が俺も楽だ」

女はごめんなさい、と言いかけ、しばらく口を閉ざす。またうつむきになる。地面に視線を注ぐ様子が、すみれの花を思わせた。いや、んな花あってたまるか。見てる人間まで暗くなるような花なんざ、あってたまるか。

「ありがとうございます。土方さんの手を煩わせずに済むように頑張ってみます」
「ああ、そうしてくれや」

泣き笑いのような笑顔は、花というには悲しいが、まあ及第点だ。

「よし行くぞ。まずはお勉強の時間だ。つっても、俺は腕っぷしばかりで学のねェ芋侍だから、教えんのは得意じゃねーが」
「その点は私が合わせますから大丈夫です」
「復活したら復活したで可愛くねーな」
「しおらしいほうがお好きですか?」

どこぞのバカを連想させる小憎たらしさだが、ずっとうつむき加減でいられた頃よりは部屋の空気がマシになった。それでいい。
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