夢か現か幻か | ナノ
Goals
文字サイズ 特大 行間 極広
素直そうな見た目に反してひねくれ者。出会って半日も経たないごく短い付き合いだが、コイツの平常はこんなもんだと分かってきた。分かってきたら話は速い。総悟の女版だと思えばいい。頭をカラにして剣の腕を得たアイツと違って、コイツは弱そうだが。

「しおらしい、か。てめーのしおらしいはべそかきそうな時だろーが。そんなのの横じゃ煙草も湿気る。ガキはガキらしく笑ってろ」
「私子供じゃないです。お料理だってお掃除だって、自分一人でできます」
「そういうところがガキなんだよ。大人ってのは、わざわざてめーから大人だって宣言しねーもんだ。つーか、んなもん奉公に出てるガキンチョでもできるわ!」
「えーまじかー!」
「白々しい、驚くならもっと自然にできねーのか」

部屋でこんなやり取りを延々と続けていたおかげで、ラウンジに滑り込んだのは夜もだいぶ遅い時間だった。どっちが子供だか分かりませんね、など宣うチビの脳天に手刀をくれてやる。致し方がない事情があったにせよ、てめえのせいだろうが。

ラウンジは薄暗く、客はまばらだった。三味線のおかげでお互い無言になっても間が保てそうだ。背の低い机を挟んで椅子が向かい合っている席を選んで座る。ちょうどいい事にシガーラウンジには誰も居なかった。小娘は外の夜景をそっちのけにして、シガーコレクションを眺めている。

「あ、これ、父親が吸ってた葉巻です」
「買わんぞ」
「いえ、ちょっと懐かしいなって。もう10年も前の話だから、覚えているのは銘柄ばかり。匂いも思い出せないんですけどね」

思わず顔が引きつる。重そうな過去がちらっと顔だしてるんですけどォ!重いよ!漬物石よりも重いよ!父親はどーしたぁ!禁煙だよね、君のパパ禁煙したんだよね!禁煙10年も続けるってすごいなあ!自分の直感に背いた花畑地味た解釈を、慈しむように葉巻を見つめる目が簡単に打ち砕く。あ、お父さん死んでるわこれ。

そんな寂しそうに笑われると、こっちが悪いみたいじゃねーか!折角憎まれ口が戻ってきた矢先にィ!

「すみません、これください」
「買わないんじゃなかったんでしたっけ」
「いいんだよ。たまには葉巻も悪くねェ」

やったらめったら高いが要は煙草と同じだ。なるだけ冷たい煙を楽しむ。それだけなのだが、さて、どうやるんだっけか。映画とかでどうしてたっけ。とっつぁんとか竹内アニキとかどうやって葉巻に火ィ付けてたっけ!?悩んでいるとするりと葉巻が奪われ、店員から拝借したカッターで手際よく葉巻の吸口が作られる。あっという間に火まで付けて手渡された。コイツの親はガキに何教えてたんだ。微妙な気分を抱えつつ一吸いすると、まあ美味い。が、こんなめんどくせーもんいちいち吸ってられっか。

「父親に言われて作ってたので」
「そうかよ。……ライターそれ、アンタの親父の形見か」
「今では唯一の」
「葉巻といい、ライターそいつといい、アンタの親父は随分こだわりがあったんだな」
「目移りしやすいだけとも思えますが、そうかもしれませんね」
「事故か?」
「殺人です」

しまった聞くんじゃなかった。いとも簡単にぶつけられる重い過去来たァ!コイツの10年前って7歳とかそんくらいだよな。コイツ若いのに人生ハードモードじゃねーか!神様コイツに何の恨みがあったの!?

「そ、そっか〜。若いのに大変だね〜」

家事掃除が全部できるってこたァ、今まで一人暮らしか放任だったのか。雰囲気がどことなく孤独を感じさせるが、そんなコイツでもこの状況は堪えているらしい。……こりゃしばらく面倒見てやんねえとダメかもな。ここで手ェ離して、何日かしてドブ川さらったらコイツが出てきましたなんて事になった暁には、その後何日か目覚めが悪くなっちまう。

「親父が死んで、てめえも殺され、しまいにゃこんな場所に放り出されるか。神様かなんかに祟られてるとしか思えねェな」
「賽銭箱に50円しか入れなかった程度で祟ってくる神様とか嫌です。それに私が死んだのは自業自得です。……あと、私、恵まれなかったわけじゃありません。義父母はさておき、後見人さんは財産を横領しなかったし、孤児院の先生もちゃんとご飯食べさせてくれたし、学校にも行かせてくれました」
「いや、両方当たり前だよね。全部君が受けるべき権利だよね。健康的で文化的な最低限度の生活だよね。つーか義父母がハズレだった時点で災難だよね」
「後見人さんも先生たちもちゃんと私を見守ってくれました。相談にも乗ってくれて、一人でも生きていけるように、私に生活の方法を教えてくれました。それに、こんな場所でも、私に手を伸ばしてくれる人に出会えた。だから、私は恵まれています」

決然と顔を上げる女の顔には、それまでの悲嘆はなかった。今にも折れそうな心で懸命に立っている馬鹿な女の顔だった。知らず笑みが溢れてくる。そんな顔もできんじゃねえか。

「そうか」
「はい、そうなんです。そして、土方さんにしか頼めないことがあります。いくら家事掃除ができても、自分から変な人に接触してしまうようでは、色んな人の努力が無駄になってしまいます」
「この星の歴史か。どっから説明したもんか」
「では江戸にぶんぶん飛んでるでっかいのがいることについての説明からでお願いします」

ざっと順を追って説明する。

17年前、この星に突如として押し寄せた天人の事。

幕府はヘタレて開国し、反発した侍――攘夷浪士もしくは不逞浪士どもによって攘夷戦争という内戦が起きた事。

7年前始まった大きな戦争を最後に内戦状態から脱したが、未だに天人を追い出すのを目論む連中が大規模粛清より生き残り、テロを始めとする反幕府活動、即ち攘夷運動を行っている事。

そして俺達が武装警察真選組として攘夷浪士達を取り締まっている事。大まかな流れだけだが、それでも目の前の女の度肝を抜くには十分だったらしい。

「神様かなんかに祟られてるんじゃないですかこの世界」
「神様じゃねえがゴリ」
「土方さん、指、指」
「あっち!」

いつの間にか火が指先に近づきすぎていたらしい。指の股を焼いて情けねェ声が漏れる。葉巻を手放して、小娘の心配する声に短く答える。小娘は机の向こうから手を伸ばし、俺の手をとった。

「大丈夫です、冷やせばそんなに酷くはならないと思います。お水と器借りてきますね」
「悪い」

女は一歩踏み出し、着物の裾を踏ん付け、コケた。……こりゃあ、歩き方から教えねェと話にならねーな。

*

鼻を床にぶつけながらも、冷やすものを持ってきて、土方さんに手渡す。彼はあたしを憐れむような目で見ている。指を冷やしてふう、とため息をついた彼は、あたしに手招きをした。

「裾踏んだから裾が落ちてんぞ。整えてやるから後ろ向け」
「あ、ハイ」
「ったく。あんな大股で歩くんじゃねえ。さっきみたいにすっ転ぶぞ」
「気をつけます」
「普段も洋装か」
「はい」
「お前さんにとっちゃ慣れた服装がいいんだろうが、全身洋装じゃどうやっても浮いちまう。慣れるまでは我慢してくれ」

土方さんは手際よく裾を直していく。できたぞ、と背中を軽く叩かれ、ひとまずお礼を言って席に座る。

セーラー服を着て街を歩いていたときのことを思い出す。人混みの中ではあたしの格好を気にする人はあまり居なかったけれど、ちょっと人の少ないところにいけば、じろじろと見られていた。やはり頭のてっぺんから爪先まで洋装でいると目立つのだろう。

木を隠すなら森の中という言葉を思い出す。異端かつ非力な自分を隠し身を守るには、周りに溶け込めるような格好をするしかない。攘夷浪士達の攻撃目標には幕府だけではなく天人も含まれていることがあると土方さんが言っていた。大部分の町人たちが和装の中で洋装でいれば、天人もしくは幕府の要人の子などと誤認される可能性が高い。せめて自分がどうにか身を立てるまでは、和装がメインになるだろうか。裾を踏んで転んだことを思い出すと気が滅入るけれど、これも生きていくため、ひいては彼に恩を返すため。仕方がない。

土方さんが葉巻を吸っている間に、この世界の風俗を勉強しようとマガジンラックから適当な雑誌を手に取る。どこにでもありそうな大衆向けの雑誌の裏表紙に、こんな広告がでかでかと載っていた。

――医術開業試験受験者求む!

江戸の医学を云々とかいう、いかにも公的機関が考えましたというなんとも野暮ったいセンスのキャッチコピーは正直どうでもいい。その下の立身出世、お家再興の早道!という文字列に心が動かされた。正確には前半の立身出世の部分。

「医術開業試験……?」
「ん?ああ、天人が来てからというものの、医学も目覚ましく発展してな。今までの漢方医だけじゃ江戸の医学の発展にゃ到底おっつかねえってことで、天人の最新の医学知識を身に着けた人間に、医者としての免許を授けようって話だ。1年半の修学のみが条件で老若男女誰でも受けられる、いわば立身出世の捷径ってんで、江戸どころか日本中の貧乏なインテリ共がこぞって受ける試験だよ。……それがどうかしたのか」

身を立てる。今、あたしが必要としているものがそれだった。少しでも早く身を立てることができれば、その分だけ早く土方さんに恩を返せる。あたしの知る時代であれば、医者になるためには医学部を卒業しなければならなかったけれど、ここではそうでない。学歴ナシ、技能ナシ、腕っぷしナシ、愛想もナシ。無い無い尽くしの女にとっては天啓に思えてきた。

「あの、土方さん」
「なんだ」
「この試験の受験資格は本当に1年半の修学だけなのでしょうか」
「ああ。だが、生半可な気持ちで受けるもんじゃねェ。恐ろしく合格率が低い。修学は1年半だが、前期試験と後期試験、この2つの合格に10年かかるなんざザラだ」
「10年」

自分の今の年齢に10年を足してぞっとした。イメージが湧かないどころか生きているのかさえわからない。あたしはさておいて、恩を返すべきこの人が10年後にも生きているのか。人を斬り、毒煙を飲み、マヨネーズをこよなく愛するこの人も、そう長生きしそうにない。

「それに一応は独学でも合格できるとは言われちゃいるが、実際は予備校に通っている連中も多い。今のお前の状況からするとほぼ間違いなく独学だろうが、完全に独学で事をなしたやつは聞いた限りじゃほぼいねェ」

三味線の音が遠い。思いつきで言ってしまったことに少し後悔の念を覚え始めた頃、土方さんは溜息をつくように紫煙を吐き出した。

関係ない話だけど、葉巻も似合う人だなこの人。ただ、記憶の中の人よりも少し忙しない吸い方をしているように思う。まだるっこしいのが嫌いな性分なのか、普段の仕事が忙しくて嗜好品を味わう余裕に乏しい人なのか、それともただのヘビーでチェーンなスモーカーなのか。多分全部だなこれ。

関係ない思考を打ち切るような「だが」の一言で我に返った。

「だが、お前が本気でこの試験の合格を目指すのなら、紹介したいジジイがいる。真選組で俺達の面倒を見ている医者なんだが、コイツがクソジジイでな。年食ってるくせにガキの一人も居ないせいで、てめえの診療所の存続が危ういときた。ジジイがくたばりゃ、日頃の行いっつーか評判のせいで俺達の面倒を見る医者がいなくなる。俺としてもそれは避けたい」
「お医者さんがよってこないって何やってるんですか」
「まあ、ちょっとな。それはさておき、そんなところに現れたのがお前だ。お前がジジイの後継者になってくれるんなら、ありがてえのは間違いねェ。医者の確保のためっつー大義名分がありゃあ、お前の存在が隊に露見してもやりやすい」

土方さんは刀のように鋭い目を向けた。まるで見定めるような視線に自然と背筋が伸びる。

「だが、前期と後期、どっちかでも試験を落としたらその時点で俺の援助は無いと思え。こっちも使えねえ奴のために金をやるほど有り余ってる訳じゃねェ。それでもやるか?」
「……考えさせてください」
「慎重だな。……まあここで即答されても、今日はもう遅いからジジイには会わせられねェからいいんだが」
「ありがとうございます。明日には結論を出したいと思います」
「ああ、てめえの人生だ。ゆっくり考えろ」

土方さんは鋭い目に似合わない柔らかい視線を注いでいる。煮え切らない回答にてっきり苛立つと思っていたのだけど、予想外の目に少し驚いた。決して悪いことではないのに、座りが悪くなるような、それでいて不快ではなくて、こそばゆいような。胸の内に湧いたこれは一体なんだろう。

胸の内に湧いた感情に名前をつけることができないまま、ラウンジを後にした。
prev
4
next

Designed by Slooope.
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -