夢か現か幻か | ナノ
Nicotiana
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黒い輝きを跳ね返すプラスチックの銃把を握る。そして、白い点が二つ並んだ照門から銃口の上辺りの突起に刻まれた白い点を左目で覗き込む。そのさらに先には人形を模した的に人質と犯人が描かれている。狙うのはもちろん犯人の急所だ。

引き金の遊びギリギリまで一気に引いて、そこからじわりと引いていく。闇夜に霜の降るが如くと字で書くのはとても簡単なのだけど、自分でやるととても難しいとすぐに分かる。

ガスが前方に噴き出して、耳栓をしていてもはっきり聞こえる爆発音と、弾丸が音速を超える事による衝撃波が射撃室に響く。スライドが後ろに滑って排莢口から空薬莢を吐き出す。コンクリートと小さい金属がぶつかる高い音が鳴ったに違いなかった。

それをスライドが後退して戻ってこなくなるところ、つまりは弾切れまで繰り返す。

無心に。いつか本当に撃つ時は、これが本物の人間なのだと考えながら。

スライドが最後まで戻り、薬室が丸出しになる。スライドストップによってスライドの動きが止められている。弾切れだ。拳銃を置いてイヤーマフを外す。後ろで教官というか沖田さんがリモコンを操作して、的の位置を手前に寄せた。

「15発中、12発命中。致命傷は6。あと人質に命中が3」
「う」
「これ見てみろィ。コレなんか人質の眉間に当たってらァ」

近くで見せてもらった的には、たしかに人質の絵に当たっているのがある。内1個は眉間だ。逆にすごくない?けど、これ実戦だったらとんでもない事になってたな。訓練で良かったと思いたいけれど、静止した的でこんなのなんだから、実際に動く人間に当てるのがいかに難しいか……。レイバーのコクピットに当てない某巡査がとんでもない事がよく分かる。

「人質奪還作戦じゃぜってーお前に銃握らせられねェな」

人の失敗をニヤニヤ笑う悪趣味な男は土方さんだ。さっきまで煙草吸ってくるっていなかったくせに。地下の射撃室はもちろん禁煙だ。さしもの土方さんも爆発オチ要員にはなりたくなかったらしい。

「そう言うなら副長も撃ったらどうですか」
「俺ァコイツがあるからいい」

大きな手でかちゃと鯉口を切る。薄暗い射撃室の明かりを跳ね返す鋼。まあアンタはそうでしょうね。というか、あたしだってできればやりたくないのだけど、土方さんやら近藤さんやら沖田さんの分の弾薬を消費してくれと頼まれればやるしかない。あたし、医者なのであって、雑用係じゃないんですけれど。

内心でぼやくあたしを他所に、沖田さんがバズーカを構えた。照準器越しに見据えているのは、間違いなく土方さんだ。

「じゃあ、こうしやしょう。俺がこのバズーカで土方さんを撃ちますから、土方さんは砲弾を斬ってくだせェ」
「お前どさくさに紛れて俺を暗殺する気だろ!?」
「被害妄想でさァ」

命の危険を感じた土方さんは持ち前の俊足で逃げていく。沖田さんもバズーカを担いだまま全力で走り出した。あれ16kgくらいあるんだけど、それ持って土方さんを見失わない速度で走るって、やっぱりヤバイなあの人。

射撃室には困った顔の近藤さんとあたしが残される。

「いや、すみれ先生は勉強熱心だ。俺達ゃなかなか銃を握る気にはなれなくてな。距離を取れる分有利だとわかっているんだが……」
「うーんそうでもないですよ。とある惑星の警察のデータでは、警官が発砲した際の距離ごとの命中率なんてものもありますが、2メートル以内のごく至近距離でも4割弱しか当たらないそうです。アサルトライフルならまだしも、銃床のない拳銃なんてそんなもんです」
「ふむふむ」
「白刃戦が少なくない今の現場で拳銃を敢えて持つメリットは感じないです。アサルトライフルなら分からなくもないですけれど、訓練やら弾薬やらの費用対効果を考えるとどうなんでしょう?」
「トシはいらねェって言ってたな」
「私もそう思います。なにより個人的な感想ですが」
「うん?」
「皆さん銃を持つよりも刀のほうが似合います」

近藤さんはガハハと笑った。

*

シガレットケースからシガリロを一本取り出してライターで先を炙る。黒焦げになったあたりで口に咥えて火を点ける。口の中に何とも言えない苦味が広がって体の強張りが解れた。煙を吐き出すと、なんだか火山にでもなった気分になる。訓練上がり、貴重な休憩時間の一本は美味い。休憩が終わったら論文を読んで、何事もなければこのまま帰宅だ。今日は懐も温かいし、終わったら何処かへ飲みに行こうか。

「似合わねーな」

いきなり失礼だなと思いつつ振り返れば、予想通りの人がいた。普段は副長室の灰皿に山を作るこの人がわざわざ喫煙所に立ち寄ったって事は煙草の補充か気分転換か。

「そういう副長は似合いますね、煙草」
「煙草咥えて喋ると落っことす小娘とは違うんだよ」
「ハイハイどーせぶきっちょですよ」
「第一、医者が煙草ってどうなんだ」
「土方さんと違って肺までは吸い込んでないので、肺に限ってはリスクが小さいです」
「口腔と咽頭のリスクは変わんねェだろーが」

フィルター付近まで燃え尽きた煙草が灰皿に落とされる。用済みとなった煙草は汚水の上で少し煙を出して、やがて消えた。へこんだ箱から新しく一本取り出すと、口に咥えて、空いた手でライターを探す。けれど彼の上衣のどこにも目当ての品はないらしく、あからさまに不満そうな顔つきになった。……丁度いい機会なんじゃなかろうか。

「あー、クソ、さっき総悟にぶっ壊されたんだった」
「ライター貸しましょうか……ってあれ?」
「オイル切れたか?」
「多分フリントがヘタってるんだと思います」

実は何度か粘ればまだ点くんだけど、いい加減この人も減煙したほうが良い。できれば禁煙して欲しいけれど、いきなりは難しいだろうし。

「確か食堂にマッチあったな」
「沖田さんがマッチでなんか作ってて、それで全部使い切ってました」
「じゃあチャッカマン」
「今日の昼、食堂のおばちゃんが切らして嘆いてました」
「クソ、山崎が戻ってこりゃこんな……」

残るはあたしが咥えている一つしかないけれど、流石にそんな事しないだろう。というか、イラつき具合的に山崎さんが可哀想なことになる予感がする。意地悪はやめよう。

「あ、火点きました」
「悪ィな」

ライターを少し高く掲げ、あちらはちょっと屈んで身長の差を埋める。ふう、と一息つくと紫煙を吐き出した。

「肺まで入れちゃって大丈夫ですか」
「両切りとか葉巻じゃねーんだから口腔喫煙だけじゃ足りねーよ」
「やめてくださいね。討死ならまだしも肺癌で死ぬなんて」

あたしの言葉はハイハイと受け流される。本気で心配しているんだけども。

「そういえば煙草の火から煙草の火を貰うのってなんて言うんでしたっけ」
「シガーキス」
「そうそれでした。この前の映画で見たんですけど、かっこいいですねああいうの」
「まだるっこしいだけだろ」
「そりゃそうなんですけど」

ふと気づいて腰にぶら下げた時計を見ると、夕方ごろを示している。ここには窓がないから外の景色は分からないけれど、きっと夕焼けに覆われているに違いなかった。

「もう夕方ですよ土方さん」
「もうそんな時間か」

休憩終了とばかりに灰皿から離れて新たな煙草を買っている。赤マヨのソフトだっけか。この人の年間のタバコ消費額で何が買えるか、ちょっと考えてしまう。リゾート地として名高いワイハー星くらいには行けるんじゃなかろうか。

あたしの考え事を知ってかしらずか、早速フィルムを剥いで一本取り出して咥えてこっちに寄ってくる。

「はいはい火ですね」

パタンと蓋が閉じられてせっかくつけた火が消えてしまう。あれ?

「火ィ寄越せよ」

なんで?ずずいと近づく顔から飛び退る。会話ついでにシガリロを口から外す。

「いやそういうのは原田隊長とやってくださいよ」
「何が悲しくて野郎の顔に近づかなきゃならねーんだ」
「一緒に映画見に行くのに?」
「それとこれとは話が別だ」
「いい加減禁煙したらどうですかニコレット処方しますよ」
「あんなの気休めだ」

シガリロを咥えさせられ顎をすくい上げられるともう抵抗する気が失せた。シガリロの燃焼時間は普通の葉巻よりだいぶ短い。さっさと終わらそう。

煙草は吸いながら火を点ける。だから彼が吸うのに合わせてこちらも息を吸えばいい。マッチやライターの火が葉巻の火に変わっただけだ。

呼吸のタイミングを伺うためにニコチン中毒者を見上げると、彼は伏し目がちに揺れる煙草の火を見つめていた。どこか物憂げな表情が揺れる炎に照らされる。それが信じられないほど間近にある。きっと苦しいのは肺に煙が入ってるせいだけじゃない。咳き込みそうなのを気合いで堪えながら吸う。葉巻は肺まで吸い込むもんじゃない。

ジジ、と乾いたものが燃え始める微かな音が喫煙所に響いて土方さんのマヨボロに火が点いた。体が離れてくれたことに安心しながら咳き込む。肺からニコチンが一気に回ったせいで、頭がくらくらする。こうなるとこれ以上吸っていられない。勿体ないけれど、これは灰皿へ。

ヤニでベタつく壁に寄りかかる。家に帰ったら速攻でお洗濯だ。

希矢素絶キャスターみたいな味になっちまった」
「そりゃバニラフレーバーですから」

一吸いしてしかめっ面。フレーバーの葉巻から火をもらったら、そりゃそうなりますとも。

「お前こんな甘ったるいの吸ってるのか?」
「文句があるのなら、消してくださってもいいんですよ」
「いや吸う」

希矢素絶も割と吸うしマヨボロだってちょっと甘いし、この人は甘い煙草そんな嫌いじゃないんだろうな。でも羅亜久ラークはそんなに好きじゃなかったんだっけか。チョコレートっぽいのがお気に召さないとかなんとか。

「じゃあ、ライター買ってきますから」
「いい。ライターの替えは山崎に買いに行かせてる」
「待てなかったんですか」
「帰ってこねェ」
「その辺の河川敷探してきましょうか」
「いや、俺が直接折檻する」

あらら。ニコチンを補充しても彼の怒りは収まらなかったらしい。あっという間にフィルター近くまで灰にした煙草を灰皿に落とす。そして外に向かって歩きだしてしまった。まるで一連の出来事がなかったかのような対応に、ちょっと意地悪したくなる。

「うら若き乙女の初キス持ってっといて淡白なんですね」

土方さんは激しく咳き込んだ。自販機で買った水を手渡すと一気に飲み干される。フリントホイールを回す。何度も、粘り強く。

「ばッッッ。あれは、ただ、火ィ貰っただけだろーが!」
「ジッポーの火ついてたのに?」

目の前でシガリロのフットを炙って、先端に火をつけてみせる。ふかした煙を顔に吹きかけると露骨に嫌な顔をされた。

「俺は――」

彼が何かを言いかけたところで、空気をぶつ切りにする着信音。出れば急患で手がいっぱいいっぱいなので来て欲しいとのこと。元いた場所なら専門医くらいは必要なんだけど、医者の絶対数が少ない今ではそんな贅沢を言ってられないようで。

「今日は討ち入りないですよね」
「あ、ああ」
「過激派の情報は」
「今のところない」
「行ってきてもいいですか」
「ああ」
「ありがとうございます。呼ばれちゃったので、これで。お先に失礼します」

シガリロを捨てて、早足でバイクを置いている駐輪場に向かう。その背中に何かを投げかけられた気がした。

*

「どっちが淡白なんだか分かりゃしねーよ」

遠ざかる背中に文句を言ったところで、既に急患のことで頭がいっぱいになっているであろう小娘に届くはずもない。喫煙所を出る。障子の影に、買い物に出たっきり戻らなかった山崎が気まずそうな顔で突っ立っていた。

「山崎ィ、買い物にいつまでかかってるんだ」
「ずっと居たんですけど、入りにくくて」
「んなこたァ知ってんだよ。おいさっさとライター寄越せ」

敵意には鋭くとも気配には鈍い阿呆は見落としていたが、ずっといたのだコイツは。短くなった煙草を消して、新たに一本取り出すと、出ていったやつと同じようなことを言われる。

「そういえば、ライターによって味が変わるんですよね」
「ああ」
「ライターとさっきの、どっちが旨かったんですか?」

ニヤニヤ笑いの山崎をどつく。

「誰があんなの二度もやるか。しかもマズいフレーバーの葉巻なんざ吸いやがって。クソ、マヨボロの味が台無しだ」
「へーそーなんですかー」
「何だその態度は。この際だ、道場来いよ付き合ってやる」
「あ、仕事思い出したんで失礼します!」

逃げ出した山崎を追うでもなく、屯所の廊下を歩きながら空を見上げる。エンジンのごつい音が夕暮れの空に轟いた。
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