夢か現か幻か | ナノ
Throw down
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大江戸病院あっちが終わったばっかなのに悪いな。ちょっといいか」
「きゅーかんですか」
「ああ、今から言う場所に車回してくれ。安全運転で」

寝入りばなにコールがかかり、神田川のとある橋の名前を言われて、濃いめのブラックで眠気をごまかしつつ現場に急行すると、河原にぶっ倒れた近藤さんとそばで困ったように立っている土方さんがいた。殴られた痕がある。ずいぶんこっぴどくやられたな。

「相変わらずの荒さだな」

非難めいた視線にいたたまれなくなって目を逸らす。普通に運転しているつもりだけど、周りの人にとってはそうじゃないようで、大抵の人が二度は乗りたがらない。それは目の前の土方さんも例外じゃない。免許取ってから初めて乗っけたら、「道交法は守ってんのになんでこんな恐ろしい運転になるんだ!?」と怒られた。

思い出したら腹が立ってきたので、意識を確認するのも少し雑になるし、出てくる言葉も自然と刺々しくなる。

「気絶しているだけじゃないですか」
「まァ落ち着けや」
「なんで私が?」
「近藤さんが汚い手使われて負けちまったなんざ隊士共に言えるかよ」

そりゃそうだ。二人がかりでえっちらおっちらパトカーに押し込みながら、土方さんの説明に頷いた。確かに、そんな事実が隊士の皆さんに知れたら、あっという間に魔女狩りが起こりそうだ。関与を否定する人まで叩きのめしたりする人達なんかじゃないのはよく分かっているけれど、今回は局長である近藤さんが絡んでいる。事が事だけに、下手人を探し出すためになりふり構わない可能性はある。土方さんはそれを危惧しているんだろう。

「で、箝口令を敷いて、副長はどうなさるおつもりですか?」
「喧嘩の相手を見つけてたたっ斬る」

うん。清々しいまでにいつも通りだ。他の人達みたいにおおっぴらに探さないだけで、この人も大してやる事変わんないじゃん。それだけ土方さんにとっても、他の人達にとっても真選組が、近藤さんが大事なんだろう。ふんふんと頷いていると、土方さんは少し不満そうな視線。この状況で頭に血が上らないタイプの人間を選出したくせに、なんで不満そうなんだろうか。

「お前はなんとも思わねェのか」
「うーん。勝負事は必ず敗者が出るものですし、今回は近藤さんだっただけかなと。結果としてこの通り生きていますし、万事オッケーでしょう」
「その考えがどうにもいけ好かねェ」

ドアが閉まる音がいつもよりも硬く尖っている。土方さんの苛立ちが音になったみたいだ。

男心はフクザツだ。武士道とか誇りとか、あたしには理解が難しい事で埋め尽くされている。対するあたしは死んで花実が咲くものかを地で行く人生だ。死んでしまえば汚れを払う事だってできやしない。言い換えると、どれだけ恥辱に塗れようと生きてさえいれば何かができるって事だ。少なくともあたしはそう信じている。

それ以前の問題もある。あたしは、そもそも汚いだのなんだのと論じる立場にない。

昔、討ち入りへ参加する条件として土方さんから一本とった時、一応あたしは知らなかったとはいえ、屯所の全員がグルになって土方さんに不利に働きかけていた。いくら近藤さんの事でも、自分のために泥を被った人達を否定できない。

「あの人は、自分の面子だとか見栄だとか、そんなもののために生きているわけじゃない。守るべきもののために生きている。だから、あたしは、近藤さんが無事で良かったと思います」

ちら、と見た横顔は険しかった。かこんとギアを入れてなめらかに発車するパトカー。白目をむいている近藤さんが後ろにいるせいか、いつもよりも加速が穏やかだ。

「……やっぱりお前も女だな」

エンジンの唸りの中に、そんな言葉が混じっていた。貶されているとしたら立派なセクハラ案件だ。でも、もはやトレードマークになってしまっている煙草を少し上下させながら届けられた言葉にそういった意図は感じ取れなかった。どちらかというと、思考の違いを認識してなんか考えていそうな感じのニュアンスだ。性差で不意に思い出すのは、討ち入りに参加させたがらない彼の考え方。

「まーた変な事考えてます?私をクビにしよう、とか」
「俺ァ職務を全うしてるだけだ」
「喧嘩は職務の内に含まれると」
「桜ノ宮『先生』、減らず口を治す特効薬ってのはないのか」

近藤さんが唯一かつ絶対の彼は、真選組内部の人間がどれほど優秀な人間であっても、地位が下ならばそう扱う。それは近藤さんが先生と呼び慕う伊東さんでさえ例外ではない。それはあたしも正解だと思う。この小娘はともかくとして、伊東さんを先生と呼んでいると、指揮系統に混乱が出るんじゃないかってこっそり危惧していたり。まあ、土方さんが健在なうちは大丈夫、かな。

そんな彼があたしを先生とねちっこく呼ぶ時は大抵嫌味だ。なら打ち返しも自ずと決まってくる。

「生憎と、副長が佩いているものしか知らないですね」

なるほどな、と信号待ちで車内の保持具に差した愛刀の鯉口をかちゃかちゃさせる鬼の副長さん。この人に抜刀させたらその段階で負けだよなあとぼんやり考えた。抜刀術は経験が浅いせいかあまり得意とは言えない。むき出しの真剣片手に治療なんて無理ゲーなので必要な事のほうが多いのは分かっているんだけども。

「そういえば、近藤さんの喧嘩の相手、分かってるんですか?」
「いや……銀髪の侍だって事しか分からねェ」

銀髪?ごく最近出会った、年下に集るダメ人間に該当者がいる気がする。彼も銀髪で一応侍だ。……まさか。そんな偶然がある訳ない。きっと別人だろう。そう思いたい。

敢えて見逃した土方さんは釣りの疑似餌程度にしか思ってないんだろうけど、あれは釣り糸を切るどころか海底の岩に絡まってコッチまで底に引きずり込むタイプの人間だと見た。端的に言えば、トラブルメーカーだ。しかも特大の。ああいう手合いには可能な限り関わらないのが安全だ。

浮かんだ懸念を見透かされないように、近藤さんの容態を確認するふりをして後部座席を振り返った。大丈夫だ。白目は変わらないけれど、息はしている。検査にかけないと詳しい容態はわからないけれど、多分死ぬほどの怪我じゃない、と思う。

「そんなの江戸中探したらいくらでもいるでしょ」
「だよな。ま、地道にやる」

開けられた窓から煙が逃げていった。

*

翌朝、屯所は蜂の巣をつついたような大騒ぎになっていた。

「すみれ先生!近藤さんが卑怯な手を使われた上に負けたって本当ですか!?」

朝から近藤さん敗北の話題で持ちきりである。普段は雑に扱われているけれど、なんだかんだ慕われている人だからこうなるのは目に見えていたというのに、どこの誰が漏らしたんだろう。返答次第では更に油を注ぎそうな感じがする二日酔い常連の佐藤くんから視線を逸した。

もちろん副長に硬く口止めされているから肯定も否定も出来ない。嘘を吐く時の癖だという耳たぶのピアスをいじりそうになる手をぎゅっと握った。……癖をこらえるとそれはそれで妙な感じになるんだな。

「い、いや、知らないです……」
「でも沖田隊長が拡声器で!!」
「こ、これから会議なので失礼します!」

佐藤くんから逃げ出して廊下を走り抜けながら考える。

なんで。なんで?屯所に待機している隊士達に見られないように、細心の注意を払って戻り、何食わぬ顔で近藤さんのちょっとおっさん臭い布団を敷いて寝かせてきたのに。あたしは全く何も喋ってないので、漏洩元は限られてくる。土方さんか、どこかで見ている人がいたのか、それとも街の人の噂を拾い上げたのがいたのか。いずれにせよ面倒な事態に発展した。

会議室の前を通り掛かると、まだ始まってもいないのに随分白熱した様子なのが分かる。この中にいるのは、隊の中でも隊長を任されるいわば幹部陣と山崎さんだ。その中でもかなり古参で近藤さんへの忠義の厚い男、原田隊長は怒り心頭といった様子だ。燃え盛る炎に突っ込む勇気が出なくて襖の前で立ち往生していると、紫煙が香る。チンピラと煙草はセットなのでこの組織もそれなりに喫煙者が多いけれど、吸ってもないのに匂う人は土方さんくらいなものだ。

「おい、なにしてる」
「副長。なんか面倒な事になってますよ」

土方さんはあくまでクールに、「知ってる」とだけ返した。ここに来るまでの道中でそれなりに騒がしかったから知ってて当然か。

「俺はシラを切るからお前は黙ってお茶汲みしてろ」

あたしに聞こえるギリギリの低声でそう言ったかと思うと、いつも通り襖を開け放った。会議の時間より少し早い。お湯を沸かす間に書類をさっと揃えて土方さんに手渡したりレジュメを配布したりと動き回る。あれ、なんで土方さんの秘書みたいな仕事までやってるんだろう……?

「よーし、揃ったな。これより会議を始める」

と、土方さんが開会を宣言したのもつかの間、淹れたお茶にも手を付けず、複数名が同時に口を開いた。内容は屯所内の騒ぎと全く同じ。どこでそんな訓練をしてきたのか、彼らはタイミングもセリフも寸分違わず同じだ。土方さんは襖の前で耳打ちしたようにシラを切るけれど、隊士達は半信半疑だ。これ誤魔化しきれなくね?

というか。

「あれ、女の人を賭けた決闘やったんですか」

思わず、あっちゃーと口元を抑える。全員の視線が集中してますますバツが悪くなる。でもこれ言わないわけにはいかないよなあ。こういうのは後から露見するほうがダメージがでかくなるんだ。ホウレンソウ大事。

「えーっと、この前、近藤さんが私に『好きな女性に男がいるかもしれない』ってメールで相談してきて」
「歯切れが悪い。さっさと言え」
「あの、その時死ぬほど忙しかったので『じゃあ略奪でもしちゃえばいいんじゃないですか』って送っちゃったんですよ」
「へーそうなんだー……ってアホかぁぁぁ!!!!」

机を激しく叩いてノリツッコミ。湯のみが飛び跳ねる。やっぱり怒られた。手に持ったお盆で顔を隠す。

「お前が火種かァァァァ!!!」
「流石は恋愛敗北者ラブバスターのすみれ先生。タメになるアドバイスですねィ。もっとも近藤さんには適さねェが」
「そうですね。私もそう思います。弁明させてもらうと、あの時はお昼をかき込むのに忙しかったんです」
「だからって略奪勧めんなや!!!」
「それは申し訳ありませんでした。でも私も少し気になっている事があるんです」

ほんの一瞬、土方さんがたじろいだ。しかし、流石の副長サマ。すぐに立て直して、鋭く睨みを効かせる。ただ、直前の動揺のせいで威力は半減している。

「この件については我々の間で内密に処理する手筈になっていました。それが漏洩しているのはどういう事でしょうか」
「俺だって知りてェよ。誰だ、くだらねェ噂たれ流してんのは」

隊長一同が指し示したのは暢気にお茶をすする沖田さんだった。土方さんがじろっと視線を向けたのにも動じず、それどころか意地の悪い笑顔までくっつけて、情報源を暴露した。やっぱりリーク元は土方さんだった。

「なんだよ結局アンタが火種じゃねェか!!」

「コイツにしゃべった俺がバカだった……」とうめいて頭痛を堪えるように額を抑える土方さんへ、隊長達の非難の集中砲火が浴びせられる。リークしておきながらシラを切ったせいか、それとも日頃扱かれているせいか、かなり苛烈だ。

それにしても沖田さんのドSって誰にでも向けられるんだな。ここまで平等だと、いっそ救世主なんじゃないか、なんて。ドエス・サディスト的な。……ないな。ナイナイ。この人が救世主になる世の中なんて末も末、地球が終わるレベルの状態に違いない。

防御陣地への砲撃を眺めるような気分で彼らを見守っていたけれど、そろそろ土方さんのこめかみが限界に近づいている。爆発に巻き込まれたくないあたしはそっとちゃぶ台から離れた。隊長の一人が噂の真偽を問いただしたとき、雷管に撃針が落ちた。

「うるせェェェぁぁ!!」

土方さんに蹴り上げられ、がしゃんとひっくり返るちゃぶ台。そして宙を舞う熱々のお茶が入った湯呑。煙草の灰が空中に漂う。

土方さんが強権を発揮して隊長達を黙らせた形になる。横暴だ。土方さん以外の全員と意見が一致したと思う。もっとも、喋ったら今にも首を切られんとしている山崎さんみたいになるから何も言えないけれど。

「ウィース」

そんな声とともにやってきた近藤さんの頬には、勲章とばかりに昨日の怪我が残っている。それを見て毒気を抜かれてしまった土方さんは、ため息をついて山崎さんに向けていた刀を下ろした。

*

レセプトの始末とか色々片付けていたらあっという間に夜になっていた。真選組に委託されて医療行為を行っているのが岩尾診療所で、岩尾先生は忙しいので岩尾診療所からあたしが派遣されている、そんな立ち位置だ。なので、点検まで済ませたレセプトは岩尾先生のところに送信すればいい。しかしこれが結構めんどくさい。なんせ普段も(忙しい時は)忙しいのに、その上患者の容態と行った治療がちゃんと合ってるかどうか確認作業をしないといけないのだ。毎月初旬は死ぬような忙しさの中にいる。ちなみに医療事務なんてものを雇う余力はない。

廊下に出ると都会のぬるい夜風が頬をなでた。殺気立っていた隊士達は、なぜだか大人しくなっている。なんだかんだ土方さんの統制が効いたのかしら?

「レセプトの確認、終わりました」
「ご苦労だった。明日は休みにしてやるから帰って寝ろ」

オンライン処理のレセプト提出をわざわざ副長室にまで報告しにきたのは、もちろん勝負の結果を聞くためだった。レセはあくまで口実だ。

「で、どうだったんですか。戦ったんでしょう?」
「負けたよ」

書類を片す彼は、妙に清々しい顔をしている。だからケリが付いたんだろうな、と思って聞いてみればこれだ。あの超が付くレベルの負けず嫌いがあっさりと負けを認めてこの表情って。明日は槍が降るのかも。

「ま、負けちゃったんですか!?」
「ああ。俺の刀がパッキリだ」

許可を得て、彼の刀を見せてもらうと、確かにパッキリだ。すごい太刀筋だったんだろうなと上唇を舐める。いいな、近くで見たかったな。やっぱり見廻りに付いていけばよかった。いやレセプト後回しにすると悲惨な目に遭うしな。岩尾先生に迷惑がかかっちゃうし。でも、あー、見たかったなあ。

「すごいですねコレ」
「それもすごいが、あの野郎、全然違う場所で戦ってやがった」
「……?」
「こればっかりは、野郎と刃ァ合わせねーと分かんねェだろうな」

全然違う場所というのが、よく分からない。きっと、ロケーションという意味ではないはず。多分、精神性とかそんな感じのものを指しているのだと思う。それ以上の事は分からなかったから話を変えてみる。

「その方、やっぱりすごくお強いんですよね」
「喧嘩売るつもりか?悪い事は言わんから止めとけ。お前にゃ無理だ」
「へーそんな方がまだ在野に残っていたなんて知りませんでした」
「ありゃあ残りは残りでも売れ残りだろうがな」
「はあ」
「ホラ、アイツだよ。池田屋で爆弾処理した白髪の天パ」

あ、やっぱり坂田さんだったんだ……。ああ、と頷くと、想定外の反応だったらしくて、目を丸くしていた。

「知り合いだったのか」
「ちょっとした縁で」
「つるむ奴は選べよ」
「まあ面白ェ人だとは思いやしたがねィ」

いつの間にか副長室に入ってきた沖田さんが部屋の真ん中で胡座をかいた。部屋の主人のような振る舞いに、本来の主人は顔を引きつらせた。それでも怒らなかったのは多分沖田さんのそばに近藤さんがいたからか。いや、めんどくさいだけかも。

「仕事はどうした。始末書溜まってんぞ」

沖田さんは知らぬ顔をして口笛を吹いている。近藤さんが窘めても目を合わせない。沖田さんもあたしもああいう書き物嫌いだもんなあ。沖田さんは純粋にめんどくさくて、あたしは判読不可能なレベルで字が汚いから。

「近藤さんはさっさとそれ治してくれ。大将のアンタがそんなんじゃ締まらねェ」
「悪いなあ」
「コレばっかりは自然治癒に任せるしか」

土方さんもそれは理解しているのか、ため息ひとつでこの話を終わらせた。

「ま、なんにせよ次はぜってー負けねェ」

負けず嫌いの宣言に、沖田さんと近藤さんと顔を見合わせる。そして、副長室に朗らかな笑いが満ちた。
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