夢か現か幻か | ナノ
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「鈴蘭って太夫知ってるか?」

白夜叉、もとい万事屋の旦那の話は突飛なものが多い。それだけこの人が妙な事に巻き込まれるってことなんだけども。

さて、この男、今度は何を背負い込んだのやら。なんにせよ、花魁なら吉原だし、吉原には自警団がいるから真選組の管轄じゃないし、自分達には関わってこないだろう。

「はぁ、鈴蘭?……ってなんで花魁の事を女のあたしに聞こうと思ったんですか」
「あれ、どっちもイケるって前飲んだ時に話してなかったっけ」
「それは事実ですが、買いはしませんよ。……ああ、でも、ウチの隊士が鈴蘭の伝説めいた事を言っていたような」
「マジで!?誰?」
「ウチの隊士も、親か祖父あたりから聞いたって言ってましたので……」

旦那はだろうな、と頷いた。彼女の年齢がいくつかは知らないが、隊士が相手をしてもらったような口ぶりではなかった事から、相当な高齢であると予測される。それこそ死んでもおかしくないような。

「ババアの歳からして、現役の頃に客だった奴はそのくらいか……」
「伊坂さんなら知ってたかもしれないけれど、あの人もう……一応病棟でもそれとなく聞いてみましょうか?」
「おう、頼むわ」
「報酬は出羽桜のワンカップでいいですよ」

出羽桜の大吟醸は水を飲んでいるようにスルスル飲めるやばいお酒だけど美味いんだこれが。しかも高級ってほど高くはない。だけど旦那にとってはそうじゃないようで、不満顔だ。

「ハァ!?アレ、ワンカップの分際で缶入りな上に安いやつの倍するじゃねーか!」
「じゃあ北部美人で」
「情報一つでどんだけ吹っかける気だ!ガキみたいな見た目の癖して舌肥えすぎなんだよ!小関のワンカップでいいだろ!」
「ええー?今までに肩代わりしてあげた飲み代、耳揃えて払ってくれるんですかぁ?」
「借金の話持ち出すなんざ、きたねーぞ幕府の犬の癖に!!」
「世の中の殺人の理由の大部分は義憤や怨恨ですよ。だからそれらの元になりやすいお金の貸し借りは厳密にしたいんです」
「すみれ先生が言うと説得力すごいね」

「ということでお金」と手のひらを出すと、レシートを置かれた。人の手のひらはゴミ捨て場じゃない。無理やり旦那の懐にくしゃくしゃの感熱紙をねじ込んだ。どうせ返ってこないことは分かっていたので、そこまで怒ってない。

「じゃあお酒も飲み代も今は結構ですので、今度飲みに行きましょうや」
「……ならいいけど」
「約束ですよ」
「へいへい」

「じゃあこれで」と一言残して土の道を踏みしめ歩き去る。去り際の背中に、「約束なんざしなくても、いつでも付き合ってやるよ。会計がそっち持ちならな」と嬉しいんだか腹立たしいんだか微妙な言葉が投げかけられた。大勢と飲むのはそこまで好きでもないけど、一人で飲むのは少し寂しい時もある。土方さんとサシとか結構楽しい。静かな雰囲気がいいんだなこれが。

旦那から離れて、足を止めて、思案する。晴れた空にも関わらず、なぜか嫌な予感がするのは、なぜだろう。なぜか理由もなく、悪い予感を覚えていた。忘れている情報の中に、無意識に引っかかるものがあったのかもしれない。それか、旦那が関わる事象はだいたい厄介事だという経験則の為せる業か。

なんにせよ、鈴蘭という花魁、彼女が鍵なのは間違いない。あたしの方でも調べてみようか。

*

「はい、吸って、吐いてェ、吸って、はい止めて……」

指示通りに呼吸や拍動を聞かせてくれる隊士。規則的な拍動と、濁りのない呼吸音をひとしきり聞いて、耳から聴診器を外す。周辺の骨を指で軽く叩いて、異常がない事を確認して、そして顔を上げた。不安そうな面持ちの隊士を安心させたくて、笑みを見せると、彼も釣られて笑顔になってくれた。

「打撲ですね。骨折はしてません」
「よかった……」
「沖田隊長の一撃を食らってすぐ起きられるのすごいですよ。私なんて、最初の頃は顔にもアザこさえて、夜は疲れてご飯も食べられずに寝ていましたから」
「ああ……」

そういえば、鈴蘭の話をしていたのはこの人だったかな。稽古の弾みで怪我をした彼の手当をしながら、世間話程度に鈴蘭の話を出していこう。別に捜査じゃないし、依頼されたわけでもないから、そんなに深刻そうな空気にはしない。

「そういえば、鈴蘭ってご存知ですか?」
「鈴蘭、ですか」
「はい。そういえば、前に話していらっしゃったのをもう一度聞きたいなと思ったんです」
「いや、俺も鈴蘭に相手してもらった訳じゃないっすよ。鈴蘭は爺さんぐらいの世代の遊女だし」
「そうなんですか」
「はい。その爺さんだって鈴蘭は高嶺の花だったそうです」
「まあ」
「せいぜい足軽でしかなかった爺さんには、とてもとても会えるような遊女じゃなかったとか」
「旗本でも貧乏だったら厳しそうですねそれは……。じゃあ、もうとっくにどこかのお金持ちにでも落籍されて、老衰でお亡くなりになっていてもおかしくなさそうです」
「あ、いや、それ以外にも一つ聞きました。鈴蘭の噂」
「なんと……?」
「ある時から、鈴蘭のお客が居なくなったって」
「なぜ?」

遊女屋にとっても鈴蘭は金のなる木のようなものだっただろう。だから性病や事故なんかで彼女がお客を取れないような状態にはしないはずだ。それに人間の欲は尽きない。性欲なんて生物の根幹に関わるものなんて特に。だから財布になる男が居なくなった訳でもないだろう。

きな臭い、というか血生臭さすら感じる。自分の嗅覚が危険を訴えかけている。地雷原を歩んでいるような気分。弱者のこういう予感はよく当たる。

「確か……やんごとなきお方が鈴蘭をいたく気に入ってるって噂が流れたからだったかと」

やんごとない方。一応2000年以上続くとされるお家のあの方とか、それか……江戸城におわすあの方か。立地からして、京のあの方は少し遠すぎるから、先代将軍の方が自然だ。確かあの方は大層な遊び好きで、多数の側室を抱えていたのだとか。そんな人間なら傾城とすら呼ばれた女性に首ったけにもなるだろう。

しかし疑問が残る。将軍ともなれば、蓄えた財は相当なものなはず。いくら売れっ子遊女であってもお金を積んで落籍できるはずだ。

「でも、ならばどうして身請けしなかったんでしょう」
「そりゃあ、そのくらい身分が高いなら、何かとしがらみもあるんじゃないですかね」

それを乗り越えるのが愛だと思うんだけどなあ。そう思うのは夢を見すぎているのかな。そう思うのは隊士の方は立場を分かっているような顔つきだからだ。

「それに、その頃吉原で死んでしまう大名が多かったようで……」
「そういえば、そのくらいの頃でしたっけ。大名や公家までもが大量粛清されたのは」
「先生も警備なんかで付き合うから知っているかと思いますが、吉原って幕府高官とかの接待に使うんですよ」
「男の天国吉原であの世に送られた大名……」
「……なーんか、先生の話を聞いて、冷静に考えると、急に寒気がしてきました」
「私も嫌な予感がします。完全にアンタッチャブルな案件ですよコレ」
「誰も聞いてませんよね」
「多分大丈夫です。この件はお互い忘れましょう」

この時は忘れ去る事に二人同意した。触らぬ神に祟りなし。君子危うきに近寄らず。わざわざ見えている地雷を踏んづけに行く必要はないんだ。

隊士達とそんなやり取りをしたのが数日前。

大江戸病院に運び込まれてきた急患の顔を見て、いかなる時にも平静を保つという医者としての心構えを忘れて、あっと声を上げてしまいそうになった。

血と泥に塗れた白い制服。レンズに傷がついて、その溝に血が溜まったモノクル。やや面長の、昼行灯めいた顔。沖田さんよりも更に薄い色彩の髪の毛を後ろに撫で付けた男だ。見覚えがある。

見廻組の局長・佐々木異三郎だ。

右胸部に刺創。この綺麗すぎる傷口は刀によるものか。急所は外しているからか、貫通しているにも関わらず出血はさほど多くない。緊張性気胸の兆候も見られない。この場所ならば急所を避けたと言えるのだが、佐々木は地面に倒れ込んだのか、白い制服の前身頃が土まみれになっている。自分は視察の際にこの男と手合わせしたから知っている。この程度の怪我で昏倒するはずがないと。考えられる可能性の一つを口にする。

「毒物、神経毒では」
「それはマズいな。血液を検査に回して!それと輸液急げ!」
「交差試験は」
「省略でいい!」

処置室が戦場のようだ。自分もその中で走り回る。

しかし、あちらの火線救護要員もいい仕事をする。チェストシールも適切に貼られているし、イスラエルバンテージもうまく使えている。医師免許がない人ができる処置の中で最良のものだ。

理知的な外見の、線の細い男が処置台の傍らに付いている。医術開業試験合格に向けて勉強中だという見廻組隊士だ。名前は桜井といったか。彼が見廻組の怪我人を前線より救護する任を負っている。普段は氷のように冷たい彼の横顔には、いつになく焦燥の色が浮かんでいた。

「俺が執刀するから、桜ノ宮先生は状況聞いといて」

センター長はそれだけ言い残すと、風のように手術室に吸い込まれていった。確かに今日は十分手が足りてるし、あのメンツの中では自分が一番若くて経験が浅いし、何よりこの男と面識がある同業者。だから話を聞くのに適任だと思われたようだ。

「状況を教えていただけますか」
「最近、幕府要人暗殺が頻発しているのはご存知だと思いますが、我々は上様から賊を退けるべく、殿中にて警護しておりました」
「ええ、我々も聞いております」
「ですが、何者かの手引きで、殿中に賊が侵入し、賊によって上様が昏倒されました。たまたま先代将軍の定々公が賊に気付いたために事なきを得たのですが……」
「賊の侵入?……それ、我々が言うのもどうかと思いますが、大丈夫ですか」

桜井は黙って首を振った。殿中の護りを預かっていながら、この失態。佐々木の首一つでも足りないかもしれない。殿中警護の任は即時解除で、後任は真選組だなこれ。うわあ田舎侍がついに二刀をさして殿中へかぁ。出世だなあ。

「その辺はまあ、いいでしょう。それで、どうして首切られるより先にドスを刺されているのですか」
「本官も局長のそばにいた訳ではないので、よくわかりません。ですが、そよ姫様がお連れした客人と缶蹴りをしていた矢先の出来事でして」
「まさか、姫様の顔見知りが賊だったと?」
「混じっていた可能性はあります」
「それが事実だとしても、姫様の首を飛ばすわけにはいきませんからね。そちらの局長暗殺未遂も何もかもを侵入者に被せてしまう算段なのでしょう」
「ええ、捕縛された賊は明日に処刑だと聞きました」

どんなコネであれ幕府の中枢に入らせたんだから、ボディチェックは入念に行って、武器の持ち込みを阻止したはず。佐々木の傷から推測できる刃渡りは、決して隠し通せる長さではない。多分、佐々木を刺したのは別の連中だ。おそらくは見廻組以外の警備側の人間だろう。

第一、殿中に侵入され将軍に手を伸ばされるという前代未聞の事態にも関わらず、侵入ルートの調査や取り調べを行わずに明日処刑などまずありえない。おそらく賊イコール、姫様の客人と考えて間違いないだろう。

姫様が賊を招いたのが事実だとしても、明日処刑は性急すぎる。姫様とどのように知り合ったのか、保安上それを知る必要があるはずだ。なのに、それを知るための取り調べなり拷問なりを行わずに処刑というのは、隠し事の臭いがプンプンする。

「賊の身元はわかりますか?」
「いいえ。我々も遠ざけられてしまったので……」
「では、姫様の客人とは」
「廓言葉を使う女、日傘をさした天人の娘、少年、そして白髪の死んだ目をした天パ男と聞いています」
「あー……」

そういえば、旦那はここのところ、吉原の伝説・鈴蘭について調べていたな。

鈴蘭にまつわる血生臭い噂。身請けされたという話を一切聞かない絶世の美女。そんな彼女をいたく気に入っていた高貴な男。

ははあ、状況が読めてきたぞ。

旦那がわざわざ姫様のコネを使って江戸城に入ってきたって事は、鈴蘭を気に入ったやんごとなきお方とは江戸城におわす先代将軍様・徳川定々公で間違いなさそうだ。

そして、定々公は鈴蘭という餌を使って旗本達を呼び寄せ、まんまと暗殺した。鈴蘭の客で死んだ旗本達はおそらく抵抗勢力だ。定々公は徳川、いや自分の御代のために吉原を利用したのだろう。

そうとも知らず旦那達と吉原の誰かが傾城鈴蘭について調べていたら江戸城に行き当たり、古狸の仕掛けた罠にまんまと引っかかった。おそらく最近話題の幕府重臣殺害容疑もおっかぶせられるのは間違いない。

まだ不明点は多くあるけれど、事のあらましは理解できた。要は、万事屋の旦那の絶体絶命って事だ。

「これからどうなさるんですか?」
「それが、我々もどうすればいいのか……局長は今手術室ですし、こんな時に今井副長も行方がわからないのです」

今井信女。暗殺組織から引き抜かれたという殺しのエリート。彼女は殺されるようなタマじゃないし、かといってこの状況で逃げるような大人しい性格もしていない。そんな彼女が行方不明という事は、大方万事屋の旦那に巻き込まれて仲良く牢屋入りってところだろう。要は大ピンチだ。

旦那は吉凶合わせた大きな渦の中に他人を巻き込んでしまう厄介な体質を持っている。それに取り込まれれば流石の見廻組副長も抜けられまい。……あれ、これ見廻組の後を引き受けたであろう真選組も巻き込まれない?人の事笑ってる場合じゃないな。

「何らかの沙汰が出るとすれば、それは佐々木殿が意識を取り戻してからでしょう。今は信じて待つしかありませんね」
「……そうですね」
「なに、この病院の救命救急センターのトップが執刀しているんです。貴方の上司は死にませんよ」
「…………」

桜井は祈るように目を閉じていた。願いの方向はまるで違うけど、あたしも祈りたい気分だ。
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