夢か現か幻か | ナノ
Hands from the dark
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門が見えてくるにつれて、地を蹴る足が限度いっぱいまで早くなる。門の前には、歩哨の隊士の隣で悠然と煙草の煙をくゆらせている土方さんがいた。隊士はおっかない上司が隣にいる状況に居心地が悪そうだ。

「喜び勇んで駆けてくるってこたァ、鎮圧には成功したんだろうな」
「はい。首謀者の坂田金時は破壊。残骸の回収もできました。洗脳の解除も全員分完了しています。暴動の参加者達には厳重注意。桂については、すみません、逃げられました」
「お前が捕まえられるたァ思ってねーよ。気にすんな」
「すみません」
「怪我はどうだ」
「全然。元気いっぱいです」
「そうか。……まあ、なんだ。中で話すぞ」

屯所に足を踏み入れるのも、随分と久しぶりだ。当然の事ながら、出ていく前と後とでは何も変わっていない。縁側から見える月も綺麗なままだ。それが無性に嬉しかった。

「上着、お返ししますね。ありがとうございました」
「ああ」

土方さんは上着を受け取ると袖を通した。終わったあとでこっそり彼の上着に袖を通したけど、あたしの体格では袖から手が出ないくらいダボダボだった。それが土方さんにはピッタリと合っている。体格の差を思い知らされる。

「あの、首の怪我は」
「薄皮一枚切っただけだ。これといった問題はねェ」
「すみませんでした」
「なんでお前が謝るんだ」
「だってあたしが」
「俺がお前なんかに斬られるかよ」

負けず嫌いはいつもの事だ。いつもの事なんだけど、今日はどこかが違うように思えた。彼は自身の負けず嫌いに基づいてこう言っているのではなく、もっと違うものに基づいている。そう思えた。

「俺の怪我なんざどうでもいいんだよ。結果として俺もお前も死ななかった。それで十分だ」
「土方さん」
「それより、俺が不満なのは、お前が勝手に人の義務背負い込んで勝手に厄介事に首突っ込んだ事だ」
「…………」
「ありゃあ俺が返すべき借りだ。それを横から債権かっぱらって……」
「それは」
「お前のその性分はどうやったら治せるんだ?」

ああするしかなかったとはいえ、土方さんには申し訳無さが募る。顔を見るのもいたたまれない。特にあたしの身を案じての物言いなのが辛い。

「あんまり無茶するな」

抱き寄せられて、視界が白いスカーフで埋まる。制服越しの体温はやはり温い。土方さんに抱きすくめられていた。

紫煙の残り香を深々と吸い込んで、久しぶりのそれに涙がこぼれそうになる。涙は一筋流れ落ちれば、あとは堰を割ったように次から次へと溢れてくる。

「ごめんなさい」
「俺こそ悪かったな。忘れちまって。寂しかっただろ」
「別に、寂しくなんて、ないです。それよりも、この前、土方さん達を忘れた時、酷いことを言ってごめんなさい」
「そんな事気にしてたのか」
「そんな事って」
「あんなの、普段のお前の物言いに比べりゃかわいいもんだ」

頭をぐりぐりと撫でられるのも久しぶりだ。普段なら、土方さんの手でぐちゃぐちゃになる髪の毛が気になるんだけど、今は全然。むしろ幸せだ。こんな時間が永遠に続けばいいとすら思える。

そんな空気を払い除けたのはわざとらしい咳払いだった。反発する磁石のようにぱっと身体が離れた。体温を名残惜しく思いながらも首だけで振り返ると、山崎さんが気まずそうに立っている。そういえばここは屯所で、隊士が通るかもしれない場所だった。そんな公共の場所で、あたしは何を……。

「あー、あのー副長ー」
「なんだ」
「食堂で皆待ってますよ」
「ったく堪え性のない野郎共だぜ」
「食堂?」
「それは行ってからのお楽しみで」
「なんの事はねェ、郊外に遠征した連中とコイツの帰陣祝いだろうが」
「ちょっと土方さん!せっかくのサプライズなのにネタバラシせんでくださいよ!」

帰陣祝いといえば、記憶喪失で一旦北海道に行って戻ってきた時もやってもらったけれど、またやるのかお祝い。嬉しいのだけど、こう何度も何度もやってもらうと申し訳ないものがある。それに、この人達のことだ、半分くらい祭り目当てなんじゃないかとちょっと穿ってしまう。

「またお祝いですか。どちらかと言うとお祝いしたいというより、お祝いにかこつけてお酒が飲みたいのでは?」
「それは、否定できない、かな……。でも!先生のおかげで浪士をたくさん捕縛できたし!郊外に出てった連中も全員無事に帰ってこれたし!すみれさんが戻ってきて嬉しいのは皆同じだし!」
「本当ですかぁ?」
「本当ですって!!とにかく、食堂に行きましょう!皆首を伸ばして待ってるんですよ!」

背中をぐいぐいと押されて食堂へと向かう。前につんのめって転ばないように重心を後ろに、歩幅は小刻み、駆け足のような速さで屯所の縁側をとたとた進む。

戸惑うような声が上がってしまうけれど、その実悪い気分ではなかった。皆があたしを待っていると言われれば、嬉しくないはずがない。自分なんかのためにいいのかな、と思う気持ちも、少なからずあるけれど。

「楽しんでこい」

嬉しいと思うたびに、刃物を突き立てられているような気分になるのはなぜだろう。今も暗い影から、誰かが見ているような気がするのは、どうしてなんだろう。……これが何かは分からないけれど、原因はわかっている。昔の事が、今でも尾を引いているんだ。

「じゃあ、土方さんも来てくださいな」
「俺ァ書類が」
「そんな事言わず一杯だけでも」

土方さんの手を引いて、縁側を走る。主役の願いを無下にはできないと思ったのか、土方さんは呆れたような顔でおとなしく手を引かれてくれている。

……嬉しい気持ちは、苦手だ。

でも、今だけは、それを見なかった事にして、純粋にお祝いを楽しみたい。

それが逃げでしかないとわかっているけれど、今だけは。

ついでに始末書の山や滞った業務も今だけは忘れていたい。
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