夢か現か幻か | ナノ
Hence I hate you/myself.
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若さのせいか傷の経過は望ましく、日本刀という刃物による切創のため感染もなく、術後の割と早い段階で傷を覆わないシャワー浴が可能となり、半月もしない段階で晴れてめでたく退院を許可された。もう少しして経過が良好であれば抜糸らしい。あたしは意気揚々と退院の手続きを済ませて屯所に戻った。入院費は公費で賄われているので贅沢は言えないが、味気ない病院食にはうんざりさせられていたのだ。

屯所で待っていたのは近藤さんと土方さんと……官僚主義の象徴たる大量の書類。怪我もしている事だしデスクワークもいいかなと思ったけれど、この量は想定外だ。一朝一夕で終わるような数じゃない。しかもこの書類の行き着く先は土方さんだ。順序よく程々の量を上げなければ彼の機嫌が悪くなって、他の隊士が怯えてしまうかもしれない。責任重大である。

「よし、アンタはそれを期限が近いのが上になるように積め。もちろん俺の近くに。そっちは俺が見る必要のない書類であれば判は貸すから捺してくれィ」

一番隊の隊士を二人動員してせっせと書類を処理していく。機械になった気分だ。肝心の文字の方は、沖田さんの器のおかげが少々汚いながらも読める字なので良しとする。

「どこまでやればいいんスか沖田隊長」
「んー、午前で一つの山を片して、もう一個は午後だ。他は地道にやるしかねェな」

隊士は小さく悲鳴を上げたが仕方がない。今までろくろく書類をしてこなかったツケだ。連帯責任という事で諦めて付き合ってもらおう。

「しかたねェな。ちょっとおごってやらァ」
「マジですか!太っ腹!!」
「うな重ですか!」
「夕飯楽しみにしてな」

期待している隊士には残念な事だが、今現在彼らが会話している沖田総悟の財布は、桜ノ宮すみれのお小遣いだ。岩尾先生から決して少なくはない額をもらっているけれど、無駄遣いは控えたい。

それに、沖田さんのお給金の行き先は彼の姉上だ。彼女の治療費の大部分を彼が負担している。よって、あたしの財布で飲み食いさせてその味をしめられて、後々モノホンの沖田さんに集られても気の毒だ。

よって、彼らにおごるのは、吉野家の定食止まりだ。牛丼は特盛が限度。オプションはマシマシにされると困る。

「じゃあ適当に片付けます!」
「雑にやって土方にリテイク食らったら稽古増やしてやるから覚悟しな」

隊士ら二人は小さく息を呑んだ。

*

岩尾家の二階。自主勉強会で女子高生よろしく、折りたたみのローテーブルに勉強道具とお菓子を積んで、互いの状況を共有する。

あちらは平穏無事だ。こっちは昨日の書類整理の話をした。あの後土方さんは期限通りに出てきた書類に驚き、そして量の多さに青筋を立てていたと伝えると、沖田さんはちょっとほくそ笑んでいた。うわー自分のそんな顔ってあんまり見たくなーい。

「――とまあ、昨日はそんな感じでした」
「隊士を顎で使うなんて、桜ノ宮さんも偉くなりましたね」
「使えるもんは何でも使うのがポリシーなんで」
「……まァ何にせよ、土方さんは忙殺されてるだろうからいい気味です」
「桜ノ宮はそういう事言わないからやりなおせ」
「そっちこそ沖田は自発的に書類仕事なんてやらないんだからやり直してください」

あたしと沖田さんはどこまでも反りが合わないのか、この期に及んでもこの有様である。反りが合おうと合わなかろうと、協力して元に戻る手段を探さなければ。……できれば、入院前のように沖田さんに成り代わってしまう前に。

「ところで、この前の代案はなんですかィ」
「ピアスを開けようかと」
「正気か?自分の体ですぜ」
「アンタと違って正気ですよ」
「……理由は」
「耳を触れば思い出すかと思った」
「触り過ぎで耳たぶが化膿する未来は見えませんでしたかィ」
「そしたらコロス」
「地が出てるぜ」

借り物の身体だ。そんな事がないように細心の注意を払うけれど。可能性としてはなくもない。

「岩尾先生の知り合いのお医者さんが開けてくださるそうです。ファーストピアスも選べるそうですよ」
「じゃあ赤にしようかねェ」
「らしくもなく派手な色選びましたね」
「なら目立たないプラにするか」
「アンタが鏡見て理解できなきゃ意味ないんですよ」
「じゃあ赤でいいじゃねーか」
「最初っからケチなんてつけてませんよ。ただ意外だなって思ったのを貴方が曲解しただけじゃないですか」
「あ、そう」

それもそうなのかもしれない。納得できる理屈だったので矛を収めた。そうして会話は途切れたが、沖田さんはなぜかあたしを睨んだままだ。彼は小さな声で「そういうところでィ」と、中身の口調をむき出しにして、あたしを非難するような事を口にした。

「そういうところが一番気に食わねェ」
「いきなりなんです」
「自分が嫌われたって仕方がねェ。そう考えて誰かの理解を得ようとしない。人を遠ざけて諦めたように生きてるところが一番気に食わねェってんだァ」
「それは……」
「そんな態度で近藤さんに、俺達に付いてこれるわけねーだろ」

沖田さんの言葉に、そっと腹部に手を這わせた。そう、この身を持って理解している。彼らは命を賭けている、と。信に足る仲間がいなければ、命を削り合う戦いで生き残る事は不可能である事実も理解している。

それでも、好かれる理由のある人間だとは思えなかった。見た目は……化粧は適当に覚えた。服装のセンスはないからシンプルに白黒ばかりだけど、こっちの方が間違いが少ないと思っている。見た目だけはそれなりに取り繕ってきた。

でも中身はどうしようもなかった。大抵の人はあたしを嫌った。最初はどうしてって思ったし、理解してほしかった。でも、誰かに期待する事は結局無意味で、無価値なものだと感じた。

あたしは人殺しだから、誰も近づかないのだ。平和なあの国において、人殺しというものは異物だ。誰だって異質な存在は恐ろしい。しかも桜ノ宮すみれという女は自分をコントロールできてない馬鹿だった。だからあたしが一人ぼっちでも仕方がない。

そう悟ったのはいつだったか。自分を律する事なく、暴力に溺れて周りに誰も居なくなっていた時だろうか。シスターに人殺しは赦されますかと聞いて、彼女がひどく難しげに顔を歪めた時だろうか。それとも……確かに好きだった『彼女』に貫かれた時だったか。

どれであっても構わない。結局の所、桜ノ宮すみれが未熟な人間だったからに他ならないのだから。

「そうやって一人で納得するところ」
「なんで分かるの」
「頭はアンタのもんだって忘れないでくだせェ」

なるほど。考えは読まれていたわけか。

「結局の所、そうやって諦めていたところも込みで、自分が悪いって話でしょう?でも、この考え方、もう変えられないんですよ。少女Aに対して偏見を持つ全ての人と戦うよりも、自分のせいにしちゃった方が幾分か楽です。もとより、あたしに誰かを呪う権利などないのですから」
「…………」
「きっとあたしはあたしとしか戦えない。――だから、この先もあたしはあたしと戦い続けます。諦める気持ちはおそらくはずっと消えないだろうけど、それでも、どうせ誰にも好かれないだろうからと人と触れ合わないようにするのは止めにしたいと思います」

沖田さんは大きくため息をついた。沖田さんの眼球を通して見るあたしの顔には呆れのようなものが浮かんでいるような。

「こういうところも苦手ですか?」
「そりゃあもう」
「ごめんなさい」
「しかし、まァ、辛気臭い顔されるよかマシかねェ」

自分であって自分じゃない人は、仕方がないなと言いたげに微笑んでいた。

*

数週間後の朝。抜糸も済んで、腹部の筋肉の層を結んでいる最先端の吸収糸もすっかり跡形もなくなった頃だ。ようやく腹筋しても傷まなくなった。とても喜ばしい。前から素振りだけはしていたけれど、痛くて痛くて仕方がなかったんだ。

朝に顔を洗って、洗顔で濡れて見かけの量を減らした左のもみあげから、普段は隠れて見えない耳たぶの付け根に近い部分が見えている。横顔を見られない限りは目につかない場所に、赤い石のファーストピアスが輝いていた。まだまだホールは定着していない。

わずかに紫がかった赤色の石は沖田さんの誕生石でもあり、この世界にやってくるまで付けていたピアスの石の色でもあった。……まあ、昔付けていたものは父親が母親に誕生日にと贈ったものだから、お医者さんで買えるものよりもずっと高級な石だけども。

父親が今はないあのピアスを母親に贈った日、すなわち彼女の誕生日に、彼女は弟を外界に送り出したのと引き換えに命を落とした。だから、実際は彼女があのピアスをつける事は一度たりともなかった。遺品の中で勝手な売却を免れたそのピアスを付けだしたのは、彼女の死から10年以上経った15の頃だ。自分の陰気な顔には悲しいほど似合っていなかったと、明るい『彼女』はカラカラと笑っていた。

まあ、そんな事は今はどうでも良くて。

自分には全く似合わないんだろうけど、沖田さんの顔にはよく似合っていると思ってしまうのは、母親の誕生石という贔屓目か。……まァ、性格を除けば、彼のお姉さんによく似た美形だ。似合わないはずもない。たいへん羨ましい。

顔を拭いて真にスッキリした目覚めを迎えて厠を出た。

昼も特に変わりなく。せいぜいが土方さんが食料の減りの速さを食堂のおばちゃんと一緒になって訝しんでいたくらいで、後は平穏なものだった。合間合間に素振りをして、抜刀し、怪我をして遅れた分を少しでも取り戻すべく鍛錬を重ねた。

今日何度目かの自主稽古を終えて一人書類を片しながら、ピアスホールが定着するのが先か、それとも自分達がもとに戻るのが先か、どっちに転ぶか考えていた。いくら考えても先が見えない。

不透明な未来に苛立ち混じりにため息をついて筆を置いた、その矢先だ。三番隊の隊士よりテロの兆候を確認したと出動の要請が出されたのは。

――この時自分は知らなかった。真選組において三番隊というものがどのような役割を果たす隊なのかを。

それを知った時には、渋滞に捕まって遅れた土方さんと自分と一部の隊士以外は全て罠にかかってどこかに幽閉されていたのだった。
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