夢か現か幻か | ナノ
I am...?
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(You are me?の続きです)

不慮の事故で沖田さんとあたしこと桜ノ宮すみれが入れ替わって1週間が経過した。あいも変わらず元の自分とはかけ離れた体を操り、沖田総悟として生活している。

一応あたしの方も剣道をかじっていたのが幸いしたのか、大きな懸案の一つ、沖田さんの刀はうまく扱えるようになった。多分、本物の沖田さんと比べても遜色ないはずだ。肉体の方の記憶を利用しているのだから当たり前だけど。

ただ、沖田さんとして生活に適合するにつれて、彼を真似て剣技を覚えていくにつれて、桜ノ宮すみれという存在が離れていくような、そんな錯覚に陥る事が増えた。うまく言葉にはできないけれど、本能的に、マズいと感じる。

「沖田隊長、おはようございます」
「おはようごぜーやす」
「おっ、総悟!今日は早いなァ!」
「春は曙って言うでしょ、早起きしなけりゃ損ってもんです」
「お前が枕草子とか気持ち悪ィな」

土方さんの辛辣な言葉にそうかなと曖昧に考えた。確かに沖田さんには学はないかもだけど、頭が悪いわけじゃないと思う。多分。

「今日は稽古なし、会議なし、でしたっけ」
「ああ。忘れてないとは思うけど、総悟、お前はこれから市中見廻な」
「へーい」

ひらりと手を振って土方さんと近藤さん、そして他の隊士に背を向ける。

沖田さんの名を呼ばれて、自然と反応できるようになってきた。でも、それとともに、桜ノ宮すみれだった頃の記憶が、他人事になってきている気がするのだ。

薄くなる自分の定義、それに思い当たるたびに、むしょうに走り出したくなる。それは逃避に他ならないのだろう。

「どうやってタマを取り戻したもんかねェ」

取り返しのつかない事態になる前に、手を打ちたい。しかし、考えても名案なんざ浮かぶはずもなく。

「……サボるか」

サボりがてら、沖田さん、いや、桜ノ宮すみれ……あれ、どっちだっけ。俺は、いやあたしは。

「自覚したらますますひどくなってきやがった」
「大丈夫か、顔色悪ィぞ」
「げ、土方さん、さっきも会いませんでしたか」
「今日の巡回は俺とだろうが。忘れたのか」
「そういやそうでしたっけ」

参ったな。桜ノ宮すみれの殻に入った沖田さんの様子を偵察する予定がオシャカだ。ああ、そうだ。今の自分は沖田総悟という男の肉体に入り込んだ桜ノ宮すみれだった。……メモ書きでも作った方がいいかもしれない。いつでも見返せるものに桜ノ宮すみれが桜ノ宮すみれである事の証を刻まなければ。

「ったく……行くぞ」
「へーい」

見廻りにもやり方がある、とは沖田さん(中身)の言だ。サボりつつ、周囲をさり気なく観察して、なんとなく怪しいと思ったやつに目をつけろ。その後は適当に空気を読んでやれ。……なんとも当てにならない助言だ。だけど、脳内を探っても、確かにその通りの記録しか出てこない。サボりはするけれど、見るものは見ているのが沖田総悟なのだろう。

真選組の沖田隊長として市中を練り歩く。驚くほど会話がない。普段、ああ、桜ノ宮すみれの殻に入っていた時は何でもない道中でも会話ができたのに。まあ、普段からこの二人はこんなもん、なのかな。いや、もうちょっと話していたような?

「総悟」
「なんです」
「近藤さんが、お前の様子が変だって聞かねェ」
「俺ァいつも通りですぜ」
「その割には剣に冴えがねェ」

さて、ここで沖田さんの行動をシミュレートする。沖田さんは土方さんに弱みを見せるか。演算にはほとんど時間がかからなかった。答えは否。この男に弱みを見せるくらいなら、険しくとも自力で解決する道を選ぶ。それが沖田総悟だ。

しかしはぐらかしが通じる相手でもない。沖田さんが煙たがるのも確かにわかる。下手な事を言って、沖田さんの名誉を傷つけるのは不本意だ。

「黙秘か」

沈黙は金なり。ここは押し黙るしかない。

「お前、桜ノ宮とぶつかってから変だぞ」
「あのアマの事は止めてもらえませんか」
「アイツとなにかあったのか?」
「なんにもありゃしませんよ」
「……お前、嘘を吐く時に耳たぶを弄る癖なんてあったか?」

無意識に左の耳たぶをいじっていた手が、硬直した。なるほど、桜ノ宮すみれの肉体が持っている無意識の癖をこの肉体でも出してしまっていたらしい。

「お前、まさか」
「土方さん、あっち」
「――!!」

指差した方向には、指名手配書で見た事のある顔。桂や高杉程ではないが、大物の部類に入る過激攘夷浪士だった。なんでこんな所にいるのかは知らないが、好都合だった。しかも幸運とは重なるもので、奴はお誂え向きに人気のない場所に向かって歩いている。

奴は仲間を粛清された単独の浪士だ。組織を洗う必要がないから即座に捕縛すればよい。武器の供給源も既に解明されているから、生かして情報を得る必要も薄い。

空恐ろしくなるほどの高揚感。アドレナリンがドバドバと出ていると感じる。自分がどんな顔をしているのか、自分でもよく分からなかった。

「新たな仲間がいるかもしれん。お前は俺の後に続け」
「へい」
「いくぞ」

はやる脚を諌めながら、背後から浪士に近づいた。

……勝負はほとんど一瞬だった。土方さんが背後より声をかけ、抜刀した相手をこの刀でばらりずん。これほどの手傷を負えば大抵の相手は死ぬ。呼吸も脈拍も確かに止まっていた。だから土方さんも自分も、派手な斬り合いにならなかった事を残念に思いつつ、事後処理に勤しんでいた。

それが一通り終わって、あの頃の感触から不気味なほどに遠のいているのを訝しく思い、死体を眺めてぼんやりしていた。それが良くなかった。

あっと思って抜刀した時には遅かった。一手も二手も先を行っていた相手の素早い抜刀。鋼が描く輝線が見えたその瞬間には腹に熱い感触があった。自己防衛本能が導いた最大の歩幅と最短の軌跡が死体だった男をもう一度死体に変えたが、その代償として腹を抱えて地面に座り込んだ。

確かにざっくり斬れているが、腸が溢れるほどではないな。とっさにほんの少し体を引いたおかげで命を拾ったようだ。

「総悟ォ!!」
「年寄りじゃねーんだから、そんなでけー声出さなくても聞こえてますぜ」
「今病院に連れて行く!立てるか!?」
「かすり傷でさァ。支えはいりやせん」

肩を貸そうと差し出された腕を弾くと、上からため息が降ってきた。

「……分かった。近くのパトカーを路地の近くまで寄せる。パトカーまでは一人で歩け。いいな?」
「へいへい」

土方さんが無線で応援を呼んでいるのを他人事のように見ている。こういう時の止血は……ああ、桜ノ宮すみれとしてインプットした記憶が曖昧だ。腹を触った感じ、不自然なこわばりは感じないから、急性腹膜炎の兆候は多分ない。となれば問題は出血だけだ。

ふらりと立ち上がって、自販機に向かって歩いて、血塗れの手でコインを取り出して片っ端から適当に突っ込んだ。目当てのもののボタンを押して、痛みに呻吟しながら取り出し口にやってきたペットボトルを取った。

「なっ……!!馬鹿お前何やってんだ!!」

ギョッとした顔の土方さんが無線片手に駆け寄ってきた。普段嫌がらせを鬱陶しがっていかにも煙たいですって顔をしているのに、こんな時は心配を絵に描いたような顔だ。俺ァこの野郎のそういうところが――。

あたし、いや俺?どっちだっけ。出血で頭が回らない。

「お前はじっとしてろ!!」

路地裏の陰に座らされて、栓を開けたペットボトルを手渡された。気遣いが上手い。女に囲まれるわけだ。腹立つな。

歩狩ポカリを飲み干して、出血している分の足しにする。本来は経口補水液を作った方がいいと聞いたが、コイツでもないよりはマシだろう。

「水分が欲しけりゃ言えアホ」

コイツの手を借りる事だきゃあ御免被る。それは近藤さんと俺と土方さんの件であったり、姉上の件であったり、諸々が絡んだ信念だった。

「血の気が失せてちったァ大人しくなったかと思えば……頑固だなお前」

土方の呆れ混じりの言葉は無視だ。俺が頑固なんて、そんなの、日向に立っているアンタ、頑固がそのまま形になったような男に言われたかねェ。頑固者以外の手で、局中法度なんざ作れるかよ。頑固者でなけりゃ姉上を振ったりなんてしない。

……ああ、なんでこの野郎の手を死んでも借りたくないのか、よく分かった。

姉上が、近藤さんが、俺よりも遠くて、野郎の方が近いのが気に食わない。姉上の手を取らないで、振り返りもせずに歩いていったのが気に食わない。その癖、あんなちんちくりんは拾って手元に置いているのはもっと気に食わない。

一番最初はともかく。真ん中は姉上を思っているが故だって分かっている。あのちんちくりんだって、野郎が拾い上げなきゃ野垂れ死んでいただろうから理解できる。

理解できたって気に食わねェ。

「オイ、車寄せたぞ」

野郎の言葉にふらつきながら立ち上がった。死んでも土方の手は借りない。その意地だけで歩を進めた。

「事後処理は俺がやる。すぐに大江戸病院だ」
「分かりました!」

車窓から外を眺めても、どこを走っているのかうまく理解できねェ。……こりゃ本格的にマズイかねェ。土方に限らず他人の手を借りるのは癪だから待合室の椅子までは自力でたどり着かねェと。

その後の記憶はぷっつりとない。

*

目を覚ますと、土方に並んで気に食わねェ女が顔を覗き込んでいた。最悪の目覚めだ。よりにもよってこの女の前で醜態を晒した。

「なっさけねェなァ。不意打ちで失血死寸前なんざ一番隊隊長の恥晒しでさァ」
「すみませんねェ。確認が足りやせんでした」
「確認じゃありやせん。そんなもんヤブ医者以下の知識量の現状で求めてねェ。殺気に反応するのが遅いって話ですぜ」
「……アンタ、なんだってそんな話し方してるんですかィ」

信じられないものを見るような目で、マジマジと見つめられた。それが不快で仕方がない。

「血を無くして思考能力も無くなったのかアンタ」

言われてこれまでの出来事を思い出す。確か俺は目の前のウスラトンカチとぶつかって、そこで魂が抜け出して、沖田さんの魂に追突されて、そしたらこのアホと魂が入れ替わって……あれ、今思い出した内容に別の視点が混じってらァ。なんで桜ノ宮の視点が。

いや、違うな。混じっているのは沖田総悟の記憶の方だ。だって、あたし、沖田総悟じゃない。

それをハッキリと思い出したと同時に桜ノ宮すみれの記憶が戻ってきた。

ああ、あたし、桜ノ宮すみれだわ。霧が晴れるように自我を取り戻すと、かなり危ない状態だったと自覚して空恐ろしくなった。推測でしかないけど、肉体の危険によって、脳の方の意識が優勢になったのだろう。もしかして、あたし、自我薄い?

「俺になりきろうとして自分を沖田総悟だと思いこんで、なりきり通り越して成り代わろうとするなんざホラーだからやめてくだせェ」
「ああ……そうでした。危ない危ない」
「まったく、しっかりしてくだせーよ」
「本当に申し訳ない」

いくらなんでも適合しすぎていた。もしかしたら沖田さんの帰る場所がなくなっていたかもと思うとゾッとする。

「どうします?」
「どうって……手帳にでも書いとくか」
「毎日見ないでしょうソレ」
「じゃあ何か書いて天井にでも貼っとくか」
「見られたらどう言い訳するんですか」
「ケチつけてばっかいねーで、何か代案くだせーよ」

向こうも代案など考えてもいなかったのか、黙り込んだ。そうしてしばらく。沖田さんは目を見開いた。

「代案ありました。退院したらできると思うので、早めにお願いしますね」
「無理言わんでくだせェ」

その後やってきたセンター長の話によれば、念の為に開腹手術を行ったが幸いにして傷は浅く、問題なのは失血だけで少し入院してもらうけれど、抜糸までは病棟にいなくてもいいとの事だった。しかし激しい運動は控えるようにと厳命された。これは書類仕事をかたすチャンスと取るしかないか。

はてさて、沖田さんは何を思いついたのやら。

不安に思う一方で、ほんの少し楽しみにしていたり。
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