第17章 意地か使命か


  2.

「はあ……」
 ルクトールの城壁の外、一部が焼け焦げた草原を目の当たりにして、空を見上げていたリズは溜息を吐く。空は生憎の曇り空。期待していた星々を見ることは叶わなかった。だが、その景色はかえって珍しい。シャナイゼでは空が曇るということがあまりないからだ。こうしてみると、国境が近いとはいえ、まるで異国に来たようである。
 手記泥棒の聴取を思い返して、もう一度溜め息を吐く。得られたものは多いが、目の前に広げられた問題はなにひとつ解決しなかった。手記はクレールにあることはわかったが、返ってきた訳ではないし、簡単に取りに行ける状況でもない。魔物のほうも、クレール――それも、アタラキア神殿の関係者が従えているのは本当らしいが、それ以外のことについてはよくわからない。
 どうするべきだろう。このままリヴィアデール軍について戦争するのが、リズたちのすべきことであることなのはわかる。しかし、手記を回収しなければ、誰がなにをするのかわからず、恐ろしい。それから、襲撃と同時に消えたラスティたちが気になる。
 こういうとき、組織のしがらみは嫌だな、と思う。それから脱け出せない自分たちも。
 その反面、これでいいとも思う。好き勝手にできればそれでいいというものでもない。ある程度縛られてこそ、保たれる秩序もある。
 人間社会で生きていくのはなかなか難しい。
 ――あー、もー、息抜きできないっ。
 気晴らしに外に出たつもりだが、結局余計なことばかり考えてしまう。やはり街に帰るか、と身体を反転させると。
 人影らしきものが見えた。こんな時間に街の外にいるなんて誰だろうか。生憎、眼鏡を持ってきていないので、長身であるのはわかるが、どんな容姿をしているのかははっきりとわからなかった。とりあえず、武器を携えているのはわかる。しかし、どうも兵士という感じがしない。ならば街人か、それとも旅人か。
 気配を殺し、接近する。敵か味方か、それとも無関係の人間かわからないが、警戒するに越したことはない。こちらに気付いたときに備え、術の準備をした。
 顔が見えるか見えないかくらいの距離で、人影が振り向いた。心臓が飛び跳ねたが、術をうっかり解放してしまいそうだったが、なんとか抑える。
 目の前の相手がこちらを見てうろたえた。驚かせてしまったか。気配を消していたから無理もない。それとも、なにか失敗したか。相手が次にどう出るか慎重に観察しようとして、
「リズ……?」
 名乗りもしないのに名前を呼ばれて、はっと息を飲んだ。聞き覚えのある声。それに、こうして近づいてみると、何処かで見たような気がしないか。
「ウィルド……?」
 奇しくも、雲が薄くなって月の光が淡く差し込んだ。照らされた顔は、よく見知った顔だ。はっきりと見えていなくてもわかる。
「「どうしてここに」」
 同時に同じことを喋り、同時に押し黙る。互いに予想外だったらしい。そのまま気まずそうに、相手を睨みつける。そうしているうちに、ウィルドのほうは理由に思い当たったらしかった。
「なるほど、それであの有り様ですか」
 訳知り顔で頷かれて、少しむかついた。ついいつもの調子で言い返す。
「どういう意味だそりゃあ」
「死体や負傷兵に、凍傷が多かったものですから」
 罰が悪くて、目を逸らす。水の術で派手にやらかしたのは事実だから、言い逃れができない。
「で、なにしてんだ、こんなところで。なにを企んでんの?」
 気を取り直して腕を組み、じろりと彼を見上げると、ウィルドは目を伏せて小さく笑った。
「企むなどと、人聞きの悪い。様子を見に来ただけです」
「ふぅん……」
 真偽は測りかねた。彼は感情を隠すのは得意だ。それで1000年以上やってきている。情けないことだが、たかだか2、3年の付き合いのリズに見通せるわけがない。口を割らないのはわかりきっている。これ以上なにを言っても無駄だと感じた。誘導尋問に引っ掛かるほど、簡単な人間でもないし。
「ねぇ、盗まれた手記だけど、あれクレールにあるって知ってる?」
 先程聴いた話題で、今のリズたちの最大の関心事。さっきからずっと悩んでいたことなので、さりげなく話題にしてみた。禁術の書かれた手記ばかり気にしてしまうあたり、やはり自分は魔術師なのだな、と思ってしまう。関わっただけに、禁術に対する危機感は、きっと人並み以上だ。
 そして彼は、それ以上に気にしている。
「……ええ」
「どうすんの?」
 実は、ウィルドが動いてなんとかしてくれないかと、少し期待をしたりした。神様に頼むのは癪だが、このまま放っておくよりも、闇神に委ねたほうがいい。
「どうもしません」
 予想外の言葉に、リズは片眉を持ち上げた。
「禁術に手を出すものには死、じゃなかった?」
「今回は目をつぶれと。そう命令されました」
「なにそれ」
「さあ。私にはわかりかねます」
 ウィルドは肩を竦めた。それを見てリズは呆れて、肩を竦めて視線を逸らした。話にならない。本当にエリウスの道具に成り下がってしまったかのようだ。
「もちろん、事の後にはしっかり制裁を与えさせていただきますが」
 それでもやはり、この状況を良しとしていないらしく、付け加えるが、
「それはそれは。仕事熱心ですこと」
 言い訳がましく聞こえて、思わず嫌味が出た。ウィルドは気にしたのか、別の理由か厳しい顔つきをする。
「役目ですから。それこそが私の存在意義。例外は認めません」
 その言葉の裏に潜む意味に気付き、リズは目を伏せた。
「……あたしも、か」
 悲しくはない。わかりきっていたことだ。あるのは諦め。心が冷えていく。目を開いて、彼の目を覗くと、暗い光がそこにあった。
「前に言ったはずです。次に会った時には貴方を殺す、と」
 ――目がマジだ。
 リズは杖を握り締めた。覚悟を決める。
 ――今日で死ぬかもな……。
 なにせ相手は1000年も剣を握ってきた神様。勝てる余地など、何処にも存在しない。
 遠くから自分を見下ろしているような境地で、リズは準備していた術を発動させた。



74/124

prev index next