第17章 意地か使命か


  3.

 手記泥棒をシャナイゼにつれていくため〈挿し木〉の1人に引き渡し見送ったあと、ギルド内に入ろうとしたリグは、ふと東のほうが気になって振り向いた。
「どうした?」
 扉に手を掛けたまま他所を向くリグを、後ろにいたグラムが不思議そうに覗き込んでくる。
「いや……なんか胸騒ぎがして」
 理由もなく、得体のしれない不安を感じる。こういうときはどんなときなのか、リグはよく知っていた。リズに――自分の片割れになにかあったときだ。双子特有の感応現象とでもいうのか。ハティとスコルがおらずとも、時折こういう予感を感じることがある。
 取り調べが終わったあと、ちょっと気分転換に行ってくる、と行ってリズは街の外へと向かった。これはリズに限らずリグにもよくあることで、時折ぼうっと外の景色を眺めに行くのだ。シャナイゼは建物や枝葉で遠くを見渡すことができないし、星空も見えないから、城壁の外に出る事が多い。この街もなにかと障害物が多いので、おそらくそうしただろう。街の外は本来危険だが、その辺の魔物ならリズ1人でもなんとかなるし、気にする要素などないはずなのだが、何故か今すぐ飛び出して行きたい、そんな衝動に駆られた。
 そわそわしだしたリグを、グラムが怪訝そうに見ている。
「勘というものは、大概馬鹿に出来るものではないぞ」
 行こうか行くまいか悩んでいると、凛とした声が掛けられた。驚いて振り返ると、そこに金色の髪を持った女が立っている。年齢はリグよりも幾分か上。細身ながらも鍛えられた身体や意志の強い緑色の瞳から只者ではない気配を感じた。雰囲気からして、街の人間ではない。だが、〈挿し木〉の傭兵やリヴィアデール軍の兵とも違う。リグとグラムは気押されつつも、見知らぬ人物を警戒する。
 だが、女は気にした様子もなく語る。
「全て己が生きてきた道筋で培われてきたものだ。勘とは六感に頼るものではなく、情報を経験に照らし合わせ推測することを言うのだよ。もちろん、推測ゆえに時折間違えることもあるがな」
「あの……?」
 いったいどこの誰なのか。それ以前になんの話をしているのか。訳がわからずにリグは声をかけるが、どうもそれは彼女が彼に臨んだ行動ではなかったらしい。不思議そうに眉を顰める。
「早く行け。今ここにいることは、己の大切なものよりも重要なことなのか?」
 はっとした。どうして、まるで彼女がリグの心の内を的確に見抜いたのかは知らないが、そんなことはどうでもよく、その言葉に背を押されたかのようにリグは駆けだしていた。考える間もなく、身体が動いたのだ。グラムも戸惑いながらもその後をついていく。
「子どもでもわかるというのにな……」
 リグとグラムを焚きつけたレティアは、今オルフェのしていることを思い浮かべながら、少し哀愁を込めて彼らを見送った。

 がち、と剣と剣がぶつかりあう。なんとか剣先を逸らし、身を回転させてから、後ろへと大きく飛びのいた。ついでに棒手裏剣を3本投げるが、2本は剣で弾かれ1本は虚しく空を裂いただけだった。
「くっ……」
 片掌を天に突きあげる。宙に横たわる紫色の魔法陣。風の魔術がリズとオルフェの間に竜巻を生んだ。大きな風の渦が、草をむしり取り吹きあげる。休む間もなく、次の魔法陣を描き始める。今度は青。竜巻が消えると同時に氷の矢を放つ。
 しかし、正面にオルフェの姿を確認できず、リズは焦った。光源が無いに等しい月明かりだけの闇の中では相手の位置を捕えることが難しい。目を凝らして探していると左の方に気配を感じ、右へと動く。すぐ傍を剣が薙いでいった。
 柄の合わさった双剣を振り回すが、受け止められ、押し返される。体勢を崩したところで、剣が突き出された。剣先はリズの身体を貫く前でとまる。
「蜃気楼を使った幻影か……」
 剣を引いてオルフェは呟く。
 作戦のときも使った術。大気中の水分と温度差による空気の密度の違いによる光の屈折を利用して、実際の位置を錯覚させるのだ。利点は一定の時間内であれば、どれほど攻撃されても幻影が消えることはないこと。欠点は幻影を術者から一歩ほどしか離れたところにしか作れないことだ。幻影に頼って安心していると、傷を負うこともある。
「無駄な足掻きを」
 もう一度オルフェが剣を振る。今度は幻影でなく、確実にリズ本体に届いていた。咄嗟に身を引くが、庇うように出した左腕を剣先が掠めた。ローブの袖と皮膚を裂かれ、腕から血が流れ出す。
「小細工など無駄です。大した時間稼ぎになりはしない」
 後退するリズを見つめながら言う。すぐにとどめをさせただろうに、そうしないのは、強者の余裕からだろうか。
「だったらどうした」
 リズは袖の下から棒手裏剣を出した。作戦のときよりも消費している。
「なにもせず、大人しく殺られろとでも? 冗談キツいね」
 手裏剣を投げる。地面に突き刺さったところで、魔力を飛ばし、武器に仕込んであった術を解放させた。突如咲いた氷の花が、避けきれなかったオルフェの足を傷つける。
 だが、オルフェは傷を気にすることなくリズに接近した。リズは剣や投擲を使って牽制するが、自分よりも遥かに手練れの彼に敵うはずもなく、徐々に窮地に追いやられていった。
 ――こうなったら……!
 覚悟を決めて、呪文を詠唱した。黒魔術は使いたくないが、仕方ない。
「戒めよ。汝を縛るは……っ!」
 腹に蹴りを入れられた。息ができなくなって詠唱が中断され、衝撃でそのまま後ろに吹っ飛ぶ。背中から地面に落ちたところで、ようやく息を吸うことができた。だが、一度に大量の空気を吸い込みすぎた所為で噎せてしまい、その場にうずくまったまま、身動きができずにいた。苦しさに目の端に涙が浮かぶ。
 オルフェが近づいてくるのが、涙で濡れかかった視界の端に見えた。
 ――ここまでか。
 ぼんやりと剣を振り被るオルフェを見上げた。どんな顔をしているか見てやろうかと思ったのに、視力が悪い所為ではっきりと見えない。
 ――こんなもんかな、人生……。
 他人事のように考える。自分の死なのに、まるで舞台でも見ているかのように遠く感じて、リズは苦笑した。とりあえず、あれだ。オルフェに一矢報いることができなかったことだけが悔しい。
 ――悪い、リグ。
 そうして、自分に振り下ろされる刃を恐怖もなく見つめていた。



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