ジョシュア少尉は南部の田舎生まれで、実家を継ぐ兄とは違い己の将来になにか注文を付けられることなく育ったそうだ。産まれたときはとても小さな赤ん坊で、それ故か身体が弱く何度も病気になったのを心配した両親が、強くて丈夫に育ちますようにという願いを込めて男性名である『ジョシュア』と名付けた。
 その話を聞いたのは殲滅戦の途中、イシュヴァールに派兵されてから二週間くらいのことで、わたしたちはボロボロの市街地を軍用車で走りながら喋っていた。そのあたりの地域はもう国軍制圧下に入って久しく、危険が少ない反面あちこちに凄惨な爪痕が残っており、まだ戦場に慣れていないわたしには堪えるものだった。彼女の話はなんだか妙におかしくって、「だから男の名前って、それってなにかおかしくないですか?」と聞くと、彼女も「そうですよねえ、だからって男の名前にしなくたっていいと思いますよ」と笑った。病弱だったというのが嘘のように、快活で爽やかな女性だった。

「ジョシュアさんはどうして軍人に?」
「小さい頃から村を通る鉄道に軍人が載っていて、彼らが格好よかったんだ。しょうもない理由でしょ〜」
「あら〜可愛い理由だ」
「でしょ!」

 彼女は肩をすくめてガラス越しに笑った。逮捕され、軍属でなくなった今はもう互いに敬語を使い合う必要もない。
 あの日ドッグタグと一緒につけていた金色の細いチョーカーは、今日も彼女の首で静かに輝きを放っていた。そのチョーカーをくれた恋人とは今も続いていて、今度親を紹介するのだとか。

「毎回イケメンのアメストリス軍人がいてさ、その鉄道が止まるたびに降りてくんのよ。そこから鉄道を乗り換える人もいたし一泊二泊する人もいて……中東部のみんなは”かっこいい、お嫁さんになりたい”って盛り上がってたけどあたしは、”あんな風に格好よくなりたい!”って思うタイプだった」
「南部ってことは、アエルゴ戦線か」
「そうだね。あのあたり継続的にドンパチやってたから……戦帰りだったんだろうね」

 ジョシュアは今まで二度面会に来てくれている。彼女が初めて面会に来てくれたのは心身ともに憔悴していた入所して三か月程の頃だったので、面会室で顔を合わせるや否やガラス窓に飛びついたくらい本当に嬉しかった。決して取り乱すまいと思っていたのに、つい情けなくも「わたしはやってないの」と言葉を漏らしたわたしに、彼女はうん、うん、と頷き、「ごめんなさい」と言った。
 彼女がわたしの罪に関してどんな立場でいるのかよくわからないが、それでもこうして会いにきてくれるだけで、その優しさを感じられるだけで救われる。内心、わたしはこんな風に哀れまれるような人間じゃないはずだ、という悔しさや、わたしに同情するなという癪な気持ちもあったが、やはりそれは面会室の板越しに見える彼女の笑顔でどこかに消えてしまう。

「そろそろ時間かな」

 脇の時計をちらりと見て退室を促した。彼女の方から”帰るね”と言われるのが妙に恐ろしく、毎回わたしから切り出すようにしていた。

「ジョシュア、いつもありがとう」
「いや………わたしこそ、何も力になれなくてごめんなさい」

 ジョシュアの目が曇る。彼女は少し口ごもった。

「実は、あの事件のことをわたしなりに調べてるんだ。だがあんまり進展がないのが正直なところでさ」
「それはやめた方がいいよ」
「ユレー?なぜ?」
「それは………」

 脳裏に複雑な思いや可能性がぱっと浮かんだ。わたしは既に自分がこんな羽目になっているにも関わらず、正直、ゾルフが妙な姦計を企てる男には思えなかった。とすると、ゾルフ曰く”この国の全貌”とやらが一軍人に手を下す可能性はどれくらいあるだろう。

「正直に言ってあの事件はおかしい。軍部にもそう思っている人はいる……けど皆あまり口に出さないんだ。でもユレーがやったわけないってわたしは確信してる」
「ジョシュア……気持ちは嬉しいけどわたしはそんな風な期待に応えられるような人間じゃないの」

 一瞬、ここでジョシュアにあの夜のことを話してしまおうかという気持ちが沸き上がった。

「嬉しいけど、そのことは気にせず職務に戻ってよ。昇給も近いでしょう?」
「なぜそんな風に」
「面会相手、いなくなっちゃうのも寂しいから」

 話終わるや否や面会室の扉がノックされ、刑務官が入ってきた。「終了時刻です」の言葉を聞いてジョシュアは眉をひそめ、なにかまだ言いたげな顔をしながら渋々席を立つ。今日の彼女は私服で黒のタートルに紺色の長いトレンチコートを羽織っており、引き締まった色合いが彼女のスレンダーな体系にマッチして格好よかった。

「ユレー!あなたはただ、自分のしたことに対して堂々としていればいい。なにも気に病む必要はないよ」

 刑務官にせかされながら彼女は叫んだ。そうして、「また来るから」と言ってぎこちない笑みを浮かべた。

「ほんとにありがとう。また……またね」

 わたしも笑って手を振った。



 来て欲しい面会者と来て欲しくない面会者がいる。
 来て欲しい面会者っていうのは、ジョシュアやストークス師匠、実家にいた頃親しくしていた錬金術師仲間。ストークス師匠には本当は来て欲しいけど、師匠がわたしに来てほしくないと思われている、と思っているので来てくれと言えていないでいた。
 来てほしくない面会者は、地元で嫌いだった友だちと、お母さん、そして全世界クソ兄弟弟子グランプリ優勝、この美学がひどい!アメストリス国部門一位、とある悪魔の錬金術師の罵倒三冠を戴く男、ゾルフ・倫理観ゼロ・キンブリーだろう。地元で嫌いだった友だちというのは、まあ純粋に嫌いなだけでもうずっと顔を合わせていない。母とはあの後手紙のやり取りだけしているが、文章の構築能力が著しく低下していることが母の憔悴や心配を物語っているようでいつも心臓が締め付けられる心地になる。本当は、手紙すら読みたくない。
 そして一番会いたくないが全てを打ち明けられる男がまた面会に来た。

「この前の差し入れは読みましたか?あなたの好みがわからなかったので適当に選びましたが」
「ありがとう、今部屋のトイレットペーパー切れてるから助かったよ」
「特に”春の男、秋の女”は最近セントラルで流行りのミステリーです。面白いですよ」
「あ〜そうそう、丁度今朝、春うまれボーイが秋うまれ女に振られたページでお尻を拭きました」
「春の男とは春を司る精霊の息子という意味です、春生まれではない」
「……」

 ゾルフが傾けたカップからまた珈琲の香りが漂った。今日は向かい側に座っているので幾分心が穏やかだ。

「変わりなく過ごしているかと思いましたが、少し痩せましたね」

 彼は目を細めた。
 ゾルフは今日も青い軍服に身を包んでいる。部屋に入ってくるとき白いコートの肩に雪のかけらがついていたので、外は雪が降っているらしかった。独房には窓がないので外の天気は匂いで判断するしかない。
 雪の匂い。冬。この季節になると師匠とゾルフの三人で暮らしたあの家を思い出す。

「別に……変わらないよ」

 ふと彼の首の階級章が目に入った。「あれ、偉くなってない?」と聞くと彼は「ええ」とにっこり笑った。

「なんであんたみたいなのが昇進するのかしら」
「可笑しな言い草だ。軍人なんですから、”仕事”をした分だけ上に上がるんですよ」
「嘘」

 ゾルフの満面の笑みは見ているだけで気色悪い。昔はこんな風に笑わないどころか、わたしを馬鹿にして「ふん」と笑うとき以外ほんの少しだって微笑みはしなかったのに。

「ところで、石はなくしてませんか?ろくな輩に渡ると少々困る」
「ろくな輩には渡してないけど、あなたがわたしに飲ませたんじゃない」
「賢者の石は外力に干渉しません、消化されることもないですよ」
「人体の勉強がたりてないんじゃないの?消化されないものがうんこになるんだけど」
「…………」
「精々肥溜めでも漁ってな」

 ゾルフはくだらないとばかりに鼻で笑った。全く信じていないようだが(そして彼の推察通り、アレは胃から吐き出して今も所持している)、こいつ本当にわたしがうんこにして流してたらどうするつもりなんだろう。
 しばらくうんこの話題で彼を馬鹿にし、のらりくらりと話の追及をかわしながら心の中で考えた。やはり彼はわたしを脱獄させたがっている。罪を捏造し、擦り付けてまで刑務所に入れて、今度は脱獄させたいのはなぜなんだ?

「わたしにあの石を使わせたいのはどういう意図なの?」

 彼はわずかに目を見開いた。

「イシュヴァール戦でも今も、石を使わせたがってる。使うとどうにかなっちゃうわけ?」
「さあ。今のところわたしはどうにもなっていませんから」
「既にどうにかなっちゃってる人をサンプルとして挙げないで」

 ため息をついた。
 ゾルフが二回目の面会を申し入れるまでに、考える時間はゆうにあった。その間、伸びていく髪とやつれていく顔を鏡で見ながら、毎日毎日、色々なことを思い出して………あの日流星のように墜落し燃え尽きた一つの推測について考えた。
 それはある種の扱い難い複雑な感情で、執着だ。それは好意より悪意に近く、彼にとって邪魔で憎たらしい。彼がわたしに抱いていると思われる二律背反の強い衝動は、形は違えどわたしも抱いている。あの頃のわたしたちは普通の大人よりも色々なことができたが、幼くて未熟な部分を奇跡的にお互い重ね合わせてしまった。そこから何かが始まった。
 ただはっきりとわかるのは、どんな言い訳を用意したところで、人を騙して罪を擦り付ける卑劣な行為を到底許せるわけもないということだ。わたしも、そしてどこかにいるだろう神も決して罪を見逃したりしない。神とはつまり己の誠意と正義を信じる心のことで、ゾルフ・キンブリーという男に生来縁のない存在なのだろう。彼には神はいないが、ただ一つの強い信条を持っている。彼はその信条によって生き、そして死ぬ。

「この前、ゾルフが言ってたことについて少し考えたよ」
「というと?」
「後悔した選択について」

 ゾルフは片眉をあげた。

「師匠に報告するべきだったって言ったけど、それは罪を告白すればよかったっていう意味じゃない。わたしの人生には……あんたと違って後悔がそれなりにあったけど、それでも自分の選択を大切に思っているの。わたしは、自分の人生に胸をはれないようなことは一つもしてない。わたしはわたしの愛したい人を愛してきた。お母さんも師匠も、イシュヴァールの罪なき子どもたちも」
「あの日、」
「あの日人を埋めたときも」

 彼はテーブルに片肘をつき、僅かに浮かべていた笑みも消して神妙な面持ちでわたしの言葉を聞いていた。その表情も、やる気を出すとつり目になる細い一重瞼も、後頭部で結った黒髪も、わずかにほどけた後れ毛も、昔のままだ。面影があるどころじゃなく、わたしの中で彼は今も子どもの頃のままだ。その顔を見るたびに胸がクシャクシャと苦しくなる。

「選択を大切に思っている……?」
「間違ってたかもしれないけど、結果じゃなくてその時のわたしの気持ちを大事にしたいってこと。……こういうこと言うとまた怒りそう」

 ははは、と軽く笑ったが彼は何か言いかけ――迷ったあと、口を閉じた。明後日の方を見て何事か考えている。

「つまりこういうことですか。あなたはその身勝手な理屈によって己の罪を正当化した。あの日なんの罪もない一人の青年の尊厳を奪い、今も冷たい土の下に置いたままにしているのもその”気持ちを大事にした”結果だと」
「一々癇に障る言い方するけど、その通りだよ。あの夜あの男を殺したのはあなたで、あの男の尊厳を奪ったのはわたしだけど、自尊心は傷ついてない」

 そして、イシュヴァールで五人の命を奪ったのはあなただ。わたしはゾルフを見つめた。

――事実、ゾルフ・キンブリーはあのときユレーに罪を被せようと企んでいたわけではなかった。キンブリーは石を使いたかったから使ったし、奪いたかったから奪い、邪魔だったから殺したのだ。この男は、この石を寄越してきた大いなる存在についての打算が多少あったにしろ、反面、己の罪を誰かに擦り付けてまで外でやりたいことがあったわけではない。あのまま自分が投獄されても特に支障はなかったのだ。
 キンブリーにとっては、ユレーがあの場に間に合おうと間に合うまいと、どちらでもよかった。そしてユレーは間に合った。ユレーが彼に抱いた、ゾルフは元来好んで姦計を企てる男ではない、という直感は当たっていた。

「もう帰りなよ。中佐って忙しいんじゃないの?こんなところで油売って」
「ええ、まあ」

 彼は歯切れ悪く答えた。わたしの話しがまだ何か引っかかっているように、しばらく斜め右の方を見ていたがやがてカップを手に席を立った。

「もう来ないで」

 彼のことが一等大切だったから罪を隠した。その気持ちを贖罪より優先したいから、わたしは告解しないのだろう。もし神とやらが、己の心の中に根差すものであるなら、わたしにも神はいないのかもしれない。このままではわたしは、誰のことも幸せにできない。
 あのとき彼を叱ったのは、あのとき彼を抱きしめたのは、あなたの神になりたかったからだろうか。

神のいない二人

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -