肩の力を抜いて(3/4)

湖の畔に戻ると、光はすっかり収まっていた。サクラ姫はこの場を離れた時と変わった様子もなく、何事も起こっていないようだ。周囲に小狼さんがいないことから、湖に潜っている彼の方に危険があるのではないかとさえ思ってしまうくらい。緊張した面持ちで小狼さんが戻って来る時を待っていれば、水面が大きく揺らぐ。そしてすぐさま私とは違う、鮮やかな茶色の頭が湖から飛び出してきた。

「小狼さ、」
「小狼!!」
「モコナ」
「……モコナさん?」

何故そんな深刻な声で小狼さんを呼ぶ必要があるのだろう。サクラ姫は変わらずよく寝ているし、持たせた護符も破れた様子はなかった。正真正銘、サクラ姫は無事ということになる。そんなことをしては、不安を煽るばっかりだろうに。

「サクラが!サクラがぁーー!!」
「…!!」

案の定小狼さんは体中の水気を拭うことよりも、手にした何か大きな何かを置くよりも先にサクラ姫へ駆け寄ろうとした。私だって小狼さんと同じ状況なら、脇目も振らずにそうしただろう。

「良く寝てるのっ」

ただ、私はここまで見事にずっこけることはできたかどうか分からない。脱力してその場で一回転しかねないくらい、転んでしまった小狼さん。放り出された大きなウロコのようなものをなんとかキャッチしてから、彼の安否を確かめた。

「驚いた!?驚いた!?これもモコナ108の秘密技のひとつ、超演技力!!」
「ほんとにびっくりしたみたいだねぇ」
「いや、あれは誰だってびっくりしますって!?」
「けどねぇ、きっとこれからもこんなこといっぱいあると思うよ」

モコナさんの冗談が過ぎる、と文句を言おうとすればファイさんに遮られてしまう。小狼さんの頭の上にいるモコナさんの気持ちを代弁するように、静かに小狼さんへ語りかけた。

「サクラちゃんが突然寝ちゃうなんて、しょっちゅうだろうし。もっと凄いピンチがあるかもしれない。でも、探すんでしょう。サクラちゃんの記憶を。そして、サクラちゃんを守りたいんでしょう」

ファイさんは小狼さんにだけでなく、私にも問いかけた。小狼さんの表情からは迷いが読み取れる。だったら、私はどんな顔をして今ファイさんと向き合っているんだろうか。

「だったらね、もっと気楽に行こうよー」

ファイさんの言う通りこの国に来たばかりの時や、その他の時と同じようにサクラ姫は突然眠ってしまうことがある。今までの世界ではサクラ姫には傷一つなく、危険な旅の中でも安全に過ごしてもらえていた。それがいつまでも、いつまでも続くとは限らない。ファイさんはそう言いたいのだろう。そして、私達を嗜めるようでいてどこか自嘲的な笑みを浮かべた。

「辛いことはね、いつも考えなくていいんだよ。忘れようとしたって忘れられないんだから」

それは、私達を心配した上での言葉?
それとも、ファイさん自身のことでもあるんですか?ファイさんも何か辛いことがあったんだろう、忘れたくても忘れられないことが。私にだって、あるくらいなんだから。

―― 今日からあなたは、この家を出なさい。
―― そして、今までと異なるあなたの在り方を探しなさい。

幼い頃、家を出るように言われた日。今でもこんなに辛くて、忘れたことなんてなかった。家を出なかったら、風の一族と出会えていなかったとしても。私は"一族"の務めを、果たしたかったのに。

「………」

でも、ファイさん。私の辛い記憶は忘れられないくせに詳細はこんなにも朧気で、きちんと思い出すことができないんですよ。それでは辛い思い出から逃げているようで、なんだかもどかしい。おまけにファイさんの優しさを素直に受け取ることのできない自分も、嫌になる。だんだんと俯いていく頭のせいで、私は周りの皆さんがどんな顔をしているのか分からなくなっていく。
話に加わらずに黙っていた黒鋼さんの顔なんて、特に。

「君が笑ったり楽しんだりしたからって、誰も小狼君を責めないよ。喜ぶ人はいてもね」
「モコナ、小狼が笑ってるとうれしい!」
「勿論オレも。あ、黒ぴんもだよねー」
「俺にふるな」
「……あっ、小狼さん!私も!私もですからね!!」
「ああ、それと。立花ちゃんもだよ」

慌てて話に加わろうと仰ぎ見れば、びしりとファイさんの人差し指が鼻先に突きつけられた。手袋に包まれた黒い指が、私の視界を占拠する。

「はい?」
「サクラちゃんを守ろうと必死になって、自分のこと後回しになんてしなくていいんだから。ね、立花ちゃんももっと楽しもう?ほら、さっきの黒りん面白かったよねー」
「黒鋼すっごく怒ってたー!」
「俺じゃねえっつってんだろ!!」

ファイさん達と黒鋼さんの愉快な喧嘩が今日は大盤振る舞いだ。見ていると、楽しくなってくる。からかわれている黒鋼さんからすれば、溜まったものじゃないんだろうけれど。そんな風にしている三人を見ているのが、楽しくて大好きなのだと再確認できる。

「…はい、すっごく面白かったです。あとちょっと不気味でした」

なんて言ったら頭をひっぱたかれるだろうな。それでも、言わずにはいられなかった。ファイさんとモコナさんは満足げにして、やっぱり私は叩かれて、事情を知らない小狼さんは首を傾げていたけれど。
そんな小狼さんにモコナさんがもう一度声真似をしてみせる。小狼さんもモコナさんの声真似には戸惑いの方が大きかったようだ。黒鋼さんは当然怒り出して、その場の収拾がつかなくなった。あんまりにも黒鋼さんが騒ぐものだから、サクラ姫が目を覚ます。

他愛のないやり取りが、とても愛おしい。小狼さんも私も、多分まだまだ完全に肩の力を抜くには時間が必要かもしれない。けれど、これはこれで楽しいものじゃないかとも、思わなくもなかった。

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