迷子との遭遇などもあったが心行くまで遊んだスパリゾートを後にしたのは13時半過ぎ。それから遅めの昼食を食べたりしながら旅館に戻って来たのが15時ちょっと前。部屋に戻って濡れた水着を洗面所で洗ってから部屋にあるユニットバス内に干したりしてから、ようやく落ち着いたのは15時半前。 旅行二日目の予定はスパリゾートと温泉街の散策にしていたので、予定進行の為にバタバタする事は無く、今も昨日サービスエリアで買った野菜煎餅を食べながらしばしの休憩タイムをゆったりとした気持ちで過ごしていた。 「真奈美さん疲れてない?大丈夫?」 「大丈夫だよ。健吾君こそ疲れてない?」 「なんか意外と平気。プールとか海って遊び終わった後どっと疲れるもんなんだけどね。」 「もし、どっと疲れが来たらすぐ言ってね?そうだ肩でも揉んであげよっか?」 「え?大丈夫だよ。」 「いいからいいから〜。」 立ち上がって健吾君の後に座り、そっと肩を揉み始めた。大丈夫とは言っていたものの健吾君の肩は少し張っている。あたしよりも大きい健吾君の背中とクセのある髪を見つめながらあまり力を入れ過ぎずそれを丁寧に解す様に揉んでいく。 「……気持ち良いや。」 「お客さん大分凝ってますね?」 「デスクワークしてるからですかね。……あ、お姉さんそこ重点的にお願いします。」 「ふふっ、畏まりました。」 それから暫く健吾君の肩や首をマッサージしてあげると「ありがとう。じゃあ今度は真奈美さんの番。」と健吾君は自分とあたしの体の向きを反転させて、肩揉みをしてくれた。 この旅行での疲れと言うよりは健吾君が言う様に普段の仕事で凝っていたであろう肩が、適度な力加減で解されていく。その心地良さと窓から差し込むポカポカの陽気と相まって、眠ってしまいそうだ。 「……ありがと。もういいよ。」 「少しは楽になった?」 「うん。気持ち良くてちょっと寝そうになった。」 「え?じゃあ少し昼寝でもする?」 「ううん。それより温泉街ぶらぶらしに行きたいワクワク感の方が強いもん。」 「本当に?」 「ホントにホントっ!」 「……それなら、リフレッシュもした事だし行こうか。」 「うん。ねぇ、どうせだから浴衣着て行かない?浴衣で温泉街ぶらぶらするのちょっと夢だったんだ。」 「いいね。じゃあ着替えて行こう。」 「健吾君、一人で着れる?またワタワタしちゃうんじゃない?」 「もうしないってば。……多分。」 「ふふっ。もしワタワタしたらあたしが手伝ってあげるよ。」 その後、ワタワタする事無く無事に浴衣を着る事が出来た健吾君。本当に昨日着れなくておじさんに手伝って貰ったのかな?と思うくらい、大した時間も掛からず合わせや帯の結び方など綺麗だ。 手先が器用で物覚えの速い健吾君なら、と一瞬思ったが綺麗に浴衣を着ている健吾君を見ながら「…あれ?」とある事を思い出す。 「そう言えばさ……。」 「んっ?」 「健吾君って学生時代剣道やってたんだよね?毎日の様に道着着てたら浴衣着れないって事無くない?」 「……あ、バレちゃった?」 「やっぱり!って昨日は気付かなかったんだけどさ。何でそんな嘘付いた訳?」 「ワタワタしてたのは俺じゃなくて知らないおじさんでさ。手伝ってあげたら「兄ちゃんすげぇな!」とか脱衣場で大声で言われて注目の的になって結構恥ずかしかったんだよね。それで真奈美さんもビシっと決まってるとか言うから何か、つい。」 「ふふっ、そうだったの。でもまぁ出来ない事を出来るって見栄張るんじゃなくて、出来る事を出来ないって言っちゃうのは健吾君らしいっちゃーらしいけど。……でもさ?」 「うん?」 「照れ隠しだとしても嘘は良くないんだからね?」 「……そうだよね。ごめん。」 「分かればよろしい。っていうか健吾君のは嘘って程じゃないし。じゃあ行こっか。」 彼なりの照れ隠しで付いたちょっとした嘘。 脱衣所でよっぽど恥ずかしかったのかな?でもそんな嘘わざわざ付かなくてもいいのに。と暫くクスクス笑いが収まらなかった。 たまーに付く健吾君の嘘は付かれたこっちの心が温かくなるものだったり、あたしを気遣ってくれる優しいものばかりだ。自分を良く見せようとか誰かを貶めようとする嘘は絶対付かない。こうゆう真っ直ぐでちょっと不器用な所もあるから、あたしは彼の事が好きなんだろうな。 繋いだ手に力を込めて笑顔を向けてあげると、悪戯を謝って許して貰った子供みたいに笑ってくれた。 旅館を出て、石畳の坂道や静かに流れる川に掛かる橋をのんびり歩いて回る。旅館の中に居る時よりも温泉地独特の硫黄の臭いが鼻に付くがそれに対する不快感などは無い。あたし達の様に浴衣を着た観光客などが行き交う街並みはとても情緒溢れる景色だ。 そんな景色の中にずらりと並ぶお土産屋さんは、店先で試食を進めたり気さくに話し掛けてくれたりと観光地独特の温かさがある。 「あ、ちょっとだけここ見てもいいかな?」 「ちょっとと言わず気になるならじっくり見ていいよ。」 足を止めたのは天然の温泉水で作った化粧水や入浴剤を置いてあるお店。マナへのお土産と自分用に何か無いかなと興味を持った。 じっくり見てもいいと言ってくれても、健吾君は興味の無い店だろうしあまりゆっくり見るのもな…。と思っていると、店先に居た母親くらいの年齢の店員さんに「いらっしゃいませ。」と声を掛けられ会釈を返した。 「お二人は旅行かしら?ここの温泉は疲労効果は勿論だけど、美人の湯とも言われてるから変える頃には奥さん今よりも綺麗になるわよ。」 男女のお客を見ればそう言うのがお決まりになっているのか、それとも本当にあたし達を夫婦と思っているのか。どちらにしても自分に向けられた「奥さん」という響きが擽ったくて、でも嫌じゃ無くて。 ちらりと健吾君の方に目を向けると、彼もあたしと同じ気持ちなのか少し照れくさそうな表情をしていた。 (あ、照れた。) スパリゾートでも照れた表情は見たが、一日にこうして健吾君の照れた顔を見るのはとても貴重でついつい黙ってその表情を見つめてしまう。 「あら、そんな照れちゃうなんて新婚さん?良いわねー。旦那さんは美容グッツにあまり興味無いかしら?奥さんが見てる間お茶でも飲んでたら?」 「え?あ、その…」 「折角こう言って下さってるんだからお言葉に甘えたら?」 「真奈美さん?」 「ほら奥さんもこう言ってる事だし遠慮しないで。奥さんもゆっくり見てちょうだい。」 「ありがとうございます。じゃあ、ちょっと見てくるね。」 「うん、分かった。」 「それにしても旦那さんカッコ良いわね。身長も高いし。うちの主人とは大違いだわ。」 「いや、そんな事無いと思いますけど…。」 どうやら店員さんは健吾君の事をお気に召した様なので、その間にあたしは店内を見て回っているとガラス棚に映る自分の顔がほんのり赤くなっている事に気が付いた。 店員さんに「新婚さん?」と聞かれた事を訂正しなかったのは、観光客慣れしてて社交辞令のひとつやふたつだって言うのであろう店員さんだとしても、新婚さんに間違えられて嬉しかったから。勘違いでも、恋人?と聞かれるよりももっと二人の関係が深いものの様に思える。 少し緩んでいる表情を引き締めお土産選びを再開する。店内をぐるりと見て回った結果、気になる商品が幾つかあったが、マナと自分用に源泉で作られているミストと入浴剤のセットを二つずつ手に取って、健吾君のもとへ戻った。 「お待たせ。」 「いいの有った?」 「うん。あ、お気遣い本当にありがとうございました。」 「いいのよー。旦那さんとのお喋りとても楽しかったもの。淋しいわー。って奥さんの前で言ったら怒られちゃうかしら?」 「いいえ。彼のお相手してもらったので私もゆっくり見て回れましたし。それに好きな人を気に入って貰えるのは凄く嬉しいです。」 そう返すと店員さんは微笑ましい表情をしながら健吾君に「ほらね?」と言った。そう言われた健吾君は「そうですね。」と嬉しそうな顔をしていて、全く状況が読めない。 「特別サービスしてあげるわ。」 「え?そんな悪いですよ。」 「いいのいいの。健康茶サービスで入れておくからね。はい。それじゃあ楽しんで。」 「ありがとうございます。」 「ありがとうございました。」 店を出てからどちらとも無く手を繋ぎ合わせると、擽ったい気持ちになる。 「サービスして貰えて良かったね。」 「うん。でもこれは健吾君があの店員さんに随分気に入られてたから貰ったような物だけどね。って言うかあの店員さんが言ってた「ほらね」って何の事?」 「真奈美さんが店内見て回ってる時に「こうゆう仕事してるとお客さんと上辺だけの会話って結構多くなってしまうんだけど、あなた達は違うわね。奥さんも少し話しただけでも温かい人柄なのが伝わってきたわ。それと凄く貴方の事も想ってるみたい。素敵な相手を選んだのね。」って言われたんだ。だから俺の事が気に入ったんじゃなくて、真奈美さんの人柄で貰えたサービスだよ。」 たった二言三言の会話しか交わしてなかったあたしの事をあの店員さんが自分の知らない所でそう言ってくれていた事や、ただ一緒に居るという理由だけでは無く健吾君の事を想ってる気持ちが第三者にまで伝わってるのかと思うと照れくささを感じる。 あたしがあの店員さんが健吾君の事を気に入ってくれた様子に嬉しさを感じたのと同じ様な気持ちで健吾君も「そうですね」と返してくれていたのだろうか。 「って言うか夫婦だと思われたままだったね。」 「否定しなかったしね。」 「健吾君は何で否定しなかったの?」 「多分、真奈美さんと同じ理由だよ。否定しなかったのも、俺が「そうですね」って答えたのも。」 店先で照れていた健吾君とは違って、今は慈しむ様な眼差しと穏やかな表情をあたしに向けてくれている。この手の温もりを、あたしに向けられる視線や表情を、これからも手離したくないなと思いながら「そっか。同じか。」と呟けば、その言葉も一緒に閉じ込める様にギュッと繋ぐ手に力を込められる。 こうして隣に立っている距離はいつもと同じだけど、心の距離はいつもよりもっと寄り添い合ってる様な気持ちで、あたし達は温泉街の店が閉まってからも暫く温泉街を肩を並ばせ歩いた。 旅館に戻ってからは昨夜とは違い部屋での夕食を楽しんだ。賑やかなレストランで取る食事も楽しいが二人きりで楽しむ夕食もとても美味しい。今日はプールで遊んだからかちょっと多いかなと思いそうな量だったお膳も簡単に平らげる事が出来た。 お腹が満たされてからは少し部屋でゆっくりしてから露天風呂に行くと、夜空に浮かぶ月が湯船にも映し出されていてとても美しく、体だけでは無く心も癒してくれる。 健吾君の入ってる男湯の湯船にも同じ様に月が映っているのだろうか? もしそうならば彼はどんな気持ちでこの月を眺めているのだろう? そんな事を考えながら「本当に来て良かったな…。」と誰に向けて言う訳でも無く零れたあたしの独り言は、ぷかぷかと浮かぶ水面の月と混ざって、体中に沁み込んでいった。 「月、綺麗だったけど真奈美さん見えた?」 「うん。湯船にも浮かんでたよ。」 「ホント?こっちも浮かんでた。周りに人が居なかったら俺掬ってたかもしれない。」 「その発想は無かった…!」 「ははっ。じゃあ今度あんな場面に遭遇したらチャレンジしてみてよ。俺もリベンジする。」 「うん。そんな場面に遭遇する事があったらさ、」 「うん?」 「その後、またこうやって健吾君にすぐ話せるかな?」 「……すぐ話してよ。何だったら一緒に見たり月を掬えたら良いね。」 「そうだね。」 部屋に戻って今日も二人で広縁で晩酌を楽しみながら、さっき入ってきた露天風呂の話をしていた。湯上りに飲むビールはやっぱり美味しくてあっという間に空になってしまう。 「健吾君まだある?次持って来るよ。」 「今日はもうお終い。」 「え?」 「はい、こっち来て。」 そう言うと健吾君は布団の中に入ってしまった。時計を見ると寝るにはまだ早い時間。 「もう寝るの?」 「俺じゃ無くて真奈美さんがね。」 「あたし?」 「今日は体動かしたし、お腹一杯になってお風呂入ったからもう眠いでしょ?」 「それは…。」 確かに健吾君の言う通りお風呂に入ったら疲れがぶり返したというより健吾君に肩を揉んでもらった時の様な心地良さが体中に広がっていて、ビールを飲みながら数回欠伸を噛み殺していた。横になったらそのまま寝てしまえそうな気がする。 だけど健吾君はまだ眠くなさそうだし、それにせっかくの旅行中なのにいつもよりも大分早い時間に寝ちゃうのは勿体無い気もすると思って、我慢してたんだけど健吾君にはどうやらバレバレの様だ。 「まだ大丈夫だよ?」 「昼間俺に言った事忘れちゃった?」 「昼間?」 「そう。嘘は良く無いって話。嘘って言うかさ、真奈美さんは俺に合わせてくれたりするけど無理はして欲しくないっていつも思ってる。」 「別に無理してる訳じゃ…。」 「真奈美さん?俺の目ちゃんと見て?」 「……すみません、本当はとても眠いです。」 「分かればよろしい。…こっちおいで。」 あたしが入れる様に布団を持ち上げてくれている健吾君。昼間と立場逆転だなと思いながらあたしは健吾君が作ってくれたスペースに体を滑り込ませた。 「今日は早めに寝て、明日早起き出来たら5時から露天風呂やってるみたいだし朝風呂にも入って帰ろう。」 「うん。それ凄く良いね。」 「だから俺も一緒に寝るし、真奈美さんもゆっくり休んで。」 そう言ってポンポンと頭を撫でてくれる手の温かさとリズムが心地良さは、一気に眠気を引き寄せる。目を閉じたらすぐ寝てしまいそうだ。 「健吾君。」 「ん?」 「おやすみなさい…。」 「…おやすみ。」 あたしを包む温かくて優しい温度を感じつつ瞼をそっと閉じれば、フカフカの布団と健吾君の体温に包まれながらまるで電池が切れた玩具みたい眠りに落ちた。 夢の中でも笑顔であたしの手を引いてくれる健吾君に「大好き。」と告げれば、夢の中では無くあたしの頭を優しく撫で続けながら「俺もだよ。」と健吾君が言ってくれた気がした。 ← →
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