:: 君との色んな距離、±0。 | ナノ

X:続く未来へ C


warming


――チュンチュン……。

まだ薄ぼんやりとした意識の中、何処からともなく聴こえてきた小鳥の囀りに意識を傾けた。
瞼をギュッと閉じてからパッと開き枕元にある携帯で時間を確認すると、セットしていたアラーム時刻よりも十分程早い時間だ。そのまま数回瞬きをしてから画面を操作しセットしていたアラームを解除した所で、同じ布団の中に居る健吾君をじっと見つめてみる。
起きている時よりも下がった眉尻、極端に長い訳では無いけれど決して短くも無い睫毛、薄く閉じた唇、寝息と共に僅かに動く身体。彼より先に目を覚ました時はこれらを飽きる事なくぼんやり見つめる事が多いが今日は程々に切り上げた。

いつもなら起きてから二人でゆっくりと出掛ける準備なんかをするが、この旅行中は朝食の時間も決まってるので会社に行く日みたいに起きてすぐ必要最低限の身支度を整えなくてはいけない。
歯磨きをする時間は同じにしても、どちらかと言えば髭が薄い方の健吾君はCMなんかで見る様なモコモコ泡や時間をたっぷり使ってシェービングするなんて事は無く、薄ら伸びたそれをサッと剃る程度だったり、水でバシャバシャ顔を洗えば一通りの準備が終わる。あたしはどちらかと言えばそんなに化粧に時間を掛ける方では無いと思うけれど、洗顔やスキンケアの時間を含めれば健吾君よりも時間が掛かってしまう訳だ。
あたしよりも身支度に時間の掛からない彼ならアラームをセットしていた時間よりも遅くに起こしても朝食に間に合うだろうし、昨日は長時間の運転や寝る時間が遅くなった為もう少し寝かせておいてあげる事にしようと、眠ってる彼を起こさない様にそっと布団と薄暗い部屋から抜け出し洗面所に向かった。

歯磨き、洗顔、化粧、そして髪の毛をサッと直し一通り準備を終えた所で時計を見るとアラームをセットしていた時間を少し過ぎてしまっていたが、健吾君はまだ布団の中で寝息を立てている。
健吾君を起こさない様に広縁にある椅子に座り、今日の天気予報や持ってきたガイドブックを読み返して少し時間を潰した。

しばらくすると、目が覚めたのか「んっ…」と健吾君が小さな声を溢したので、時間を確認するとそろそろ起こした方が良さそうな時間になっていた。
カーテンと窓を開け、パリッとした朝の空気が室内に取りこんでから健吾君に近づき声を掛けた。


「おはよー。朝だよ。起きる時間だよ。」
「んー、……おはよ。…今日はもう化粧しちゃったの?」
「うん。朝ご飯の前にちゃちゃっと。」
「いつもは食べてからなのに。」
「いつもは二人だからじゃん。一応旅館の人とか他のお客さんも居るじゃん。」
「そっかぁ。」
「なに?その間延びした声。何か問題でもあった?」
「ううん。んー…、って時間。真奈美さんが起きた時に起こしてくれて良かったのに。」
「今からでも健吾君なら間に合うでしょ。」
「間に合うけど。じゃあ、ちゃちゃっと顔洗ってくるね。」


そう言って今度は布団から出た健吾君が洗面所へ消えて行く。敷かれている布団を部屋の隅に片付け、冷蔵庫に入れていた缶コーヒーを取り出し広縁で朝の一服タイム。
窓の外の景色を眺めながら、今日の予定を思い出す。「きっと今日も楽しい一日になるだろうな。」なんて思いながらいつの間にかフィルター近くまでになっていた煙草を消し、残り僅かになっていた冷たいコーヒーをごくりと飲み干せば、タイミング良く健吾君が戻って来る。


「まだ時間あるし俺も一服しよっと。」
「うん。なんか、気持ち良い朝だね。」
「そうだね。」


それから朝食の時間まで他愛の無い会話をしたり朝のニュース番組を見て、穏やかな一日の始まりを過ごす。
朝食が始まる時間を少し過ぎた頃、あたし達は部屋を出て昨夜と同じ館内のレストランで朝食バイキングを済ませた。部屋に戻って来てからまた少し寛いで、あたし達は旅行二日目の目的地へと向かう事にした。





「……どうかな?」
「……。」


あたし達が訪れたのは大きな屋内プールがあるスパリゾートだった。温水の為年中入れる巨大なプールは勿論、スライダーや流れるプールなども設置されていて大勢の人で賑わっていた。家族連れやカップル、地元の人も居ればあたし達の様に観光で訪れた人も居るのであろう。

絶叫マシーンが好きなあたし達にとって何気なく目に留まったこのスパリゾートの売りであるウォータースライダーは心を擽られるものがあって「ここ行きたい!」と言ったものの、20歳そこそこの時とは違い25歳を過ぎれば正直水着姿になるという事に抵抗を感じなかった訳でも無い。
だけど折角の旅行だしと腹を括り水着になる覚悟を決め、どうせならと数年着て無かった水着では無く今日の為に白地に紺のドット柄のスカート付きビキニを買った。次はいつ着るかも分からないのでトレンドの形や柄では無いものを選んだつもりだけど、更衣室で着替え終わった自分の姿を見て「よっぽどじゃなきゃ多分もう着ないかも。」なんて思いながらも、入口前で付き合って初めて健吾君に水着姿を披露してる訳だが目の前に居る彼からの反応が返って来ず、それどころか珍しく照れた表情を浮かべている。
そんな表情を浮かべられては、こっちも恥ずかしい…とはならず、普段はあまり見ない(本人曰くあまり顔に出ないだけらしいけど)「照れる健吾君」と言う貴重なものを見てる気がして水着姿で居る事に恥ずかしさはあまり感じずに済んだ。
水着姿を初めて見せるのと同じく彼の水着姿を見るのも初めてだけど、ドキドキすると言うよりは相変わらず細身な身体で姿勢が綺麗だなと思ったし、黒をベースにしたタイダイ柄の海パンも彼らしくて似合ってると思った。


「おーい、健吾君?」
「……なんて言うか、想像以上の破壊力…。」
「え?」
「いや、似合ってるよ。」
「ふふっ。健吾君も水着姿を見てドキドキとかするんだね。」
「そりゃするでしょ。」
「じゃあドキドキしっぱなしだね。水着ギャルがわんさか居るし。」
「真奈美さんの、ってのがドキドキする一番の理由なんだけど。っていうか此処に来るまでは散々「いやー、恥ずかしいでしょ。」とか言ってたのに全然じゃない?」
「健吾君が照れちゃったから。恥ずかしさより物珍しさが勝ったみたいな?いつもと逆でおもしろいかも。」
「…俺で遊んでる?」
「そんな事無いよー?」


と返しながら、内心遊んでいた。だっていつもならあたしばかりが健吾君の言動や行動に照れたり恥ずかしがったりするのだから。十回に一回、いやそれよりもっと低い確率でこうして健吾君の心を掻き回せるのなら、遊びたくなっても仕方ない。


「本当にもう…。それよりプールに入る前はきちんとストレッチする事。」
「はーい。」


自分の方が劣勢だと思った健吾君が話題や意識を変えようとしたのか、言われた通りプールサイドに二人並んで軽くストレッチを始める。足がつって笑い話になればいい方だが、怪我でもしてしまえばこの旅行だって台無しになってしまうと思い、あたしは念入りに手首や足首をぐりぐり回した。

こうしてると学生時代の水泳の授業を思い出す。25メートルのタイムは早くも遅くも無く、水泳は得意でも不得意でも無かったなとか、タイムを計る以外はワイワイキャッキャッ友達と水を掛け合ってはしゃいでたなとか、そんな懐かしさが込み上げてきた。
健吾君の学生時代はどうだったのだろうと思いながら彼の方に目を向けると、背筋をシャンとしてアキレス腱を伸ばしている姿はなんだかシュールな光景だ。


「真奈美さん。笑ってるけどアキレス腱伸ばすのは大事なんだからね?」
「分かってるけど……ふふっ、こんなに人が居るのにあたし達が一番真面目で何だか可笑しい。」
「足つっても知らないよ。」
「つらないようにちゃんとするし。つってもちゃんと助けてくれるのも知ってるし。」
「……なんか今日は調子狂うなぁ…。」
「さて、ストレッチもちゃんとしたし目いっぱい遊ぼうか!」


最初こそ照れていた健吾君だけど、プールに入ってからは腕や足を引っ張ったりしてあたしで遊んでくる。ストレッチをちゃんとした効果か足がつるといった被害も無く、あたし達はまるで子供に戻ったみたいにプールで遊んだ。
ここの流れるプールは一定のスピードではなく内側と外側、それから所々でスピードが変わるらしく不規則な流れの変化が楽しかったし、別の比較的浅瀬のプールではビーチボールを投げて楽しそうな声を上げている人達に触発され、あたし達もビーチボールで遊んだ。目玉であるスライダーは長さだけでは無く、傾斜角度や大きなカーブなど絶叫好きには堪らないスリルが散りばめられていて何度も列に並んでしまった。

そうして一通りのプールを満喫した頃には楽しさで気持ちは高揚していたが体はぐったりしていて、休憩スペースへ移動するとさっきまで動いてたからあまり感じなかったが温水とは言え長時間水遊びした体は冷えてほんの少し寒い。休憩所内に幾つかサーバーの様なものが設置されていて水やお茶などは無料で飲めるらしく、健吾君が温かいお茶を取りに行ってくれた。

昨日はのんびり観光しながら楽しい時間を過ごしたが、こうして体を動かして楽しむのもやはり楽しい。結局何をしても一緒に過ごす人と同じ様な気持で楽しめれば、どんな事をしても楽しいのだろう。
などと昨日や今日の事を思い出し、頬を緩めていると「真奈美さん」と早々に戻って来た健吾君に声を掛けられた。


「おかえ、…り?」


健吾君は周りの人達が持ってる紙コップに入った飲み物では無く、小さな女の子の手を引いて帰って来た。予想して無かった展開に一瞬頭が回らなかったが、どう考えても迷子になってしまった子だろう。ひっく、と啜り泣きながら俯く女の子は小さな手に力を込めてるのが見て取れる。


「お母さんとお父さんとはぐれちゃったんだって。すぐそこでしゃがみ込んで泣いてた。」
「そう。……ねぇ、お姉ちゃんにお名前教えてくれるかな?」
「…っく、…みつき。」
「みつきちゃん。お姉ちゃん達がパパとママ探してあげるからね。」
「…うん……ひっく…。」
「お兄ちゃんが肩車してあげるからパパとママ見つけたら教えてくれる?」
「…うんっ。」
「よーし、じゃあ行くよ?……そーれっ。」
「わー!お兄ちゃん凄い!!」
「これならパパとママ見つけられそう?」
「うんっ!」
「お姉ちゃん達も探すの手伝うから、みつきちゃんのパパとママがどんな人か教えてくれるかな?」
「えーっとね、ふたりとも茶色の髪でパパはオレンジの水着、ママはお姉ちゃんみたいにおへそが見えない黒の水着を着てるの。」
「ママの髪の毛は長い?短い?」
「長くてサラサラ。あ、でも今日はみつきとお揃いの髪型なの。」


そう言うみつきちゃんの髪型は少し高めの位置で結んだポニーテールだ。健吾君の肩に乗った小さな体が揺れる度に濡れた髪の毛も一緒に揺れている。


「パパとママを探しながら、プールの人にみつきちゃんが「パパとママを探してます。」って放送してもらえる様にお願いしに行くね。」
「うん。……パパとママ、みつきを置いて帰ってないよね?」
「みつきちゃんの事、一生懸命探してくれてるよ。だから早く会えると良いね。」
「うん。」


みつきちゃんが不安にならない様に「好きなテレビは何?」とか「パパとママのどんな所が好き?」など色んな事を聞きながら、あたし達はキョロキョロと周りにも気を付けながらインフォメーションセンターまで向かった。
最初は泣いていたみつきちゃんも健吾君の肩車効果と不安でいっぱいだった気持ちが少し和らいだのか笑顔を浮かべている。純粋な子供の可愛らしさにほっこりする気持ちと、早くパパとママを見つけてあげたいと言う気持ちが交差する。
インフォメーションセンターの前に到着し、みつきちゃんが不安にならない様に健吾君にはそのままみつきちゃんの相手をお願いし係の人に状況を説明しようとした所で、今までとは違った大きな声で「あ!!パパとママ!!」とみつきちゃんが叫べば、その声に気付いた彼女の両親が慌ててこちらに掛け寄って来た。


「みつき!!」
「パパ!ママ!」
「心配したんだから!もうっ…見つかって本当に良かった……。すみません。ご迷惑をおかけしました。」
「いいえ。みつきちゃん、パパとママが見つかって良かったね。」
「うん!お兄ちゃん、お姉ちゃんありがとう!」
「本当にありがとうございました。」
「見つかって良かったです。みつきちゃん、パパとママともうはぐれない様にね。」
「え?お兄ちゃん達もう行っちゃうの??」
「うん。」
「えー…さみしいな。」
「みつき、お兄さん達を困らせないの。」
「だって、お兄ちゃんパパと違ってかっこいいし高い高い上手なんだもん。」


そう言って健吾君を見るみつきちゃんは、パパとママと会えた安心感だけでは無くおませな女の子の表情をしている。もしかして、いや。もしかしなくてもみつきちゃんは健吾君の事を気に入った様だ。
まだまだ小さい子と言っても、健吾君を見上げるみつきちゃんは恋する女の子の様でとても可愛い。そんな娘の表情を「あらら」と見守るみつきちゃんのママと、複雑そうな表情を浮かべるみつきちゃんのパパ。
幼い恋心を向けられている当の本人はどうするのかな?と健吾君の様子を伺う事にした。


「肩車はお兄ちゃんの方が上手だったかもしれないけれど、抱っこだったらみつきちゃんのパパの方が上手じゃない?」
「え?うーん、そうかも。みつきパパに抱っこしてもらうの好き。」
「じゃあ、さっきまでお兄ちゃんがみつきちゃんを肩車してあげたから今度はパパがみつきちゃんを抱っこする番だね。また今度お兄ちゃんと会ったら肩車してあげるよ。」
「ほんと?」
「うん。もう迷子にならない様にしてね?」
「わかった!約束する。」
「良い子だね。それじゃあまたね。」
「うん!お兄ちゃん、お姉ちゃんバイバイ。」
「本当にありがとうございました。」
「いいえ。それじゃあ失礼します。」


パパに抱っこされながら手をひらひら振るみつきちゃんと深々と頭を下げる両親が背を向けるまで、あたし達も手を振ったり頭を下げて応えた。


「ご両親が見つかって良かったね。」
「うん。それにしても可愛い子だったね。健吾君って子供の扱いも上手なんだね。」
「そうかな?正月とかに従兄弟の子供の相手したりしてるからじゃない?子供って可愛いし。」
「健吾君は子供とか出来たら肩車とかいっぱいして上げて「パパ大好き」って言われるお父さんになりそう。」
「それだったら真奈美さんだって、子供の立場になっていつも笑顔で居られる様な環境作って「ママ大好き」って言われるお母さんになると思うよ。」
「……お茶、飲もうか。」
「…そうだね。」


これ以上会話が続くと、いつもの如くあたしばかり健吾君に打ち負かされそうで思い出したかの様に話題を変えてみれば、健吾君もそれ以上会話を広げなかった。「いつもならこんなあたしをおもしろがるのに」と思いながら健吾君の横顔を見上げると、表情は変わって無かったけど少しだけ耳が赤くなっていた。

口にはしてないけれど、二人が考えてる事や赤くなった耳の理由が同じだったら、冷えていた筈の体がいつの間にか温かさを取り戻したのは、光を受けてキラキラと光る水面の様な眩しいあの子の笑顔のお陰かもしれない。

 


back

book menu
top

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -