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夢を見た。
夢の中の私は、とても幸せそうに笑っていた。産んだ覚えのない幼い息子と手を繋いで、パパのところに行こうとよーいドンの合図で夫の元へ駆け出して行った。私たちを受け止めた夫は、それはそれは楽しそうに顔をくしゃくしゃに綻ばせて抱き留めてた。幸せってこういうことを言うんだ、と、まるでそこが人生の最高潮であるかのような多幸感に包まれて、心の底から笑っていた。ふくふくとした息子の頬の桃色が、食べちゃいたくなるぐらい可愛くて愛おしくて、こんなにもかけがえのない宝を授かれた自分の人生がとても素晴らしいものに感じた───。

だから朝起きたときの爽快感といったらなかった。

私の人生に正解ってあったんだ、と、あの夢が指針となって、昨日まで泣いていた自分が哀れで惨めで、かわいそうになった。京楽隊長の隣にいても、ああいう幸せはやってこないと分かったからだ。
滅却師の襲撃から一年が経つ。このところ思い出すのはいつだって京楽隊長の後ろ姿ばかりだった。誰も経験したことのない崩壊した瀞霊廷の再建計画は途方もない内容で、だから、そう、仕方がない。どきどき顔を合わせては「そのうち時間を作るから」と苦く笑う京楽隊長に申し訳なくて、気にしないでくださいと笑いかけるだけが精一杯だった。大好きなひとの負担になってしまった過去の私。それでもいつか報われると思った私。馬鹿な私。人は意外と自分のことになると視野が狭くなるようで、これが友達のケースだったらアドバイスはひとつだろう。私が辿り着きたくなかった答えがそれだ。


「おはよ、何してるの?」
「あっ、なまえさん。おはよーございます」
「見てください、総隊長と伊勢副隊長」
「お似合いですよねえ」


外周を歩く伊勢副隊長と彼女に寄り添って歩く京楽総隊長の姿を見下ろして、二人は声をひそめて笑っていた。
誰も私が総隊長の恋人などとは夢にも思わないだろう。もちろん、バレたくないから隠し続けてきたわけだから、傷つく理由にもならない。


「伊勢副隊長、もう脚は大丈夫なのかしら」
「総隊長がずっと寄り添っていらっしゃるし…お似合いね」
「そうね、本当に。総隊長みたいな人が伊勢副隊長を選んだら、それこそ本気で選んだんだなって感じよね」


もうなにも感じなくなって、私は「もう仕事始まるよ」と呆れた声を投げた。各隊から届いた経費の請求書を処理しながら、夢の中の幸せそうな私の顔をひたすら思い出していた。
結婚も子供も望んでいたわけじゃないのに、あの未知なるきらめきに手を伸ばしたくてたまらない。京楽隊長じゃない誰かと。京楽隊長じゃない人と。京楽隊長は私と結婚してくれるだろうか。子供を考えてくれるだろうか。そりゃあもちろん私が言い出せば手を叩いて喜ぶだろうが、それではいけないのだ。京楽隊長は優しいから私の期待に応えようとするから。
こんな私でも、あんな風になれるだろうか。
家族を持って幸せになれるだろうか。
若いときは、その相手は京楽隊長でなければならなかったのに、今となっては微妙なところだ。京楽隊長と運良く結婚したとして、未来の私が彼との差や伊勢副隊長への嫉妬で苦しむのは目に見えているし、あんなふうに子供とかけっこする日が来るとは到底想像もつかなかった。

タイミングが良いのか悪いのか、実家の母が「せめて会うだけでも」とお見合い話を持ってきてしまった。お母さん、私、恋人いるんだよ。と、言えなかったのが私の弱さだ。
どうしたらいいか分からなくて、安心を求めて初めて一番隊舎を訪れたとき、あまりの荘厳な門にたじろいでしまった。私がいる八番隊とは、全く雰囲気が違う。


「なんだ?邪魔になるからあっちに行け」
「京楽総隊長にお会いしたくて…」
「はあ?お前が?約束はしてあるのか?」
「…いいえ」
「…取り次ぎぐらいはしてやる。何の用だ」


恋人に会うのも誰かを介さなければならないこの状況がおかしくてたまらない。私は耐え切れず噴き出して、番をする一番隊の隊員にこっぴどく叱られてしまった。
お見合いを承諾すると、意外なことに話はとんとん拍子に進んだ。京楽隊長に言わなければと思えば思うほど、相手の顔があの夢の中で見た夫によく当てはまって胸が熱くなってしまった。この人とならと、思ってしまった。
京楽隊長と話す時間が取れたのは、冬の入口に立つ季節だった。私に結婚の話が具体的に出てきたときだ。彼はすごく上機嫌に「やっと会えた」と私を抱きしめてくれた。ぬるい肌に頬を寄せるのは何だか嫌で、ぎこちなく離れると、京楽隊長は「話がある」と気にせず続けた。


「その前に私からいいですか?」
「ん?どうぞ」
「お見合いするんです。するというか、したというか。良い方でした」


京楽隊長は生き残った左眼を大きくして、しばらく黙っていた。どういう表情なのか分かりかねて、私は少し声を大きくした。


「優しくて良い方でした。少し歳上の…結婚しようかってことになってて」
「ちょっと待って、どういうこと?」
「報告が遅れてすみません」
「ボクが、いるのに?」
「家同士が決めたんです。本当は早く言いたかったんですけど、なかなか時間が合わなくて」
「… なまえちゃん、どうしてそう平然としてられるんだい」


どうしてと言われても、そんなの困る。だってあの夢にあなたは出てこなかったじゃないか。


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