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死に物狂いで入隊した護廷隊で初めに配属されたのは二番隊だった。霊術院の頃から京楽隊長に憧れていたのでモチベーションは下がったが、規律を厳守し使命に忠実な砕蜂隊長の元は意外と過ごしやすく、何より女性として第一線に立つ姿はとても魅力的だったからこのまま二番隊で犬のように働くのも悪くないと初心が薄れつつあった矢先、異動の辞令が言い渡された。
異動先は、八番隊。
その文字を見た瞬間、胸の中で初心の芽が開いて咲いた。
異動の日、憧れの京楽隊長が皆の前でのんべんだらりと挨拶を終えたあと私たちはそれぞれの持ち場で仕事を始めることになった。
詰所でひとり事務仕事をこなしていると、誰かに用事があったのか隊長と副隊長が部屋を訪れきて、新人でもない私の仕事ぶりを褒めてくださった。


「異動早々やる気いっぱいだねえ」
「は、はい!隊長の犬になりたいです!」


───言ってしまった。
二番隊で砕蜂隊長に忠誠を誓っていた本能はTPOを全く弁えてはくれなかった。伊勢副隊長は目を丸くして(当然の反応だ)、しかし、京楽隊長はにっこりと微笑みで返してくださった。


「またすごい子が入ってきたねえ。ボクのわんちゃんになりたいって?」
「京楽隊長、セクハラですよ」
「はいはい。えーっと、名前は……なまえちゃん、だったね」
「お、覚えていただき光栄です」
「二番隊の子からよく評判は聞いていたからね。そんじゃ、ほどほどに頑張って」


内部での評判がそこまで良くない二番隊の出であるにも関わらず、京楽隊長は私に笑いかけ、そして名前を覚えてくださっていた(後で知ったが、彼は隊の若い女の名前は全て覚えていた)。たかがそれだけのことなのにこの人に尽くしたいという忠犬のような熱望がとめどなく溢れ出てきて止まず、入隊当初の憧れも手伝って、崇拝に近い感情が押し寄せてきた。すみません砕蜂隊長、あなたに忠誠を誓ったのはすっかり過去になりました。まあ、もう八番隊員なので別にいいですよね。
犬発言からしばらく経ったあるとき、伊勢副隊長の姿を探して執務室を訪れると、中には京楽隊長しかいらっしゃらなかった。


「お疲れ様です。伊勢副隊長は………」
「あら、なまえちゃん。七緒ちゃんは会議で留守にしてるよ。1時間は戻ってこないだろうね」
「1時間…………」


彼は珍しく机について書類仕事をこなしていらっしゃってて、写真に撮って副隊長に提出したいぐらいだ奇跡的な光景だった。
出直しますと告げると、隊長は机の上の白い箱を指して私を制す。


「これなーんだ」
「それは?」
「カステラもらったんだよ。君も食べるかい」
「美味しそう!いただきます」
「いい笑顔だ。どうぞどうぞ」
「ここの、すごく有名ですよね。こんなにいいものをいただいていいんですか?」
「いいよ。早いもん勝ちだからね」
「えへ、ありがとうございます」


手際よく取り分けてくださった京楽隊長は、なぜかその白いお皿を床に置いた。


「え?あの、隊長」
「うん?」
「カステラ……」
「わんちゃんならこれで十分だろう。食べて」
「…ひぇ……?」


長い指がトントンと床の上のお皿を指し示す。それこそ犬猫にすすめるように。
そして隊長はゆったり脚を組んで椅子に座り直した。


「いらないの?」
「え、えっと」
「なんだ。ボクの犬になりたいってのは嘘だったのかい」
「………え?」
「初日にそう言ったろ。忘れちゃった?」
「あ、あれは…」
「さあどうぞ」


むりやり頭を押さえつけられているわけでも脅されているわけでもないのに流れるようにひれ伏し、お皿に唇を寄せる。つむじに熱い視線を感じたまま齧り付いたカステラは、柔らかさだけが舌の上で踊る。その味を楽しむ余裕なんて全くなかった。


「美味しい?」
「お、おいしいです…」
「おっと。犬が喋るのかい?」
「え……」
「なまえちゃん。犬が、喋るのかい」


空気が凍りつく。
まるで刀の切っ先を喉に突きつけられたような圧迫感が体を包み、次の瞬間、私が発せられる言葉は、ひとつしかなかった。


「わ、わん………」
「よくできました。お利口さんだね。そんじゃこっちにおいで。なまえちゃん。ああ、立っちゃだめだよ。そのまま四つん這いで来なさい」


鈍い頭で隊長の言葉を必死で噛み砕く。言うとおりにするから、さっきみたいに褒めてほしい。いい子いい子して、お利口だって頭を撫でて………………。
よたよたと隊長の足元まで這うと、ご褒美と言わんばかりに大きな手のひらでうなじを撫でてくださった。
こんなに近づくと酔ってしまいそう。京楽隊長の匂いと、力強さと、雰囲気と、眼差しと、………まるで洗脳……あまりに乱暴で、唐突で、いやらしくて、甘くて、逆らい難い洗脳……犬になりたい……京楽隊長の犬になりたい……。


「どっちかっていうと猫の方が好きなんだけど、なまえちゃんが犬になりたいってんならしょうがない。ボクがしっかり躾けてあげるよ」
「んんッ……っ、わ、ん」
「ボクの言うこと聞けるかい」
「ん、……ふぅ…」


唇を割り入って捩じ込まれた太い人差し指と中指が舌を押さえ、上顎をなぞる。反射的に吸い付くと、京楽隊長は想定通りというように嘲笑めいた笑いをこぼした。
やがて振り払うように手を引かれてしまい、寂しくなった口閉じるより先、彼は私にこう告げた。


「とりあえず脱ごうか。犬に死覇装は必要ないでしょ」
「えっ………で、も」
「返事は『ワン』だろう?」
「た、隊長、………わたし、」
「うん?」
「……あ…」
「脱いで、なまえちゃん」


落ち窪んだ目の奥に、支配欲だとか嗜虐心だとかの生々しい男の欲がはっきりと見て取れる。逆らえない。従いたい。私の乾いた女の部分が、今、少しずつ少しずつ湿り始めていた。

───八番隊に来てよかった。

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