鴨南蛮
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第四話


「痛っデ!やめ、降り、ろ、降りて下さい!………って、てめ、いい加減にしろって……!」 

 無事に期限内に書類の提出を終えた弓親が隊舎へ戻ると、執務室前の廊下で一角とやちるがじゃれ合っていた。一角の頭に齧り付くやちるを弓親が諭して引き剥がすと、やちるは不満げに頬を膨らませた。

「だってつるりんがお菓子ひとり占めしてるんだもん!」
「だからしてねぇっつーの!」
「してるよ!だって甘い匂いしてるもん!」

 ハッとした様子の一角は秒速で肩にかけてあった手拭いで頭を磨いて、してねえよ!と叫ぶ。やれやれ、と言わんばかりに弓親がどこからともなく菓子袋を取り出せば、さっすがゆみちー!とやちるはそれをぶん取ってすぐに何処かへと姿を消した。  
 助かった、と言う一角に、昼食がまだだと弓親が意味ありげに告げて、二人は馴染みの麺処へと足をのばした。

**

「いやにスッキリした顔してるよね」

 適当な席に腰掛けるなり、意味深な物言いの弓親は口角をあげる。いつも通り稽古をつけてきただけだが、と訝しげに一角が返せば、へぇ、と呟いて、お茶を運んできた給仕にいつもの、と目配せをする。

「つるりん、甘い匂いがするー」
「ヤメロ。それで上手く似せたつもりか」

 辛うじて呼び名で分かる程度のやちるの真似をした弓親が、頬づえをついてじっと一角を見やる。何だよ、と一角が睨み返せば、弓親は距離を縮めて鼻を数回啜る仕草をした。

「だーれかさんの、移り香」
「ばっ!?馬鹿か!てめえは!そんなんじゃねえっつの!…………ただ、あいつが、ふざけて、ぺたっと……」

 思わず怒鳴って、周りの視線が集まったことに気付いた一角は、弓親だけに聞こえる音量に直して呟いた。まだ面白げな視線を向ける弓親に耐えきれず、一角は手拭いを頭から被ってその視線を遮った。

「良かった。様子を見てくるように頼んだのは僕だから、椿姫の貞操がやぶられたとなれば僕にも責任の一端があるからね」
「……あいつの貞操心配すんなら、俺じゃなくてもっと他を警戒しろよ」

 呆れたように呟いた一角は、他って、と訝しむ弓親に答えもせず、頭から被った手拭いの隙間から、運ばれてきた器とそこから立ち昇る湯気を睨み付けている。
 一角が心ここにあらずだと悟った弓親は一つ溜め息を吐いてから、いただきます、と両手を合わせた。

「一つ聞きてえんだが……」

 相変わらず湯気を睨み付けたまま、一角は口を開く。改まって何かと弓親は箸を置いて一角を見た。

「……鴨南蛮といやァ、蕎麦じゃねえのか」
「は?」
「鴨南蛮に、うどんはねえよ」

 前から気になってた、と付け加えて、頭から手拭いをとった一角は、座り直して箸を割った。一気に蕎麦を啜って、鴨肉を頬張りながら、稲荷にも箸をのばす。

「鴨南蛮には蕎麦しかないなんて、蕎麦じゃなきゃ駄目だなんて、誰が決めたのさ」
「ンなこと知るか。だいたいどこでも鴨南蛮といや蕎麦だろーが。別に駄目だとは言わねえが、邪道じゃねえのか」
「蕎麦なんかより、うどんの方がずっと美しいからね!」
「うどんが美しいって……」
「一角も一度食べてみるべきだと思うね!もしかして、好みが変わるかも知れないだろう!」

 むきになる弓親が面倒くさくなって一角はそれ以上何か言うのはやめた。苛ついたように七味を振りかける弓親は、器用に玉柄杓に収めた麺と葱を頬張った。それを飲み込んで、弓親は一つ、咳払いをする。

「ねえ、聞いてよ!あたし昨日すごいもの見ちゃった……!」
「…………お前、まさか、」

 急に頬に手をあて身体をくねらせる弓親に、一角は目を見開いて固まった。乱菊の真似をする弓親が気持ち悪かったからではない。にこーっと妖しく微笑んだ弓親を見て全てを悟った一角は、松本の野郎!!と叫んで卓上に拳を叩きつけた。

「一角にとっての当たり前が、相手にとってもそうだとは限らない」
「ァ?」
「今までがそうだったからと言って、この先もずっとそのままだなんて思わない方がいい。それに変わる、ってことは何も悪いことじゃない」
「俺はっ……別に、あいつのことは何とも……」
「何の話してるの?僕、鴨南蛮の話してるんだけど」

 わなわなと震える一角の手から箸が滑り落ちて床に転がった。新しい箸を持って駆け寄る給仕を制止するかのように、一角は手掴みで残りの稲荷を頬張ると、勘定、と呟いて懐から出したお金を手渡した。
 そそくさと店を出て行った一角の代わりに釣り銭を受け取って、弓親はその後を追う。

「お釣り、いらないの?」
「やる」
「……口止め料にしちゃ、少ないんじゃない」
「違ェよ。さっきの礼だ。……菓子でも補充しとけよ」
「ああ、何だ、そっちか」
「他にどっちがあんだよ」

 どこかしてやったり顔の弓親を一瞥して、一角は舌打ちをする。
 
「つか、口止め料なんかなくても止めとけよ、口」
「はいはい。ま、僕より乱菊さんに見られた、って時点で、もう僕が黙ってることに意味は無いだろうけどね」

 明日にはもう、瀞霊廷中に知れ渡っていること然もありなんと、一角の身体には脂汗が滲む。ご愁傷様、と弓親が見せかけの憐れみでその肩を叩けば、一角はふらりと蹌踉めいた。長い長い溜め息を吐いて、面倒くせえ、と独りごちた一角は頭を抱えて、今日はもう寝る、と弓親へ告げて自室へと戻って行った。



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