決意表明
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第三話


 窓から光が射し込む。それが朝なのか昼なのかは分からない。ぐっすり眠ったようにも思えれば、ただうたた寝を繰り返していただけのような気もする。時計を確認しようにも身体をひねることさえ出来ない。未だかつて感じたことの無い程の尋常じゃない頭痛に襲われて、一ミリも動けないでいた。昨晩たらふく入れたはずの水分が、身体中の器官から全部蒸発してしまったみたいに、口の中も喉の奥も胃の辺りまでもがカラカラに渇いている気がする。
 とても楽しそうにしていた恋次が途中でなぜか居なくなったこと、乱菊さんのちょっと大人な話、修兵と飲み比べをしたこと、ぐらいの記憶はあるんだけれども、いかんせん、それ以降の記憶が無いに等しい。ともかく、きちんと寝間着に着替えて自室にいることがせめてもの救いだと思ったのも束の間。もしかして、昔々の虚討伐でヘマをやらかした時よりも、今の方がマズイんじゃないかと不安が過る。だって、あの時のように四番隊は駆けつけてくれないし、整った設備があるわけでも、昼夜病状を気にかけてくれる係が居るわけでもない。
 このままじっとしていれば治るのだろうか。どのぐらいじっとしていればいいのだろうか。そもそも、お酒を少し飲み過ぎたぐらいで、これ程までの頭痛を催すことなどあり得るのだろうか。

「十一番隊……?ほう。あの粗暴集団に未だ女隊士が残っていたとはネ。あの野蛮人の下につこうなどと考える君の思考回路は到底理解しかねるヨ。まァ、飽きたら言いたまえヨ。その脳味噌を検体にしてやらんこともないヨ」

 いつかの涅隊長の言葉が蘇る。もはや昨日の飲み会すら、記憶操作されたものなんじゃないかという気がしてきた。とてつもなく恥ずかしい思いをした時、記憶喪失になりたいと切に願ったことがあるけれど、実際記憶が無いということがこんなにも恐ろしいことだなんて、今思い知ってる。

『嫌だ、まだ死にたくないぃ』
「二日酔いで死ぬ奴があるかよ、莫迦野郎」

 思いがけず響いたその声に、こんなに安心感を覚えたことはない。半べそをかいてしまったあたしを見て、一角は指をさして笑った。
 飲め、と差し出された丸い粒は技局特製で、二日酔いに効くらしい。技局という言葉に過剰に反応したあたしに、一角は今朝自分も飲んだと付け加えた。

「ほら。信じらんねえぐらい楽になんぞ」
『………』
「何だァ、その目は」
『どうして来てくれたの』
「どうして、って……お前昨日しこたま呑んだろ。今頃絶対ェ動けねえんだろうなって、思ったからよ」
『それでわざわざ薬持って、看病しに?』
「……何が言いてえ」
『一角が優しい!おかしい!おかしいよ、絶対!技局の差し金っ!』
「は!?差し金?」

 つい大きな声を出してしまって頭痛が痛い。もう訳が分からない。頭を抱えたら、舌打ちが聞こえて上体が浮いた。顎を持ち上げられて開いた口に水が流し込まれたから、閉じ際に放り込まれた薬まで一緒に飲み込んでしまった。何か異変が起こるんじゃないかととっさにしがみついたけれど、一瞬固まって顔を背けた一角にやんわりと引き剥がされた。
 すう、っと痛みが引いて数分の取り越し苦労は終焉を迎えた。

『はぁ良かった、ほんと。何かされたのかと思った』
「は!?な!?何もしてねえから!何もしてねェぞ俺は!」
『分かってるよ。それにしても、こんな割れるぐらい頭痛くなるんだ、二日酔いって』
「そりゃ加減もしねえであれだけやりゃァそうなるわな。……覚えてねェのかよ、昨日のこと」
『うん。途中から、ね。よくちゃんと帰ってこれたもんだよ』

 一角が持ってきてくれた水を飲み干して、時計を見れば十時を回ったところだった。今日の午後提出期限の書類を、午前中に仕上げる予定だったのに、急がないと間に合わない。
 立ち上がろうとして感じた違和感に動きを止めた。下半身がいつもより涼しいことに気付いて、一角の目を盗んでおしりの辺りに手を添わせばやはり浴衣の下には何も身に付けていないようだった。まさか、慌てて毛布を捲し上げて中で胸のあたりも確認してみたけれど、案の定、で焦る。
 どうした、と不思議がる一角に何でもない風を装うしかないあたしは、とにかく礼を言って早く去ってもらうよう、でも悟られぬようやんわり、と一角に告げた。

「ああ、書類のことなら心配しなくていいぞ」
『え?』
「さっき執務室顔出したら、昨日弓親のやつ非番だったから、今日は早目に出てきたらしい。急ぎの分は済ませておくから心配しなくていい、んだとよ」
『そうなんだ……。何か、悪いなぁ……』
「いいんじゃねェか、たまには」

 急ぐ必要のなくなってしまったあたしは、ほっとしたような困ったような複雑な気持ちになった。サボれて良かったな、と皮肉めいた一角を一瞥してため息を吐く。そんなあたしをよそに一角は思い出したように吹き出した。

「それにしても、死にたくないぃぃぃって!ギャハハハハハ!!!」
『なっ……!』
「そんなんでっ……!そんなんでよく更木隊が…!ギャハハハハ!ハハハ、勤まるもんだぜ!」

 情けないところを見せたことは自覚している。それにしても笑いすぎだろう。抗議の意味をこめて繰り出した正拳は易々と受け止められて、一角にとっては何の意味も成なさないように見えた。けれども思いの外、それは効果的に一角を黙らせることに成功した。あたしの手首を掴んだまま、俯いた一角が何かを呟いたけれど聞き取れず、聞き返して数秒、間があって急に顔を上げた一角が叫んだ。

「何だよこのちっせえ手!おまけに何だって、てめえが、てめえがそんな女みてえな匂いなんざさせてやがる……!何なんだ、てめえは……!」
『ちょ、何、何怒ってんの』

 急に手首を投げ返してきて、失礼極まりない一角は、なんだか錯乱している。手が小さかろうが、あたしが更木隊四席であることに変わりはない。ただ女だというだけで、示しがつかんとでも今さら言いたいのか。
 匂い、と言われて思い至った枕元に置いてあった丸い容器に手を伸ばす。慎重に蓋を回し開けて白い中身を指で掬った。

「あ!おい……!何しやがる!」
『あたしより弓親の方が、よっぽど女みたいなんだよぉ!いい意味でねぇ!』

 女で何が悪い。ほとんど手入れという手入れもしないあたしを信じられないとばかりに、弓親がくれたその軟膏のようなものは保湿くりぃむ、というらしい。それを一角の頭にぐりぐりと塗り込んでやった。
 ずぼらなあたしでも使いやすいように、肌はもちろん爪や髪にまで使える万能品だと聞いている。大事に使っていたつもりが、この前うっかり逆さまに落としてしまったのを拭き取っただけだったから、匂いが染み付いていたのかも知れない。

『弓親にもらった高級品なんだからね!ほら、男前があがったよ。はいっ』

 仕上げにペシンと頭を叩けば、青筋を浮かべて口元をひくつかせた一角に睨まれた。こうやってわざわざ様子を見に来てくれて薬まで飲ませてくれたことには感謝している。でも弱ったあたしを笑って、女がどうとかで急に怒りだして、そりゃ頭も叩きたくなるというもの。
 それにしても、軽く頭を叩いたぐらいでそんなに怒ることがあるか、というくらいに、てめえ、と一角の眼光はさらに鋭さを増した。

「ちゃんとしろよ、戸締まり」
『…………は?』

 何の脈絡もなく発せられたその言葉に、思わずすっとんきょうな声が出た。執務室を出るのは大抵あたしが最後だけれど、戸締まりはいつも気を付けていたつもりだ。それでももしかしたら締め忘れていたことがあったのかも知れない。
 気を付けろ、と念を押す一角の声色は上司のそれで、ふざけてはいけないときのそれだと空気を読んだあたしは大人しく、はい、と頷いた。

「解ればいい。…………あ、あー、んじゃ、俺そろそろ行かねえと。その、あの、その、そのあれ、そう!隊長に呼ばれてんだよ」

 じゃあな、と急に思い出して慌てた様子の一角は、軽く寝台に飛び移って、後ろの窓から去って行った。
 呆気にとられていると、今度は突然、スパーンと大きな音を立てて襖が開いた。驚いて振り返れば、嬉々とした顔の乱菊さんがそこに立っていて、きょろきょろ辺りを見回したと思ったら鼻息荒く近付いてくるから何だかいい予感がしない。

「生まれちゃった?」
『生まれ?ちゃった、って何ですか』
「やだ、昨日熱く語り合ったじゃない。まさか、忘れちゃったんじゃないでしょうね」

 熱く語り合った、というよりは、乱菊さんが一方的に説いていた所謂男と女の話は、あんな男所帯にいて浮いた話が一つもないなんておかしい!と乱菊さんに詰め寄られたのが事の発端だった。
 本当に一角とは何もないのか、と念を押されて、あるはずが無いと答えれば、えーつまんなーい!と駄々をこねられ、じゃあ恋次は?弓親は?と矢継ぎ早に問いかけられても、残念ながらこればっかりはそうご期待に添えることではなかった。
 家族同然であって今さらそういう対象にはお互いならないし、乱菊さんだって例えば日番谷隊長のことそういう風に見れないでしょう?と問いただせば、そんなことないわよ、と検討違いな答えが返ってきた。所詮男と女、いつ恋愛感情が生まれてもおかしくないのよ、と乱菊さんは思わず見とれてしまう程、妖艶な笑みを浮かべたのだった。

『覚えてますけど……。昨日の今日で何が生まれるって言うんですか』
「えー?だって昨日、手ぇ繋いで仲良く帰ってたじゃない、さっきまでここにいたやつと」
『は?何言って、』
「とぼけても駄目よ。ちゃんと見てたんだから」
『マジで……、言ってます?あたし、一角と、……手、……繋いで……?』
「そうよ。それで足元ふらっふらの椿姫が寄りかかって、一角も優しく抱き寄せちゃったりなんかして……!」

 キャーと顔を両手で覆った乱菊さんは本当に愉しそうで、あたしは血の気が引いた。一角は、それを全部覚えているんだろうか。その上であたしに確かめたんだろうか。それとも、覚えてない一角もこんな風に誰かにからかわれて、真相を確かめに来たんだろうか。

「それでぇ、……そうやって抱き締め合ったまま、二人の顔が近付いて、キ」
『はーーーーー!!!?』
「スでもすればいいのに、って思ったけど、ノリ悪い修兵がさっさと帰りましょうなんて急かすから、見れなかったのよぅ!」
『ちょっと待って、一体どこまで本当のことで、どんな脚色で、どこからが乱菊さんの妄想で願望なんですか』

 なんだかまた頭痛が戻ってきた気がして憂鬱になったあたしをよそに、乱菊さんはさぁね〜なんて無邪気に舌を出してみせた。ねぇねぇ、とさらにまたあたしに詰め寄って、乱菊さんの瞳はこれでもかって程に輝いている。

「朝まで一緒だったの?」
『んなわけ!んなわけ無いでしょう!』
「……ほんとに?だってさっきまでここに居たじゃない。さすがのあたしもここまでは予想外だったから、あんた達の霊圧セットで見つけてもう居てもたってもいられないったら!」

 何もやましいことは無いし、ただ薬を持ってきてくれただけのことを話してみても、乱菊さんの前ではそれさえも、恋仲への布石に変えられてしまうのだから、つい言葉は尻すぼみになる。

『と、ともかく!昨日は乱菊さんも酔っ払ってたことだし、何かの見間違いですよ、きっと。恋仲とか、そういうの、あり得ないんです、本当に』

 そうであってほしい、と自分の願望も含まれていることは否めないけれど、それを抜きにしても、仮に見間違いでなかったとしても、それに意味なんて無い。きっと、意味なんて、無い。

「じゃあ、何が駄目なの」

 なかなか認めようとしないあたしに、寝台に頬杖ついた乱菊さんが半ば投げやりに問いかけたのかと思ったら、思いの外、純粋に疑問を呈した表情でこちらを見ている。窓からの日射しに目を細めて、ハゲなら三日で慣れたでしょ、と笑う。
 改めて思い返して、強いてあげつらうような欠点も浮かばずに、少し考え込んでしまった。いや、そもそも、何が駄目とか良いとかそういう問題ではなくて、男とか女とか、そういう世界で生きてないんだ、あたし達は。

「十一番隊だから?」

 見透かされているのかいないのか、あたしの横へ腰掛けて乱菊さんはあたしの肩を抱いた。答えあぐねて乱菊さんの胸に顔を預けて、そのまま倒れ込む。

『あたしはどっちかって言うと、こういう癒しが、ぷりんぷりんな嫁が欲しいんですよぅ』
「あ、こらっ!やめ、やめなさい!」

 押し倒された乱菊さんはくすぐったいとぼやくけれど、その手は優しくあたしの髪を撫でた。

「お、お前らっ……!」

 聞き覚えのある声に二人して顔を向ければ、頬を染めた日番谷隊長がそこに立っていた。

『日番谷隊長!?』
「やだ、隊長。女の子の部屋にノックもせずに入るなんて、野暮ですよ」
「ノックもしたし、声もかけた!……邪魔して悪かったな」

 とんでもない誤解を訂正する間もなく、乱菊さんが悪ノリをして、いいとこだったのに、なんてまたあたしを抱き寄せる。見境ってもんが無ェのか、と日番谷隊長に一喝されて、こんな冗談も通じないなんて身長伸びませんよ、と乱菊さんも応戦するもんだから、間に立つあたしは気が気でない。

『あのっ!日番谷隊長!乱菊さん、あたしが体調悪いの心配して、様子を見に来てくれたんです』
「大丈夫だ、日向。松本のこれは今に始まったことじゃねえ。……行くぞ」

 部屋の隅が凍てつき始めたのを確認して慌てて割り入ったけれど、日番谷隊長は乱菊さんを一瞥して踵を返した。仕方ないといった様子で肩をすくめた乱菊さんも、立ち上がってそのあとへ続く。

「ねぇ椿姫。また近々飲みに行きましょ、今度は女二人っきりでね」
「余裕があるのはいいことだが、そういう約束はあの書類の山、片付く目処が立ってからにしろ」
「大丈夫ですよぅ。あんな山、優秀な隊長がすーぐ片付けちゃうから」

 さらっとウインクを決めた乱菊さんに、松本!といつもの怒号が響いた。
 賑わいが去って、もう一度寝台に横になる。毛布を頭から被って叫びたい衝動にかられながらも、昨日の記憶を呼び起こそうと必死に脳に働きかけた。それでもどうにもこうにも思い起こせない記憶に不安ばかりが募る。
 もう二度と深酒なんてしないと心に固く誓った。



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