取り越し苦労の再算段
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第二話


「どっしゃらー!!終わったー!!!」

 訳の分からない叫び声をあげた一角が、ラストスパートと言わんばかりに書類に向かっていたあたしの全神経を蹴散らした。

『って、全然終わってないじゃない』
「そうか?」

 どうでも良さそうな返事をして、さて、と刀を肩に掲げる一角は、あたしの三分の一にも満たなさそうな仕事の成果とは裏腹に、すごくスッキリした顔をしている。クイっと一角の親指の先が示すのは、ちょうど終業の時刻を示す壁掛け時計だ。
 猫の手でも借りたくなるこの書類の山を目の前に、時間だからと切り上げられるそのお気楽な頭、入れ替えて欲しい。と一瞬切実に願ったけれど、キラリと光る頂点にやっぱりいいや、と一人頭を振った。
 一つ溜め息を吐いて、お疲れ、と一言、また書類に目を落とせば、一角に腕を掴み挙げられて、立たされた。

「へいへい。いつもんとこで、文句ねえんなら」

 恨めしそうな顔でもしていたのだろうか。そんな意図は無かったのに、嬉しい誤算だった。

『もちろん奢りですよねぇ、斑目三席ッ』
「都合のいい時だけ上官扱いするような奴に出してやる金は無ェ」

 頭をこつかれて、早くしろ、と諭される。なんだかんだ言いながら、いつも飲み終わる頃には人知れず、お勘定は済まされている。その上官の大きな背中に笑いかけて、申し訳程度に書類を揃えたら、今日終わらせるはずだった課業への未練などすっかりと消えてしまった。

*

 華金とあって賑わった店内の、空いた席に横並びに座って、一角と乾杯をした。思わず漏れた息に、色気が無いなどと指摘を受けたとしても、そんなことはどうでもよくなる程に、喉を通る心地の良いこの爽快感は本当にクセになる。急に一角が吹き出すから、周りを見渡してみても、華金らしい喧騒しかそこにはない。

「いや、あんまり美味そうだから、奢りがいがある奴だなと思ってよ」

 そう言って一角はまた笑う。一角とのお酒の席は、思っていたよりも随分と落ち着いたもので、話している時間よりも黙っている時間の方が多いんじゃないかと思うくらいのものだった。初めこそ気を回して間を繋いでいたものの、今となってはそれが無用の長物だと理解していた。

「あらー?一角に、椿姫じゃない」

 心地よい沈黙を割って、侵入して来た声の方に目をやると、乱菊さんが面白そうな視線を向けてそこに立っていた。

「知らなかった!あんた達いつの間にそんな仲!?」
「そんな仲って……、は!?マジっすか!?」
「ふざけてんなよ、松本。もう酔ってんのか。恋次、てめえもいちいち松本の言うことを間に受けてんじゃねえ」

 ぶっきらぼうに一角が言って、あたしはそんな仲の意味を遅れて理解する。愛想程度にお疲れ様です、と笑って見せて、遅れてやって来たその後ろと視線がぶつかった。

「よう」
『修兵。………に、射場さん!?』

 お久しぶりです、と席を立って一礼したら、右手でシッシと払われた。

「こがいな席でそない畏まった挨拶せんでええわい。久しぶりやのう、日向。それにしても一角、女子(おなご)と二人きりやっちゅーに、もうちと色気のあるとこ選んだったらどうや」
「誰が女子だって?よせよ、射場さん。いくら女っ気が無ェ十一番隊だからって、俺にも選ぶ権利ぐらいあ、う゛っ…!!!」

 皆まで言う前にその減らず口に削りくさしのワサビを突っ込んでやった。咳き込みながら水を求める一角に、べぇと舌を出して見せたら、案の定、スイッチの入った一角がてめえ!と叫んで立ち上がった。

「はいはいはい、今のは一角さんが悪いっスよ」

 後ろから恋次が一角を羽交い締めにして、嗜めるように水を差し出した。その様子に射場さんは相変わらずじゃのう、なんてサングラス越しに、たぶん目を細めている。

『っていうか、不思議な面子ですね。しかも、こんなところで』

 こんなところで、というのに卑下する意味はまったくない。けれど、この面子で集まるなら、十一番区にあるこの居酒屋よりも、九番区辺りの飲み屋街へ行く方がそれぞれにまだ近くて済むのにと思ったからだ。

「今日の主役のご指定だからな」

 恋次の肩に腕を回して、修兵がからかうように恋次の脇腹をつついた。主役と言われた恋次は焦った様子で修兵に何かを耳打ちしている。

「お邪魔じゃないんなら、あんたたちもどう?」

 誕生日か何かだったかと考えていると、乱菊さんが店の奥の方を指差して、もちろん断る理由はないあたしと一角は揃って頷いて、その一行の後ろへ続いた。

*

『昇進!!!?』

 それぞれのお酒を前に、射場さんの口から発せられた言葉が全くもって寝耳に水で、思わず乾杯の音頭を遮ってしまった。当の恋次はと言えば、気まずそうに頭をかいて苦笑いしている。どういうことかと視線を投げ掛けてみても、乾杯を待たずしてぐい呑みに口をつけた一角は、ついと視線を逸らした。

『一角、知ってたの?じゃあ、弓親は?』
「……知ってます」

 黙ったままの一角に代わって恋次が答えた。喜ばしいことであるのに、あたしの胸中は穏やかではない。自分だけが聞かされていないこの状況で、恋次と一角のこの反応を見れば、否応なしに悪い予感が押し寄せる。
 六席の恋次が昇進するということは、必然的に五席以上の席次となるわけで。隊首試験なんて受けてる素振りは無かったし、まして更木隊長や副隊長に敵う訳がない。無論、一角も然り。弓親にしてみても変な理屈で五席に甘んじてるだけであって、あたしなんかよりよっぽど四席に相応しいのは周知の事実だろう。
 ということは───────、

『え、あ、あたし、左遷!!!?』

 漸く思考に決着がついて、天を仰いだ。出世に興味があった訳ではない。十一番隊士にあるまじき、きっとバレたら非難されるだろうが、正直、何番目に強いだとかいうこともどうでもいい。ただ一つ、あたしが恐れているのは降格された席次と共に下がること必須である、お給金のことだった。
 つい先日、乱菊さんの反物屋巡りに付き合った折、女の嗜み!だとか何とか押し切られて、着る機会も検討がつかないのに見立ててもらった一張羅と装飾品諸々が脳裏を掠める。

「なんや、阿散井。日向にまだ話しとらんかったんかい」

 混乱した頭で月賦の再算段と店主との交渉を決意したあたりで、大丈夫か、と射場さんはあたしの目前で手をひらひらと動かして、乱菊さんはといえば人の不幸は蜜の味と言わんばかりに笑い転げている。その隣でバシバシと二の腕を叩かれている修兵は、一応は笑いを堪えようとしてくれているみたいだけれど、むごむご堪えきれず波打つ唇に余計に腹が立つのは気のせいだろうか。

「安心しなさいよ、椿姫」

 漸く気の済むまで笑い終えた乱菊さんは目尻の涙を拭いながらにっこりと笑う。もしかして件の一張羅は乱菊さんからのプレゼントだということか、淡い期待を抱いて次の言葉を待てば、すぐにその期待は裏切られることになった。

「俺、副隊長になるんス。……六番隊の」

 いい意味で裏切られた期待に、最初は耳を疑ったけれど、ことの成り行きを見守るみんなの優しい表情を見て、何の冗談でもないことがすぐに理解できた。

『恋次、』
「はい」
『れん、じっ、』
「おう」

 頭の中を、色んな事が、思いが、走馬灯のように駆け巡って言葉にならず、両手で口を覆った。相変わらず、みんなの表情が優しくて、言葉よりも先に溢れ出そうになってギリギリ堪えていた涙腺は、そっと背中に添えられた射場さんの手によって決壊した。

「椿姫さん。今日だけっスよ」

 仕方ねえな、と言わんばかりの声色で恋次が両腕を広げた。あたしは感情が昂ると誰彼構わず抱きついてしまう癖がある。恋次や弓親にはこの癖が問題だとして、時々咎められていた。
 今日は本当に特別な日なんだ、と改めて嬉しくなって、無遠慮に文字通り飛び付いた。その広い胸にやっと、おめでとう、と言えたら、恋次は驚かせたくて黙っていた、本当はもっと雰囲気のあるところで言いたかった、とまるでプロポーズでもするみたいな言い草に思わず吹き出してしまった。


「何笑ってんスか。つか、そろそろ離れて下さいよ、鼻水とかついたら嫌だし」
「そうそう、椿姫。今度はあたしの番♪さ、恋次」

 まるで当然の流れかのように乱菊さんが両腕を広げて、恋次は分かりやすく頬を染めた。

「な、ななななな何言ってんスか、乱菊さん!」
「役得、役得♪二度とないわよ〜こんなチャンス」
「役得って…。って!?ちょ、ちょ、先輩!檜佐木先輩!刀!斬魄刀しまって!もう射場さん助け、って、あんたもかよ!?何っなんだ、あんたら!」

 お約束の展開に我関せずの一角はといえば、給仕によって運ばれてきた料理を受け取って、目当ての肴に箸をのばしている。それも含めていつもの光景に、正直少しだけ芽生え始めていた寂しい気持ちが和らいだのは内緒だ。
 とはいえ、あたしと乱菊さんとではあまりに違いすぎる恋次の反応に、少し悔しくなって、本当に鼻水を擦りつけてやろうかと恋次の胸倉を掴んですり寄った。


「ちょ、椿姫さん!副隊長じゃないんスから!」

 マジ勘弁!と恋次は言葉とは裏腹にその声はとても楽しそうだ。やちる副隊長とあたしがまるで同列かのような言い草はちょっと頂けないけれども。
 よし、と射場さんの手拍子で仕切り直しとなった宴は、主役が酔い潰れさても尚お構い無しに、夜通し盛り上がり続けるのだった。



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