微睡みの侵略者
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第一話


 暗闇の中で体を丸めた。知らぬ間に体は冷え切っている。そういえば今夜はぐんと冷え込むらしいと誰かが言っていたのを思い出した。毛布を手繰り寄せようとして、微睡みの中、手を伸ばす。伸ばした手が温かい何かに触れ、それが人の体温だと気付くのに時間はかからなかった。

「乱暴な奴だな」
『う、わ!』

 温もりを奪還すべく、毛布を引き張がしにかかったのはいいが、目を覚ましたらしい修兵に、反対に引っ張られてバランスを崩して抱き留められた。すぐに離れようとして力を込めたけれど、存外固く回された腕は解けない。

『ふざけてんの、殴るよ』

 聞こえなかったはずはないのに回された腕の力がより一層強くなって、前髪を伝う修兵の吐息は、徳利に鼻を突っ込んだかと見紛う程に、濃密なお酒の臭いを放っている。
 調子に乗るな、とその酔っ払いに向かって下から頭突きをお見舞いしてやれば、非難の声がとんだ。
 涙目で顎をさする修兵の顔を月明かりが照らして、ふと明かりの主の方に目をやれば、性懲りも無く、閉めくさしの窓がそこにあった。どうりで寒いわけだと合点がいって、その丸い窓をこれみよがしに大きめの音をたてながらきっちりと閉めてやる。振り向きざまに睨んでみせると、苦笑いを浮かべる修兵は気まずそうに視線を逸らした。

『何であんたはいつも普通に入って来れないの?なぜに窓から!?』
「あぁ、悪い悪い。悪かった。今度からは普通に入るからさ、こういう乱暴なのは、勘弁してくれよ」

 じゃあおやすみ、と何事もなかったように、修兵は毛布をかぶる。もはや幾度と繰り返されたこのやりとりに諦め半分とはいえ、だからといってその隣で横になる訳にもいかない。仕方なく隣の部屋の炬燵へ寄って釦を合わせると、じんわりと体を包む温もりに体を預けた。
 そもそも、修兵がこんな風に訪ねてくるようになったきっかけは、この炬燵を初めて自室に運び入れた日に遡る。

 副隊長とかくれんぼをしていた最中、たまたま入った物置きは席官専用で、見つけた炬燵は埃をかぶっていた。心当たる席官数名に尋ねてみても持ち主が分からずじまいだったそれを、勝手に拝借した。
 半信半疑で釦を合わせて次第に温かくなる足元にひどく感動していたら、それに水を差すかのように隣の部屋から物音がした。咄嗟に斬魄刀を手に取ろうとしたけれど、生憎、今まさに物音がした部屋に置いてあることに思い至って舌打ちが出た。
 ところが霊圧を探って感じる、どこか懐かしい感覚に次第に警戒心が薄れていった。誰、と呼び掛けてみても応答はなかった。

 意を決して隣の部屋へ踏み込めば、黒い影が寝台の脇に倒れていた。駆け寄って揺さぶれば、ゆったりした動きでその人物は上体を起こした。顔はまだ見えなかったけれど、こんなふざけた死覇装の着方をする奴は一人しか知らなかった。

『…………修兵、だよね』

 うつろだった目を次第に見開かせた修兵と視線が合わさった。久しぶり、とかけた声は、数十年ぶりに顔を合わせたにしてはあまりにも簡素すぎたせいか修兵の耳にはかからなかったらしい。窓から現れた突然の訪問者に驚かされたのはこちらの方で、それなのに目の前の修兵はといえば、驚きのあまりといった様子で目を見開いたまま微動だにしない。

『えっと……何か用?あ、同窓会の知らせとか?』

 数十年ぶりの来訪の理由にしては、少し弱い気もしたけれど、修兵との共通点なんてそれぐらいしか思い浮かばなかった。けれど、我に返ったらしい修兵がきょろきょろと周りを見渡して、あ、とか、え、とか、いや、なんて言葉に詰まっているあたり、これは自分に会いに来たわけではないと気付いた。

「あれ、えっと……ここって、阿散井の…………?」
『あぁ、恋次ならちょうど反対側の角部屋なんだけど』
「何っ!?すまん!」

 律儀に下げられた頭に、時の流れを感じながら話を聞けは、さっきまで呑んでいた恋次の部屋に忘れ物を取りに行くつもりがどうやら部屋を間違えてしまったらしい。部屋の灯りをつけてみると、ばつが悪そうに頭をかく修兵の頬はほんのり紅く染っていた。

『お酒、呑めるようになったんだ。心なしか、背も伸びた?』
「それはねえだろ、とうの昔に成長期なんか終わってる。…………本当に、久しぶりだな、椿姫」
『そうだねぇ。だって修兵、もう副隊長なんだもんね。……って、タメ口で話しちゃってるけど』
「いいって同期なんだし。椿姫だって四席じゃねえか、しかも十一番隊の」

 知ってたんだと驚けば、当然だろうと笑われて、修兵も恋次と仲がいいことを思えば、あたし達がこれだけ長い間顔を合わせなかったことの方が逆に不思議なことなのかも知れない。
 そして、互いの近況報告を手短に済ませると、修兵は恋次の部屋へと向かって行った。去り際に言ったまた改めて飯でも、の言葉がそのわずか三日後に実現されるとはこの時はまだ知らなかった。
 それからというもの、恋次と呑んだ帰りにはあたしの部屋へ顔を出すようになった。同期のよしみで始めの頃は快く迎え入れていたけれど、どんどん遠慮なしになる修兵の態度に危機感を覚えて、一度部屋から締め出したことがあった。けれどその翌朝、人の部屋の前で蹲り、凍死寸前の修兵を目の当たりにして以来やむを得ず、無理には追い出さないことにして今に至るのだった。

*

 目が覚めると、何だかいい匂いがした。いつの間に寝入った体は、固い床と限られた空間で、自由にできなかったせいで所々が痛い。うんと伸びをすると肩が鳴った。

「起きたか」
『……まだ居たの』
「なんだよ、その、まるで早く出て行って欲しいみたいな言い草は」
『その通りなんですけど』

 大袈裟なリアクションでひでえ……!と言った修兵の両手には、同じように盛り付けられたお皿があった。昨晩のお詫びです、と修兵が芝居じみた畏まり加減で頭を下げて差し出してきたのは、なんとも美味しそうな朝食だった。このわざわざ買ってきたかどうにかしたウインナーに免じて今回は許してやろうとそれを受け取った。

「じゃァ、俺行くわ」

 身支度をしていると、襖の向こうにいる修兵の声がした。もう食べたの、と襖の隙間から顔だけ出せば、頷いた修兵がたまには一緒に出るか、なんて笑うから、全力で拒否させて頂いた。

「つれねえ奴だな、ったく。んじゃ、いってきます」

 ごく反射的に、いってらっしゃい、と言ったら、修兵が振り向いてはにかんだ。何がそんな表情をさせたのか知る由もないけれど、今の顔は撮っておくべきだった、とこっそり舌打ちをした。修兵の写真は女性死神協会経由で高く売れるのだ。

「あ、ちょっと待って!」

 袴紐を急いで結び、廊下へ出る引き戸に手をかけた修兵の方へ駆け寄る。どうした、と不思議そうに首を傾げる修兵より先に引き戸をそろりと引いて、顔だけ外へ出し、辺りの様子を伺った。

(左右、隊士無し。よし!上下、やちる副隊長無し。よし!)

『はい、今のうち!』

 やはり一緒に出るのかと勘違いした修兵の背中を廊下へ押しやって、再びいってらっしゃい、と手を振れば、今度ははにかまなかった修兵にその手首を掴まれる。何事かと固まるあたしをよそに、あたしの死覇装の合わせ目を正して修兵は溜め息を吐いた。

「もうちょっと自覚したらどうなんだ」
『自覚?』
「もっと女らしくしたらどうだ、って話。こんな男所帯に居るせいで感覚が麻痺してんだよ」
『失礼な!十一番隊の看板娘つかまえてそりゃないわ』

 いつかの乱菊さんに教わった悩殺ポーズ及びウインクをバチリと決めてやれば、一瞬たじろいだ修兵が慰めるようにあたしの肩を叩く。

「……まぁ、なんだ、うん。乱菊さんのモノマネするのはいいが、如何せん椿姫と乱菊さんには身体的に決定的な違いが…ぁ"ッ」
『あたしがホントに女らしくないってんなら、きっとあんたのせいね』

 鳩尾に拳をくらって蹲る修兵を見下ろして、早く行ってと踵を返す。部屋に入ろうとして、ふいに名前を呼ばれて振り向けば、いつの間に真剣な面持ちをした修兵が立ちはだかる。その表情に今度はあたしがたじろぎそうになるのを堪えようとしたけれど、一歩、修兵がこちらへ近付いて、一歩、なぜだかあたしは後退った。

「やっぱりいい」
『へ?』
「やっぱりいい。しなくて」
『何、』
「女らしくしなくていいから」

 そう言い残した修兵は瞬歩で去って行った。影すら追えなかったことに感銘を受けて、やっぱり副隊長ってすごいんだと独りごちる。我に返って急いで入った部屋の中で時計を確認したら、始業時刻が迫っていた。
 一瞬、焦ったけれど誰も居ない朝一の執務室を思い出して、せっかくだからゆっくりと鏡の中の自分と対峙することにする。久しぶりに入念に櫛を通した髪は、いつもより高い位置で結んだ。



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