月と星

0-3.スタルキッドと妖精


 足跡がない、といっても追うことができないわけではなかった。
 まるで誘っているように、木々の間にちらちらと妖精の光が見え隠れするのだ。
 少年はやがて、天然の洞窟になっている大木の、朽ちて空洞になった幹の中に消えていく光を見た。

「……」

 その入口まで追いかけてきて、はたと立ち止まった。洞窟の中は暗闇だった。
 ほんの数瞬の思考ののちに、彼は再び走り出した。しかし何歩も数えないうちにふっと足下の感覚が消え失せた。
 急激にやってくる落下の感覚の中、伸ばした手は何も掴まなかった。
 少年は落ちていった。





 想像していたほどの衝撃はなかった。というより、ふわりと着地した、という感じで怪我ひとつなかったのだ。すぐさま少年は体勢を立て直し、前方をにらみつけた。先ほどの二匹の妖精が宙を舞っていたからだ。

『はーい、お疲れ様』
『スタルキッド、連れてきたよ』

 二色の光がそれぞれ違う声を発したとたん、真っ暗だった森の底に、突然強烈な光が灯った。不意をつかれて少年は目を押さえた。徐々に慣れさせながら、そこに現れた第三者の姿を見た。
「オマエ、この森に何の用だぁ?」

 昼間の太陽よりも明るい光の中に立つ『そいつ』は、妙に間延びした声を発した。ぼろぼろの衣服をつけ、不気味な仮面をかぶっている。魔物とも違う、小鬼だ。これが『人でないもの』の正体か、と少年は心に呟く。

「そちらこそ、何故ここへ誘った」

 用心しつつ、少年は低く答える。……と、彼の冬空色の瞳が軽く見開かれた。同時に剣の柄に左手がかかる。

『スタルキッド! このニンゲン、武器持ってる!』

 紫の方の妖精が、怯えたように震えた。だがそれには目もくれず、少年はまっすぐに仮面をつけた小鬼に視線を注いでいる。
 正しくは、宙に浮いた小鬼の姿に。
 仮面から覗く黄色っぽい目を細めて、小鬼は笑った。

「ナマイキなやつ……。その目、気に入らないぞぉ」

 小鬼が空気の上を滑るように少年に近づく。顔色を変えた少年は左手に力をこめた。しかし、剣は抜けない。

「なっ……!」
「オマエ、何か持ってるなぁ?」

 そのまま小鬼は少年の懐に手を入れた。少年はもはや身動きひとつできない。小鬼が手を引くと、青く光るものが握られていた。

『わあ……キレイなオカリナ!』
『スタルキッド、アタシにも触らせなさいよ!』

 二匹の妖精が騒ぐのにも耳を貸さず、小鬼はそのオカリナをしまいこんだ。少年は苦しそうに声を絞り出す。

「返せ……!」
「なんだ、まだ喋れたのか。うるさいやつは、キライだぁ」

 ふざけたような言葉を呟きながら、小鬼は少年の瞳をじっとのぞきこんだ。顔をそむけようにも、動かせない。見たくないのに、黄色い二対の光に目が吸い寄せられてしまう。

「やめろ……!」

 小鬼の目はいつの間にか、鏡のように少年の姿を映し出していた。

「ニンゲンの顔は、もう見飽きたぞぉ」

 鏡に映った少年が一瞬揺れた。次に現れた姿は、少年ではなかった。
 そのことを認めた途端、『彼』の視界は闇に染まった。





『ねぇねぇスタルキッド、ボクにもオカリナ貸してよ』

 森の奥深くで、紫色の妖精が羽音をたてた。小鬼は取り合わず、ひとり新しい楽器に熱中している。
 その後ろで、白い妖精がふと振り返った。

『さっきのニンゲン、なんだったのかしら……』

 だが、そんなつまらない考えはすぐに忘れられてしまった。そう、ニンゲンごときが『彼女』らと関わりをもつことなど、ありはしないのである。

『彼女』……妖精チャットは、もう振り返ることはなかった。


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