月と星

0-2.禁断の森


 ハイラルの国境近くにある、『禁断の森』と呼ばれる一帯にて、先ほどの少年は馬を下りた。ひとつには、いよいよ本格的に降り出した雨を避けるためだ。

「エポナ、お疲れ様」

 体を拭いて愛馬をいたわってやると、少年は雨宿りに選んだ大木の根本に座り込んだ。





 ……何故彼があの男たちに追われることになったのかというと、それは彼の失敗のせいだった。

 国境近く、しかも街道沿いということもあってそれなりに栄えている町で一泊した少年は、その朝、馬の手綱を引いて早くも混雑してきた街道をゆっくりと歩いていた。前方の酒場の扉が開くのが見える。中からはすでに酔っぱらった粗野そうな男たちが出てきた。少年は関わるまい、と避けて歩こうとしたが、先方からわざとらしくぶつかられたのだ。それだけならまだよかったものの、よろけたときに彼が取り落としたものが問題だったのだ。

「よそ見して歩いてんじゃねぇぞ、坊主」
「お、綺麗なもん持ってるじゃねぇか」

 地面に転がった光る青いものを、あわてて少年が拾い、半ば隠すようにしまい込んだ。しかし、男の一人はしっかりとその青いオカリナに刻まれた印を見てしまっていた。

「王家の印……、おい、お兄さんによく見せてごらん」

 無理矢理出したような優しい声に耳も貸さず、すぐさま少年は走り出した。しばらく馬と併走し、飛び乗った後はそのままスピードを上げて駆けていく。
 いつしか街道のざわめきは違う種類になり、それも雨で消えて、最後には町から遙かに離れたところを走る馬影と、それを追うものが続いた。





 少年はひとつ頭を振ると、今朝からの出来事を頭から振り払った。第一、わざわざこの『禁断の森』まで遠路はるばるやってきたのは、あの男たちから逃れるためではなかった。
 彼は、数ヶ月前に別れてしまった友達を捜して旅をしている。
 そして、この森はその友達がいそうな場所としては、かなり有力な候補だった。

「『禁断の森』……か」

 呟きが漏れた。先の町で集めた情報によると、ここが『禁断』と呼ばれる所以はいくつかあった。
 まず、平和なハイラルには珍しく魔物が出没すること。これでまず物好きな奴以外は立ち寄らない。
 次に、別名が『迷いの森』というだけあって、一度足を踏み入れると方向を見失い、脱出するのが難しくなること。
 最後に……これはあくまでも噂の域を出ないことだが、『人でないものが出没するらしい』こと。

 三つめの理由については、少年はほとんど気にとめてもいないのだが、前の二つは充分気を引き締めるのに値した。だから、装備も万全の状態でやってきたのだ。
 ……だが、実際に森に入ってみると、むしろ神聖な場所とさえ思えるのだった。
 もちろん入った当初は神経を張りつめ、どんな些細な気配でも逃すまいとしていたのだ。しかし感覚のセンサーには何も反応せず、少年は拍子抜けしてしまった。

「はずれだったのか……?」

 静かに自問してみるが、答えは見つからなかった。音もなく降る雨を長めながら、彼は大木に体重を預けた。彼の愛馬も雰囲気に呑まれたのか、おとなしい。
 そして、少年はゆっくりと力を抜いていった……。





 あたたかい息が顔にかかった。彼はまぶたを閉じたまま正確に手を伸ばし、愛馬の頭をなでた。

「雨、あがったのか」

 喋ることで意識を覚醒させ、残りの眠気を吹き飛ばした。多少日は傾いたようだが、まだまだ探索可能な時間帯だった。「よし、行くぞエポナ」

 慣れた動作で愛馬に飛び乗ると、少年は徒歩よりほんの少し早い程度の速度で走らせたが、ほどなくして遙か前方に奇妙な光点を見つけた。
 目をこらすと、それは二つの光の玉がふわふわ浮いているようだった。片方は白、もう片方は闇の色だった。
 たいていの人はそれが何かは分からなかっただろう。しかし、彼は一瞬でその正体を悟った。同時に全速力で駆け出した。徐々に距離は縮まるが、気づかないのか、光は逃げようともしない。さらに少年は加速しようと手綱を握る。だが、愛馬は主人の意向に反して急停止した。

「エポナっ」

 とまどいの叫びをあげながらも必死にバランスをとる主人を尻目に、今度は高く前足を上げ、いなないた。手が滑り、ついに少年は背中から地面に落下した。
 一瞬気が遠くなるほどの激痛に顔をゆがめたが、彼は恐ろしいほどの精神力で上半身だけ起きあがった。

「エポナ……どうしたんだ」

 まだ馬は興奮状態にあり、あきらかに目の焦点は合っていない。はっとして素早く視線を走らせると、いつの間にか二つの光が――否、羽の生えた光の玉が馬の周囲を飛んでいる。

「妖精? あ、まて!」

 光の動きに合わせて馬も動く。光は森のより深い方へ飛んだ。馬も後を追う。
 少年は立ち上がって追いかけようとしたが、そこでふと地面を見た。今は雨も上がった後だし、土はぬかるんで深い足跡を残すはずだが、馬の足跡は綺麗になかったのだ……。

「……」

 この森には、どう考えても、あの男たちよりももっと危険な『何か』が待ち受けているに違いなかった。


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