Short | ナノ


今日も私は君を(ジャーファル)


「ジャーファルさん、ゴンベエちゃんに謝ってください!ゴンベエちゃんが泣いてましたよっ」

「傷つけたことは謝りますが…私は悪くありません」



ある日の午前中。白羊塔の廊下で呼ばれて振り返れば、両頬を膨らませるピスティがいた。その背後には窓の外に視線を向けるスパルトスと、声を殺して大欠伸をするマスルール。二人が乗り気でないのは誰の目にも明らかだ。

「見損ないました!ジャーファルさんはゲドーです、ゲドー!」

ねえ?と同意を求めたピスティは、身体ごと右に捻ってスパルトスを見上げる。ピスティと視線がぶつかると、明らかに困惑した様子でササンの騎士は口を開いた。

「外道とまでは思いませんが…恋人に縄票を向けられたゴンベエの気持ちを思うと」

「だから…それはゴンベエが悪いんです」

我々の話に出てくるゴンベエとは、シンドリア王宮の図書室に勤める司書。ピスティの親友であり、私の恋人でもある。三年前の夏の区画整理事業の資料探しが一歳下のゴンベエとの出会い。一時期毎日のように王宮図書館に出入りしていた私とそこで働く司書は、急速に距離を縮めていった。

ゴンベエに告白されたのは、区画整理事業が片付いて接点がなくなろうとしていたとき。私の無茶振りにも期待以上の成果をあげる司書を、異異性として私も気にしはじめていた頃で、告白を断る理由なんてなかった。ゴンベエの告白で始まった関係だが、今では私も彼女と同等かそれ以上に彼女を大切に思っているのに。

「そんなこと言ったって、ゴンベエちゃんと付き合ってもう二年半ですよね?」

「ええ。二年と半年、そして十八日です」

間髪容れずに答えれば、わかりやすくスパルトスは私に引いている。表情に出ないだけで、おそらくファナリスも同じだろう。普段なら口笛を鳴らすなどして囃し立てるピスティは、険しい表情を崩そうとしない。

「好きな人がいれば、抱きつきたくなるのは当然じゃないですか!」

ピスティが大声を出すと、廊下にいる人々が揃ってこちらを振り返った。今の発言が私に向けられているのは、三対一の構図から誰の目にも明らか。四方八方から注がれる好奇の塊のような視線に、思わずクーフィーヤの裾で顔を隠す。

「だったら正面から抱きつけばいいでしょう?私の背後を取るような真似をするから悪いんです」

ゴンベエを私が泣かせたのは、昨晩のこと。非番だからと政務室にやってきたゴンベエが、背後から私に抱きつこうとしたのだ。

幼少期から暗殺業を叩き込まれた私にとって、死角の人気は即ち死の気配。瞬時に武器を手にして相手の喉元に宛がわなければ、自分の命がなくなる。そう教えられて育ってきた。このことはゴンベエに何度も説明しているし、シンドリア王宮で官職を新規採用するたびに出自を隠しつつも伝えてきたことだ。

「そのことは確かにゴンベエちゃんも知ってますけど…でも彼女くらい察知すればいいじゃないですか!」

「相手を判断する一瞬が命取りなんです」

「でも…シンドバッド様や私たちには縄票なんて向けないでしょっ」

それはピスティの言う通り。しかし、シンや八人将には仲間として背中を預けられるほどの信頼感があるからにすぎない。それを口にすれば、「あったまきた!」とピスティが地団駄を踏む。とはいえモルジアナの地団駄と違って床は割れないし、足音もペチペチと鳴るだけ。

「私たちより彼女のゴンベエちゃんに、その信頼感を向けるべきですっ」

「…それはできません」

「理由は?」

疑問を口にしたのは、ピスティに連れられてから無言を貫いていたファナリス。スパルトスもピスティも私も、突然言葉を発したマスルールに揃って視線を向けた。しかし、"他意はない"と言いたげな八人将の末っ子は口を開こうとしない。むしろ自身の質問に対する答えを、視線だけで私に要求していて。

「…ゴンベエが私を狙う諜報員だったら?」

「は?」

少し離れた距離でも視認できるほど深い皺を眉間に寄せるピスティは、もはや呆れを隠さない。いつも潤いに満ちてキラキラしている瞳は乾ききっていて、光を遮断していた。

「私の命だけが狙いなら、まだいい。しかし…シンやこの国が狙いだった場合、"私の気の緩みが原因で諜報員に隙を与えました、ごめんなさい"では済まないでしょう?」

「しかし、あのゴンベエが諜報員とは…」

「私もそう思う。でも、無自覚のうちに諜報活動している可能性を無視したらいけないよ…"ゼパル"のように」

ゴンベエは春の太陽のように穏やかで朗らかな女性。たとえ何らかの事情で自ら諜報活動に加担しても、あとで騙された側を思って泣きわめく性格だ。仕事の腕は優秀なのに抜けている一面もある恋人はとても諜報活動には向かないし、捨て駒にすらならない。かつて裏社会で生きた人間として、そう私は判断していた。

気持ちの赴くがままに身体も心も恋人に委ねられたら。そう私だって思っている。それでも、かつて自分に立てた誓いを守るためには、恋人でも疑ってかからねばならない。

「もうっ!ジャーファルさんなんか知らない!ゴンベエちゃんに謝るまで口を利いてあげませんからっ」

「…好きにしなさい」

「スパちゃんとマスルールくんもだよっ!」

頭上に"ぷんすか"の文字を浮かべ、眉を吊り上げて頬を膨らませたピスティ。捨て台詞を吐いて背を向けた小さな女性は、連れ立った二人を置いて廊下の奥に消えていく。

「君たちはついて行かな…おっと、口を利けないんだった」

わざとピスティの発言に乗っかれば、わかりやすくスパルトスは狼狽える。その隣のファナリスは表情一つ変えず、瞬きもせず私を凝視していた。

「…ごめん、困らせたね」

自嘲を含んだ笑い声をあげると、スパルトスが私に意見する。"私の言い分もわかるがゴンベエが気の毒だ"というスタンスを、最初からササンの騎士は崩さない。

「いえ…しかし、このままではあまりにゴンベエが」

「安心して。ちゃんとゴンベエには謝るから…傷つけたことに関しては」

へらりと後輩たちに笑みを返し、私は踵を返した。



「ゴンベエさん、今時間ありますか?」

「ジャ、ジャーファル様…」

昨日非番だったなら今日は仕事のはず。そう判断して王宮図書館に足を運べば、予想通り司書が働いていた。

昨晩の行為によほどゴンベエは傷ついたようで、笑みを絶やさないはずの顔は曇っている。いや、曇らせた。私が。胸の痛みを痛がる資格もない私は、すぐに恋人に駆け寄りたい衝動を抑える。

「…あと十分ほどで昼休憩をいただきますから、それまでお待ちいただけますか?」

「もちろんです。人払いをしますので、昼休憩に入ったら政務室に来てください」

「…承知いたしました」

交際自体は隠さないものの、公私を区別すると決めている私たち。たとえ交際を知る相手しかいない場でも、仕事場では交際前同様に敬称と敬語を使う。

まだ仕事中だから、と両手に抱えた巻物を脇に抱え、拱手とともに会釈するゴンベエ。脇に挟んだ巻物を両手に戻した司書は、巻物の所蔵場所へと向う。ゴンベエの昼休みに向けた準備がある私も、ぐるりと王宮図書館を見渡してから黒秤塔を発った。



「失礼いたします」

政務室をゴンベエが訪ねたのは、十分を三十秒ほど過ぎてから。自分と私しかこの部屋にいないことを確認したのか、正面から恋人は私に抱きついた。人払いしたとはいえ政務室での大胆な恋人に一瞬たじろぐが、背中に回された腕は細かく震えていて。顔を隠すように私の胸にゴンベエは顔を押し付けてくる。

「ジャーファル、昨日は…ごめん、な、さい…」

「私こそごめん、昨晩は悲しい思いをさせて」

外側から恋人の背中に腕を回し、謝る必要はないと伝えるようと力強く彼女を抱き締めた。しかし、逃げ出そうと身を捩るように激しくゴンベエは首を振る。

「ううん、悪いのはわたしだから…やらないでって、付き合う前から何度も何度もジャーファルは言ってたのに」

とうとう両手で顔を覆い、しくしくと私の腕のなかで泣きはじめるゴンベエ。たとえ恋人でなくても、女性でなくても、人を泣かせていい気はしない。しかし、目の前の相手は最愛の女性で。うわ言のように謝罪を繰り返しす恋人の姿は、ヒリヒリとした痛みを私の胸に焼きつける。

「顔を上げて、ゴンベエ」

恋人の両肩に手を置き、屈んで顔を覗き込もうとしても、顔から手を彼女は離さない。そして私の要望を拒むように、無言で左右に顔を震わせる。昼休みは有限だし、このままでは埒が明かない。恋人の顔に宛がわれたゴンベエの両手首を自分の手で掴み、ぐっと私の胸元まで引き寄せた。

「や…だっ…ジャーファルの手が、濡れちゃ」

「私がつけたゴンベエの心の傷は消えないんだから、せめて涙くらい拭わせて」

涙でべとつく手を前掛けで軽く拭き、恋人の両耳の後ろに両手を置いて顔を上向かせて。目が合ったのは一瞬で、再びゴンベエは俯いてしまう。私から逃げるように赤く潤んだ目を伏せる姿すら、たまらなくいとおしくて。涙を拭うのも忘れてゴンベエを抱き締めていた。

「何度も謝ってくれてるけど…本来謝るべきは私だよ」

私の言葉に腕のなかで私の目を覗き込むゴンベエの右目から、目尻に残っていた涙が零れて頬を伝う。それを優しく拭った左手で、そのまま恋人の右手を包む。

ゴンベエは女性でも小柄で、親友のピスティと並んで歩く姿は小さな姉妹のよう。そんな恋人の手はとても小さくて、男性としては決して大きくない私の手でもすっぽりと包み込める。何度握っても、ゴンベエの手の小ささに私は驚かされていた。

人間の心臓は握り拳ほどの大きさだ。解剖学に明るくなくても知っている知識で、暗殺の世界では基礎中の基礎。ゴンベエの小さな心臓なら、その気になれば私の片手で握り潰すなど造作ないのに。

「ただ…これからもこのやり方は変えられない。だからゴンベエを傷つける前に、私と別」

続く内容を察知したのか、私の左手を振り払った恋人は勢いそのままに跳ねて私の首にしがみつく。一瞬口を塞がれたと思えば、ドスンという着地音とともにゴンベエはまっすぐ私を見つめていた。先ほどまで顔を見られたくない、と俯いていた女性と同一人物とは思えないほどの力強さで。

「絶対に嫌っ!わたしはジャーファルが好きなの!そばにいられるなら傷ついたって構わない…」

「…ありがとう、ゴンベエ。私も好きだよ。ただ、昨日は本当にごめんね」

今度は私から口づけ、恋人を強く抱き締めた。私を完全に信用しきっている恋人は、自身の体重をゆっくりと私に預けてくる。

ゴンベエの背中に回した右手を首の後ろに這わせれば、彼女の腕も私の背中に回された。今の私がその気になれば躊躇なく縄票で脛椎を刺して、痛い思いすらさせずにゴンベエを殺せるのに。

こんなことを考えずにいられなくした自分の生い立ちが嫌になる一方で、無自覚に急所を他人に預けられるゴンベエが羨ましい。絶対私にできないからこそ、身も心も私に委ねてくれる恋人がいとおしくて仕方がなくて。

こんなゴンベエが、私の大切なものや私自身を狙う敵なはずがない。そう思いながら、今日も私は君を疑う。



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