Short | ナノ


今日もわたしはあなたを(ジャーファル)


「ジャーファルさん、ひっどーい!」

「ゴンベエちゃんがかわいそうっ!見損なった!」



ピスティの部屋にいるのは、わたしを含め三人の女性。部屋の主に手渡されたクッションを抱えて泣きじゃくるわたしと対照的に、八人将二人は憤怒している。もっとも、この異様な光景の原因はわたしにあった。

天才魔導士との女子会を楽しんでいた親友の元にわたしが押しかけたのは、十分ほど前のこと。泣きながら夜半に部屋を訪ねたわたしを、戸惑いつつもピスティは部屋に招き入れてくれた。

一方のヤムライハ様は、わたしにとって"親友が気を許せる数少ない同性の一人で彼氏の同僚"程度でしかない。それは天才魔導士も同じはずなのに、わたしに彼女はルイボスティーを淹れてくれて。熱々の紅茶に口をつけつつこの部屋に来た経緯を話したところ、二人から返ってきたのが先程の反応だった。

「ヤムライハ様もピスティも…ジャーファルを悪く言わないで!」

わたしの味方をしてくれるのは嬉しくても、大好きな彼氏を悪く言われるのは心外で。ルイボスティーを置いて二人を諫めれば、呆れ顔で八人将の女性陣は顔を見合わせている。

「いやいやいや…だって、喉元に縄票を突きつけられたんでしょ?」

「二年半も付き合ってる彼氏に。丸腰の彼女に武器を向ける彼氏なんて、ジャーファルさんじゃなくてもサイテーだよ」

「だから悪く言わないでってば!」

わたしの彼氏・ジャーファルは、シンドリア王国の政務官。ピスティたちと同じ八人将で、シンドバッド王の右腕でもある。王宮図書室で司書として働くわたしと、一歳上のジャーファルが出会ったのは三年前の夏。政務官に頼まれて区画整理事業の資料探しを手伝ったのがきっかけだった。

噂以上の仕事っぷりには驚かされたものの、国民一人一人に寄り添う姿勢や子供たちに向ける政務官の優しい笑顔に惹かれて。区画整理事業が片づこうとしていたときに、接点を失いたくなかったわたしから想いを告げた。わたしの告白で始まった関係だが、今では同等に想い合えている自覚はあったのに。

「じゃあ、どうして泣きながらこの部屋に来たの?」

ピスティの問いにわたしは押し黙る。親友の元をわたしが訪ねたのは、この悲しみを自分一人で抱えたまま一夜を過ごすことに耐えられなかったから。「嫌われた」「振られる」と負のスパイラルに陥ったまま一晩中枕を濡らせば、明日の仕事に影響するのは目に見えている。

「悲しくて辛い気持ちを…誰かに聞いてほしくて」

もっとも、ピスティの部屋で一夜を明かそうなどとは端から考えていなくて。ただ話を聞いて、「辛かったね」「悲しいね」と共感を示してもらえれば十分だった。しかし、この願いに無理があるのはわたしもわかっている。いわゆる"女の子座り"から足を整えて背筋を伸ばしたヤムライハ様が、そこを的確に指摘した。

「ピスティにも私にも、その気持ちはわかるよ。ただ…"ジャーファルさんに縄票を突きつけられた"って泣くゴンベエさんが目の前にいて、ジャーファルさんを責めるなってほうが無理だよ」

ヤムライハ様の意見はぐうの音も出ない正論。わたしが二人の立場でも、絶対に女の子の肩を持つ。百パーセント女の子に非がある経緯だろうと、彼女の恋人に文句の一つや二つ言わずにはいられないだろう。武器を喉元に宛てられたと聞いて、悲しみの共感だけで終えられるはずがなかった。

「…で、でもっ!」

そうはいっても、喉元に縄票を突きつけられたところで彼氏の悪口を他の人から聞きたくない。何より、どんなにわたしを庇いたくなる状況だとしても、今回の原因はわたしにある。政務官に近しい官職なら誰もが知る言いつけを守らなかったのだから。

たとえ縄票を恋人に向けたジャーファルの行為自体が最低だろうと、諸悪の根元はわたし。だから彼氏を悪く言わないでほしいと繰り返せば、ピスティちゃんは「無理だよ」と腕に抱える枕から顔を上げた。

「ジャーファルさんの背後を取るなって言われても、机に齧りつくジャーファルさんに抱きつくには後ろに回るしかないのにっ」

「そもそも仕事中に触れようとした、わたしが悪いのであって…!」

正面から抱きつけるタイミングを待たず、背後から抱きつくにせよ声すらかけなかったわたしが悪い。そう口にすれば、もはや八人将の女性陣は呆れを隠そうともしなくて。ピスティは口を膨らませているし、ふるふるとヤムライハ様も首を振る。

「ゴンベエちゃんがいいならそれでいいけどさ…」

「私なら別れるよ、ジャーファルさんからの謝罪もないんでしょう?」

天才魔導士の問いにわたしは頷く。もっとも、謝ってくれなかったわけではない。ジャーファルに謝らせる余地すら、わたしが与えなかったのだ。

縄票を突きつけられて数秒、瞬く間に政務室が凍りついた。おそらくジャーファルが我に返ったのは、武器を向けた対象が恋人であることと、無意識のうちに涙を流すわたしに気づいたから。想定外の事実に彼氏が怯んだ一瞬を突いて政務室を飛び出したわたしが、彼から逃げるように押しかけたのが親友の部屋だった。

ひょっとしたら、わたしの部屋をジャーファルが訪ねたかもしれない。しかし、わたしの不在を知った後もピスティを訪ねてはいなかった。聡明なわたしの彼氏なら、恋人の居場所などすぐにわかるはずで。自分から逃げておいて勝手なのはわかっていても、後を追ってほしいと思わずにはいられなかった。



いつまでも八人将の楽しい女子会を邪魔するわけにはいかない。そう判断したわたしがピスティの部屋に滞在した時間は約二十分。親友の部屋まで追わずとも、わたしの部屋の前で彼氏が待ってくれているかもしれない。そんな淡い期待を抱いて緑射塔に向かったものの、やはり期待通りにはいかなかった。

誰もいない深夜の緑射塔の廊下で、思わずわたしは項垂れる。あのとき政務室でジャーファルが書類から視線を離さなかったのは、仕事が忙しいから。わたしが泣きながら政務室を去ろうと、恋人を気に留める暇など端から政務官にはないのだ。

ガチャリと音を立てて錠を解き、数十分ぶりの私室に足を踏み入れる。政務室に行く前に湯浴みは済ませてあるため、灯りも点けずに寝台に向かい重力に従うがままマットレスに身体を沈めた。もぞもぞと脚を動かして掛布団を引き寄せ、膝にかかった掛布団を右手で胸まで引き上げる。

ピスティやヤムライハ様と話したからか、マイナス思考の無限ループに陥ることはなさそうだ。とはいえ、脳裏に浮かぶのは彼氏ばかり。

自身の出自は隠しつつ、"自分の背後を取る者の首は容赦なく刎ねる"と政務官は公言している。ジャーファルが元暗殺者と知るのは、シンドバッド王と八人将、あとは古参八人将の家族。具体的にはドラコーン様のサヘル夫人と、ヒナホホ様の妹君・ピピリカ様だけ。

シンドバッド王や彼の国を守るためなら、汚れ役も政務官は厭わない。"七海の覇王"への忠誠心の高さゆえの美談として、ジャーファルの出自を知らない官職たちはこの話を好む。多分に漏れずそちら側だった交際前のわたしが政務官に恋するにあたって、この美談も大きな助力となったのは言うまでもない。

交際直後にジャーファルの過去を知り、戸惑わなかったといえば嘘になる。しかし、たかが彼女でしかないわたしにも、交際間もないタイミングで生い立ちを明かしてくれたことが嬉しかった。

聞けばサヘル様やピピリカ様は、単なる"八人将の家族"ではないらしい。シンドバッド王やジャーファルとは旧シンドリア建国前からの間柄らしく、ピピリカ様に至っては暗殺者時代の彼氏をも知っているという。

そんな二人と肩を並べ、八人将ですらないわたしに自身の秘密を打ち明けてくれたジャーファル。恋人が去るリスクを天秤にかけても、わたしに暗殺の過去を隠さないことを選んでくれたわけで。それを思えば、今回のことで彼氏に愛想を尽かされようと、わたしが愛想を尽かすなんて考えられなかった。



「…振られるのかな」

翌日の正午。王宮図書館から政務室に向かう白羊塔の廊下で、一人わたしは呟く。

王宮図書館で働くわたしの元を訪ねた政務官に、昼休憩に政務室に来るよう告げられたのは十分ほど前。黒目がちな瞳を直視するのが怖くて、政務官相手に無礼とわかっていても、視線を外したまま"承知いたしました"と機械的に返事するのが精一杯で。仕事を残しているから、と最後まで目を合わせないまま逃げてしまった。

昨晩もジャーファルに謝らせる隙を与えず逃げたのに、わたしは何も成長していない。ほんの少しだけ彼氏が残してくれていた愛情も、今回の行為でなくなってしまったのではないか。そう思えば政務室に向かう足取りは重くなるし、視線が落ちて背筋も丸くなる。

鉛のように足取りが重かろうと眠るオラミーのように背中が丸まろうと、歩みを止めさえしなければ目的地には到着するわけで。数回扉を叩いて返事を待って「失礼します」と声をかけてから、少し体重を乗せて重い扉を押した。

一瞬視線を上げると、黒目がちな瞳がこちらを捉えているのがわかって。慌てて床に顔を向けたわたしは、政務官から視線を逸らしながら顔を上げて周囲を見渡す。王宮図書館で周知されていた通り人払いされているとわかれば、わたしは正面からジャーファルに抱きついた。

二人きりで甘い時間を過ごしたいわけではない。振られる予感を拭えずにいるわたしの腕の震えには、政務官も気づいているはず。それでも恋人の胸に顔を押しつけていれば、黒目がちな瞳を直視しなくていい。彼氏が悟るわたしの不安を確信させずに済む。それだけだ。

「ジャーファル、昨日は…ごめん、な、さい…」

「私こそごめん、昨晩は悲しい思いをさせて」

想定外の謝罪返しにわたしの目が大きく開くと同時に、背中に腕が回される。官服越しでもわかる金属の硬さは、昨晩待ちわびた恋人の腕である証拠。このまま彼氏の温もりを感じていたいものの、わたしは彼の言葉を否定する。

「ううん、悪いのはわたしだから…やらないでって、付き合う前から何度も何度もジャーファルは言ってたのに」

そのせいで縄票が自分に向いた。自分の過失とわかっていても、嫌われることへの不安や恐怖から勝手に涙が頬を伝う。せめてジャーファルに見られぬよう両手で顔を覆いつつ、何度もわたしは謝罪を繰り返す。

「顔を上げて、ゴンベエ」

彼氏の優しい声に身体が反応するのを抑え、ふるふると首を振る。ピスティと違って泣き顔は可愛くないし、ヤムライハ様とも違って理路整然と反論できるわけでもない。そんなわたしに呆れたのか、ため息をついたジャーファルはわたしの両手首を掴んで顔を覆う手を剥がした。

「や…だっ、ジャーファルの手が、濡れちゃ」

「私がつけたゴンベエの心の傷は消えないんだから、せめて涙くらい拭わせて」

恋人の前掛けで手のひらの涙が拭われたと思えば、前掛けから離れた彼の手はわたしの頬に。両耳の後ろまで包み込む手は、わたしの顔を上向きにする。滲む視界に浮かぶジャーファルの表情は見えないものの、彼に見られている事実に耐えられず、力づくで視線を床に落とそうとした。

自らの学習能力のなさに気づいて、"しまった"とわたしが思ったのは一瞬。顔から離れた手がきつく背中に回されると、泣き顔を見られたことも三度彼氏から逃げたことも、ぱらぱらと頭から抜け落ちていく。

「何度も謝ってくれてるけど…本来謝るべきは私だよ」

背けた顔をジャーファルに向ければ、わたしの右目から目尻に溜まっていた涙が零れる。政務官の左手がわたしの頬を伝う涙を拭うと、自分で涙を拭おうとして顔の近くで宙ぶらりんになっていたわたしの右手を、すっぽりと彼の左手が包む。

八人将の男性陣でもジャーファルは小柄で、帽子を被ったヤムライハ様と並べば彼女より小さく見えてしまう。ピスティと背格好がさほど変わらないわたしにとって、そんな恋人の手はとても大きいのだ。ただし体温の低い普段の手と違い、今わたしの手を包む彼氏の手のひらは温かく、少しだけ湿度を感じる。

「ただ…これからもこのやり方は変えられない。だからゴンベエを傷つける前に、私と別」

"だから"と口にした恋人の表情で続きが読めてしまって。気づけば考えるより先に身体が動き、温かい左手を振り払って政務官の首にしがみついた。自分の想いを伝えるように唇を重ねたものの、鍛錬もしていないわたしの腕力では一瞬の口づけが限界で。ドスンと音を立ててわたしの足は床に着地する。

二年と半年、そして十八日。だてに元暗殺者の恋人をやっていたわけではない。先ほどのキスで伝えきれなかった想いも込めて、まっすぐジャーファルを見据えた。視界の中央に捉えた彼氏は、一連のわたしの挙動に戸惑っているようにも見える。

「絶対に嫌っ!わたしはジャーファルが好きなの!そばにいられるなら傷ついたって構わない…」

「…ありがとう、ゴンベエ。私も好きだよ。ただ、昨日は本当にごめんね」

続きを紡ぐのをやめた恋人の瞳からは戸惑いが消えた。黒目がちな瞳にそんなことを思っていれば、視界が真っ暗になる。すぐに唇が離れたと思うと、力強く抱きしめられて。唇に残る余韻に浸るわたしは、ゆっくりとジャーファルに体重を預けた。

恋人の右手がわたしの首の後ろに回ったのは、少し経ってから。わたしも精一杯の背伸びをしながらジャーファルの背に腕を回し、きゅっと力を込める。ただの司書で鍛錬すらしていない貧弱な脚での背伸びは十秒ほどが限界で、すぐに踵を床に下ろした。

重力に負けて腕を緩めたわたしを追うように、項に這うジャーファルの右手に軽く力が込められる。いつもと違う軽く汗ばんだ手に、わたしに向き合う彼氏からの想いを感じて。もう一度わたしは爪先で立ち、恋人の胸に顔を埋めた。

こんなジャーファルが、本当に殺す気でわたしに武器を向けるはずがない。そう思いながら、今日もわたしはあなたを信じる。



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