Short | ナノ


マヌケ面でバカな君と(練紅覇)


美しい紅葉が見える私室の縁側で、お馴染みの魔導士たちと僕はお茶をしていた。美容の話から禁城ゴシップまで話題はさまざま。お茶会が始まって二時間経っていたこともあり、そろそろお開きにしようと思っていると、やけに麗々がそわそわしているように見えた。

「麗々、さっきからどうしたの?」

「紅覇様はお気づきになりませんか?さっきから、やけに廊下が騒がしい気がして」

麗々の言葉に仁々が口を止めれば、慌ただしく指示を出す者の声と足音が聞こえる。廊下に音が響くこと自体は決して珍しくない。しかし、皇族の私室が並ぶこの区画でこんなに騒がしくなるなんて、只事ではないはずだ。

「ちょっと〜、おまえらど」

「紅覇様、ちょうどいいところに!」

僕が扉を開けたタイミングで目の前を走っていた兵士は、すぐに足を止めて拱手する。何事かと問えば、近隣の小国を傘下に治めるべく出向いていた小隊が帰ってきたらしい。彼らに皇族の将軍が不在なのも一因かわからないが、かなり苦戦を強いられていると明兄から聞いていた。

「紅炎様と紅明様がバルバッドにいらっしゃる今、紅覇様にご報告したく…」

「そっか…じゃあ僕が聞くよ」

この国の皇帝は二代目のブタ。しかし、彼が病に伏しているため、実質的な実権は長兄にある。炎兄と明兄が国外にいる今、代役とはいえこの国の実権を握るのは僕。こんなことは滅多になく、急に手足の筋肉が強張るのを感じる。

兵士に誘われるがまま廊下を進み、歩きながら報告を聞く。死者こそいないものの、小隊三十人の大半はそれなりの怪我を負っていた。一人だけ瀕死の状態で運ばれた従者がいるらしく、今も医務室で治療中らしい。

「で?その一人って誰なの?」

「…紅覇様が親しくしていらっしゃる、名無しの権兵衛でございます」

その名を耳にした瞬間、時間が止まった気がした。手も足も鉛のように重くなり、少しも動かせなくなる。そんな僕に気づかず数歩先に進んだ兵士は、隣の僕の不在にようやく気づいて振り返った。

「紅覇さ」

「おまえ…今、権兵衛って言った?」

おそるおそる兵士が頷いたのを見た僕は、衝動的に彼の首根っこを掴む。

「それ…本当に権兵衛?おまえ本気で言ってる?ねえ、聞いてるだろ?」

「ほ…本当でございます。彼女は医務室にいるので…」

僕の剣幕に震える兵士の首から手を放し、医務室に向かって急ぐ。本当に権兵衛が瀕死だなんて信じたくなくて。かといって炎兄も明兄も留守の今、部下の状態を正しく把握するのは僕の役目。とはいえ、このときの僕は完全に冷静さを欠いていた。

先に医務室の前に着いた僕は、扉の前で深呼吸をする。ようやく僕が落ち着きを取り戻した頃、先ほどの兵士が医務室の前に到着した。なぜ入室していないのかと顔に書いてある兵士に視線を向け、僕は口を開く。

「さっきはごめん…気が動転してたんだ」

「気になさらないでください。それより…早く入りましょう。権兵衛は一刻を争う状態ですから」

兵士の言葉に頷き、医務室の扉を僕は開けた。



真っ先に見えたのは、一台の寝台をぐるりと取り囲む医務官たち。医務官たちは一人残らずその寝台の周りにいて。他の寝台は空となれば、医務官たちに囲まれた患者こそが権兵衛なのは一目瞭然。

「権兵衛は?」

「こ…紅覇様?なぜこちらに?」

この部屋の医務官たちは声で初めて僕に気づいたようで、ほとんどの者が手を止め視線を僕に向ける。術野から目を逸らすなと口にすれば、その言葉にはっとした医務官たちの視線が手元に戻った。

「紅覇様…私から権兵衛の容態の説明を」

そう申し出たのは、ずっと僕に付き添ってくれている兵士。戦地から権兵衛と一緒で、彼女の身に起きたことを医務官に説明したのも彼だという。僕が頷くと、兵士は説明を始めた。

そもそも名無しの権兵衛は、僕の従者の一人で剣士。天華を統べる前の他国の戦争孤児だった権兵衛は、母国が煌帝国傘下になって以降、ずっと禁城内で戦士になるべく育てられてきた。そんな権兵衛と出会ったのは、僕がこの国の第三皇子になった頃。

出会った頃から天涯孤独だった権兵衛は、戦いによって命を落とすことへの躊躇いがない。それもあって、剣の腕は女ながら男と互角以上。少なくとも、金属器なしで明兄と戦えば、間違いなく権兵衛が勝つはずだ。

そんな権兵衛が今回の小隊に参加したいと志願したのは、小隊が城を出発する数日前。理由を問うて権兵衛から返ってきたのは、"煌帝国の力になりたい"。そう言ってくれる従者の気持ちはありがたいし嬉しいものの、あくまで彼女は僕の従者で。僕が行かない戦地に赴く必要はないと言っても、権兵衛は聞く耳を持たなかった。

いくら本人が行きたがっても、主である僕が許可しなければ小隊への入隊は叶わない。何度も何度も直談判する権兵衛に、最終的に僕が折れる形で小隊入りを許可していた。

「いつも通り、権兵衛は前線で戦っていました。彼女は上背もありますし、甲冑を纏っていれば背の低い男にしか見えないのですが…敵に槍で兜を突かれたときに女だとばれまして」

そこからは敵の攻撃が権兵衛に集中し、袋叩きにあったようだ。殺される寸前で他の兵士が救出し、命からがらの状態で禁城に帰ってきて、今この部屋で治療を受けている。禁城の医務官たちは国内で選りすぐりの腕を持つ者ばかり。しかし、そんな彼らをもってしても、助かるかどうかは五分五分という。

「紅覇様」

ちょうど兵士の説明を聞き終えたタイミングで、僕に声をかけたのは医務長。患者の首から下は包帯でぐるぐる巻きにされていた。頭に包帯が巻かれているものの、痕が残るような傷は顔にない。女の権兵衛の顔に傷が残ることへの懸念はあったが、それが杞憂に終わったのは不幸中の幸いだ。

「最善を尽くしました。今のところ命に別状はありませんが…予想以上に傷が深く、いつ容態が急変してもおかしくない状態です」

"命に別状はない"と聞いて胸を撫で下ろそうとしたところに、不安材料を医務長が落とす。医務官曰く、目を覚ませば容態が急変する可能性はゼロに等しい。しかし、目を覚ましたところで今まで通りに剣を振るえるようになるかはわからない、と医務長は口にする。

「…そう。難しい治療だったろうけど、みんなありがとう。僕が付き添ってるから、おまえたちは休んでよ」

「しかし」

「いいから」

有無を言わせないよう目で訴えれば、医務長を除く医務官はここを去る。重体患者に医務官を一人もつけないなんて、皇子の命令であってもできない。そう医務長に言われてしまえば、彼にはいてもらうしかなかった。

包帯でぐるぐる巻きにされた権兵衛の寝台の横に、椅子を置く。そこに僕は腰を下ろし、瀕死の従者の右手をそっと握った。



「ん…こ、紅覇…様?」

「権兵衛…?権兵衛、僕がわかるの?」

思わず強く手を握れば、大気が裂けそうな声で悲鳴を権兵衛があげる。謝罪しながらぱっと手を離したものの、優しく包み直した。意識を確認すべく医務長が投げかけた問いに、すべて正確に権兵衛は答えて。それを聞いた僕はそっと胸を撫で下ろす。

「なんて顔をしてらっしゃるんですか、紅覇様。そんな顔をしていたらシワが増えますよ」

ぶさいくです、なんて言って権兵衛は口角を上げる。「そんな冗談言えるくらいなら元気じゃん。それよりこの包帯、大袈裟すぎない?」と、普段の僕なら言っただろう。

しかし、さっきの医務長は"いつ容態が急変してもおかしくない"と言っていたわけで。二度と権兵衛が目を覚まさないかもしれない、と一瞬でも考えた僕にそんな余裕などなかった。

「権兵衛のバカ…死ぬかと思って心配しただろ」

「死ぬ?…わたしが?」

あまりにあっけらかんとしている権兵衛に、心配よりも苛立ちが勝りはじめる。しかし、ある可能性に気づいた僕は考えを改めた。嘘みたいに権兵衛の身体は頑丈で、宮廷魔導士曰く生命力が尋常じゃないらしい。

八型魔法との相性のよさから、一時期は炎兄の"フェニクス"の眷族に、という話も挙がったほど。しかし、「楽禁殿みたいになるなんて嫌!」と権兵衛は固辞している。練家のために命を落とすのも厭わない剣士が頑なに抵抗するから、さすがの炎兄も提案を撤回せざるを得なかったのだ。

「確かに敵の攻撃を兜が取れた頭に食らったせいで失神しましたが…戦い自体はわたしの優勢で、兜さえあればわたしの圧勝でしたから」

僕の思考を見透かしたかのように、へらりと権兵衛は笑う。

「…それならいいけど。…あと、これからは僕が行かない戦には行かせないから」

そう口にすると、先ほど手を強く握ったとき以上に権兵衛は顔を歪める。理由を問われれば、僕が見ていないところで危険な目に合わせたくないと言うしかない。

「わたしの命なんて、とっくのとうに練家に捧げているんです。どうなったって、悲しむ人なんていな」

「僕が悲しむ。炎兄も明兄も、僕の部下も…おまえが死んだらみんな悲しむから」

僕の言葉に、権兵衛の目にうっすら涙がたまる。少しの間上を向いてそれが零れないようにしたあと、権兵衛から聞こえたのは優しい声。

「しかし紅覇様…部下一人の死でそんな風に悲しまれていたら、あなた様の御心が」

「当たり前じゃん!みんな僕の大事な仲間なんだから心配するし、死んだやつらだって誰一人忘れたことなんてないよ…」

僕の言葉に、権兵衛は謝罪する。たとえ大勢の一人だったとしても、彼らはみな代えの利かない存在で。見てくれや戦力の近いやつがいたところで、彼らはみな違うのだ。

「紅覇様に心配していただける大勢の一人になれて、わたしは光栄でございます」

「…でも、権兵衛を大勢の一人なんて僕は思ってないよ」

まっすぐ権兵衛の目を見つめれば、彼女もまた僕の目をまっすぐ見ていた。療養中だから今はしおらしいけど、普段の権兵衛はしおらしさとは程遠い。

僕より背が高いのをいいことに、従者のくせにたまに背丈で僕をいじる。剣術の腕は男勝りだからって、炎兄や明兄の従者たちと鍛練して生傷をいっぱい作ってくることも少なくない。

それに、昔から権兵衛はバカだ。"練家に命を捧げている"とは昔からの口癖で、人工的に魔導士を作り出す実験に立候補したこともあった。ただ、麗々たちのような例が続いたため、権兵衛に順番が回って来る前に実験が中止になってしまったのだ。

しかし、若き日の戦で敵から僕を庇おうとして、大怪我を負ったこともあって。そのときの後遺症で、ほとんどの色彩感覚を権兵衛は失っている。禁城のあちこちで色づく美しい紅葉も、目の前の剣士の眼には色褪せて映るのだ。

僕が負い目を感じていることをひどく権兵衛が気にかけている、と僕に教えてくれたのは純々。気にするくらいなら僕なんかを守らず自分を守ればいいのに、どこまでもバカな従者だ。

練家のためというより僕のために身を粉にしてくれる権兵衛は、僕のことが好き。それくらい、とっくに僕は気づいている。僕も権兵衛が好き。だけど、絶対に好きなんて僕は口にしない。

「権兵衛、愛してるよ」

思いの丈を伝えれば、ポカンとした顔で権兵衛は僕を見ている。その間抜け面ですら、愛おしくてたまらない。

「聞こえなかった?じゃあもう一回言うよ。権兵衛、あ」

「あーーーー!!!!聞こえてます、聞こえてますから!二回も仰らないでください!」

顔を真っ赤にして掛布団に顔を埋める権兵衛に、「好きな男からの告白、もう一度聞かなくていいの?」と問う。一応権兵衛が僕を好きなのは確信しているものの、決して心中は穏やかでなくて。権兵衛からの返事を待つ間、心臓の音以外は何も聞こえない。

「二回も仰ったら…特別感がなくなるでしょう?」

「ふ〜ん。僕の言葉、そんなに特別なんだ〜?」

自分の声色には"嬉しくてたまらない"と書いてあって、あまりのわかりやすさに辟易せざるを得ない。掛布団から顔を上げた権兵衛は、顔の赤みはまだ退かないものの、すっかりいつもの調子に戻っていて。僕の問いを一笑に付そうとした。

「…皇子の御言葉だから特別なのであって、決して紅覇様だから特別なわけじゃ…」

そこまで言うと、なぜか権兵衛は俯く。急激なトーンダウンに、まだ万全には程遠い身体が悲鳴をあげているのではないかと不安になる。昔から強がりで、決して僕の前では弱音を吐かないのも、従者のバカなところ。しかし、僕の心配と裏腹に、僕の告白のときよりも顔を上げた権兵衛の顔はずっと真っ赤だった。

「いえ…紅覇様だから特別なんです…」

素直に気持ちを打ち明けてくれた権兵衛への愛おしさのあまり、勢いで彼女に唇を重ねる。どんな反応をするかと思って顔を離せば、またしてもポカンとした間抜け面。

「権兵衛、いつか結婚しよう。それで僕がおまえの家族になるし、僕たちの家族も増やそう。死んで悲しんでくれる人や嬉しいことに喜んでくれる人で…僕たちの周りをいっぱいにしよう」

間抜け面を崩さない権兵衛に、ずっと言いたかったことを伝えた。しかし、ある単語が引っかかったようで、権兵衛は顔をしかめる。

「"いつか"…?それっていつです?こう見えてわたし、それなりに結婚願望は強いんですけど」

「そればかりは…。僕だってすぐにでも結婚したいけど、炎兄も明兄も側室すらいないのに、第三皇子の僕が先に正室を持つのはさ…」

本当に、こればかりは僕にだってどうにもできない。順番なんて気にしなくていいと炎兄や明兄が言ってくれるのは目に見えているが、そういうことではないのだ。

とはいえ、結婚願望が強い権兵衛にとって、数年の違いは大きいはず。そんなことを考えている僕の手を包帯に巻かれた手で包み込んだ権兵衛は、少ししてから僕の目を見て口を開いた。

「…練家に命を捧げて十数年ですから、そう紅覇様がお考えになることくらい存じ上げております。結婚がいつになろうと、この命が燃え尽きるまでずっと紅覇様にわたしを捧げ続けますから」



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