Short | ナノ


側室とは名ばかり(練紅炎)


ある日昼下がりの煌帝国・禁城。後宮に宛がわれた私室の縁側で、日向ぼっこをしながら紅炎の側室・権兵衛はお茶菓子を嗜んでいた。近頃禁城を訪れた使節団からの献上品である松の実入りのクッキーを齧りながら、権兵衛は物思いに耽る。権兵衛の悩みの種は、第一皇子・紅炎との関係。



権兵衛が練紅炎の側室になって、もう半年ほどになる。正室も側室も取らない"炎帝"の世継問題が、禁城の内外で取り沙汰されるようになった頃だ。西方への勢力拡大にいたく熱心な紅炎にとって、世継は"今すぐ"取り組むべき問題でなかった。

しかし、そんな皇子に周囲が黙っているはずはない。第一皇子の様子に特に気を揉んでいたのは、彼の父君や伯父に仕えた老兵たち。孫同然である紅炎に世継が生まれるのを、彼らは今かと待ちわびていて。

世継への周辺の期待を察知したものの、今の紅炎にすぐ父になる気などない。"子作りに励む"ポーズを見せるため、不本意ではあるが紅炎は側室を取ることにした。それとて、外野の騒音を断ち切るための苦肉の策でしかない。

紅炎のお眼鏡に適ったのが、司書として禁城の図書館で働く権兵衛。歴史や語学に造詣の深い皇子は、家臣を遣わせず自ら図書館に足を運ぶ。その度に権兵衛に選書を手伝わせていたため、彼女とは面識があった。聡明な女性を好む知識欲の塊にとって、司書の権兵衛は打ってつけの相手なのだ。

「…名ばかりの側室なんて」

側室を作って"子作りに励む"ポーズをできているため、紅炎は満足している。しかし、権兵衛の思いは皇子と同じではなかった。理由は二つある。

一つは、城内で毎日誰かしらに「世継の懐妊はまだか」と聞かれること。同じ寝室で夜を過ごすのは、週一回あればいいほう。その夜とて、子供ができるような行為はしていない。

二人で肩を並べて書物に目を通し、その内容や日々の出来事を寝物語に聞かせあうだけ。肩を抱かれたことすらなければ唇を寄せられたこともなく、その先なんて想像にも及ばなかった。少なくとも紅炎にその気など一切ないはず、と権兵衛は考えている。

当然妊娠なんてありえないのに、「半年も子作りに励んで、まだ身籠らないのか」と、周囲の視線は常に権兵衛に語りかけいた。子宝に恵まれた紅徳帝の御子である紅炎に、不妊の原因があるはずない。ならば側室が不妊なのだ、と。

医官や薬師など、男女両方に不妊の原因がありうると知るわずかな者を除いて、名前も知らない者たちからそういった扱いを受けるのだ。不妊の原因が自分にあると思われるのは、権兵衛とて不快に感じていた。

「いっ…」

松の実入りのクッキーを咀嚼していると、舌に鈍い痛みが走る。砂糖や牛酪の風味に混じり、鉄の味が権兵衛の口内に広がっていく。ちろりと出した舌に右手の人差し指を充ててみれば、つんと鋭い痛みを感じた。舌から離した指先を見ると、権兵衛の予想通り、唾液で滲んだ血。

「権兵衛様!いかがなさいましたか?」

縁側で日向ぼっこする権兵衛を室内で見ていた世話人が、指先の血に気づいて声をかけた。舌を噛んだくらいで世話人の負担を増やすだなんてできず、適当にごまかそうと権兵衛は口角を上げる。

しかし、権兵衛の意思に反して側室の世話人は慌てふためく。紅炎様にどう説明すればよいのか、クッキーの毒味をしたのに。そう言って顔を真っ青にする世話人が、だんだん権兵衛は気の毒になってきた。

「舌を噛んでしまったようです。ちょっと考え事をしていて…」

つつつ、と口の内壁に権兵衛は舌を這わせてみる。口の内壁だろうと歯だろうと、噛み切った部分が触れるだけで権兵衛の眉間に皺が寄った。このままでは、夕餉の吸い物などとても口にできない。

「…医官を!医官を呼んで参ります」

「それには及びません。わたしが薬師の元に参り、薬をいただけばいいだけですから」

「しかし…!」



もう一度世話人を制し、私室を出て一人で権兵衛は薬師の元に向かった。一人で城内を歩く"炎帝"の側室に目と手を留めた者は、近くの者と顔を合わせ側室の噂話をはじめる。何度目かわからない光景に、表情こそ変えないものの権兵衛はうんざりしていた。

第一皇子の側室でありながら司書として仕事を続ける権兵衛は、城内の移動における世話人の帯同を嫌う。司書の仕事の続投と、世話人を伴わない城内の移動。この二つが、側室になるとき権兵衛が紅炎に突きつけた条件だった。

本来は側室を取ることについて、女性の意向などあってないようなもの。紅炎にとっての権兵衛は、子作りアピールのための道具でしかない。愛情の欠片もない相手とはいえ、後宮に閉じ込めるのはさすがに気の毒、と紅炎が慮ったのだろう。そう権兵衛は考えていた。

同じ禁城の敷地内でも、権兵衛の私室と薬師のいる部屋はかなり離れている。第一皇子の側室の私室は後宮でも奥まった場所に位置していて、本来は側室が自ら足を運ぶ場所ではない。しばらく歩いても後宮から出られず、疲れた権兵衛は両膝に手をついて俯く。

「権兵衛」

天から紅炎の声がした気がして権兵衛が顔を上げれば、気のせいではなくて。紅炎とその眷属二名が立っていた。ここしばらく皇子は国を留守にする、と権兵衛は聞いていて。いるはずのない人の姿に、先ほどまで身体を覆っていた権兵衛の疲労感は一瞬で吹き飛ぶ。

「紅炎…様…」

慌てて権兵衛が身体を起こして拱手しようとすれば、バランスを崩してよろけてしまう。咄嗟に主の前に出て側室を抱き留めた青秀によって、彼女の身の安全は守られた。

「…ありがとうございます」

自分の脚で身体を支えられるようになった権兵衛を確認してから、青秀は主の背後に戻る。国を留守にしていたのではなかったのかと紅炎に尋ねたい半面、それは"なぜ禁城に紅炎がいるのか"と問うようなもので。膝を折って拱手こそするものの挨拶の一言もない側室に痺れを切らせた第一皇子は、もう一度彼女の名を呼ぶ。

「ここで何をしている?どこに行く気だ?」

先ほどまで至って普通だった紅炎の声色には、目に見えて不機嫌が宿る。"炎帝"が信頼を置く従者二人の額に浮かぶ冷や汗が、事の重大さを際立たせていた。

「…ちょっと、薬師のところに」

薬師の元へ行くと聞けば、紅炎でなくてもその理由を問うのは当然。もちろん紅炎も例外ではなく、権兵衛に事情を尋ねた。先ほどまでの不機嫌は、その声からはだいぶ薄れている。

しかし、クッキーを食べながら皇子との関係に頭を悩ませていたら舌を噛んだなんて、鈍くさいと思われるだろう。何より、周囲の雑音を消すための道具でしかない女が自分のことで悩んでいるなんて紅炎が知ったら、迷惑がるに違いない。そう判断した権兵衛は口を噤む。

「どうした?青秀と楽禁に聞かれたくないなら、俺にだけでも言え」

むしろ紅炎にだけは聞かれたくない、なんて言えるはずがなく、再び権兵衛は沈黙を選ぶ。しかし、それが"炎帝"の癪に障ったのは言うまでもなくて。権兵衛の真正面に来たと思えば、軽々と彼女を俵抱きにする紅炎。

「ちょっ…下ろしてください!」

もちろん周囲には二人の従者以外もいるわけで。ただでさえ人目を引く第一皇子と彼に俵抱きにされる側室に、周囲は釘づけになる。夕餉前までの予定をすべてキャンセルするよう従者に告げた紅炎は、権兵衛を担いだまま自身の私室に向かった。



紅炎の私室で、ようやく彼の肩から権兵衛は下ろされる。その後も薬師の元に向かおうとした目的を問われるものの、権兵衛は黙秘を選ぶ。早く諦めてほしいと望む対面の側室に、紅炎はわざとらしく大きなため息をついた。その音に顔を上げた権兵衛は、至近距離にいる皇子にようやく気づく。

「強情なやつだな。どうしても言う気がないなら、俺が口を割らてやる」

「えっ」

どういうことかと問いたい権兵衛の口は、紅炎によって封じられた。今まで手を繋いだことすらない皇子からの突然の口づけに権兵衛が戸惑っていれば、紅炎の言葉通りに閉じた彼女の口は割られる。口内の感触に権兵衛が身を委ねそうになったそのとき、紅炎が患部を刺激した。

「…っ!痛いっ!」

持てる力を総動員して紅炎の胸を権兵衛が押せば、思いのほか容易く二人の間に距離が生まれる。さすがにこの反応は紅炎とて予想していなかったようで、涙目で顔を歪める側室を呆気に取られた様子で見つめていた。

「口内炎か?」

もう隠し通せないと悟った権兵衛は、ようやく舌を噛んだことを白状する。隠さずに言えばいいものの、と口にする紅炎はもっともで。鈍くさいと思われたくなかったと権兵衛が言えば、思ってもいなかったことを紅炎は口にした。

「鈍くさいのは否定しないが、好きな女にそういう一面があるのも悪くない」

「は…?好きな女…?」

ただの子作りりアピールの道具としか自分は見られていないと考えていた権兵衛にとって、その発言は寝耳に水。自分のことかと問えば、当たり前だと紅炎は即答する。

「好きでもない女を俺が側室にすると思うか?」

そう問う紅炎の圧は"炎帝"そのもの。おそるおそる頷いた権兵衛は、正室ならともかく、側室なら好きでもない女性を迎える場合もあるはずと返す。

「確かに否定はできん。…だが好きだからと権兵衛を正室に迎えれば、司書として働き続けたり城内とはいえ一人で歩いたりなど、俺が許しても周りは許さないと思うが」

まったくもって紅炎の言う通りで、権兵衛はぐうの音も出ない。権兵衛が黙っていると、彼女を第一皇子が呼ぶ。

「おまえはどうなんだ?俺にばかり言わせるな」

自分の気持ちを問われ、全身の熱が権兵衛の顔に集まる。俺に"ばかり"言わせるなということは、側室から向けられる好意に紅炎は気づいていたわけで。本人に筒抜けだったなんて、誰にも気づかれないようにしていたつもりの権兵衛にとって、この場から逃げ出したくなるほど恥ずかしいのだ。

紅炎との関係に権兵衛が悩む理由は二つあって、その一つは世継に対する周囲の期待。もう一つは紅炎への好意だった。肩を抱かれたことも手を握られたこともない権兵衛にとって、片想いだと思い込んでいたのは当然。それなのに突然唇を寄せられたと思えば、まさかの両想いだと判明して。

一方通行でないのは明らかにせよ、第一皇子、つまり未来の皇帝候補に自分の気持ちを伝えるなど、権兵衛にとってあまりに畏れ多い。側室とはいえ権兵衛は一国の皇女でも何でもない市井の出で、半年ほど前までは城内の図書館に勤める司書にすぎなかったのだから。

「わたしも…紅炎様をお慕いしております」

やっとの思いで好意を本人に伝えたものの、紅炎の顔など見れそうになくて。気持ちを口にする前と変わらず首を垂れたまま自分の膝を見ていると、ふわりと身体が持ち上がった。突然のことに顔を上げれば、にやりと口角を上げた紅炎と目が合う。

「もう遠慮はいらないだろう?」

「え…んりょ…?」

世間一般に知られる"炎帝"の人物像からは程遠い一言に、思わず権兵衛は鸚鵡返しする。

「好きな女と同じ床に入って半年、手すら握らずにいた。そのうえ、青秀に先を越されたんだ」

な?と同意を求めて口角を上げる紅炎は、微笑んでいるように見えるもののぎこちない。しかし、意思を確認されたところで拒否権がないことなど、とうに権兵衛は理解していて。

せっかく想いが通じ合った今、触れてもらえるのは権兵衛にとっても喜ばしい。しかし、まだ夕餉も迎えていない時刻だ。いくら部屋の明かりを消したところで、たっぷり日光を取り込めるように設計された第一皇子の私室では無意味。

「…まだ心の準備ができていません。それに、これからは遠慮はいらないのですから、日中は執務をなさったほうが」

暖簾に腕押しと理解したうえでの権兵衛の抵抗だったが、思いのほか紅炎には効いたようで。私室のそれの倍以上大きな紅炎の寝台に、権兵衛は放り投げられる。

「それもそうだな。…しっかり心の準備をしておけ、もう遠慮はしない」

短く権兵衛に口づけ、二人の従者を探しに紅炎は私室をあとにした。この部屋には何度も訪ねているものの、権兵衛が一人で過ごすのは初めてで。施錠できない以上私室に戻るわけにもいかず、寝台から下りて床で体育座りをしたまま、権兵衛は一人心の準備に努めるしかなかった。

第一皇子に御子ができたとの吉報が煌帝国中に響くのは、もう一年ほど後の話。



[ << prev ] [ 29 / 44 ] [ next >> ]
[ Back ]
[ Bookmark ]



2020-2024 Kaburagi.
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -