Short | ナノ


KISS×3【side me】(練紅覇)


道玄坂を上ったところにある、とある居酒屋の個室。この日は約二年ぶりに高校の仲良しグループで集まっている。

「みんな久しぶり」

「権兵衛」

高校三年生のクラスで委員会が一緒だったジュダルは、一年間浪人していた。現役時代の共通テスト出願後に理転したジュダルは第一志望に合格していて、この春からは二年生になる。

「アリババくんとモルは?」

「アリババくんに連絡したけど、既読つかないんだよね〜」

生徒会会長だったアリババくんは学校中の人気者。先輩後輩問わずモテていたが、入学式で一目惚れしたモルに一途で。"そこがまた素敵"と人気に拍車をかけたのを、おそらくアリババくん本人は知らない。

「あ…黄文」

「露骨に嫌な顔するな」

グループの一員で元彼でもある夏黄文と会うのは、昨夏に別れて以来。黄文から告白されて約二年付き合ったものの、わたしから別れを切り出していた。わたしたちの破局は八人全員の知るところで、気まずい雰囲気が室内を包む。

「権兵衛、やっほ〜。おまえとは先週も会ったし感動しないね〜」

「うん…でも、紅玉の家以外で会うのは久々だよね」

ぽんとわたしの右肩に手を乗せたのは、今日の幹事・練紅覇。重い空気を打ち消してくれた恩人であり、わたしの想い人でもある。紅覇くんは親友・練紅玉の異母兄で、ご両親や他の兄も交えて二人は同居中。紅玉の家に行けば会えることもあり、今日会う男子では黄文との破局後は一番多く顔を合わせていた。

そして、黄文とわたしが別れた理由は紅覇くんへの恋心だ。紅玉と仲良くなった高二の秋に異母兄を紹介され、程なくして恋に落ちた。しかし、ファンクラブが他校にも乱立するほど紅覇くんはモテる。

一方のわたしは、紅玉の仲介なしでは紅覇くんと下の名前で呼び合えなかったほど目立たない存在。つまり、わたしなんて紅覇くんの眼中に入っているはずがなかった。そんなわたしに告白してくれた黄文を思えば、好意を袖にするのは申し訳なくて。

授業に部活にバイトに多忙ななか、地元から少し遠い大学に通う彼氏は、わたしに会う時間を工面してくれたのに。自分の気持ちをごまかし続けることに耐えられなくて、一方的に振ってしまったのだ。

かといって、紅覇くんとの距離も縮められなかった。理由は単純で、今日の八人組で今後も付き合い続けたいから。都合のいいことを言ってる自覚はあれど、八人の関係をこれ以上壊したくない。

「権兵衛、アリババくんたち来たから始めよ!」

ピスティの呼びかけに応じたわたしは、隣のジュダルから運ばれてきたビールジョッキを手に取った。



個々で会う人はいても、八人が揃うのは卒業式以来。簡単な近況報告をしてからは、同じテーブルを囲む四人ずつのグループができていた。

わたしの右隣はアリババくん、その向かいがモルで、わたしの対面にジュダルくん。わたしの左隣にいるピスティの隣、つまり同じ列の左端で末席に紅覇くんがいて。隣のテーブルでは、ピスティを中心に恋愛トークが繰り広げられていた。

「そんなに高い物でもないのに、誕生日プレゼントで泣くほど喜んでくれてさ〜。モルジアナが可愛いすぎて困るんだよ」

さっきからモルとの惚気話ばかりのアリババくん。わたしは彼の話など聞いてなくて、隣のテーブルから漏れ伝わる紅覇くんの恋愛事情に耳を傾けていた。どうやら想い人には気になる子がいるようで、詳細が気になって仕方がない。しかし、うまく煙に巻く紅覇くんにやきもきしてしまう。

「権兵衛、大丈夫?」

左側に全神経を集中させていれば、左耳から想い人の声。驚きのあまり大きく身体を震わせつつ理由を問うと、減らないビールが気になったという。確かにわたしはお酒に弱くて、ジュースみたいな味のチューハイ三百五十ミリリットル缶すら完飲できない。だからビールも、乾杯のときに泡で唇を湿らせた程度。

「ソフドリ飲みな!水分取らないと肌に悪いよ」

「でも…飲むよ。人数分頼んだのに、残すのはお店に悪いし」

酔い潰れるほうがお店に悪いと言ってわたしのビールジョッキを奪う紅覇くんに小声で感謝を告げれば、にこりと彼は口角を上げる。優しい笑顔にときめきつつ、そういう顔を紅覇くんが誰にでもするのはわかっていた。

「紅覇の気になる子って権兵衛なの〜?」

紅覇くんの背後から声をかけたのはピスティ。答えを知りたい気持ちと、知りたくない気持ちが交錯する。いくら待っても答えは聞けず、小声で何往復か会話した二人はあろうことか唇を重ねていた。

酔った紅覇くんがキス魔になるのは、わたしも知っている。わたしもキスされたことがあるから。ただし、酔った紅覇くんが唇を奪うのは男性だけで、女性にキスを落とすのは手の甲や手首、頬、額など。だからこそピスティと唇を重ねる想い人を前に、心臓を強く握り潰されたかのような苦しさを覚えていた。

今日の顔ぶれで唯一わたしの紅覇くんへの好意を知るモルは、心配そうにわたしの左肩に手を置いてくれる。しかし、高三の文化祭でミスターとミスに輝いた二人のキスを前に、モルに感謝を告げる余裕のないわたしは瞬き一つできずにいた。

泣き喚きながら二人に割って入って、他の女の子とキスしないでと怒れたら、どんなによかっただろう。そんな資格などないのは、当然わたしが一番よくわかっている。

しかし、怒る権利もない現状を虚しく思う一方で、ピスティとキスした紅覇くんを嫌いになれなかった。ピスティが紅覇くんに本気でないのはわかるし、わたしの気持ちを知ってたわけでもない。

この虚しさを打破したい気持ちはあれど、これ以上わたしの色恋で八人の仲を乱すのも嫌で。ジュダルが二人を引きはがしたあとも、悲しさと虚しさでアリババくんの惚気話は頭をすり抜けていった。



「王様だーれだっ」

ジュダルの音頭で王様ゲームが始まったのは、飲み会開始から二時間後。乗り気でないメンバーもいたが、数回やればグダグダになって終わるだろうという紅覇くんの一言で全員参加になった。赤く塗られた割り箸を最初に引いたのは、今回の王様ゲームの発案者。

「じゃあ…六番が一番にキス!」

割り箸に書かれた番号を見て、きゅっと心臓が縮こまる。ここにいるのは八人、王様がいるから番号は七まで。つまり、わたしの右手の箸に書かれた番号は逆さの九ではない。

「待て!このメンツでそーいうのは無しっ」

今日のメンバーなら異性間の友情は成り立つと思えるものの、冗談とて軽々とキスできる間柄ではない。高校時代から男性関係の激しかったピスティや、来る者拒まず去る者追わずの紅覇くんは別として。アリババくんの一言にモルや紅玉が賛同し、「さすがにこのメンツでは」とピスティまで賛同すれば、さすがにジュダルも方針転換せざるを得なかった。

「ちっ…じゃあ次からな」

頼むから一番は女子であってほしい。そう願うものの、なかなか一番も名乗りを挙げなくて。三番の割り箸を右手でぶらぶらさせるピスティが、名乗り出るよう該当者二人を促す。少し経っておずおずと一番の箸を掲げたのは、一番わたしが望まなかった相手。

「黄文にキスする六番、誰でもいいから早く名乗れよ。これ、王様の命令だからな」

強権を振るう王様に観念したわたしが挙手すれば、気まずい空気が個室に支配する。「夏黄文も権兵衛もかわいそうよぉ」と紅玉は庇ってくれるし、彼女にモルも同調してくれた。

しかし、「じゃあおまえらがメガネにキスする?」と王様が二択を突きつければ二人とも黙ってしまう。キス回避の代償で親友と黄文がキスするなんて、わたしだって嫌。

「みんなの前は嫌かもだけど、アリババくんやジュダル、紅覇よりはマシじゃない?それに喧嘩や浮気で別れたんじゃないでしょ?」

確かに異性としては好きでも何でもないジュダルや彼女持ちのアリババくん、本命の紅覇くんよりはマシだ。それにピスティの言う通り、破局の原因は紅覇くんを想いながら黄文と付き合ってた自分。しかし、その原因すら元彼には話せていない。

「…黄文、新しい彼女は?」

断る口実を求めた問いに、「いたけどもう別れた」と元彼。今は気になる人もいないと口にした黄文は、お返しにわたしの恋愛事情を探る。彼氏はいないと返せば、「好きな男は?」と黄文が尋ねた。

ちらりと視線を想い人に移すと、なぜか彼もわたしを見ていて。いや、この展開で視線がわたしに向くなというほうが無理な話。たとえ目が合ったところで、助けを求めるわけにも想いを告げるわけにもいかない。

「…いないよ」

これ以上抵抗するより、サクっと終わらせたほうがいいのはわかっている。しかし、振った相手に自分から、好きな人が見ている前でキスするなんて。思えば、交際中に自分から黄文にキスしたことはなかったかもしれない。意を決して黄文に正対するものの、小さく身体は震えている。

焦点をずらして元彼の瞳を覗き込まずに済むようにしてから、一瞬触れるだけの口づけをした。顔を離してようやく黄文の顔を見ると、"信じられない"といった面持ちでわたしを彼は見つめていて。

「…権兵衛、なんで」

アリババくんの一言に、自分の早とちりを嫌でも突きつけられる。呆然としたままのわたしに駆け寄ったピスティは「権兵衛はわかってると思ったし、そういう命令だったらさすがに私も止めてたよ」と口にした。「このメンツで口にしろなんて言うほど、俺も鬼畜じゃねーよ」と、ジュダルも焦りを隠さない。

恥ずかしさのあまり部屋を飛び出したわたしは、お手洗い用のスリッパを左右反対に履いたことにも気づかなくて。百パーセント自分の勘違いで楽しい飲み会を変な雰囲気にしたし、黄文には悪いし紅覇くんにも幻滅されたかもしれない。わたしを呼ぶモルの声が聞こえたものの、そう思えば戻る気にはなれなかった。



お手洗いには行かず、個室の外の廊下で一呼吸。少し経ってから"落ち着いたら戻る"とモルにLINEして顔を上げると、七人がいるはずの部屋から紅玉の声が響く。何事かと思って振り向くと、眉間に皺を寄せた想い人。

ネイビーのショートダッフルと赤のボストンバッグを持つ紅覇くんは、どう見ても帰ろうとしている。スマートフォンに視線を落としたままわたしに気づかない想い人に、大きな違和感を抱いた。

いつも紅玉と飲み会に参加するとき、絶対に紅覇くんは妹を置いていかない。少し待っても個室から紅玉が出てくる気配がなければ、声をかけずにはいられなくて。

「…紅覇くん、帰っちゃうの?」

「うん」

誰もいない廊下でなければ聞き取れなかったであろう声量で、紅覇くんは肯定の意を示す。わたしのせいで、久々の飲み会を退屈に思わせてしまった。かといって紅覇くんを帰らせてしまったら、彼との再会を楽しみにしていた他の六人にあまりに申し訳ない。

わたしと一緒に部屋に戻ろうと声をかけても、想い人は小さく首を振る。しかし、どうしても今日は親友の兄に帰ってほしくなくて。わたしも首を振れば、紅玉と家に来れば会えると紅覇くん。

妹の名が出たのを機に、先ほど抱いた疑問を紅覇くんにぶつける。痛いところを突いたのか、対面の相手は瞬き一つしない。しばらく返事を待ったあと、想い人から告げられたのは想定外の言葉。

「あのさ…好きな女と元彼のキスを見せつけられた僕に、その二人がいる二次会に来いって言うわけ?」

「だって紅覇くんが来ないのは寂し…え?」

自分の聞き間違いに決まっている。ピスティのように可愛くないし、モルのように抜きん出た何かがあるわけでもない。紅玉のように女の子らしいわけでもなくて。いくら何でも都合よく解釈しすぎな思考回路にうんざりしていれば、頬を染めた紅覇くんが一歩踏み込んでわたしとの距離を詰めた。

「だーかーらー!権兵衛が好きなの!」

今度は聞き間違いなんかじゃない。耳まで赤くする対面の想い人を見れば、三年越しの恋の成就を実感しはじめる。噛みしめている喜びと裏腹に、驚きのあまり告白前から身動き一つ取れずにいたわたしは仏頂面のまま。

「ひどい顔」

「…元からこの顔だもん」

眉間に皺を寄せたまま口から飛び出した言葉は、あまりに可愛いげない。幻滅されても致し方なしと肩を落とすわたしをよそに、告白の返事を紅覇くんは促す。いくら両想いとわかってても"好き"と言うのは恥ずかしくて、蚊の鳴くような声で「わたしも」と返すのがやっとで。

無音の廊下に響く心音をどう鎮めるかに思考回路を割くわたしと対照的に、紅覇くんはいたって冷静だ。その証拠に、黄文とのキスの前に紅覇くんが好きと言わなかった理由を問われる。

「それは…黄文から逃げるダシに利用するみたいで嫌だったし…紅覇くんを好きって言っても、あの場じゃ信じてくれなかったでしょう?それにノリでOKされても嬉しくないし」

素直に理由を告げれば、納得した様子を紅覇くんは見せた。紅覇くんの表情にほっとしたところで、当初の目的をわたしは思い出す。告白で脱線したものの、帰りがけの紅覇くんを引き留めたのが始まり。個室に戻ろう、と改めてわたしは声をかけた。

「えー…それなら権兵衛も抜け出そうよ」

好きな人への贔屓目をなしにしても、二十歳男性と思えないほど唇を尖らせる紅覇くんは可愛くて。可愛いと言ったら怒られるかな、なんて考えているうちに紅覇くんはさらに畳み掛けてきた。

「せっかく付き合えたんだから、二人きりになりたくない?」

わたしたちは付き合っている。目の前の紅覇くんがわたしの彼氏。彼の発言で、ようやく実感が湧いてきた。ドラマや漫画で見てきた、みんなでいるときに好きな人と抜け出して二人きりになる場面。まったく憧れないといえば嘘になる。しかし、それはあまりに六人に申し訳ない。

自分の勘違いで部屋を飛び出したわたしが安心して戻れるよう、アリババくんやモル、ピスティが気遣ってくれているのはわかるから。それに黄文はもちろん、ジュダルにも謝らなくてはならない。何より、紅玉を置いて紅覇くんが帰るなんて。それを口にすれば、やっと彼氏は踵を返す決意を固めた。ただし、条件つきで。

「今ここでキスして」

ここは廊下と抵抗すれば、元彼とのキスを紅覇くんは引き合いに出す。断れないとわかっていてこんな条件を出すなんて。ひどい男に落ちてしまったものだと思いつつ、わたしは条件を受け入れた。早く部屋に戻りたいのはもちろん、もうわたしは学習している。こういうときのキスは頬で十分だから。

「唇以外、ダメだからね?」

「!」

思考を完全に読んだ紅覇くんがわたしの口元に手を宛がい、これ以上左頬に近づけなくなる。言葉を失ったまま視線だけをあちこちに動かしていると、じっとわたしの目を覗き込む彼氏と目が合う。

大きな瞳に写る動揺した自分に恥ずかしさが募って思考が停止したとき、一瞬だけ視界が暗くなった。自分の身に起きた事実を噛みしめようとしたとき、視界の奥にちらついたのは揺れる黄色。

「え、紅覇?…権兵衛?」

「アリババ何なの?おまえ、覗きが趣味なの?」

お手洗いに行こうとしたアリババくんに、運悪く見られてしまったらしい。紅覇くんの誘導でお手洗いの方向に元生徒会長が消えたあと、わたしたちは互いに顔を向けた。

「…戻ろっか」

「そだね」

今すぐ交際を六人に報告する必要はないと思っていたわたしたちにとって、アリババくんにキスを見られたのは想定外。元生徒会長からわたしたちの交際が口外される懸念は杞憂に終わったものの、紅覇くんの雰囲気から何かを察知したピスティによって、一次会のうちに交際は知られるところとなったのだった。



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