毒薬 -Love is a Poison...-(ジャーファル) | ナノ


帰国(167)


洛昌を発った飛空挺に乗るわたしは、シンドリア王国領空にいる。煌帝国発シンドリア行の飛空艇の搭乗率は約3割。どう考えても、この2国間を結ぶ飛空挺は不採算ルートだ。

南海の島国・シンドリア発着の飛空挺は長距離便で、他の便より運賃が高い。飛空挺の運賃が下がりつつあるものの、他国との比較でどうしてもシンドリア便は高額に思えてしまう。

もっとも、わたしの費用は国負担。おかげで気後れせずに飛空挺を利用していた。しかし、帰国後も同じ気軽さで飛空挺を利用できるわけではない。

「あと30分くらいかな…」

煌帝国ほどではないにせよ、シンドリアも世界の変化でマイナス影響を受けた国の一つだ。煌帝国と違い、観光資源が豊富なシンドリア。観光立国として生きながらえる選択肢が、まだ南国には残されている。

それに、南部の島国という立地上、土地固有のものは他国と競合しない。観光資源に限らず、南海生物や果実などは、旧世界同様ほぼ独占的にシンドリアが扱えるだろう。しかし、シンドリアへの観光客はそう多くない。船舶が衰退した今、南国への移動手段は高額な飛空艇ほぼ一択だから。

また、"七海の覇王"のカリスマ性に、よくも悪くもシンドリアは依存していた。シン様が退位した今、昔ほどの求心力は南国にない。もっとも、ドラコーン様が悪いとか、王として不相応とか、そういうことではなくて。誰が後継者になっても、結果は変わらなかっただろう。



「ゴンベエちゃん、お帰りなさい!」

シンドリアに到着した飛空艇から降りてすぐ、サヘルさんに抱きしめられた。洛昌を発ったのは昨日の夕方で、まだ夜も明けていないのに。

「ただいま…戻りました、サヘルさん」

両腕を王妃の背中に回せば、私室で好んで彼女の焚く香が微かに漂う。懐かしい匂いに、シンドリアに帰ってきた実感が少しずつ沸いてくる。

「こんな時間にありがとう」

「どういたしまして。…長距離便でゴンベエちゃんも疲れているでしょう?早く王宮に戻りましょう」

王妃の問いに頷くと、彼女の背後に控えていた文官たちがわたしの荷物を手に取った。王宮に一番近い発着場とはいえ、王宮までは少し遠い。

「せっかく来ていただいて申し訳ないのですが…自分の荷物くらい自分で持ちますよ」

前にも似たことがあって。文官たちにひどく労力を使わせてしまったことを、わたしは気に揉んでいた。

「気になさらないでください!我々、7型魔導士ですから」

話を聞けば、自身も魔導士であるサヘルさんは、自身の側近に積極的に魔導士を登用しているらしい。王妃曰く、すべての魔導士が魔法を研究したいわけではなくて。研究室で籠っているより、簡単な魔法でも身近な誰かの役に立つほうがいい魔導士もいる。魔導士の働き方の選択肢を増やしたかった、と王妃は言う。

「それなら…よろしくお願いします」

文官として働く魔導士たちに荷物を任せ、一時帰国時同様にサヘルさんの杖でわたしは王宮に向かった。

シンドリア・パルテビア間の飛空艇お披露目運航に招待されたのは2年ほど前。一時帰国時と異なり、すっかりサヘルさんの"王妃"が板についている。

「ドラコーン様も料理長も…みんな元気にしてる?」

「毎日一緒にいる私が言うのは説得力に欠けるけど、ドラコーン様は変わらないよ。ジャーファル様たちの後任の八人将も、頑張ってくれている」

彼らの就任から2年が経ち、"新"八人将と呼ぶのはわたしだけと気づく。シンドリアにわたしが来てからアリババ様と再会するくらいまでがちょうど2年。恋人たちがこの国を離れてから、それだけの時が流れたのに気づき、改めて時の早さを実感した。



サヘルさん曰く、"トランの民の島"に急用でドラコーン様は出向いている。シンドリアに国王が戻るのは、明日になるという。

「ゴンベエさん、お帰りなさい!」

そうとわかったわたしが、帰国の挨拶で真っ先に向かったのは厨房。早朝だろうと、王宮料理人には関係ない。朝番勤務中の同僚たちは厨房にいる時間だ。"国家間の移住の自由"の影響か、シンドリアの王宮料理人は半数ほど入れ替わっていた。

「シンドバッド様はお元気でしたか?」

「アルテミュラの伝統料理について質問が…」

2年を感じさせないほど暖かく出迎えてくれたのは、旧知の同僚たち。料理長の姿が見えないものの、非番だろうと判断する。しかし、その判断が誤りと、すぐにわたしは突きつけられた。

「あの…ゴンベエ料理長が帰国されたって、本当ですか?」

朝番ではない王宮料理人たちが、気づくと厨房の前に集まっていて。懐かしい顔もいれば、知らない顔もいる。そのうち初対面の1人の発言に、ある違和感をわたしは覚えた。

「あ…初めまして、わたしがゴンベエ・ナナシノです。ただ、わたしは副料理長であって、料理長ではあり」

「違わないよ。明日から料理長にゴンベエは就任するんだ」

シンドリアにわたしが来た当初からの同僚の言葉に、わたしは目を見開く。説明を求めれば、ゆっくりと彼は話してくれた。

前料理長が辞意を固めたのは、わたしの一時帰国と同時期だったこと。"国際同盟"によって、"国家間の移住の自由"が認められた時期だ。

旧世界でも、シンドリアに転出規制があったわけではない。とはいえ、世界的に"国家間の移住の自由"が認められたことで、上司の心境に変化があったようだ。自身の店を持つのが前料理長の夢だったのは、わたしも知っている。

「…それで、料理長は今どこに?」

同僚が口にしたのは、前料理長の生まれ故郷。料理修行でわたしが訪れた国だ。しかし、王宮を中心とした国の中心部が行動範囲だったわたしは、郊外にある上司の地元を訪ねなかった。広い国で彼に会えなかったのは、無理もない。

「料理長が辞めて、副料理長のわたしが不在で。その間はどうしていたの?」

「副料理長の業務の分業体制を、修行前にゴンベエが整えたでしょう?料理長の業務でも同じようにしたよ」

料理長と副料理長が不在でも、つつがなく仕事は回っている。シンドリアに残された同僚たちの苦労を考えると、頭が上がらない。

「ゴンベエも…どこか他の国に行くの?」

同僚の言葉に、迷わずわたしは首を振る。分業体制の整ったシンドリアを知り、副料理長としてこの国にいる意味はないのではないか。一瞬そんなことが頭をよぎったのは事実。しかし、それがシンドリアを今すぐ去っていい理由にはならない。

「わたしの休職の条件は…シンドリアでの復職だったから。修行期間と同じ2年はシンドリアに残って、ドラコーン様やみんなに恩返しするつもりです」

とはいえ、料理長就任が既定路線になっているのもまた事実。周囲にとっても本人にとっても疑う余地のない昇進だとしても、一応本人に伺いを立てるもので。戸惑いを素直に告げれば、帰朝されたらドラコーン様と話し合ってほしい、と同僚たちに言われる。彼らの申し出を承諾し、その場は解散した。



「いいと思うけど、料理長。やってみれば?」

「そんなこと言ったって…料理長は責任重大なんだよ」

シンドリアへの帰国を報告すべく、通信器で恋人を呼び出す。応答しない可能性もあったが、多忙なジャーファルは朝食中。忙しいときは朝食を抜くことも多い恋人がちゃんと朝食を摂っていると知り、わたしは安堵した。

「副料理長と料理長では、業務内容も違うの?」

「全然違うと思うよ。業務内容だけじゃくて、責任も桁違い」

晩餐会で国賓に感想を伺うのも、王宮で食中毒などが発生したときに責任を負うのも、すべて料理長1人。仮に部下たちに原因があっても、責任を取るのは料理長だ。それに比べれば、少なくともシンドリアの副料理長が背負う責任は少ない。

「ゴンベエのことだから、遅かれ早かれ料理長になるとは思っていたけど。こんなに早いとはね」

「ありがとう、ジャーファル。でも…イムチャックと煌帝国で料理長だったお父さんを見て、大変さは理解しているつもりだから不安で」

ふと弱音を漏らすと、父に相談したのかと恋人は問う。

「ゴンベエの仕事の勝手を知らない私より、お父様に相談したほうが的確なアドバイスをいただけるでしょう?」

「まだだよ。…帰国の報告も料理長の話も、一番にジャーファルに聞いてほしかったから」

通信器の向こうから、しばらく声が消える。何度か恋人の名前を呼ぶと、我に返ったような素っ頓狂な声が聞こえた。

「…すいません、そろそろ仕事に戻らないと」

「そうだよね。朝から忙しいのに、話を聞いてくれてありがとう」

ちゃんと寝てね、と付け足せば、了承の意が返される。しかし、わたしは懐疑的にならざるを得ない。ジャーファルをわたしは信用しきっている。しかし、身体を省みずに働く点と、忙しいと食事を抜きがちな点だけは例外。むしろ、そこに関してはほとんど信用していなかった。

シンドリア時代、いくら睡眠を取るようわたしが言っても、繁忙期は聞き入れてくれなくて。仮眠を摂っていると口にしたものの、ピピリカちゃんや他の文官に確認すれば、すぐに嘘は露呈するのに。それで喧嘩したのも、一度や二度ではない。

「ゴンベエも…ちゃんと休んで、長旅の疲れを取ってね」

「うん、ありがとう。じゃあ…また連絡する」

通信を終えたわたしは、ふう、と息をつく。できるだけ頻繁にジャーファルと通信するよう心がけているものの、双方ともに多忙で現状は毎日とはいかない。

今日は長話をできたほうだが、内容は事務連絡のようなもので、物足りなくて。毎日一緒にいられたシンドリア時代がいかに恵まれていて、宝物のような日々だったかを思い知らされる。

「もうちょっとセイラン様と親しくしておけばよかったかな…」

通信器を枕元に置いて寝台に潜り込むと、強い眠気がわたしを襲う。飛空艇の長距離便で寝たとはいえ、熟睡なんてできなくて。久々のシンドリアの私室で安心感に包まれたわたしは、夕方までひと眠りした。



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