毒薬 -Love is a Poison...-(ジャーファル) | ナノ


珍酒(168)


"トランの民の島"での任務を終え、シンドリア行の飛空艇の発着場に向かう。"夢の都"で待つ愛妻に連絡を入れれば、「ゴンベエちゃんとお待ちしています」だなんて返ってきて。無事にゴンベエがシンドリアに戻った、との報告は、昨朝に通信でサヘルから受けていた。

「王よ、王妃様から何か吉報でも?」

「ああ…」

私に問うたのは、"トランの民"からの贈賜品を両手いっぱいに抱える文官。休職中の王宮料理人の帰国を告げると、その文官は顔を綻ばせた。先王の時代から私に仕える彼は、ゴンベエの料理のファンらしい。ゴンベエの料理を心待ちにしている官職は、きっと目の前の文官だけではないだろう。

「ドラコーン王よ。急な依頼にもかかわらず、こちらまで赴いていただき感謝している」

文官とは反対側から声をかけたのは、"トランの民の島"の村長。わざわざ飛空艇の発着場まで来て礼をしてくれるなどとは、正直思っていなかった。

「…礼には及びません。シンドリア王として"トランの民"に安住の地を約束するのは、先王の時代からの変わらぬ責務です」

シンドバッドの尽力によって、現在の場所に居住を構える"トランの民"。この島に飛空挺の発着場ができたのは、たった半年前だ。自分たちの文化を非常に重んじる"トランの民"は、最初こそ発着場の設営に抵抗を見せた。

そんな彼らが飛空艇の発着を許可したのは、今はシンドリア商会会長となったシンドバッドのお陰。パルテビアから足しげく"トランの民"に足を運んだ"七海の覇王"によって、ようやく許可が降りたのだ。

とはいえ、"トランの民"の飛空挺には、かなりの制限がある。運航が許されているのは、シンドリアとの往復便だけ。さらに言えば、観光客用の飛空艇は運航していない。

シンドリアの考古学調査団や事前申請した商会など、"トランの民の島"行の飛空艇を利用できるのは特定の者に限る。これが、"トランの民"が飛空艇の就航を許す条件だった。

「また来てくれ。…シンドバッド様を抜きにして、これからもシンドリアとはいい関係を築きたい」

村長の言葉に、私の心を覆っていた霧が晴れていく。あいつが退位して2年ほど経つのに、飛空艇の件も"トランの民"との関係もあいつありきなのは、誰よりも自分がよくわかっていて。それを周囲に悟られぬようにしつつ、自分の不甲斐なさに落ち込んでいたところだった。

「ぜひ。変わらぬ"トランの民"の繁栄をお祈りいたします」

頬が緩みきった顔は王として相応しくないはずで、他人にそれを見られる前に飛空挺に搭乗しようとする。しかし、誰かに羽織を掴まれ、私の脚は止まった。羽織を掴んだ相手の正体を探れば、それは"トランの民の島"の村長。

「これを…。"頼まれていたもの"だ」

「急なお願いにもかかわらず、ご用意いただき感謝いたします」

村長から受け取った品を懐に入れてから改めて礼を告げ、私は飛空艇に乗り込む。他国との運航で使うそれより二周りほど小さい"トランの民の島"専用の飛空挺は、ほどよい広さで居心地がいい。

懐には、ゴンベエの好物とシンドバッドから聞いた"トランの民"の珍酒。王宮料理人がパルテビアでの修行を終えたあと、シンドバッドと通信した。料理修行の話をゴンベエから聞いた"七海の覇王"の声は、やけに弾んでいて。畑は違えど、各国を旅する王宮料理人の話は、世界一の冒険者に強く刺さったのだろう。

修行を積んだゴンベエを、ますますシンドバッドはそばに置きたがっていた。"国際同盟"に入らない道を選んだレームの扱いには、理事長ですら苦慮している。

そこで鍵になるのがゴンベエ。シンドバッド曰く、料理修行を通じて歴史ある帝国とも、良好な関係をゴンベエは築いたらしい。"トランの民"の珍酒は、そんな王宮料理人への"餌"であり、修行の労いでもあった。



シンドリアに戻るなり、紫獅塔の一番奥の部屋に私は向かう。そこは、旧世界ではシンドバッドが使っていた部屋。2年前に王位を継いでから、サヘルと2人でこの部屋に移り住んでいる。

あいつとは調度品の趣味が合わないし、2人住まいにちょうどいい広さだった前の部屋を私たちは気に入っていた。しかし、"国王"として王宮で一番広い私室を使うよう、従者たちから強く進言されたのだ。

「ドラコーン様、おかえりなさい!」

その部屋でも、かつてと変わらずゴンベエに出迎えられた。サヘルより先に「おかえりなさい」と言うのも、昔と変わらない。何より、"王と官職"として変に恭しい態度を取らない王宮料理人に、私は安堵する。

「…2年間の修行を終え、昨日の早朝に帰国いたしました」

「よく無事で帰ってきてくれた。ゴンベエもおかえり」

懐かしい雰囲気から打って変わって、1人の官職らしく2年間の報告と暇の礼を告げるゴンベエ。荷物を所定の場所に置き、ゴンベエへの土産を後ろ手に持ったところで、部屋を満たす香りに私は気づいた。

懐かしい香りに、思わずサヘルの顔を見る。私の視線に気づかない愛妻は、簡易厨房で煮物を窺うゴンベエを見つめていた。

「前は両親のレシピの見よう見まねでした。でも…今回はパルテビア宮殿でわたしが教わったレシピです。パルテビアにお2人がいた頃と変わらない味だといいんですが…」

そう言いながら、ゴンベエは皿に料理を盛っていく。美しく盛りつけられる料理には、サヘルにも私にも見覚えがある。私たち夫婦が出会った宮殿に、代々伝わる料理だった。



「いただきます」

ゴンベエが作った食事を、3人で食べる。やはり"両親のレシピの見よう見まね"とは違って、舌が記憶する味と今日のゴンベエの味はほぼ変わらない。思った通りをサヘルと2人で告げれば、王宮料理人の表情は華やいだ。

「そういえば、"トランの民"から酒をいただいた。ゴンベエの好物なんだろう?」

着席してから椅子の下に隠していた酒瓶を私が取り出すと、ぱっと顔をゴンベエは輝かせる。しかし、すぐに彼女の表情は真剣なものになった。

「ドラコーン様、食事の前に…お話ししたいことがあります」

ゴンベエが切り出したのは、王宮料理長への昇進について。昨日の時点で同僚たちから聞いていたものの、返事を保留しているらしい。

「あまりに突然でしたし…。修行でずっと腕を磨き続けたとはいえ、2年もシンドリアの厨房を離れていたわたしでいいのか、不安で…」

ゴンベエ以外に適任者はいない。これがほかの王宮料理人の総意であり、二つ返事でゴンベエの昇進人事を私は承認していた。誰が料理長に推挙されるにせよ、料理について門外漢の私や現八人将たちが口出しすべきではないのだ。

「ゴンベエちゃん…」

「…ゴンベエの主張はわかった。王宮料理長への昇進を、お主は断るのか?」

副料理長に昇進したときも、その人事にゴンベエは不安を抱えていた。詳細は知らないが、そんな話を彼女の恋人から聞いたことがある。

「いえ、引き受けます」

思っていたよりも数倍早いタイミングで、ゴンベエは答えを出した。詳しく聞けば、昇進人事を引き受けるのは既に決めていたらしい。あくまで正式な返事は王たる私にしたかった、とゴンベエ。

「この一晩で…自分の考えを整理できました。わたしに期待していただけるなら、全力でお応えしたいです」

そう答えるゴンベエに手を差し出し、彼女と握手を交わす。

「ゴンベエ、再びシンドリアの厨房をよろしく頼む」

「仰せのままに、王よ」

握手を解くなり、私から"トランの民"の珍酒にゴンベエの視線は移った。飲食にはとことん見境がなく、表情に出る新料理長の思考はわかりやすい。ゴンベエの性格は前から知っていたが、変わらないと改めて実感する。

「ゴンベエちゃんのお気に入りなら…私も飲んでみたいな」

気付けば、席を立ったサヘルがグラスを三つ用意していて。元皇女の従者だった妻の気遣いに、改めて感心してしまう。珍酒の瓶を私が手にすれば、ガタンと大きな音を立ててゴンベエが立ち上がる。

「ドラコーン様、わたしがやりますから!」

「お主の帰国祝いの席で、そんなことをさせられるわけなかろう?ただでさえ料理まで作らせてしまったんだ、座ってゴンベエは待っていろ」

そう返せば、新料理長から謝意を告げられた。しかし、その表情は納得していなさそうで。無理矢理仕事を取り上げたときの、ゴンベエの恋人を彷彿とさせる。

この酒をサヘルが飲むのは初めて。酒を注ぐ私を待つサヘルとゴンベエは、子供のようにキラキラと目を輝かせている。30代の女性に適切な言葉かわからないものの、2人ともとても可愛らしい。

グラスに酒を注ぐと、特有の癖の強い香りが周囲に立ち込める。好き嫌いの分かれる香りに、サヘルは顔を歪ませた。

「サヘルさん、一口だけ飲んでみて。匂いは癖があるけど、すっきりした味で飲みやすいから」

一口だけ、と"トランの民"の珍酒をサヘルが口に含む。ゴンベエと2人してサヘルの感想を待つべく、じっと妻を見つめる。

「ドラコーン様もゴンベエちゃんも…そんなに顔を見られると恥ずかしい」

顔を赤くしながら、窓のほうにサヘルは顔を背けた。しばらくして、ようやく愛妻から感想が告げられる。

「…思ったよりはおいしいけど、匂いが苦手だから私は一口で十分です」

その言葉に、ニヤニヤしながら一本の酒瓶をゴンベエは取り出した。酒瓶の中身は、サヘルお気に入りの赤葡萄酒。まだ酒を注いでいない自身のグラスに、赤葡萄酒を新料理長が注ぐ。

「これでお口直ししてね、サヘルさん」

「ゴンベエちゃん…自分の取り分が増えて嬉しいだけでしょう?」

サヘルの言葉に、悪びれる様子もなくゴンベエは口角をあげた。ゴンベエと私は珍酒、サヘルは葡萄酒手に取り、カチンと音を鳴らす。サヘルに同じく、私とて珍酒は得意でない。しかし、"トランの民"との友好や新料理長の帰国への祝酒として、1杯は飲みたい気分だった。



食事中も食後も、話題の中心はゴンベエの料理修行。よく知る顔がたくさん登場し、サヘルも私も懐かしい気分に浸った。

「また明日から、シンドリアのために働かせてくださいね。ドラコーン様、サヘルさん、おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」

ほとんどの旧知の仲間がシンドリアを去り、"王"や"王妃"と我々夫婦が呼ばれるようになって2年。気の置けない仲間との談笑で、久々に気分転換できた気がした。



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