毒薬 -Love is a Poison...-(ジャーファル) | ナノ


意地(166)


「明日の夕方の飛空艇に乗る予定です。…明後日の早朝には着くかと。…はい、よろしくお願いいたします」



言いたいことを伝え終え、わたしは通信を終了させた。通信の相手は、ドラコーン様。シンドリアを発って丸2年が経ち、ついに明日に帰国が迫る。二月ごとに繰り返した荷造りも、これで最後。明後日の朝には南国にいると思えば、この2年の思い出が次々と頭をよぎる。

両親の元で空白の日々を取り戻したミスタニア共和国に、料理修行の合間に騎士王直々に槍術の稽古をつけていただいたササン。普段男性陣に頼むような力仕事をして腕力がついたアルテミュラに、部族ごとに微妙に文化が異なるイムチャック、薬学の基礎知識を身につけられたエリオハプトも。

予定外の滞在となった鬼倭王国、華やかな歴史を感じさせるレーム、非魔導士の固定観念をことごとく打ち破ったマグノシュタット。恋人たちが暮らすパルテビアに復興の最中にあるバルバッド、海洋国家と対照的に寂れつつある煌帝国まで。

「あっという間だったな」

明日には、ドラコーン様とサヘルさんが待つシンドリアに戻る。国外にいたのは2年と短かったのに、ひどく濃密な日々を過ごしてきた。感慨深さに浸っていれば、待ち合わせの時刻が迫っていて。全身鏡で今一度身だしなみを確認し、廊下にわたしは出た。



「この二月、陛下には大変お世話になりました。心より感謝申し上げます」

今までの国では出国前夜に餞の宴が開かれたり、特にお世話になった方と内々に酒席を設けたりしていた。しかし、煌帝国は最後にして唯一の例外だ。二月を禁城で過ごしたものの、紅玉様にわたしがお会いしたのは1回。入国当日の謁見だけだった。つまり、特に陛下と親しくしていたわけではない。

しかし、今こうして2人きりの広間で食卓を囲んでいる。青舜殿でも誘って洛昌の夜市で1杯引っかけようと思っていたわたしに、「夜に酒杯を交わしたいと陛下が仰っている」と、昼のうちに女官が告げたのだ。

皇帝陛下からのお誘いとあれば、断れるはずがなかった。もっとも、断る気など毛頭ない。しかし、入国当日の謁見で挨拶もままならないうちに、紅玉様に噛みつかれたわけで。断らずとも、正直なところ気乗りはしなかった。

「…今だから言いますが、この二月はあなたに監視をつけていました」

「常に見張られている気配を感じていましたが…陛下つきの者でしたか」

紅玉様曰く、市街地でのわたしを監視員に見張らせていたらしい。マグノシュタットやバルバッド同様、この二月は禁城の内外で働いた。とはいえ、ただでさえ人が減っていく煌帝国。似た活動をしたところで、魔導学院国家や海洋国家のような効果は得られなかった。

「城下町でも…随分派手に動いたようね」

「申し訳ございません」

口では謝罪するが、悪いことをしたとわたしは微塵も思っていない。他の国と同じように食べ歩きにも興じたが、こちらも結果は散々で。煌帝国時代に足を運んだ店があれば、必ずそこには足を運んだ。記憶の味が美化されただけかもしれないが、どの店の味も記憶よりワンランク下。

当時の味を思い出しては羊皮紙に書き記すのを繰り返し、店主や料理人に指摘した。煌帝国時代のわたしを覚えてくれていた人がいる店では、すぐにわたしの指摘を受け入れてもらい、味の改善に成功。城下町の料理店に手渡した羊皮紙の枚数は、200枚以上にのぼる。

今の洛昌にある店で、わたしの退官以降にできた店は、よくて"中の下"。なかには客からお代をいただく水準に達していない店もあって。勝手に店の者に料理指導をしたところ、出禁を食らった店も1件や2件ではなかった。

「お恥ずかしいわたしの姿も、陛下の耳に入ったのでしょうね」

城下町の料理店で出禁を食らう職業料理人など、恥ずかしいったらこの上ない。そう思って口にした何気ないわたしの発言が、紅玉様の琴線に触れたようだ。

「…恥ずかしいですって?」

突然大きな声を出す皇帝陛下に、思わず仰け反る。その拍子に左手の馬乳酒が跳ね、床を濡らした。

「禁城も城下町も関係なく、煌帝国のためにあなたは働いたんでしょう?全然恥ずかしくないじゃない!」

煌帝国のために働くのは恥ずかしいことなのぉ?と、わざわざわたしの元まで足を運んで紅玉様は詰め寄る。修行初日と同様に、こうしたときの陛下の圧には"炎帝"やその弟君たちと同じものを感じた。練家の圧に小さく身体を震わせたあと、急いでわたしは首を横に振る。

「恥ずかしいと思ったことなんて、一度もありません。…おこがましいのは重々承知しておりますが、煌帝国をわたしも助けたいんです。大切な人たちが守ろうとなさった…いえ、今も守ってらっしゃるこの国を…」

煌帝国を守ろうとなさった大切な人は、白雄様だけではない。白徳大帝や白蓮様、紅炎様に紅明様と紅覇様。白龍様だって、煌帝国を守りたい気持ちは同じだ。それに、投獄中の紅炎様と紅明様の眷族や、青舜殿も志は同じに違いなかった。



「煌帝国のために、ありがとう」

深々と、わたしに紅玉様は頭を下げる。急いで皇帝陛下の前で膝を折り、頭をあげるようわたしは懇願した。顔をあげた紅玉様の瞳は、潤んでいる。

「やっと言えたわ…。今まで意地になって、どうしても言えなかったの…!」

何の意地かと疑問を抱いたのは一瞬。シンドリアで両国の者を前にした紅玉様の発言に、二月前の発言も。

<紅炎様をたぶらかしたうえに夏黄文を切り殺そうとし、逃走した罪人>

<シンドバッドを利用してわざわざ禁城に来て、私をバカにしに来たのぉ?>

大好きなお兄様をたぶらかしたうえに、信頼する従者を殺しかけた女だと思えば、許せるはずがない。さらにその女が初恋の相手で逆らえない立場の男性を利用して、料理修行とのたまってノコノコと現れたとなれば。紅玉様でなくても、苛立ってしまうだろう。

それに、国のために二月働いたからとて、その女に謝意を伝えるのは容易ではない。紅玉様の性格を鑑みれば、陛下の立場があったとしても勇気が必要だっただろう。

「本当は、おかしいと思っていたの…」

そう切り出したのは、紅玉様。バルバッドにわたしが逃れたあと、夏黄文の身体を見たことがあるらしい。しかし、致命傷になりうる傷跡どころか、切り傷すら夏黄文の身体にはなかった。当たり前だ。夏黄文を切り殺そうとしたどころか、彼に刃物を向けてすらいないのだから。

「でも、ワケがわからなくて。夏黄文とあなたに何かがあったのはわかっていたけど、夏黄文を疑いたくなかったから。ついあなたを悪者にしてしまったの…。二月前だってそう。せっかく来てくれたのに…いきなりあんなことを言ってごめんなさい」

もう一度頭を下げる紅玉様に、再び顔をあげてもらう。

「今でも彼のことは許せませんが、誤解だと陛下が気づいてくだされば十分です。二月前のことも…気になさらないでください」

拱手をして告げると、紅玉様から手を差しだされた。おそるおそる手を握れば、優しく握り返される。いつかの某国の皇女様のような、白くてもっちりした手ではない。武器を握って鍛錬を重ねて実戦を積まれた、武人の手だ。

爪には薄紅色の爪紅が塗られているものの、根元は真っ白。第八皇女はおしゃれが好き、とかつて第一従者から聞いた気がした。しかし、爪に気配りする間も惜しんで、煌帝国のために紅玉様は身を粉にされている。皇帝の立場上、ある程度外見に気を配る必要があるのに、それすらもままならないほどに。

「それじゃあ…あなた、私のお友達になりなさい」

ぼそっとつぶやいた紅玉様。はっきりと内容は聞き取れたが、思わず聞き返してしまう。

「しっかり働いたから、あなたを認めてもよろしくってよ!それにあなたはアリババちゃんのお友達なんだから、私ともお友達でしょう?」

目の前の紅玉様は、皇帝陛下ではなく21歳の女の子。わたし相手に多少の無礼を働いても構わないから、一緒にいるときはただの"練紅玉"に戻れる存在でありたい。そう思いながら、差し出された手をわたしは取った。

「…はい。お友達になりましょう」



翌日。飛空挺に乗るのは夕方で、午前中は最後の自由時間になっている。皇帝陛下に連れられたわたしは、禁城の庭園にいた。花の王冠の作り方を、紅玉様に教えるのが目的だ。

アリババ様と紅玉様が緑射塔で友達になったとき、ジャーファルとわたしは彼らの話を盗み聞きしていた。そのとき、わたしの長所にアリババ様があげたのが花の王冠。

<ゴンベエはすごいんだぜ!花の冠なんかじゃなくて、王冠を作れるんだ!>

レームにいた幼少期、王宮に住む子供たちの間で"シェヘラザード様ごっこ"が流行った。そのときに覚えたのだ。それは、王宮料理人としての英才教育が始まる前だった。

「やっぱり手先が器用なのねぇ」

そう仰る紅玉様の手元には、ぐちゃぐちゃの花の王冠。一連の花冠はきれいに作れるものの、やはり冠となれば難易度は上がるわけで。陛下への見本としてわたしが作った花の王冠ばかりが、中庭には並ぶ。

「練習すれば、すぐ紅玉様も作れるようになりますよ」

「敬語なんて、"友達"に対して他人行儀ではなくって?」と仰られたものの、煌帝国の陛下なのだから、と一度わたしは引き下がった。しかし、アリババ様には敬語でなかった、と指摘されてしまう。アリババ様は再会した時点で王子でなかったと伝えれば、渋々紅玉様は納得した様子を見せる。



「改めて…大変お世話になりました」

多忙にもかかわらず、飛空挺の発着場まで紅玉様は見送りに来てくださった。陛下は隠したつもりのようだが、木陰に第一従者を連れているのがわかる。先ほどから、視界にチラチラと黄色い帽子が見え隠れするのだ。

「"シンドリアの官職"ではなく、"個人"として来るなら今度は歓迎してもよろしくってよ」

「…紅炎様みたいなことを仰るんですね」

"世界会談"前の紅炎様を、わたしは思い出す。会場への立ち入りを認められていないわたしに、「"シンドリアの官職"ではなく"個人"として参加すればいい」と"炎帝"は仰った。

「ちょっと、"紅炎お兄様みたい"って…どういうことよぉ?」

わたしの一言に、皇帝陛下は血相を変える。真意を聞き出そうと肩を掴もうとする紅玉様を躱し、飛空挺の搭乗口にわたしは向かった。

「待ちなさいよぉ、ゴンベエちゃん!」

「紅玉様、またね!」

一度だけ振り返って紅玉様に手を振り、わたしは飛空挺に入る。最後の国での思いがけない収穫に、飛空挺に乗ってもわたしの口元は緩んでいた。



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