毒薬 -Love is a Poison...-(ジャーファル) | ナノ


杏仁(番外編)


十五時。シャルルカン様と別れて一人王宮に戻り、わたしは中庭を散策する。視界の遠くに見えたのは、手を振りながら近づいてくるキキリクくんだ。

「ゴンベエお姉ちゃんには、たくさんお世話になってるからさ」

そう言ってキキリクくんが差し出したのは、ルルムちゃんのレシピで作ったお菓子。わたしの不在時にこっそり王宮料理長に許可を得て、自分で予備の厨房を借りたらしい。

「ありがとう!すごく嬉しいよ」

ピピリカさんや妹たちにも渡す分を用意しているが、キキリクくん曰く「ゴンベエお姉ちゃんの分が一番きれいにできた」という。元はルルムちゃんのレシピだが、シンドリアの果実を使ったアレンジが施されているところにキキリクくんの成長を感じた。



十七時。キキリクくんを部屋まで送り届けたあと、「非番の日こそは」と私室を掃除する。ゴミを捨てて部屋に戻るために紫獅塔の廊下を歩いていると、マスルール様に声をかけられた。

「これ、ピスティが言ってた"ホワイトデー"ってやつ」

マスルール様から手渡されたのは、数輪の花で作った花束。どう見ても、今さっき森で摘んできたばかりだ。とはいえ、その辺に咲いているような品種ではない。ちゃんとプレゼント用の花を探しに、マスルール様が動き回ってくれたのが伝わる。

「…忘れてたんじゃありませんよ」

「そんなこと言ってないじゃん。この黄色い花なんて、シンドリアに咲いてるのは知ってたけど実物は初めて見たし。すごく嬉しいよ」

こういうのは気持ちが大事。森で摘んできたばかりでも、花屋で買ってきたものでもいいのだ。とはいえ、花がどうこう以前に気恥ずかしさが勝っていた。実のところ、男性から花束をもらうのは初めてだから。

「マスルールくん!ゴンベエちゃん!」

あとで花瓶に花を飾ろうと思っているところに、わたしたちを呼ぶ声。振り向けば、おしゃれしたピスティちゃんがやって来る。

「十九時からヤムとご飯に行くんだけど、一緒に行かない?」

「えっ…」

ちらりとマスルール様を一瞥すれば、こちらを見ていた彼と目が合う。ファナリスもまた、シャルルカン様の今夜の予定を知っているようだ。

「シンドリアでも有数のおしゃれなレストランなんだよっ!ヤムが誘ってくれたの」

無理矢理ピスティちゃんが二人に割って入ったのではない。ヤムちゃんが二人きりのディナーを回避しようとした。その事実に、シャルルカン様を応援していたわたしはがっくりと肩を落とす。

シャルルカン様の意図を勝手にピスティちゃんに説明するのも、いかがなものか。ヤムちゃんが誘ったのであれば、ピスティちゃんを悪者扱いするのもおかしいわけで。

シャルルカン様の恋路の険しさに、心の中で涙せずにはいられなかった。もちろん、マスルール様とわたしがピスティちゃんの誘いを断ったのは言うまでもない。



十九時。そろそろシャルルカン様の希望が打ち砕かれる時間帯だろうか。そう思いながら、一人わたしは食堂に足を運ぶ。夕食時の食堂で空席を見つけられずにいれば、サヘルさんに声をかけられた。ドラコーン様も一緒で、三人で夕食を摂ることになる。

ホワイトデーだから、と二人は日中にデートしていたらしい。ドラコーン様からのサプライズをわたしに話すサヘルさんは、とても幸せそうだ。わたしまで幸せな気持ちになる。

「ゴンベエにもホワイトデーはあるぞ」

ドラコーン様は懐から缶の箱を取り出し、卓上に置く。その缶箱には見覚えがあった。料理人の女性陣で話題沸騰中の焼き菓子の詰め合わせ。十二、二十四、四十八個入りの三種類が売られている。箱の大きさからして、これは二十四個入りだろう。

「これ…いいんですか?」

サヘルさんとドラコーン様を交互に見る。ドラコーン様曰く、サヘルさんには四十八個入りを買ったらしい。

「私以外にドラコーン様がホワイトデーをあげていいのは、ゴンベエちゃんだけだから」

独占欲の片鱗を見せながら、サヘルさんは目を細める。ちなみに八人将の女性陣に十二個入りをこっそり渡した、とドラコーン様から聞いたのは翌朝のこと。



二十一時。今朝ジャーファル様にもらったコーヒー豆を挽いていると、部屋の扉の向こうからわたしを呼ぶ声がした。ミルを挽く手を止めて扉を開ければ、商船警護帰りで潮の匂いを纏うヒナホホさん。

「これ、キキリクくんからホワイトデーにもらったんです。ありがとうございました」

菓子を見せながら謝意を告げると、「実は俺もゴンベエにホワイトデーを渡しに」とヒナホホさんが口にする。ヒナホホさんに手渡されたのは、イムチャック原産の保湿クリームだった。

海に囲まれ氷や雪に包まれているイムチャックは、多湿なようで湿度が低い。イムチャックで暮らしていたときも保湿が欠かせず、肌の乾燥に悩まされていたのを思い出す。"極北の秘境"ゆえにあまり知られていないが、イムチャックは非常に高級な保湿クリームの産地でもある。

「仕事で洗い物するとゴンベエの手も荒れるだろう?」

仕事はもちろん、わたし自身を気遣ってもらえたことが嬉しい。"極北の秘境"で暮らしていた頃、肌荒れするたびにルルムちゃんに保湿クリームを塗ってもらったことを思い出す。

「これ…ルルムちゃんに塗ってもらったことあるのと同じクリームです」

そうわたしが口にすれば、ヒナホホさんもまた嬉しそうに微笑んだ。



二十三時。明日は昼番で朝早くはないものの、そろそろ寝ようかと考えていると、部屋の扉を叩く音が聞こえる。扉を開ければ女官が立っていて、国王が呼んでいると彼女は告げた。

言われた通り"七海の覇王"の私室に行けば、彼に手招きされる。寝間着のローブを纏う国王を見る機会はほとんどない。部屋の主が着ているのは、クリスマスのプレゼント交換でもらったのと同じローブ。まさか国王自身も持っているとは思わず、視線が釘づけになった。

「ゴンベエ、どうした?俺に見とれた?」

「まさか」

にやりと口角を上げて問う国王に、すぐわたしは首を横に振る。この部屋にわたしを呼んだ要件を尋ねると、部屋の主はテーブルを指さした。卓上に並ぶのは、二つのグラスと美しく包装されたボトル。

「今日はホワイトデーだろう?」

わたしのためにお返しを用意してくれたのは素直に嬉しい。しかし、わたしはあくまで"一介の官職"だ。バレンタインデーには、国中の女性からチョコレートをもらっているに違いない。

他の女性にもこんなボトルをあげたのか?と、わたしは興味本位で問う。わたしの質問に「他はウインクと投げキッス」と真顔で"七海の覇王"は返した。

「それなら、わたしもウインクと投げキッスで構い」

言いたいことを言い切らないうちに、手首を掴まれて"七海の覇王"の腕の中に納まる。気づけば椅子に座る国王の膝に乗せられていて。

放してくださいと言う前に、部屋の主はテーブルからボトルを取ってわたしに手渡した。言われた通りにボトルの包装を解くと、姿を見せたのは杏仁酒。シンドリアではなかなか見ない代物に、心臓の鼓動が早くなる。

「東国にいた頃はよく飲みましたが…杏仁酒は久しぶりです。甘くておいしいんですよね」

「よかった、ゴンベエに喜んでもらえて」

そう言って、国王がわたしの頭を撫でた。久方ぶりの杏仁酒に、すっかりわたしは舞い上がる。部屋の主の膝の上にいることなど、杏仁酒の前ではどうでもよかった。

「今日はジャーファルもいないし、朝まで一緒に飲んでくれるよな?」

ちらりと目配せをする"七海の覇王"は本当にかっこいい。ウインクと投げキッスだけでも、嬉しくなる女官の気持ちはよくわかる。

国王の部屋に呼ばれて二人で酒を嗜むなんて、何人の女性を敵に回せばいいのだろう。"一介の官職"の自覚がなければ、わたしとてすぐ国王に陥落するに違いない。それに、"一介の官職"としての自覚があれど、杏仁酒を前に"七海の覇王"の誘いを断る理由なんてなかった。

「仰せのままに、王よ」

杏仁酒を飲みながら、国王とさまざまな話をする。"七海の覇王"の冒険譚から仕事の話、王宮のできごと、諸外国のことまで。話題は多岐にわたった。



「自室だからって潰れちゃって…国王、寝台に行きますよ」

三月十五日を迎えてからも、わたしたちの酒は進んだ。酔い潰れた部屋の主をなんとか起こし、寝台に寝かせて帰ろうとわたしは奮闘する。しかし、再び手首を掴まれたと思えば、今度はわたしが寝台に引きずり込まれた。

「ちょっと、国王。ふざけないでください」

うつぶせの状態で寝台に投げられたと思えば、あっという間にひっくり返されて仰向けになる。上半身を起こそうとすれば、のそのそと寝台に上がった国王によってそれは制された。

女性を連れて紫獅塔を歩く国王や、彼の私室から出てきた女性を目にする機会はある。しかし、自分が当事者になるなんて考えたこともなくて。"国王のお相手をできるなんて名誉だ"という人も世間にはいるが、親の教えは逆だった。

親の教えに関係なく、"七海の覇王"に限らず、今のわたしは男性と関係を持つ気になれない。そうとも知らず、わたしの右手を取った部屋の主は手の甲に短く口づける。

「素敵なお嬢さん…素敵な一夜を…ともに…過ごしましょ…う」

自ら寝台に引きずり込んだ女性を判別できないほど、"七海の覇王"は酔っているらしい。顔を近づけてくる国王からは、杏仁酒の甘い香りとアルコール特有の匂いが漂う。無意識のうちに、わたしの脚は震えていた。

さすがに貞操の危機を感じたわたしは、「ジャーファル様に言いつけますよ」と国王の耳元で囁く。酔った思考回路で政務官の不在を忘れたのか、すぐに部屋の主はわたしを解放した。国王が眠ったのを見届けてからグラスやボトルを片づけ、わたしは彼の部屋をあとにする。

こうして、わたしがシンドリアに来て最初に過ごしたホワイトデーは終わりを告げた。



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