白日(番外編)
三月十四日。"ホワイトデー"と呼ばれる日だ。
西国の風習として、わたしが王宮の女子にバレンタインデーを紹介したのは先月。その結果、シンドリア中でチョコレートのプレゼントが大流行した。この大ヒットに、市街地の飲食店や食材店は大喜び。まだ一月しか経たないのに、早くも来年のバレンタインデー商戦について作戦会議している店もある。
それから一月が経った今日は、バレンタインデーのお返しをするホワイトデー。東国独自の風習で、バレンタインデーのように世界的な風習ではない。
ただ、その風習を生んだ国で暮らした経験のあるわたしは、ピスティちゃんとヤムちゃんにそれとなくホワイトデーの話をした。特に男性からのお返しを期待したわけでなく、異文化の一例として話しただけで。
しかし、ピスティちゃんがそれをシンドリア中に広めた。親しい男性たちにお返しをおねだりしたらしい。ピスティちゃんのおかげで、少なくとも王宮内ではホワイトデーも知られた存在になってしまって。
これは、わたしがシンドリアに来て最初に過ごしたホワイトデーの話。
その日、わたしは非番だった。しかし前日に早く寝たのもあって、朝早く目覚める。一応昼食の約束はあるものの、それ以外の用事は特にない。
「ランチは十三時から…」
前日に早く寝たということは、前日の夕食も早くに済ませたわけで。寝台を脱する前から空腹感が全身を埋め尽くす。とりあえず身だしなみを整え、官服に着替えて朝食を摂りに食堂へ向かった。
「こんな時間の食堂にいらっしゃるなんて…珍しいですね」
相席の許可を取る前に「ご一緒しませんか?」とわたしに声をかけたのはジャーファル様。朝七時の食堂に政務官がいるのは非常に珍しい。もちろんジャーファル様の場合、"朝七時では遅い"という意味だ。
「今日からパルテビアに行くんです。現地ではスケジュールに余裕がないので、せめて今朝くらいはゆっくりしようと思いまして」
パルテビアは、わたしが誕生直後から二歳までを過ごした国。船上で生まれたわたしは、戸籍上パルテビア生まれになっている。しかし、物心がついてからその土地を踏んでいないため故郷とは言い難い。
「じゃあ、しばらくジャーファル様とは会えないんですね。寂しくなります」
「…大袈裟ですよ、ゴンベエさん」
そう言って、ジャーファル様はコーヒーを啜った。コーヒーが熱いのか、政務官の頬はほんのり赤く染まっていく。
しかし、"何気ない会話が最後の会話だった"ということはある。終生の別れではないと思いたいが、大袈裟とは決して言い切れない。そンなことを考えながら視線を落とすと、わたしはジャーファル様の背後にある紙袋に気づいた。
「その紙袋は?」
何かを思い出したのか、ジャーファル様はゴソゴソと紙袋を漁る。きれいにラッピングされた筒状の箱を紙袋から一つ取り出すと、政務官はそれを卓上に置く。
「ピスティが言ってた…"ホワイトデー"でしたか?いつもゴンベエさんにはお世話になっているので」
「…催促したみたいですいません。でも、せっかくなのでいただきます」
許可を取ったうえで開封すれば、そこにはコーヒー豆。小国の特産品で、流通量がかなり少ないことで知られる品種だ。元々の流通量の少なさはもちろん、天候による不作を理由に今年の流通量は例年の半分ほどと聞く。
「これ…!入手するの、大変でしたよね?」
「それなりの手間を要したことは否定しません…ですが、そうやって期待以上にゴンベエさんが喜んでくだされば、それだけで十分ですから」
わたしの喜びのツボをがっつりと抑えたジャーファル様のプレゼント選びに、すっかり感心してしまう。とはいえ八人将と国王に渡した義理チョコレートのお返しとしては、あまりにこのコーヒー豆は不釣り合い。まるで本命へのお返しのようだ、なんて考えてしまう。
たかが義理チョコレートに対して、一人ひとりに合ったお返しをくださるジャーファル様。そんな彼なら、隠れファンを自称する官職たちが多いのも頷ける。
「昼前には出国するので、直接ゴンベエさんにお渡しできてよかったです」
「ありがとうございます。ジャーファル様が帰国したら一緒に飲みましょうね」
政務官との朝食中、わたしたちの席に来た王宮料理長は朝九時に厨房前に集合するようわたしに告げた。ジャーファル様が食堂を発ったあと、指定された時間まで自室に戻って時間を潰して。何かやらかしただろうか?と記憶を辿りながら厨房前に行くと、集合時間が近づくにつれて他の女性料理人も姿を現す。
「おはよう」
声をかけたのは王宮料理長。彼は朝番らしく、手短に用件を伝えると言って一人ひとりに小箱を手渡した。
小箱の中身はデコレーションケーキ。王宮料理人の男性陣一同からのホワイトデーだという。今日出勤する女性には休憩時間に渡すらしく、ここに集められたのは非番の女性陣らしい。
「おいしい…!」
「仕事のポカもこのケーキがあれば許せますね」
わたしを含む非番の女性陣は食堂の空席に陣取り、さっそく男性陣一同からのケーキを食す。デコレーションケーキの味はもちろん、見た目も一級品。さすが職業料理人たちと言わざるを得ない。
デコレーションケーキはキラキラと宝石のように輝いている。特にツヤツヤしたコーティングは美しく、菓子職人出身者の手腕が存分に発揮されたのだろう。食べるのがもったいない!と口にしつつケーキを平らげたわたしたちは、厨房の戸を開けて王宮料理長以外の男性陣にも感謝を伝えて解散した。
十一時。二時間後に迫る昼食に着ていく服を選んでいると、部屋の戸を叩く音がした。戸を開けた先にいたのはスパルトス様。飲み会以外でスパルトス様がわたしの部屋に来たことはなく、どことなく緊張感が漂う。なにより、用件が読めなかった。
「おはようございます。わざわざ私室をお訪ねになるなんて…珍しいですね」
「ゴンベエ殿にはお世話になっているから受け取ってほしい」
どうやら、スパルトス様までホワイトデーを知っているらしい。手渡されたのは少し大きめの箱。予想より重量があり、箱を受け取った腕がガクンと下がる。礼を言ってその場で包みを開けると、わたしのテンションはこの日の最高潮になった。
「なぜこれを…わたしが迷っていたの、ご存知でしたか?」
「市街地でそれを片手に考え込んでいたゴンベエ殿を、前に見たことがある」
箱の中には料理用のガスバーナー。クレームブリュレのカラメルや、刺身を炙るのに使うものだ。バルバッドから持参したものが先月の自炊中に壊れ、新調しようと思っていたところで。スパルトス様から贈られたのは、まさにわたしが狙っていた新製品。
「嬉しいのですが…いただいてもいいのでしょうか?あのヌガーチョコレートのお返しでガスバーナーをいただくなんて、おこがましいというか何というか…」
先ほどのジャーファル様といい、義理チョコレートに似つかわしくない物を贈るスパルトス様に、思わず本音が口をつく。一瞬顔をしかめたスパルトス様がわたしを呼ぶ。
「チョコレートの見返りだけでこれを贈るわけではない」
「…えっ」
「チョコレートの礼でもあるが、日頃の感謝の印でもある。ゴンベエ殿だって、見返りのためだけにチョコレートをくれたわけではないだろう?」
スパルトス様の言葉はぐうの音も出ない正論。バレンタインデーもホワイトデーも贈り物をする日ではなく、大切な人に思いを伝える日であることをわたしはすっかり忘れていた。
「…わたしが間違っていました。ガスバーナーはありがたく頂戴いたします。近々、これでスパルトス様にご飯を作らせてくださいね」
十三時。約束のレストランは、シンドリアでも有数のおしゃれなレストランだ。
「…シャルルカン様からこのレストランに誘われるとは思わなかったよ」
店頭で待ち合わせしたシャルルカン様は、なぜか緊張感を漂わせている。そんな友人に違和感を覚えながら店内に入ると、店員から衝撃の一言が伝えられた。
「シャルルカン様、ご予約は十九時からですが」
店員にそう告げられたシャルルカン様は、なぜかどもっている。やはり今日のシャルルカン様はどこかおかしい。原因はわからない。しかし、予約時間を六時間も間違えるなんて、"凡ミス"と呼ぶには非凡すぎる。
なにより、十九時といえば夕食の時間帯。このレストランのディナータイムには、ドレスコードが定められている。そもそも、今は十三時でランチタイムだ。
「夜の予約とは別です。そ、その…し、下見も兼ねてるんで…」
「…ほほう」
恥ずかしそうに店員に説明するシャルルカン様に、わたしはすべてを察した。ヤムちゃんとのディナーデートの予行演習に利用されている、と。
案内されたのは、シンドリアの海が一望できるテラス席。"下見を兼ねている"というシャルルカン様の発言を聞き、きっと店員が気を利かせてくれたのだろう。
「ホワイトデーのお返しと見せかけて、わたしで予行演習とはいい度胸だね」
「別に、そんなんじゃ…。ゴンベエちゃんへのお礼ってことに嘘はねえから…」
ニタニタしながら尋ねると図星で。シャルルカン様は顔を真っ赤にしている。二人がうまくいくなら、予行演習に利用されようと構わなかった。それに今日は「奢るから」と誘われているため、わたしに文句を言う資格はない。
「予行演習なら、ヤムちゃんになりきってみようかな〜」
「バッ…バカ女になんてなりきったら、ゴンベエちゃんにバカが移るだろ!それにそんなことしたら、"ゴンベエちゃん"にお礼する意味がなくなっちまうから!」
ヤムちゃんになりきろうなんて、もちろん最初から本気では思っていなかった。それに、本当に会場の下見だけが目的のようで、下見とは別にわたしへのお礼は考えてくれているらしい。
「だってここ、ゴンベエちゃんも行きたがってただろ?」
「うん…ありがとうね、シャルルカン様」
エウメラ鯛のバター焼きが絶品だったこのレストランは、わたしのお気に入りになる。本番であるシャルルカン様のディナーデートの成功を祈りつつ、お店の前で彼と別れてわたしは王宮に向かった。
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