毒薬 -Love is a Poison...-(ジャーファル) | ナノ


細工(番外編)


二月十四日。遅めの朝食を摂りに、非番の私は食堂に向かう。バレンタインデー限定のお菓子が用意されている、と食堂の入口にある貼り紙に書かれていた。

食堂に入ってすぐ私が視線を移したのは、厨房と食堂を隔てる壁にある覗き窓。厨房と食堂双方から互いの様子を確認できるが、大半の官職は覗き窓の存在にすら気づいていないはず。包帯を巻いた両手に手袋をはめて、朝番のゴンベエは厨房に立っている。

「今日はバレンタインデーなので、日頃の感謝を込めてみなさんにフォンダンショコラを焼いたんです」

ここ数日、他人との会話しか聞かない恋人の声がする。今日私が耳にしたゴンベエの第一声もまた、私以外との話し声だ。同僚の女性たちと休憩に入ったゴンベエは、男性の王宮料理人にフォンダンショコラを渡し歩いているようだ。

仮にもまだ恋人の私は、何ももらってないのに。同僚にはお菓子を用意しているなんて。しばらくまともに会えていない寂しさから、苛立ちの矛先が恋人の同僚に向いてしまう。

気分が沈むのは言わずもがな、どうも起きてから四肢が重いと感じていた。パパゴラス鳥の卵のスクランブルエッグを口に運ぶ手は、思い通りに動かない。

プルプルと手が震える右手からフォークがこぼれ落ち、そのまま意識も飛んで食堂のテーブルに私は身体を投げる。私が最後に耳にした音は、大理石の床でフォークが跳ねる金属音だった。



「…ル!ジャーファル!ジャーファル、わたしがわかる?」

「ゴンベエ…?」

瞼を開くと、視界には瞳いっぱいに涙をためるゴンベエ。私の両手を包むのは、手袋をした恋人の手のひら。手袋や包帯を介していても、私の顔を覗き込む王宮副料理長の手からは温もりが伝わる。

「よかった…!本当によかった…」

瞳にたまっていた涙が零れ落ちるなり、ゴンベエは強く私を抱きしめた。寝台に横たわっている自分の身に何が起こったかすら、今の私は把握できていない。しかし、しばらく会えていなかった恋人が私のために涙を流す姿に、心の底から嬉しくなる。

そんなことを思っていれば、私のいる寝台を囲むカーテンが開く。カーテンを開けたのは医務官で、私の顔を見るなりすぐに医務長を呼ぶと言って踵を返した。彼の存在で、ここが医務室なのだと私は悟る。

「ジャーファル様、寝不足で倒れたんですよ」

ゴンベエの隣で私に話しかけるのは、先ほどここに駆けつけた医務長。問診票を手にする医務長は、なぜか呆れ顔を浮かべていた。

「あなた、ここ数日で何時間寝ました?」

医務長の質問に三、四時間くらいと答える。私の答えにバカと短くつぶやいたゴンベエは、私を抱きしめる腕に力をこめた。顔面蒼白で意識を失ってから六、七時間私は眠っていた、とゴンベエは言う。

「体調不良の自覚症状はありましたか?」

医務長の言葉に、少し考え込む。

「胃がむかむかしたり、胸が苦しくなって呼吸が浅くなったり。あとは…意識が曖昧になったり身体が重かったり、手が震えたり。もしかして、料理の味を感じなかったのも…?」

「はい。すべて寝不足が原因です!一日三、四時間だって少ないのに、三、四日で睡眠時間が三、四時間だなんて…前代未聞ですよ」

思いついた症状をすべて話せば、「政務官が自己管理できなくてどうするんですか」と医務長に叱られる。正論すぎて何も言い返せずにいると、ゴンベエが私の顔をじっと見つめて言う。

「朝番で厨房にいたからすぐに駆けつけられたけど…最初の数時間ジャーファルに意識がなかったの。何かがあったらと思ったら、気が気じゃなくて。お願いだから…わたしを置いて行かないでよ」

「ゴンベエ…その、心配かけてごめんね」

医務長の目を気にせず私の胸に飛び込む恋人の髪を、そっと撫でる。ただの過労なのに泣きすぎだと感じるものの、自分の命を案じてくれるゴンベエの存在がたまらなく愛おしい。"筆頭"なんて呼ばれようと、十数年前までの私は、履いて捨てるほどいる裏社会の駒の一つにすぎなかったのだから。

しかし、先ほどのゴンベエの声はやけに切迫していて。そこまで心配してくれる恋人に嬉しさが募る反面、そのときの表情や声が私の心の奥で引っかかった。

「…仕事は溜まってなかったって国王もピピリカちゃんも仰ってたし、何か悩みごとでもあるの?わたしは八人将でも何でもない"一介の官職"だから、話せないこともあるだろうけど…一人で抱え込まないで。少しくらい、わたしを頼ってよ」

寝不足の理由はあなただ。私の胸に顔を埋めるゴンベエに、できるものならそう言ってやりたい。しかし、理由を口にするなんて、今の私にはできなくて。倒れた私に涙こそ流してくれるものの、もう王宮料理長にゴンベエは心変わりしているのだから。

それを知っていてもなお、愛してやまない恋人にに三行半を突きつけられるのが怖い。自爆しに行く度胸も、自ら振られてゴンベエを幸せにする潔さも、今の私にはないのだ。



「ゴンベエ、持ってきたよ」

最悪のタイミングでやってきたのは、一番顔を会わせたくない男。王宮料理長は両手で抱える大きな箱を寝台脇のテーブルに置く。私の胸から顔を離したゴンベエは、王宮料理長に礼を言って微笑んでいる。

「ジャーファル。こんなときに申し訳ないけど…もらってくれる?」

王宮料理長が持ってきた箱を、ゴンベエはそのまま私に手渡す。手切れ金のようなものだろうか。開けても?と尋ねれば、照れと緊張が混じった表情でゴンベエは頷く。

丁寧に巻かれたリボンを解いて、適当に包装紙を破る。包装紙から出てきたのは、熱伝導率の悪い金属で作られた箱。その中身をそっと開けた私は、声をあげずにいられなかった。

「これ…私?」

箱の中身は、五十センチメートルほどの大きな飴細工。縄票を持って戦う私を模して作られた飴は、とても食べ物とは思えない精巧さだ。

「飴細工は作ったことなかったけど、どうしても飴細工でジャーファルを作りたくて。ここしばらく、菓子職人出身の王宮料理長に頼み込んで教えてもらったの」

最近のゴンベエの行動に納得すると同時に、あらぬ疑いをかけたことが申し訳なくなる。初めてとは思えないと思ったままを口にすると、手袋を外して両手に巻かれた包帯をゴンベエが私に向けた。

「失敗ばかりで、両手とも火傷しちゃったんだ。水ぶくれが痛くて…包帯を巻いた上に手袋をしないと、仕事も湯浴みもできないの」

「手袋を二重にしても水ぶくれができるくらい、飴細工を作るときの飴は高温なんです」

横から補足するのは王宮料理長。包帯を巻いてもなお痛々しい両手を見ると、ゴンベエが気の毒になる。しかし、私のための怪我だと思うと、不謹慎だが嬉しくなってしまう。いかに飴細工が難しいかをゴンベエが熱弁していると、寝台を囲うカーテンの奥に人影が見えた。

「ジャーファルさん、だいじょ…ゴンベエちゃん、すごいよこれ!あの絵をこんな立体に…」

私を見舞いに来たらしいピピリカは、患者である私に目もくれず飴細工に目を奪われている。"あの絵"について尋ねると、得意気にピピリカが答えた。

「ゴンベエちゃんは縄票で戦うジャーファルさんを見たことないから、兄ぃが描いた絵を元にこの飴細工を作ったんですよ!」

ヒナホホ殿と見ていたのは私の絵で、打ち合わせの現場に居合わせたのだと気づく。ここ数日の悩みがすべて杞憂とわかれば、朝まで心を埋め尽くしていた不安が癒えて安堵に変わった。

「飴細工を作るとき、ゴンベエがジャーファル様のことばかり話すんですよ。"料理長、ジャーファルってすごいんですよ!"って。私が見本を作れば、"ジャーファルはもっとかっこいいのに"って怒るし」

王宮料理長の言葉に、ゴンベエは顔を赤くする。それを見たピピリカは、「ジャーファルさん、愛されてますね」とニタニタしながら言う。女性陣に挟まれた王宮料理長も、ニタニタしながら王宮副料理長を横目で見ていた。

「ピピリカ、この飴細工を政務室の冷蔵庫に入れておいて」

私の言葉に顔を一段とニタニタさせながら、ピピリカは飴細工を持って医務室を去る。夜番の休憩が終わると言って、私の部下に続いて王宮料理長も退室した。



「ジャーファル、大好き」

二人きりになった途端にゴンベエは私に抱きつき、短く口付ける。すぐに顔が離れたと思うと、また視界が暗くなりゴンベエでいっぱいになった。

「ゴンベエ。今月に入ってから夜番のあと政務室に来てくれないし、部屋に行っても留守がちだったし…寂しかったよ」

「ごめんなさい…水ぶくれでいっぱいの手をジャーファルが見たら、絶対に飴細工作りを止められるってわかってたから。見られたくなくて、わざとジャーファルを避けてた。傷ついたよね?」

「…うん、傷ついた」

傷ついた旨を改めて伝えれば、繰り返しゴンベエは謝罪を口にする。わざと避けられていたのはショックだが、恋人が私をよく見てくれていたことに顔が綻んでしまう。あんなに痛々しい手を見たら、絶対に飴細工なんて作らせなかったに決まっているから。

「"ジャーファルが戦うところを見てみたい"ってヒナホホさんに言ったら、怒られちゃった。わたしの目の前でジャーファルが戦わないのは、世界が平和な証だって」

「…ヒナホホ殿の言う通りだよ。たとえ殺さず殴るだけだとしても、戦うところなんてゴンベエには見せたくない」

「惚れ直しちゃうかもしれないのに?」

私にゴンベエが惚れ直してくれるとしても、見せたくないものは見せたくなかった。"シャム=ラシュ"時代の私は、現在の私を形成する要素の一つ。しかし、平和な世界でゴンベエと生きたい私にとって、それは可能な限り消したい要素でもある。

ちょっとした敵襲や南海生物の退治くらいならまだしも、血を見るような戦いになれば暗殺者としての片鱗をゴンベエに見せてしまうかもしれない。どうしても見せたくないという意思表示として、私の解答を待つゴンベエに首を振った。

「そっか、仕方ないね…でも、どんなジャーファルでもわたしはジャーファルが好きだし、何があってもわたしはジャーファルの味方だよ」

そんなことを言ってふにゃりと表情を緩めるゴンベエに、抱きしめてキスしたい衝動に駆られる。しかし、思うように身体は動かない。代わりにゴンベエのほうに自分の身体を引き寄せようとすれば、バランスを崩して彼女の胸に雪崩れ込む。

「そういえば…かなり強めの点滴を打ってる、って医務長が仰ってたよ。今日は医務室で一泊、明日は仕事禁止だって」

安静にしないとダメだよ、と言って私を寝台に寝かしつけるゴンベエ。布団を肩までかけられ、完全に病人扱いだ。

「ジャーファル、今日は何の日かわかる?」

「バレンタインデー…ですか?」

そうだよ、と答えて再びゴンベエは私の口を塞ぐ。意中の男性に女性が思いを伝える日。そんなバレンタインデーの意義を嫌でも実感できるほど、だんだんゴンベエのキスは深くなっていく。

ゴンベエのそれに応えようと思うものの、まだ身体は重い。昨晩は料理を口にしても味覚を感じずにいた舌は、点滴が効き目を発揮するにつれて徐々に感覚を取り戻していく。それでもなお、ゴンベエに私はされるがまま。

ゴンベエの前では"かっこいい男"でありたい。しかし、"年上の恋人"に甘えるのも悪くないと思いながら、飴細工よりも甘い時間を過ごした。



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